とっくに狂ってあなたの人生
「冥華ちゃん! 大丈夫? なにもされてない?」
さるぐつわを外してもらった少女の第一声である。
「何かされてるのは火苅でしょ……。あなた火苅にいったい何したの。火苅が簡単に捕まるわけないんだけど」
冥華が十瑪岐を睨みつける。今までにない眼光に十瑪岐は冷や汗を流して肩をすくめた。
「そ、そりゃあエサ撒いて罠を張ってあとはお前の名前ちらつかせておびき出したに決まってんだろ。そんでちょおっと手荒にだなあ」
「したのはわたしですけどね。でも計画犯はこっちですので。実行犯より重罪だったはず」
責任の所在を明らかにしながらひょっこり出てきたのは体操服姿の莟だった。余った縄を少年へ返却する。
「お疲れえ。まさか逃がすとはなあ。転がってきたとき怖くて泣くかと思ったぜ」
「火苅さんすごいです。めちゃくちゃ暴れられました。あんなに苦戦したのは久しぶりです。とめき先輩ならあばら数本逝ってますよ」
「それを無傷で言うんだもんなお前」
呆れ果てる十瑪岐であった。
「あなた達グルだったの」
「すみません、佐上先輩。でもどうしても体育祭を成功させたくて。話は聞いてました。なぜ犯行予告なんて出したんですか?」
「そうだよ冥華ちゃん! 私のこと気にしてくれたのはいいとして、そんなことしたら警戒されちゃうよ。失敗しちゃうかも」
莟の疑問に、簀巻きのまま火苅が乗っかる。冥華は転がる幼馴染に冷たい視線を落とし、ため息をついた。
「そのためだよ。火苅もさっきの話聞いてたんだ。じゃあ話が早い。生徒会には警戒して欲しかった。当日の警備を厚くして欲しかったの。火苅が間違っても問題を起こせないように」
「問題なんてっ。体育祭なんてどうだっていいじゃない。家を追い出された冥華ちゃんが悲しむほうが問題だよ」
「……火苅って、本当にメイカのことしか頭にないよね。目の前のメイカしか見てないから、将来のこととか何も考えない。体育祭を壊したってただの先延ばしにしかならないって分からない?」
いつもと同じ静かな口調に確かな苛立ちが見え隠れしていた。だが冥華を見上げる火苅には彼女の苛立ちにとんと見当がついていない様子。
冥華は震える呼気を吐いて目を細めた。
「確かにメイカは、きっとお母さんに呆れられてお嫁に出されちゃう。そのあとお母さんはどうすると思う? お母さんは火苅を家に迎える気なの」
「何それ? 意味わからない。冥華ちゃんがいないなら、どうして私がおばさんたちの手伝いしなきゃいけないの? 佐上の家業なんて興味ないよ」
「そう言うと思った。でもお母さんは火苅のこと何も知らないから。……メイカなんかよりずっと上手にお菓子作れるのに、火苅はいつもそう。何も背負う気がないくせにメイカ以外をぜんぶ切り捨てていて……。そんな火苅が、メイカは怖い。嫌い」
詰まりながらそう言った瞬間、堰を切ったように雫が彼女の頬を伝い始めた。ずっと我慢してきたものが濁流のように荒れ狂う。
「メイカは凡人なんだよ。人よりできることなんて何もない。優れてない、可愛くもない、性格だって腐ってる。冥華自身にはなんの価値もない。なのに、何でもできる火苅に好かれて、火苅に大切にされて、優先されて……。まるで自分にも価値があるみたいに錯覚しちゃう。火苅からの好意は、メイカの身の丈に合わないんだよ」
涙と共に言葉があふれ出してやまない。身の内に隠れ潜んでいた悔しさが顔を出して、掻きむしるほど胸元を握りしめた。
「優しい火苅が嫌い。優秀な火苅が嫌い。どんなメイカも肯定しちゃう火苅が嫌い。無制限に好意をくれる火苅が嫌い。でも……。
火苅ありきの評価しか得られない、すごい火苅に好かれてる自分しか誇れるもののない自分が本当は一番大嫌い!」
「冥華ちゃん……」
悲痛で全力な幼馴染の吐露に火苅が言葉を失くす。
その傷ついた火苅の表情に、冥華は自虐的に笑った。
「だからもう、メイカは家のことも火苅のこともどうだっていいんだよ。メイカは木っ端微塵に敗北して、身の程に打ちのめされて、惨めに堕ちて諦めたい。だから火苅の思い通りにはさせない。体育祭は無事に終わらせる。結果がどうあれメイカは卒業したら自分から家を出てくよ」
徐々に言葉の勢いが失していく。そのまま彼女が消えてしまうとでも思ったのか、火苅が上半身を必死に起こした。
「どうしてそこまで。冥華ちゃんが何をそんなに怒ってるのか私、わかんないよ。私が嫌われてるのは分かったよ。ごめんね。私うざかったよね。でもだからって、どうして出ていっちゃうの。あの家は冥華ちゃんの大切な居場所でしょ? だから私は──」
「テストの点数は取れるのになんでそんなことも分かんないかなぁ。……メイカはもう、いい加減に火苅から解放されたいんだよ。ずっとメイカに選ばせて、メイカにばっかり無自覚に負担を強いて。火苅なんてもう顔も見たくないくらいなの!」
今度こそ決定的な三行半を突き付けるように冥華が憎しみの声を上げる。
凍り付いた空気の中、思いもよらない方向から横やりが転がってきた。
「嘘ですよ」
「なに?」
小さな呟きは莟のものだった。全員の視線が少女に集まる。莟はそれでぎょっと目を見開き、けれど覚悟を決めて目頭に力を込めた。
「本当に嫌いなら嫌いって言うとき、そんな苦しそうな顔しません。嫌いな相手にそうと告げる時はみんなもっと、とめき先輩みたいに厭らしく言うもんですよ」
「おい。確かにオレに比べりゃ誰もがテレサかガンジーだけどよお、いま引き合いに出すのは違くねえ?」
少年が口を挟むが誰も彼の苦言に応えない。
莟はもう一歩踏み込んで問いかけた。
「佐上先輩、本当は下市先輩のこと大好きですよね」
「何を言って──」
「だって下市先輩を待ってる佐上先輩、楽しそうでしたよ。嫌いな相手をあんなふうに待つことなんてできないと思います。少なくとも嫌いではないはずです。そんな切り捨てられちゃう関係性には見えなかったからっ」
莟は一生懸命に、急かされてるみたいに言葉を紡ぐ。そのたび聞いている冥華の顔が赤くなっていき、最後は肩を震わせてさっきと違う涙目になってしまった。
最終的に真っ赤になった冥華が声を絞り出した。
「う…………うるさいなっ。それじゃ何の意味も……」
「意味ですか?」
「冥華ちゃん?」
そんな空回りしつつある女子たちを観察していた十瑪岐が、唐突にああと手を叩いた。
「そうかあ。オレ勘違いしてたわ。オレに似たクズかと思ってたが、実は幸滉寄りだろお前。デカいもんに押しつぶされて、大切なもんを大切にできねえ。見てて腹が立つ部類だ」
一人で納得いった様子でおもむろに手を広げ、困惑している冥華へ矛先を向ける。
「分かるぜえ、その気持ち」
簀巻きのまま威嚇する火苅を意に介さず、むしろその縛られた食い込みを踏みつけにし無理やり少女と距離を縮める。
「重いんだよなあ。嫌なんだよなあ。好かれてることで自分を保ててるのに、それに見返りを与えるのが面倒なんだろお? 想いに答えたらもっと要求されそうで気持ち悪いんだろ。分かるぜ。相手の好意に付け込んで一生こき使ってたほうが楽だもんなあ。自分より優秀な存在を見下して上に立ってる錯覚は抜け出せないほど気持ちいいよなあ」
楽し気に謳いあげ、顔の青い冥華の耳元へ誑かすように囁いた。
「お上品に言い訳並びたててないでよお、この際だ言っちまえよ。幼馴染の好意を踏みつけにする優越感に浸っていたいんですって」
「違う!」
今度はほとんど殴りつけるように十瑪岐を突き飛ばした。少年が友人に抱きとめられる一方、冥華は足元の火苅へ揺れる視線を落としている。
「そんなんじゃないっ。メイカは火苅と──っ」
見つめ返される無垢な目線に、言葉が詰まる。火苅が何も分かっていないのに気づいたからだ。あれほど一緒に居たのに何も伝わっていない。そのもどかしさが喉に詰まって吐き出せない。
冥華は二の句が継げないまま唇を戦慄かせている。あとほんの少しの踏ん切りがつかないのだ。
莟にもたれかかったままの十瑪岐が、そんな様子を見て胸焼けしたように舌を出す。
「言っちまえよ。言わなきゃ伝わらねえし、言ってもどうせ半分も伝わらねえんだから。全部分かってくれるほど、誰もお前を理解できやしねえよ」
軽い気持ちで投げ込まれた発言。だが冥華にとってそれは鼓膜に張り付くほど新たな視点だった。
(……そうだ。伝わりっこない。火苅はそういうの分からないから火苅なんだ。言っても言わなくても変わりはしない。だったらメイカは……)
自分の言葉は彼女の何を変えられるわけじゃない。何も影響を与えない、壊せない、塗りつぶさない。そんな諦めに付随した楽観に、胸が不可解にも軽くなる。
詰まっていた言葉の先がするりと出た。
「火苅と……対等になりたい。火苅の好意に胸を張って返せる自分になりたい。家のことだってできるものなら大切にしたい。私が継ぎたい。逃げたいのは、それができないから丸投げしてしまいたいだけ」
「……冥華ちゃんは何がしたいの?」
まだ分からない火苅が首を傾げる。冥華は彼女の横に屈みこみ目線を合わせた。
「違うよ。して欲しいんだよ。メイカは火苅に、もうちょっと一人立ちして欲しいの。もっとメイカ以外のことに目を向けて欲しい」
それから自分の涙を拭って、少女の頬についた砂を払い落とした。
「火苅も選んでよ。背負ってよ。苦しんでよ。そうやって何でも手に取れるようになっても、それでもメイカのことを選んでいてよ」
良いことも悪いこともすべて吐き出したせいか、冥華の表情は憑き物が落ちたように穏やかだった。
これで問題は解決だと誰もが頷く光景だ。
そんな中、莟がおずおずと片手を上げる。
「あの、そろそろ火苅さんのそれ解いてあげません……?」
【五周目フィニッシュ 六周目へ】




