選んでほしいと願えたから
全校生徒から選抜されたリレーメンバーが死力を尽くした最後の競技。
その結果が反映されて二日間の結果がそろう。
競技に使ったグラウンドから人がいなくなり、閉会式の時間と相成った。
すべての生徒たちが自団のひな壇に並んで、理事会や校長の無駄に長い総評を聞き流したり近くの友人と小声で雑談したりして過ごす。
生徒会の進行のもと来賓たちの長話を丁寧に切り上げ、待ちに待った発表の時がきた。
昇降台に上がったのは一人だけ長袖のジャージを着たウルフカットの少女。生徒会会計役員であり、体育祭実行委員長代理である久米鳴乍だ。
映像は四つの運動場にある大画面に中継されている。全団の生徒たちが見守る中、慈悲の微笑がカメラに映った。化粧で隠しているようで画面越しには疲れているようには見えない。
簡単な前置きにテンプレートな激励を交え、いよいよ点数発表へ移る。少女が封筒を開けて中を読み上げるのに合わせて、画面に点数が表示された。
赤団:1769点
青団:1779点
黄団:1776点
黒団:1777点
『御覧のとおり今回は、例年にない僅差での戦いとなりました。しかしたった数点であってもそれは皆様の積み上げられた結果のすべて。よって本年度の兎二得学園体育祭、総合優勝は────青団』
湧き上がる歓声とため息。たとえ全生徒が競技に積極的でなかったとしても、これだけ僅差であれば惜しく思うのが当然の心理だ。
そうやって結果にみんなの関心が向いた瞬間が狙い目なのだと心得ている男が一人。
『おいおい、このまま結果を受け入れる気かあ? たったの数点、微かな足掻きで覆せたはずの差が悔しくはないのかあ?』
突然中継に別の声が割って入った。鳴乍が驚いて本部を振り返る。そこにはマイクを握ってニヤニヤ笑う十瑪岐の姿が。
カメラが遅れて少年を捉える。十瑪岐はそれを待っていたかのように手を広げ、ペットの機嫌でも取るような猫なで声でカメラの向こうへ呼びかけた。
『分かるぜ。オレも人生負け続きだからよおく分かる。思っちゃうよなあ。あのとき俺が勝っていれば。私が手を抜かなければ。自分がもっと頑張っていれば──そうすれば隣近所の落胆の顔を見ずに済んだのに。もしくはそう、あいつがもっと全力を出してれば、あいつが足を引っ張らなければ、ってな。
ちょっとの頑張りじゃ覆せねえ結果だったなら、ぜんぶ他人事だと切り捨てられたのに。時間が不可逆である以上考えても無駄だってのに頭から離れねえ。……もしかしてお前ら、そんな後悔をずっと引きずっていく気か? そりゃ正気じゃねえなあ!』
腹の底から笑いながら、テントの下を出る。まばゆい太陽を浴びて少年は、善人を引きずり込む悪魔みたいな顔で芝居がかった大げさな動きをしてみせる。
『あぁあ! 大差であれば諦められたのに! 手が届くからこそ口惜しい! 誰も彼もが当事者ってな嫌になるよなあ。自分のせいだなんて欠片も思いたくねえよなあ。…ならそんなもん捨てようや。みんなみんな巻き込んで、いっそ他人事にしちまえばいい。延長戦でうやむやにしちゃおうぜえ?』
十瑪岐はカメラの前に躍り出て、挑発的に口角を上げた。
『っつうのはまあ、ただの理由付けな? やりたいのはただのお遊びだあ。安心しろ。
オレから提案するゲームは参加自由の総力戦で一発勝負。行われるのは九百メートルVSリレー千二百。お前らはどっちが勝つか予想して投票するだけ。勝者に入れてた票が自団の点数に反映される簡単ルールだ。参加するかどうかは団長共が決めろ。だがよおく考えろよお? これはオレが生徒会を口説き落として手に入れてやったラストチャンスだ。しかもこれは後で説明するが、もれなくお得なボーナスも付いてくる! ん? 優勝した青団は参加するデメリットのほうがデカいってえ? いやいや、たとえこれで負けたって、本選では勝ってましたって言えばいいんだ。何も問題はねえだろお? なあ新聞部の部長さあん』
いつの間にか芹尾怜が陰気な顔して立っている。一眼レフカメラを構えて怜は頷いた。
「せやねえ。話聞いたときから面白そう……思っとったんや。やから現時点での結果も……この賭けで変動した結果も両方……広報誌には……載せるつもりやで。安心してもらって……かまへんよ」
『ほおらねえ。これは二日間……いや練習につぐ練習を頑張ってきたみんなへのご褒美、お遊びだあ。思いつめる必要はねえ。軽くのっちまえばいい。そうでしょう生徒会長』
本部に座った涼葉へカメラを誘導する。映し出された生徒会長は地位に相応しい気品でゆっくり応えた。
「確かに遊びは必要なのだね。だからこそ生徒が納得すればという条件のもと、君の提案を受け入れる準備も済ませてある。だが詳細はまだ聞いていなかったのだね。それは誰と誰との勝負なのかね。リレーの千二百対九百メートルということは、複数人と個人の対決かい? 君が一人で九百メートル走るのかな」
『んな盛り下がることするわけねえでしょう。もちろん盛り上がるメンバーですともお。リレーは生徒会役員からクジで五人を選ばせてもらう。四人目までが二百メートルずつで、ラストが四百走る。合計で千二百メートルな。対する九百メートル走者は、兎二得学園唯一にして最速、一年四組所属のスポーツ特待生、蕗谷莟だあ!』
指を鳴らす。事前に打ち合わせていたカメラマンが隅っこの椅子で気を抜いていた少女を映した。画面に映った自分の姿に莟が跳ね起きる。
「はい!? ちょっ、聞いてないんですけど!?」
『そら言ってねえもおん』
「えっ、ちょっと映さないでくださいっ。とめき先輩!? わたし前に言いましたよね悪目立ちするの嫌だって!」
『おう、聞いてた。聞いてたからって事情を考慮するとは限らねえよなあ?』
「このっ──」
莟が言葉を飲み込んで十瑪岐を窺い見る。
「……もし棄権したら?」
『どおなると思うぅ?』
にやあっと笑ってみせると、莟は抵抗は無駄だと理解したようだ。
「ああもうっ、分かりましたよ。やりますよ! 走ればいいんでしょう! うぅ……心の準備が……」
莟が心底嫌そうに縮こまる。きっと競技会の前にも彼女はそうしているのだろう。
十瑪岐はそれに背を向けて手を叩いた。
『はあい、これで役者はそろいました。内容の公平性については事前プレゼンで生徒会のお墨付きだぜえ? さあ、参加するか否か五分以内に決めろ。ルールの詳細はその後だ』
◇ ◆ ◇
十瑪岐の演説を聞いて、火苅はようやく得心がいった。
(なるほど! ここで冥華ちゃんの主導でバシッと決めて黄団が優勝しちゃうことで、勝利を冥華ちゃんのおかげって印象付けるんだね! これなら入れ忘れた単四電池をダッシュで取りに行って冥華ちゃんから離れずに済むや!)
「よぉし、決めちゃって冥華ちゃん!」
隣の冥華の背を軽く撫でる。だが冥華はうつむいたまま踏み出さない。不思議に思って顔を覗き込むと、そこには表情がなかった。
「…………火苅が決めて」
「え?」
「参加するか否か、参加するなら団員にどう指示するか。ぜんぶ火苅が決めて」
やっと目が合う。ずっと見てきた従姉妹の瞳は、今まで一度も見たことがない色をしていた。
冷たい、突き放すような視線。いつでも火苅を受け入れてくれる彼女とは別人のようだ。
思わず半歩後ずさり、火苅は堅くなった口角を上げて引きつった笑みを浮かべた。
「えっと、意味が分からないかな。これ冥華ちゃんのための……だよね。冥華ちゃんがやらないと意味ないんじゃないの?」
「意味ないよ。意味はないけど、火苅が決めるの」
「待ってよ。それじゃ勝っても負けても冥華ちゃんには関係なくなるよね」
「そうだね。メイカは何もしないから、結果に関わらずメイカはお母さんに落胆されて終わりになる。でも、火苅の決断はみんなに関係あることだよ。黄団の五百人、全校生徒二千人、その家族を含めればもっと。たくさんの人が、火苅の決断で喜んだり、悲しんだりすることになる」
視線に促され振り返る。そこにはひな壇に並んだ約五百人の生徒達がいる。
みんな団長の言葉を待っている。
火苅はいっきに身体が冷えた思いで、怖れと共に冥華へ視線を戻した。あるいは黄団の人員たちから目を逸らしたかったのかもしれない。
「冥華ちゃんと関係ないなら、私が決める必要だってないよ。どうしてそんなこと私にさせようとするの?」
だって、自分の選択は正しくない。いつだってズレている。何がズレてるのか分からないけど、みんなそう言うんだから間違いない。火苅は頭がイカレているのだと。
だからいつも中心には冥華にいてもらったのだ。そうすれば冥華が助けてくれるから。冥華が基準なら火苅も間違えない。冥華のことだけ考えていればいい。
冥華がそこに居ないなら、火苅には決断なんてできない。
火苅本人ですら自覚していないその依存を、冥華は誰より分かってくれているはずなのに。
「……メイカはいままで無意識に火苅から嫌われないようにしてたんだと思う。でも火苅言ってくれたでしょ。どんな冥華でも好きだって。火苅のおかげで吹っ切れた。嫌われるようなことでも言うって決めた。
火苅は団長を任されたんだよ。引き受けたんでしょ。だったら背負いなよ。苦しみなよ。楽しみなよ。メイカがいつも代わってる責任を、火苅もちゃんと果たして」
「冥華ちゃんは、それでいいの? 家族のこと大変じゃないの?」
すがるように言う。
彼女の家のことを持ち出すのは卑怯なことだと火苅でも分かった。
なのに冥華は涼しい顔でほほ笑んでいる。
「分からない? メイカは自分が一番欲しいものに、いま手を伸ばしてるんだよ。さぁ決めて。火苅は何を選ぶの?」
その笑みは今まで見たどんな彼女よりも凛としていて、色んなことから吹っ切れたように見えた。
冥華に背中を叩かれる。押し出された火苅はひな壇を見上げてひりつく喉から言葉を絞り出し──。




