少年は一時間後に土下座した
その日のうちに莟の抱いた印象を伝えると、十瑪岐は難しい顔で沈黙してしまった。
「えっと、その……だから、テロ予告の犯人って本当に佐上冥華さんなんでしょうか。親御さんとのことは確かに辛いでしょうが、自分のことで周囲を巻き込む人には見えなかったので……」
自分の言いたいことが十全に伝わっているか不安になって莟はそう付け加える。十瑪岐は伏せたまつ毛から視線だけを上げてにやりと笑った。
「…………なぁるほどお? そのほうが面白そうだなあ」
景気よく膝を叩いて伸びをする猫のように立ち上がる。
「よおし、方針が決まった。手伝え莟」
「──っはい!」
なんだか分からないが十瑪岐の中で答えが出たようだ。こうやって彼に引っ張られると気持ちが浮き立ってくる。
(また悪いこと考えてるんだろうな。被害者には悪いけど、こういう楽しそうな顔のとめき先輩けっこう好きなんだよな)
上機嫌にそう考えて、自分の思考に引っかかりを覚えた。
(ん? 好き? ……あれ?)
首をひねる。
『特別な関係になりたいってことでしょ。それすなわち恋だよ莟ちゃん』
『他人から決めつけられて断言されたら、本当じゃなくたってだんだんそう思えてきちゃうものでしょ』
脳裏に陸上部の同級生二人の顔が浮かんで消えた。
さておき、さあ行動開始だと二人でテンションを上げる。すると空き教室の扉が開いた。この教室に用がある者はいないはずなのだが。
謎のテンションのまま敵襲か! と身構えると、ずいぶん久々な気がする少女が姿を覗かせた。
「二人とも、まだいるかしら?」
「鳴乍先輩……って大丈夫ですか!? 霊安室所属の人より顔が青ざめてますよ!」
「死体を所属で語る子は初めてよ。気にしないでただの疲労のピークだから」
「気にしますよ、いや死にますよ!」
すっかりやつれた先輩の姿に、莟は考え事がすべて吹っ飛んでしまった。心なしかウルフカットに整えられたアッシュグリーンにも艶がないように見える。足取りも病んだ結果に血液をリットル捨ててきた拒食症のモデルみたいだ。
「フラフラじゃねえか。おらとりあえず座れ座れ。そして病院へ行け。オレらに用事かあ?」
さしもの十瑪岐も心配が先に立つようで、口調が柔らかい。
鳴乍は勧められた椅子を辞して扉によりかかった。
「ちょっと聞きたいことがあるのよ。二人の料理の腕前ってどんな感じ?」
繋がりの分からない唐突な質問だった。意図を汲めないまま、莟は視線を泳がせて答える。
「……卵の殻ってすごくカルシウム豊富なんですよ」
「割るの失敗したあげく食ってやがるコイツ」
「くふふ、口の中を怪我しないように気を付けてね。十瑪岐くんは?」
「オレはまあ、レシピ本見て作って手本の劣化版を生み出すレベルだなあ」
「それは良かった。確保!」
鳴乍が指示を出すや否や教室外に待機していた執行部員たちが十瑪岐を拘束する。関節を極められた十瑪岐が汚い悲鳴を上げた。
「のぐおおあああああっ!? 何なになになに!?」
「連行!」
「待ってえオレなんで連れてかれんのお!? 悪いことの証拠はその都度きっちり隠滅してるはずなんだがなあ?!」
「自供しちゃってますとめき先輩!」
◇ ◆ ◇
だだっ広い調理実習室に一人、十瑪岐は取り出した包丁片手にオレンジ色の野菜を見下ろした。
「…………オレはなんで金持ち学園でバーモントと対峙してんだあ……?」
横には大鍋、それと洗ったジャガイモにナス。玉ねぎはどうせ溶けるから気持ち多めに。そして一番重要なのが長方形の箱に入った中辛のルー。米はすでに炊けている。
見ただけで何を作らんとしているか丸わかりのラインナップ。
なぜ十瑪岐が放課後の学園でカレー作りをしているのか。それはほんの数分前に遡る。
「我々にカレーを作って欲しいのだよ」
なぜか生徒会棟へ連行された十瑪岐に、生徒会長矢ノ根涼葉は厳かに告げた。
「そのために料理のできる人材を探していたのだ」
「はあ、カレー? 晩飯っすか。ケータリング頼めばよくないですか。生徒会長の伝手なら三ツ星シェフが飛んでくるっしょ」
「それもひと月弱も続くと飽きてしまってね。我々がいま求めているのは高級スパイスの配合が生み出す強烈な旨味辛味ではなく、市販のカレールーとやらにしか再現できないあの塩分控えめでとろみの強いヘルシーでチープな味わいなのだ」
「金持ちの市販ルー認識ってそんなインド人のココイチ評価みたいなやつなんか」
「調理室と材料は押さえてあるのだよ。頼めないだろうか十瑪岐君」
「もっと料理上手な奴が他にいるでしょぉよお。オレほんと人並みですからねえ」
「いいのだ。食材をすべて炭に変えるとか、大さじ一杯を大さじ“いっぱい”と誤認してるとか、余計な創造性を発揮したりさえしなければいいのだ」
「あー……」
この学園に自ら厨房に立つ奇特な生徒は少ないだろう。なんなら大多数の生徒に、料理は専門のシェフがする特殊技能という先入観がありそうだ。頼みの綱の一般生も、必ずしも料理ができるとは限らない。
「つか、生徒会みたいな家柄厳選勢がなんで庶民カレーの味知ってんですかあ?」
「四月にあった新入生歓迎会の後片付けの折、たまたま手伝いに来ていた一般生が振る舞ってくれたのだ。あれから生徒会役員一同、妙にやみつきになってしまってね」
「ふうん。まあ、報酬出るってんならやりますけどもねえ。余ったら持って帰っていいっすよね」
「持ち帰ってどうするのだい?」
「普通にオレの晩飯でえす。うちの住み込み家政婦さんは軍用レーションしかレパートリーないもんで」
「君の私生活のほうが心配になってきたのだが」
生徒会長に余計な心労をかけつつも、そんなこんなでカレー作りである。
とはいえ特別な調理は必要ない。野菜を切って炒めて鍋にぶち込む。煮立てて灰汁を取る。火を止めてからルーを入れる。そうやって箱の裏に書かれた手順を守りさえすればそれなりのカレーが出来上がる。
だがこの『書かれた手順通りに調理する』のは料理しない界隈の人間からすればそれだけで特殊技能なのである。
「あとは……フタしてちょいと寝かせるかあ。晩飯の時間にまた温めればいいだろ。……あ、肉入れるの忘れた。まあいいかあ」
無暗矢鱈に用意された調味料たちを片付けにかかる。
醤油、みりん、ガラムマサラに、マヨネーズ、マーガリン、バジル、レモンバーム、わさび、からし、マスタードなどあらゆる種類がエトセトラ……。
「なんでカレールーっつう完成された味覚調整剤があんのに他のもんも用意してんだ。オレになに作らせたかったんだよあの人。んな独創性はオレのへっぽこお料理教室にゃ採択されてねえっつのぼりゃばらあああ!?」
一人なのをいいことにぶつぶつ文句を呟いてお留守になった足元にラー油の瓶が転がって来る。抱えていた各種調味料が頭上に吹き飛んだ。ついでにひっかかったフライパンやボールが床に落ち、大きな音が鳴った。
「どうしたんですかとめき先輩っ。まるですっころんで瓶とか鍋とか落っことしたみたいな音がしましたが」
人参木っ端みじん、ジャガイモの可食部を大幅に削り取る、ラー油の瓶を倒すなどの犯行により出禁になっていた莟が慌てて飛び込んでくる。
莟が見つけたのは殺害現場──のような有様の十瑪岐だった。
物が散乱した床に伸びて目を回している。
「うわっ、びしょ濡れじゃないですか。この匂い……お酒?」
落ちたものの中にフタが外れた調味料があったらしい。
「料理酒だ……頭からかぶった……うっ、臭えぇ。酔いそう」
「料理酒で酔うんですか!? さっ────」
さすが酒の失敗で産まれた男、と思ったまま言いそうになって莟は口をつぐんだ。さすがに不謹慎すぎるため自重する。ひとまず伸びたまま床で不貞腐れている男を起き上がらせる。
「酒むりい……おぇっ」
「飲んではないんですよね? 匂いだけで駄目なんですか?」
「ほらオレ、生まれからして酒が概念特攻だからあ……」
「自分で言うんかい! 自重を自嘲で無意味にするんじゃないですよ」
「自分の過去で自縄自縛になるよりマシだろお」
「それは……まぁ」
「おえぇえ……あはは論破しちまったあ」
「うわっ顔が赤くなってきてる。未成年コンテンツに優しい未飲酒泥酔シチュなんて、そんなエンタメに迎合するタイプでしたっけ!?」
「おまえは何を言ってるんだあ?」
どんどん目の焦点がズレていく十瑪岐を椅子に座らせ床を片付ける。悲惨な状況だがかろうじて、完成したカレー鍋は無事だったようだ。
「つぼみい、服がぬれて気持ちわるい」
「着替え……体操服とか置いてないんですか。取ってきますよ」
「ないなぁ」
「使えないなこの人」
「ちょっと、なんだかすごい音がしたのだけど、二人とも大丈夫?」
タイミング悪く、夕食の進捗を偵察してくるよう言われたのか、鳴乍が様子を見に来た。開け放したままだった扉から中の様子を覗いてくる。
「あ、鳴乍先輩、それがいろいろあってとめき先輩が蛇さんみたいにぐっでぐでになっちゃ──なに脱ぎだしてんですか!?」
振り返ったら十瑪岐が立ち上がってズボンを下ろしていた。慌てて自分の小さな体で鳴乍から十瑪岐を隠す。
「うぅ……パンツまでぬれてきてよお。はりつくう」
「だからって急に脱がないで! 鳴乍先輩はとりあえず出てて!」
突然の脱衣に顔を真っ赤にしている鳴乍へ大声で叫ぶ。だが足が地面に張り付いたみたいに微動だにしないので、角度に注意しつつにじり寄った。鳴乍はもじもじしながらも十瑪岐のいる方向から視線を外せずにいる。
「ほら早く出ていかないと、汚いもの見る羽目になりますよ」
「つ、莟ちゃんは平気なの?」
「わたしは見慣れてるので」
「えっ!? どういう──」
言いかけた鳴乍を押し出し扉と鍵を閉めた。
莟が見慣れているのは、親戚の集まりですぐ泥酔からの脱衣を行うお兄さん達のせいである。が、それが鳴乍に伝わっているわけはなく。あらぬ誤解を受けている真っ最中だが莟はそこまで頭が回っていない。
十瑪岐は半分幻覚の中にいるようで、つるんとしたお尻をこっちにむけて椅子に突っ伏してしまっている。加えてしきりに嘔吐いている。どうやら本当に気分が優れないようだ。
莟はため息をついて、扉を閉めるときに引っ張っり寄せた自分の荷物を漁った。
「部活バッグに入れっぱなしだったタオルですけど、使ってください。あとこれわたしのジャージ。寸足らずでしょうけど裸よりマシでしょう。あとで運動部が使ってるシャワー室へ案内しますから今はこれで我慢してくださいね」
「うぅ……すまーん……。めいわくかける」
「素直に謝られると気持ち悪い。はやく元の調子に戻ってください。窓開けて換気しますから」
十瑪岐は大人しく髪を拭き始める。拭くたびに股間のそれが揺れるのが視界に入ってげんなりした。
視線を下腹部から逸らそうと持ち上げる。それで十瑪岐の頭部の異変に気付いた。
「あれっ、先輩なんか髪の毛がうねってません? まさか毛根まで酒焼けですか?」
直毛のはずの髪の毛がなぜか蛇行している。髪型が近づいたせいか、雰囲気が幸滉に寄っている気さえする。
十瑪岐は焦点が合わない危うい様子のまま後輩の問いに反応した。
「ああ……オレむかしから、ぬれるとくせっ毛が出るんだ。うねうねして増えるワカメみてえ」
「濡れると縮れるんですか。変な髪質ですね」
ぼんやり感想を述べる。思考の余白が広がって、それが急に収縮して走り出した。
目の前の濡れて艶付いた黒の縮毛が、記憶の中の映像と結びつく。
そういえば恩人と会ったのは雨上がりだったはずだ。
(あれっ? くせっ毛で、夕日を反射して別の色に見えて。まるで……)
あの恩人さんみたいな。
脳裏にその文字列が現れて、莟は急に顔が熱くなるのを感じた。
(えっ、なにこれ。顔熱っ。走ってもないのになんで心臓早いの? もしかしてわたしまでお酒の匂いにやられたかな。焼酎二合飲んだ時もこんなならなかったのに)
不思議と十瑪岐のほうが見れない。ノーパンで寸足らずの女物ジャージを着てる姿が爆笑必至だからという意味ではなく。
(とめき先輩が恩人さん……なのかな。なんかそんな気がしてきた。どうしよう!? どうしようってなにが? わたし恩人さん見つけて何をしたかったんだっけ。一体全体本体解体再現体? もう意味わかんないぃぃぃうわあああああああ…………………………考えるのやめよ)
頭がパンクしそうになったので、莟はひとまず思考を放棄することを選んだ。




