自分のことは棚に上げ
「ごちそうさまでした」
「相変わらず食うの早えなあ。ちゃんと噛んでる? 丸飲みしてねえ?」
「とめき先輩はなんでたまにお母さんみたいな心配するんですか。咀嚼はしっかりやってます」
莟はため息をついて弁当箱を片付ける。
夏休みも目前の水曜日、すっかり昼食場として定着したクーラーの効いた空き教室には十瑪岐と莟の二人しかいない。
ゆっくり呑気に自分の弁当をつつく十瑪岐へじとりとした視線を向ける。十瑪岐の弁当箱は身長に似合わず小さい。莟の半分ほどしかないのではないだろうか。これが運動部と帰宅部の差か。
そんな風に十瑪岐をぼんやり観察していると、友人に言われたことを思い出す。
『二人とも十分に仲良さげじゃん。なのに今以上のものを求めちゃうとかそんなの特別な関係になりたいってことでしょ。それすなわち恋だよ莟ちゃん』
あのとき莟は、これは恋ではないと答えた。だが本当にそうだろうか。
他人に言われると意地になって否定の気持ちが湧き上がって来るのだが、こうやって彼の横顔を盗み見ながら自問自答すると、もっと素直に考えられる気がする。
(とめき先輩は、わたしにとって“特別”だ)
莟は周囲の顔色を窺いがちだ。そのうえネガティブな思考に陥りやすい。それが自分でも嫌で、意識して逆の態度を取ってみて、慣れないから失敗することが多々ある。
だが十瑪岐には何も気を使わなくていい。一番素に近い自分でいられる。十瑪岐は思考回路がクズだから無茶ぶりをされることもあるけれど、莟と方針が真逆というほどではない。むしろ十瑪岐のやりかたはよく手に馴染む。莟が思っても実行しないことを、彼はあくどくやってしまうだけ。手っ取り早くていっそ清々しい。
だからだろうか、やはり彼との時間は心が休まる。無理をしている感覚がない。文句も言いたい放題だし。
好悪でいえば、好。
さらに言えば、彼ともっと仲良くなりたいとも思う。
そもそも自分は恋心を知りたくて十瑪岐たちに近づいたはずだ。自分の中で一番、世に言う『恋』に近い感情を抱いた瞬間、恩人のことを思い出すたび湧き上がるこの暖かな気持ちが恋なのか否か。それを確かめるために。
恩人へ向ける思いと、十瑪岐へ向ける気持ちは、近いようでどこか違う。どっちも暖かいけど、距離が違うような。でも十瑪岐はたぶんあの恩人さんで、同一人物に向ける想いは統合されるはずだ。まずはそれを確定させねば落ち着かない。
早く、速く、このふわふわした気持ちに名前を付けなくては。
「体育祭終わったら訊こうと思ってたんですけど、とめき先輩って……」
あの時の恩人さんで間違いないですよね? そう確かめようとして、なぜか声が出ない。
(……あれ? どうして)
口からは虚しく呼気が漏れるだけ。そこに意味ある音が乗ってくれない。心臓がバクバク鳴って、体が熱を帯びる。まるで取り返しのつかない分岐点が目の前にあるのを予期したみたいな。
どうしてそう感じるのか理由が分からない。否定されようが肯定されようが、自分の何が傷つくわけでもないはずなのに。
(わたしはいったい、何を怖がってるんだろう)
「ん? どしたよ」
「えーっと、なに訊こうとしたのか忘れちゃいました」
苦笑いで誤魔化す。十瑪岐は飲み込めない顔をしていたが、それ以上突っ込んではこなかった。
「とっ、ところで、鳴乍先輩の噂聞きました?」
多少強引に話題を転換させる。
「……まあな。あれだろお? 鳴乍がドSな本性を現したとか」
兎二得学園は朝からその話題で持ち切りだ。おかげで今日は莟に告白してくる者もない。このままブームが去ってくれることを願う。
「鳴乍先輩とさっき廊下ですれ違ったのでお昼に誘おうと思ったんですけど、バツ印を入れたマスクをはめて『毒物注意 接近禁止』ってプラカードを下げてて話しかけられませんでした」
「そいつは近づき難いなあ」
「どう思います?」
単刀直入に訊いた。
莟から見た鳴乍はとても良い人だ。善人のお手本のような好人物。だが鳴乍は自分を良い人だとは思っていないようだ。しかし莟は実際に彼女が『本性』とやらを曝け出した姿は目にしたことがない。
十瑪岐は背もたれに体重を預け、天井を仰ぎ見るように答えた。
「オレも今日は直接会ってねえ。だが噂通り自分の意思と関係なく誰彼構わず罵倒しちまうなら、評判は下がるだろうなあ。ファンクラブの人数も減るんじゃねえ?」
「むしろそこが刺さると、Mっけのある方々が交際を申し込んでは手痛く玉砕しているそうです」
「あれえ? ここ名家の子息が通う学園じゃなかったっけえ……」
「普段とのギャップが新鮮で、受けてるんでしょう。鳴乍先輩ってなんかこう、完璧というか隙がないというか。手を出せない対象って感じでしたけど、今日のことでその枷がなくなったのかもですね」
「気持ちは分からなくもねえ……けど」
「まぁ、優しい鳴乍先輩が好きな方々からは不満の声も上がっており、現在は原因究明中だそうです。ちなみに一番有力なのは『葛和十瑪岐が何かしたから』だそうですよ」
「予想外の角度から冤罪かけられてるう!?」
喋っているうちに調子が出てきた。莟はニヤリと笑って前のめりになる。
「で、とめき先輩はいつ鳴乍先輩に告白するんです?」
「ぶっふあっ!?」
「汚っ!」
十瑪岐がお茶を噴出した。顔を真っ赤にして机を拭いている。
「ぅげほっげほっ、おっ、おま、何を言ってんだ! 告白って何を? オレまだ自白するほど鳴乍に罪ため込んでねえですけどお!?」
「罪の暴露ではなく気持ちを白状するほうの告白ですよ。鳴乍先輩のこと好きなんですよね? 言い逃れはできませんよ。わたし見たんですから」
「みっ、見たってなにを……」
「体育祭あと、捜索中、居眠り、……影」
「いやあああああああああああっ!!」
指折り数えて単語を示すと十瑪岐が汚い悲鳴を上げた。顔を両手で覆って床をのたうち回っている。見られているとは思っていなかったのだろう。エビのように丸まってビクビク痙攣する少年を見下ろし、トドメの確認を投げる。
「葛和十瑪岐は久米鳴乍に恋愛感情を抱いている、OK?」
「…………まあ」
「はっきりせい!」
「はいはい好きですよ認めますよこれでいいかオラあ!」
飛び起きた十瑪岐が赤い顔で莟を指さす。
「だからって、なんでお前にそんな詮索されにゃあならんのだ!」
「わたしはただ、とめき先輩が心配なだけです。だってこのままじゃとめき先輩、齢四十で孤独死コースですからね!」
「死!? 生死に直結する話!?」
「そうですよ。考えてもみてください。一度フっているとはいえ、とめき先輩に好意を示してくれる女性なんて鳴乍先輩くらいのものです。後にも先にも他に居ませんよ。ここを逃がしたら二度と拾ってもらえるチャンスはありません。孤独死したくなければどんどんアプローチしてかないと!」
「オレだって色々考えてんだ。そんな急かさなくてもよお」
「なに悠長なこと言ってるんですか。鳴乍先輩は生徒会役員。周囲には頭も家柄も将来性も何もかも良好な人がたくさんいるんですよ? いつ所属内恋愛が始まってもおかしくない。何もアプローチしなかったらすぐかっ攫われます。いいんですか、鳴乍先輩が他の男に取られても。わたしは嫌ですよ。なりとめ以外は認めませんから」
「何そのよく分からねえけどなんとなく受け入れ難い字並び!?」
「ふっ、伊達に公式カプ厨とは呼ばれてません。リバは可です。いいですか、こうなったらできる限り応援します。せめて七月中にデートまでこぎつけましょう」
「急展開すぎねえかあ!?」
「そんなことありません。お付き合いしてる時にもデートはしてるでしょう。失敗だったみたいですけど」
「ぐっ。なぜそれを……」
「わたし、同じ時期に葛和兄弟を観察していた人間ですので。とめき先輩が浮かれて張り切って空回りしてる姿もばっちり見てます。見てるこっちが恥ずかしくなるくらい不様でしたからね。どうせデートも身の丈に合わないような理想のプランを練りすぎて、それで滑って失敗したんでしょう」
「…………ぐぬぅっ。オレは、頑張ったつもりだったんだ……」
図星だったのか十瑪岐は悔しげに唸るばかりでそれ以上の反論をしてこない。莟は大きなため息をついた。さすがにデート現場を見たわけではないが、事前の張り切りようを見ていれば想像はつく。胡散臭い雑誌にたくさん付箋を貼っていたから。
きっと自分の楽しめないような王道デートコースを無理して用意して自爆したのだ。
「その頑張りが駄目だったんじゃないですか? 鳴乍先輩ってもっとフランクな人でしょ。反省を生かしましょう。自然体でいいんですよ。どうして普段はグイグイ系なのに、鳴乍先輩に対してはそう及び腰なんですか」
「男が女を理由もなく誘うなんて、その時点で不自然だろ」
「なに言ってるんですか。忘れたんですか? お二人は友人なんですよ。友達が友達を遊びに誘うなんて、これ以上ないくらい自然じゃないですか」
「それは……」
友人の少ない十瑪岐は二の句を継げずにいる。莟も勢いで適当なことを喋ってしまった気がするが、間違いではないだろう。
とりあえず背中は押せたかな、と安心する莟に、十瑪岐が不安そうな視線を向けてくる。
「だからって初っ端から二人きりはキツイだろお。莟も付いてきてくれるんだよなあ……?」
「は? 無理です」
「どおしてえ!?」
「普通に部活が忙しいんです。夏は国体の選考会とかインターハイとかその他陸上大会が目白押しですから。スポーツ特待生に休みはありません」
「その合間にちょっとくらい余裕あるだろお?」
「無理ですって。七月は合宿があるんです。山の奥地に一週間籠るので、簡単に様子を見に来たりできません。あとたぶんネットも通じてません」
無慈悲に告げる。我ながら煽っておいて無責任とは思うが、こればかりは変更できないのである。
◇ ◆ ◇
空き教室の扉がスライドして、太い三つ編みの少女が入って来た。
「莟ちゃん、迎えに来たよー。今日は一年生が運動場の準備をする日だから急いで──って何この状況!?」
「とめき先輩が拗ねちゃって」
驚愕にのけ反る由利へ答える。
由利は莟の部活仲間で友人だ。昼練習の前にわざわざこの空き教室まで来てくれたらしい。由利の視線は莟の足元に注がれている。
そこにはムスッと頬を膨らませた十瑪岐が莟の両足を抱えるようにして寝転がっていた。
椅子の下に潜って絡みつく姿はまるで、出掛けようとする主人を引き留める大型犬のようだ。
「んん~? 理解できない光景だけど、とにかく急がないと。昨日から古見ちゃんの機嫌すっごく悪いから、遅れたらまた莟ちゃん目の敵にされちゃうよ」
「そうだった。迎えに来てくれてありがとう由利ちゃん。ほらとめき先輩、邪魔です。蹴とばされたくなければ退いてください。もしくは引きずって行きますよ」
足を揺らして十瑪岐を振り剥がす。十瑪岐は真剣な表情で莟を見上げていた。
「なあにお前、目の敵にされてんのお?」
「とめき先輩が気にすることじゃないです。それより鳴乍先輩のこと、ちゃんと考えるんですよ」
下手に愚痴ったら十瑪岐が古見に何をするか分からない。そんな懸念が先に浮かんで、莟は振り返らずに昼練へと向かっていった。




