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クズ男は誰の初恋でもない。はずだった  作者: まじりモコ
六周目 クズと頑張りすぎてる彼女
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乙女心をかき乱す男


 重い足取り、かすむ視界、軽快な音楽が遠くに聴こえ、鳴乍なりさはため息をついた。


 気力だけでどうにか意識の余喘よぜんを保っている状態だと自覚がある。連日の疲労が積み重なり身体にへばりつくようだ。あと一日で休めると自分に言い聞かせ、生徒会長へ報告ラインを送った。あとは業者の作業が終わるのを邪魔にならない場所で待つだけである。


 生徒たちはみなどこかしらの運動場へ行っている。保護者達も警備の誘導を外れてはこない。校舎間を繋ぐ細道は祭典の間は裏方しか通らない秘密の抜け道のようになっている。


 誰もいないところで気が抜けていた。だから少年の声が耳に入ったとき、鳴乍はそれを幻覚か幻聴の一種だと思った。


「ん? そこにおわすは体育祭実行委員長様じゃねえかあ。ご機嫌麗しゅう……っつうには顔色悪いなあ」


 腹部を庇うように猫背になった長身黒髪の少年が片手を上げる。鳴乍の顔を覗き込むように首をすくめて立っていた。


「あら十瑪岐とめきくん。さっきの中継見て…………」


「? どしたあ?」


 言葉が途切れてしまって、少年が首を傾げる。

 なんだか意識がぼんやりしている。まるで半分夢の中にいるかのようだ。


「…………」


 視線が自然と彼の負傷位置に引き寄せられる。気づけばジャージの袖から手を伸ばしていた。


「……えい」


 ズムッっと、鳴乍の人差し指が十瑪岐の脇腹に沈んだ。


「にょがあっ!? 痛ってええ!」


「あ、ごめんなさい……思わず。私なんてことを」


 ちょっと我に返って頭を下げる。十瑪岐は涙目で唇を引き結んだ。


「んぐっ、まあいいけどお。別にいいけどお! 仕方ねえから今回だけは許してやらあ。なんならもっと触るかこのおっう!」


「え……ぐっ…………遠慮しておく」


「溜めが長えな。微妙に顔色良くなったあ?」


「いい栄養を摂取できたもの。くふふっ」


「えっ、いつ?」


 思わぬところで回復できた。やはりこの少年は見ているだけで元気になれる。鳴乍は調子を取り戻して笑みを浮かべた。


「ところで、映像では血を吐いていたように見えたけど、身体は平気なの?」


「心配しなさんな。同情引くために用意したケチャップだからあ」


 下卑た笑みで誤魔化しているが、体操服に付着した赤は本物にしか見えなかった。バレてないと思っているらしい少年がわざとらしくあくびを噛み殺す。


「つうか、まだ仕事してんのか。んなもん教員とかに任せとけよお」


「そうはいかないよ。実行委員長なんて後始末とクレーム対応の肩書だもの。ねぇ十瑪岐くん。今日に至るまでそういったトラブルがいつの間にか解決していることが多々あったのだけれど、もしかしてあれは君が何かしてくれていたの?」


 常々考えていた可能性を確かめる。だが十瑪岐は間髪入れずに否定した。


「はあ? 知らねえなあ。こっちはこっちでやること多くてよお。そっちの面倒まで見てられるかっての」


「そう……。解決の手腕が大概卑怯だったからてっきり」


「聞き捨てならねえなあ。オレは常に正義の男ですよお? いいけどお。おい、肩にほこり付いてんぞ。何やってたんだ」


 頼んでないのに取ってくれる。背中側のほこりも払ってくれた。この少年はこんなに親切な男だったろうか。いや交際していた時はもっと過保護ではあったが。


 別れて落ち着いていた──むしろ距離を取られていた気もするのだが。


 内心で戸惑いながらも平静を装って答える。


「中継の回線にトラブルがあって。業者の方を案内してたのよ。学園の設備は教員よりも生徒会のほうが詳しいから」


「この学園そのあたり弱いよなあ」


「大半が古い建物だから仕方ないのだけどね」


「なんか床下の謎スペースにケーブル這ってたりするしな。知ってるかあ? あれ人一人潜れるんだぜ」


「知ってる。特に第一校舎の空き教室は不思議と断線とかトラブルが多いのよね」


 よく知っている。十瑪岐と初めて言葉を交わしたのもその時だ。顔を合わせたわけではないし、彼は覚えていないだろうが。


 ひっそり思い出に浸っている鳴乍に、十瑪岐は冷蔵庫に忘れてきた調味料の在処を問うような調子で言った。


「そういやあ……あの時のハンドクリーム、もう使ってねえの? 匂いが好きだったんだけどなあ」


「えっ────」


 言葉を失う。

 こみ上げる感情のまま口を開こうとしたとき、業者の人達がやってきた。


「復旧は終わりましたので、ここにサインをお願いします」


「あ、お疲れ様です!」

「お疲れ様でえす!」


 満面の笑みを作って愛想良くねぎらう。なぜか十瑪岐も同様に頭を下げていた。全力の媚び顔である。


 諸々の対応を終えて少年を見れば、彼はもう去るところだった。


「おっと、最後の競技が始まる時間だなあ。んじゃオレはこれで。あんま無茶すんなよお。仕事なんざ適当な奴にぶりやれ」


 呼び止める間もなく、背中越しに手をひらひらさせて行ってしまう。

 彼の消えた方向をいつまでも視界に入れたまま、鳴乍は唐突にこみ上げてきた何か(・・)に思わず叫んだ。


「……あれが私って、ききき、気づいて──!?」



       ◇   ◆   ◇



 初めて十瑪岐と言葉を交わしたのはまだ十瑪岐の悪評が広まっていなかった、十月の半ば頃のことだった。


 鳴乍は家柄の良い大勢の生徒達と同じくエスカレーター式に高等部へと進学した。大幅に編成されなおしたクラスにも馴染んでしまって、交流のあるメンバーも固まっている。


 人付き合いは流動性がなくなると、今度は内部で動きが出ることがある。気の合う連中だけが少人数でいるなら心配ないのだが、鳴乍は良くも悪くもたくさんの生徒に慕われていた。


 有能で見目良い女生徒が誰にでも博愛を振り撒けばいずれそうなると察しがつくだろう。高校生になって将来への不安や人間関係の複雑さに苦悩するクラスメイト達は、無制限に鳴乍を頼り出したのだ。


(いい顔するのもずっとじゃさすがに疲れるのよね……)


 適度に休息を取りたいものである。


 連日のすり寄りに疲れてしまった鳴乍は、文化部の物置くらいにしか使われていない第一校舎の空き教室に入った。人目を避けて、喧騒を避けて、窓の外に広がる林をただ眺める。


 誰もいないと油断してたせいだろう。本音が口をついていた。


「私が本当に欲しいのはお礼の言葉じゃなくてあなた達の悲鳴と苦痛の顔よ……なんて正直に言ったらどんな顔をされるのでしょうね」


 もちろん答えは返ってこない。


「はぁ……。軽率に不条理にサイコパニックホラーが起きないかしら」


 独り言を呟きながら好きな香りのハンドクリームを取り出す。なくなる直前なのでなかなか出てこない。思い切り絞ると詰まっていた塊が手の甲に飛び出した。


「あ、ハンドクリーム出しすぎちゃった」


「貰ってやろうかあ?」


「えっ!?」


 どこからか低く甘やかな声がして鳴乍は教室を振り返った。

 廊下まで見渡したが誰もいない。人が隠れる場所もないはずだ。


 まさか幻聴が聞こえるほど精神がまいっていたのか。ショックで挫けそうになりながら元の位置まで戻ると、また声がした。


「おおい、此処ここ、こおこ。下見てみい」


 導かれるまま視線を下げる。

 そこには床からにょっきり人間の右手がひらひらと。


「手がっ!! 生えてるっ!」


「はぁい手でえす」


「野生のハンドが動いて喋った!?」


 きつねを真似た手が口を動かしている。冷静に見てみれば、床板が一枚剥がれてそこから手が伸びていた。腕が自立して動いているのではない。本体は床下にいるのだ。


 さっきの独り言を聞かれただろうか。鳴乍は手の前に屈みこんだ。


「その袖は兎二得うちの制服よね。どうしたの? なぜそんな所に仕舞われてるの?」


「床下収納じゃねえんだわ。もう事件だろそれ。違くて、ケーブル弄ってんのお。なんか調子悪いから見てきてくれって新聞部に頼まれて、辿って這ってたらここまで来ちまった。ここで断線してるみてえでな」


「そんなスペースがあったのね……」


 そういえば同じ階に新聞部の製本スペースがあった気がする。この建物は街にガス灯が溢れていた時代に設計されたものだ。無理やりに回線を這わせておかしな造りになってしまったのかもしれない。


 頭の片隅でそんなことを考えながらも鳴乍は、まるで手話でもするかのようによく動く手から目が離せなかった。


 ゴツゴツと骨ばった、されど繊細な男子の手。指が長くて形が良い。中指の第一関節にペンだこがあった。分厚い皮膚は堅そうだが、指の腹や母指球ぼしきゅうは肉がついて柔らかそうだ。


(これは……。芸術品のような手ね。許されるなら切り取って持ち帰りたい。床の間とかに飾りたい……)


 ごくりと生唾を飲み込む音は、板を隔てた少年に届いていないはずだ。


 手がピースする。


「さっきから静電気やべえから、ハンドクリーム余ってんなら貰ってやってもいいぞ☆」


「ありがとう?」


 すいぶん偉そう言いぐさだが不快感はなかった。たぶん声がすごく楽しそうだったからだろう。


 鳴乍は手全体に広げてもまだあり余っているクリームを分けてやることにした。少年の右手を取ってぬめりを移す。指を絡めて全体に伸ばしてやると、向こうもぎゅっと締め付けてくる。


(これは……なんと言うか…………、すごくエッチなのでは? もはやセッ……では?)


 少年が床下に居てくれて助かった。赤くなった顔を見られなくてすむ。心音が伝わっていないかだけが心配だ。


 全体に塗ってしまうときつねが頭を下げる。


「サンキュー」


 礼を告げた手は親指を立ててゆっくり床下へ沈んでいった。


 なんだったのかしらと鳴乍は立ち上がる。結局お互い名乗りもしなかった。だがあの相手をあざけるような声はどこかで聞いたことのある気がする。


「ああ、そうだあ」


 そう、こういう母音が掠れた甘えるような声──。


 さっきの場所へ視線を戻すと、思い出したようにまた手が生えていた。


「お前の本性がどうだろうと、人間なんて見えたものを見たいようにしか見ねえんだあ。誰もそこまでお前の中身に興味ねえよ。悩むだけ時間の無駄」


「それは……」


「まだ気になるか? なら良い人っつう先入観でも植え付けとけ。そしたらちっとくらい本音こぼしたって気にされねえから。冗談だとでも言っときゃ案外その通りにしか受け取られねえもんだぜえ。上手く折り合いつけて好き勝手やっちまえ。じゃあな」


 後ろ向きなようなそうでもないようなアドバイスを残して、手は今度こそ引っ込んでいった。器用にもズレた床板を戻しながら。


「………………おかしな人」


 帰り道の廊下で呟いた。つい笑いがこみ上げる。


 この時の少年の正体が葛和くずわ兄弟の弟、葛和くずわ十瑪岐とめきだと気づいたのは、少年の悪評が聞こえ始めた三週間ほど後のことだった。



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