エピローグ 特別になる
体育祭の振替休日も明けた怠い平日が半分終わり、放課後。十瑪岐は廊下を一人で歩いている少女を見かけた。知った顔だったので後ろからにじり寄り、胡散臭い笑顔をさらに媚びた感じに寄せて話しかける。
「よお冥華ちゃあん、こんなところで奇遇だなあ」
「葛和十瑪岐……。体育祭以来だね。あの時は協力してもらって助かったよ。最後は裏切る形になっちゃったけど」
「そうそう、そのことなあ。予定と違う黄団大敗北で外馬の予定が狂ってオレ各方面からすっげえ怒られたんだよなあ。オレ被害者なんだよお、どうしてくれんの?」
ぐいぐい近寄って威圧する。自分より頭一つ分以上小さい少女を壁際に追い詰めるさまは被害者ではなくチンピラにしか見えない。冥華はかすかに眉をひそめて薄いため息をついた。
「あなたそのわざとらしい脅し、くだらないからいい加減にやめたら? 詫びはメイカの尊厳でできる範囲でやるから。何かあったら言っていいよ」
「マジでえ? やっほうっ、何してもらおうかなあ。冥華ちゃん可愛いから引く手あまただろうなあ」
「はぁ。どうせメイカじゃなくて、メイカを使って火苅を動かしたいんでしょ」
冥華の見透かしたような態度に、十瑪岐の口角がひくりと痙攣する。取り繕うように腕を組んで距離を開けた。
「お前、妙に鋭いところあるんだな。怖くて泣きそう……。まあそれはいいや。そんであの後どうなったんだあ? ちょびっと気になってたわけよ。爆発物は気づいたら消えてたから心配はしてねえけど」
「聞きたい? いいよ、メイカすっごく気分良いし」
「そおいや火苅はどうした。いつもならピッタリくっついてんだろ、間違ったところに付けちゃったテープのりみたくベタベタ執拗に」
「例えが事務用品。火苅はクラスメイトに囲まれてモンモンしてるよ」
「もんもん?」
思わず首を傾げる。冥華は意地悪そうに歯を見せずに笑って、番外競技での経緯を語った。
物事を決めるのが苦手な彼女に選択権を委ねたことも。
「火苅に任せてみたら、あの子声すら出せなかったんだよ。時間もなかったし、『あんまりうじうじしてると火苅のこと嫌いになるから』って言ったら青ざめてやっと指揮を執り始めたの。涙目になってる火苅は初めて見たな」
とはいえ腐っても天才なので、やり始めれば有能である。生徒たちの願いが似通っていることにすぐ気づき、同じ願いの生徒には票を分散して入れるよう指示した。誰が勝ち、どの願いが叶えられてもできるだけ文句が出ないようにという配慮である。
「そこまでは良かったけどね。生徒も火苅を信頼して言うこと聞いてたし。でも最後がね」
「予想外したよなあ。オレが勝つって信用されてなかったの悲しいんですけどお」
「スポ特待生の子に賭けたのは、生徒会役員はみんなボロボロってあなた達から聞いてたからでしょ」
「あ、そっかあ。オレのせいかあ。やっちまったね☆」
「なにその輝く笑顔、きもっ」
「えっすごい傷つく……」
真顔の罵倒はたった数文字でも胸に深く突き刺さるものだ。
「んで負けたもんだから、火苅もう吐きそうな顔になっちゃって。自分の責任で他人に迷惑かけたの初めてだったからね。ストレスだったんでしょう。黄団のメンバー総出でやっと慰めたよ」
「じゃあ結局お前の家の問題は解決しなかったのか」
「した」
「は?」
「天才って怖いね。経験をすぐ吸収して自分のものにする。責任を背負うことを覚えた火苅はそれはもうすごかったよ。お母さんに向かって『お店は私と冥華ちゃんが二人で継ぎますからご安心を!』って啖呵切って。横にいるメイカの胃のほうがヤバかった」
思い出し胃痛に身体を折りたたむ冥華の姿は憐れみを誘う。
実際の火苅は、口頭では説明しきれないほどの想像を絶する空気の読めない笑顔で冥華の両親を説き伏せたのだそうだ。
『だから冥華ちゃんが嫁に行く必要はなし! 佐上のお家には私が貢献するから婿を取る必要もなし。そして冥華ちゃんは私が貰います。これで全包囲完璧ですね!』
『……………………頭痛が。いいえ、現在の価値観に口出しをする気はありません。ですがこれだけは確かです。あなた達の次の世代をどうするのですか。歴史ある佐上和菓子店をあなた達の代で潰すとでも?』
『養子を取ればいいじゃないですか』
『血のつながりのない者を家に入れるというのですか』
『いまどき血縁とか直系とかにこだわるの寒いですよ。夫婦だって元は赤の他人ですし。家庭を築くのに血の濃さは関係ありません。優秀な人間を跡取りにと願うならむしろ血縁関係に絞ってると効率悪いです』
『なっ、えっと』
『むしろそうやって実の親子関係だけを頼りに信頼関係の構築を疎かにするといくつかの回避できない問題が詰みあがることが最新の研究で判明していて──』
「……後は詐欺師の常套句満載でやり込めてた。火苅にあんなことができるとは知らなかったよ。それにしても上げて落としたり、弱い所突いたり、やり口が手馴れてた。独学であれは無理。手口が汚すぎ。あなた火苅に何か教えた?」
向けられる疑いの目に十瑪岐の肩が跳ねた。
「ま、まっさかあ。そっ、そんなことしてねえですよお? なんで疑われてるのかなあオレ、げへへ、げふんっ。あれだよお、ほら。オレは全くミリ微塵も関係ねえよってなあ、あはは」
冷や汗が背中を伝う。実は休日に電話がかかってきてちょっと助言と参考文献を教えたが、ほんの数分のやりとりだったので実質無関係。無罪のはずである。
「……まぁいいけど。お世話になったのは本当だしね。あなたみたいなクズと行動したおかげで、ちょっとは自分のこともマシに思えるようになれたし。火苅も前より期待できるようになった」
自身の想いに微笑んで、冥華が十瑪岐の目を見つめ返す。
「あなた悪ぶってるわりに色々考えてるでしょ。何を企んでるかは知らないけど、受けた恩のぶんは協力する。火苅の舵取りが必要ならいつでも言って。でもあんまり過激なのはやめてよね。あの子は加減が分からないから」
「安心しろってえ。お前らの領分を超えたお願いはしねえよ。話の早え奴は好きだしなあ。んじゃこれからもよろしく頼むぜえ冥華ちゃん」
十瑪岐はいつもの下卑た笑みで応えた。労力に見合った見返は気分が良い。
佐上冥華が体育祭の副団長に選ばれたのは、なにも下市火苅の補助役としてだけではない。
冥華もそれなりに人気と人望があるのだ。特に、どんなくだらない相談や愚痴も最後まで聞いてくれると評判だ。
冥華は問題を解決していくタイプではない。その力もない。たとえそうでも、ただ話を聞いて欲しいだけの人間も多いのだ。心の安寧は信頼につながる。
佐上冥華と下市火苅。いっきに二人の人気者と手を結べた。しかも体育祭の盛り上がりに隠れて、周囲にバレず秘密裏に。
(これでまた、やりやすくなるなあ)
冥華と別れて独り廊下を進みながら、十瑪岐は自身の願いの成就が近づいていることにほくそ笑んだ。
生徒会長に願うまでもない。
己の願いは、自分の実力で勝ち取るのだと。
■ □ ■
──お前はただあの家を破滅させる毒であればいい。
身内から浴びせられたそんな言葉が、いまだに人生を縛ってやまない。
──お前は毒だ。葛和を破滅させる、埋伏の毒なのだ。
だから待つ。その時を待つ。
この偽証と罪咎にまみれた身を現さねばならない、裏切りの時を。
──お前だけは裏切るまい。
幾度目かもわからない問いかけに、ただうなずきを返す。
うなずいて、自分の意思など関係ないのだと否応なく痛感する。
できることなど何もない。ただこれから自分が裏切らねばならない信頼に、胸の奥がじくりと疼いた。
──余計なことなど考える必要はない。
常に一つのことだけ考えていればいい。必要なのは信頼を得ること。その時が来るまでは引き絞った弓のように、卑劣さは溜め込もう。
それがどれだけ愛しい人でも。最期まで騙し通して傷つける。
なぜなら自分はただ一人、葛和を壊す共犯者なのだから。
初恋トレッドミル(検証) フィニッシュ
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