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クズ男は誰の初恋でもない。はずだった  作者: まじりモコ
六周目 クズと頑張りすぎてる彼女
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拾い集めて今日


 生徒会棟最上階の、使われていない隅の部屋の扉を音もなく開く。埃の舞う倉庫を埋める本棚の足元に人影を見留めて、矢ノ根(やのね)涼葉すずはは見た目にそぐわない低い女性声でフランクに彼女へ呼びかけた。


「おや、こんなところにいたのだね、鳴乍なりさ君」


「! 会長──あっ」


 少女が体育座りから無理に身をよじったせいで、イヤホンのコードが引っかかりジャックから外れる。瞬間、大音量の悲鳴が上がった。


『いやああああ助けてええええ!!』


 怪物に追いかけられでもしたような恐怖に満ちた絶叫。

 音の出所は鳴乍のスマホだ。


「こっ、これは」


 鳴乍が慌ててイヤホンを刺し直す。音は消えたが画面はついたままだ。映画の一場面を繋ぎ合わせた動画を見ていたらしい。


「分かっているとも。今度はジャパニーズホラーなのかな?」


 長方形の箱の中で次々と役者が移り変わっている。だが遠いので人種までは判別できない。共通するのは、どれも人が逃げ惑い襲われている悲惨なシーンばかりということ。そういう場面(・・・・・・)ばかり好んで繋ぎ合わせたようだ。


 涼葉の質問に、鳴乍が鉄壁の笑みを浮かべた。


「いえ洋画の吹き替えです。編集して字幕と聴き比べられるように」


「ほう、良いものを見つけたらぜひ教えて欲しいのだよ」


「会長のお眼鏡にかないますかどうか」


「君が好むものなら臓腑が裏返るほどだろうね。期待しているとも」


「はは…………すみません、気を使わせてしまって」


 観念したというように鳴乍が恥じ入って視線を落とす。涼葉は小さな肩をすくめた。


「なぁに、趣味嗜好は人それぞれ。それを他者への攻撃に使わない限り、どんな信条も許され得るとあたしは思うのだよ。それに駄目と言うならあたしのこれ(・・)も褒められたものではないのな」


 茶目っ気たっぷりに言って、後ろ手に隠していたウイスキーの瓶を揺らす。

 涼葉はこれをこっそり飲める場所を探していたのだ。成人しているとはいえ学園内で生徒会長が堂々と飲酒するわけにはいかない。


 人目を避けて後ろめたい者同士、気づけば同じところに集まってしまったらしい。


 閉めた扉に内から鍵をかけ、涼葉は後輩の横に腰を下ろした。


「明後日はついに体育祭本番なのだね。仕事もほとんど終わって最終確認を残すのみ。蕗谷ふきのや君たちにはずいぶん助けられたのだよ」


「そうですね。つぼみちゃんと十瑪岐とめきくんが手伝ってくれていなかったら、こうやって休憩時間を取ることもできなかったでしょうし。感謝してもし切れません」


「十瑪岐君はさらに面白いことも考えているようだしな」


「面白いこと……?」


 聞き返されるが、涼葉は意味ありげに笑うだけで受け流す。たまには鳴乍にも新鮮な驚きと熱中が必要だ。それでなくても突然に体育祭実行委員長を押し付けられて神経をすり減らしているのだし。

 サプライズの効能を理解する涼葉は話題を変えることにした。


「それで、最近何かと心乱れていることが多かったようだがね。十瑪岐君たちとなにかあったのかな」


 以前の鳴乍は常に余裕を持って行動し、人の善性を体現できるよう努めているようだった。生徒間で慈愛の女性だの聖母だのと呼ばれているのもそのせいだ。


 しかしここ最近は様子がおかしい。仕事が忙しかったからというのもあるだろうが、それだけには見えない。明らかに乱されている。特にあの二人(・・・・)と接触した後は。


 鎌をかけてみると、鳴乍は困ったように笑った。


「何もありませんよ。私が一人で勘違いして空回りしていただけです。ちょっと二人に思い入れを深めすぎました」


「おや、蕗谷君にもご執心なのかい」


「可愛い子ですよ、彼女。それに……」言うまいか悩むように言葉を一度切って、生徒会長の微笑に後押しされるようにして続けた。


「彼女の言葉には気持ちを軽くしてもらったんです。ほら、私って本当はこういうの(・・・・・)が好きなのに、良い人ぶっているじゃないですか。だから他人ひとに『いい人だね』『優しいね』って言われると、相手を騙しているみたいな後味の悪さを感じてしまうんです」


 幸か不幸か久米くめ鳴乍なりさは他人を完璧に騙すことに快感を得る人間性ではないようだ。だから本性と違う言動を褒められると、偽証の罪悪感が湧いてくるのだろう。難儀な性格をしている、と涼葉はこっそり心中でため息をついた。


 鳴乍が微笑みを深める。


「そうしたら莟ちゃんが、『優しくあろうとできる人なんですね』って。そう言ってくれたんです。優しいことを褒められたことはあっても、優しくしようと努力していることを褒められたことは今までなかったので、少しだけ驚いて。驚いたあとに、どうしようもなく嬉しくなってしまったんですよ。自分でも理屈は分からないのですが」


「君にとっては莟ちゃんも大切にしたい存在になったのだね」


「はい。自分でも意外ですけれど、着衣でならOKとか口を滑らせるくらいには」


「君は何を言っているのだ」


「手かな……、あのふにふにで指先の皮膚がちょっぴり分厚くなった絶妙な手がいけないのかもしれませんね。これは研究のためにもまた触らせてもらわないと」


「ほどほどにしとくのだよ……」


 手をワキワキさせるある種の変態と、ちょっと引いちゃう成人女性。

 好感度のツボは自分でも把握していないものである。



       ◇   ◆   ◇



 天高くピストル音が鳴り渡り、運動場には軽快な音楽が鳴り響く。


 そんな、字面だけで見れば普通の学校と何ら変わる所のない兎二得とにえ学園の体育祭当日。


 競技の様子は冷房の効いた講堂でも中継されるが、やはり実際に我が子の活躍を見たいと願う父兄も少なくない。運動場のテントはそれなりの人数で賑わっていた。


 国の中枢を担う者が、探さずともそこかしこ。生徒の数より多いんじゃないかと疑わしい警備員の数は例年のことである。


 選抜メンバーの少人数競技の多い第一運動場では粛々と競技が進められていた。テントでは生徒会メンバーが放送部と一緒に実況解説と集計業務をこなしているのが見える。

 出場種目が学年創作ダンスしかない莟はぼんやりその光景を横目にしながら、次の競技の準備のために倉庫からカラーコーンを運んでいた。


(集計業務は触れないし、作戦にはまだだし、やることないなぁ。そういえば鳴乍先輩の言ってた『着衣でなら』ってどういう意味だったんだろう……)


 何かを数日遅れで受信したのか、暇なとき唐突に以前のことを思い出す謎の現象が莟を襲う。


(そういう勘違いをしていての発言で、本来は脱衣でする行為ということは………………。つまり、そういう?)


 脳裏におピンク色の背景が広がる。そこに思い浮かぶは美人な先輩の姿。


 慈愛に溢れた整ったご尊顔。猫を思わせる瞳は笑みの形に細められ、元から備わったキツい印象を払拭している。憧れる長身からすらりと伸びる肢体、さらには常に香ってくる良い匂いと同世代と思えぬ色気。


 正直に言おう。同性であっても話すだけで心臓の鼓動が早くなるタイプの美人さんと認識している。


(それを好きにしていいと? そんなの許されるんですか? わたし前世でどんな徳を積み上げ天上へと達したのかな!? いやいや、やっぱり許されないよ。このことは忘れようそうしよう! くっ、とめき先輩といるほうがまだ心休まる……)


 世間では真逆の意見だろうことは承知している。

 コーンを所定位置に準備し終わり、莟は日陰に用意された分厚いクッションのパイプ椅子へと腰を下ろした。


(とめき先輩……。あの人が恩人さんで間違いない……よね。考えないようにしてたけど、そろそろ向き合わないとな)


 ため息をついて虚空を眺める。


 恋心を理解できない自分の不出来さは、恩人の正体さえ分かればそれで解決すると思っていた。


 けれど違った。


 焦がれる気持ちが分からない。走ってもないのに心臓が弾む原理が分からない。会いたい気持ちも、触れたい気持ちも感じたことがない。夜中に飛び起きる理由なんて蚊取り線香に火をつける以外にあるだろうか。


 誰もが当たり前に行う恋という感情運動。それが欠けた自分が、わけもなく後ろめたい。ずっと苦い思いを抱えていた。消し去りたくてたまらない閉塞感は未だ胸にわだかまっている。


 恩人の正体に行きついたくらいでは、この胸の虚空は解消できないらしい。


 やはり莟は自らの恋を知らねばならないのだ。自分の中にない感情はもはや、受動的に待つだけでは得られない。


 では、どうすればいいのか。答えはもうたくさんの人から教えて貰っている。


『自分の気持ちは自分の価値観で決めてやらな』

『他人から決めつけられて断言されたら、本当じゃなくたってだんだんそう思えてきちゃうものでしょ』


 意地悪に笑う芹尾せりおれいと、侮蔑の視線を向けてくる古見こみの顔が脳裏に浮かんだ。


 飯開はんがい楠間田くすまだ火苅かがり冥華めいかの顔もよぎって消える。


 愛の形は人それぞれだった。彼らが特殊だっただけかもしれないが、それでも誰一人として同じものはないように見える。


 故になにが恋なのか、そこにも明確な答えはないようだ。つまり恋の形とは……。


「みんな自分で決めてるってことだよね……」


 恋は勝手に芽生えるだけのものではなく、自覚してこそ恋なのだろう。

 その価値観を是とするならば、莟も自分の恋がなんなのか自分の意思で決めなくてはならないことになる。


「もしも……」


 もしも、十瑪岐に対する好意を恋と定義したら、どうなるのだろうか。


 莟は難しい顔で黙りこくる。そうして記憶の連想によってほんの数日前のあの出来事を思い出していた。


 それは火苅かがり冥華めいかの確執がようやく形となり、解消へのとっかかりが見えた瞬間。空気を台無しにして放たれた台詞だった。


『よおし、丸く収まったな。んじゃはりきって体育祭ぶっ壊すとしますかあ』



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