決めつけは芽生えのもと
その後聞き込みした中に、鈴原ほど黄団の二人をよく観察していた者はいなかった。
だが複数の証言を得て分かったのは、佐上冥華は母親と仲が悪いということ。そして今まさに、追い打ちをかけられているということだった。
老舗和菓子店には兎二得学園の生徒もよく出入りする。特に資産家の子息たちから、佐上母の様子を聞き出すことができた。
冥華の母親は生徒へ自ら話しかけるタイプではない。むしろ接客以外では全く口を開かないという。だが客の会話に意外と聞き耳を立てているようだ。それで学園の情報には精通しているのだと保護者コミュニティでは有名らしい。
その母親が珍しく、店先で娘と口論しているのを目撃した生徒がいた。
曰く、体育祭の活躍次第では佐上冥華を跡目から降ろすと。
母親に実際それほどの決定権があるかは定かでないが、剣呑な雰囲気で冗談には見えなかったらしい。
(佐上冥華が犯人として、体育祭をぶっ潰そうとしてる動機はそれだろうなあ)
メモ帳に視線を落として十瑪岐はそう仮説を立てた。
『体育祭で活躍』という条件を達成できないと踏んだ冥華は、いっそ体育祭を台無しにして無効試合にしようとしているのだ。
(なんの解決にもならねえ先延ばしだ。他人の都合なんざ気にしねえクソ女。つまりはオレの同類だあ)
確信を得ながらも、一瞬なぜか脳裏に兄の顔が浮かぶ。幸滉がインタビューの時に佐上冥華が気になると言っていたのは結局なぜだったのだろうか。今のところ彼が気にかけるほどの人間には思えないが。
(ま、あいつの考えてることは分かんねえしなあ。代わりに同類の考えることなんざお見通しなんだよ。全力で邪魔させてもらうぜえ佐上ちゃん?)
にやりと口角を上げてスマホを取り出す。あとは物的証拠を見つけるか自白を引き出すかで脅しつけて解決だ。そう莟に連絡を入れようとして、滑らせた指を止めた。
「っと、今日は久々に部活あるっつってたなあ。オレのパシリに自主練に生徒会の手伝い、あと部活か……。頑張ってんだよなあ、あいつ」
こっちのことは明日でいいか、と十瑪岐は莟と分担した生徒会の仕事へ手を伸ばすのだった。
◇ ◆ ◇
準備運動がてら全力ダッシュ十本を済ませた莟は、ゴムチップ舗装のトラックの上でふとため息を吐いた。久々の練習なのに集中できていない自覚がある。
「はぁ……」
「今日はため息多いね。どしたの?」
莟の横で駆け足を止めて、みつ編みの少女が声をかけてくる。同じ一年生の友人だ。
「あ、由利ちゃん。ちょっと考えごとしちゃって」
「え~珍しい。部活の時は走ることしか考えてない陸上のマグロみたいなのに」
「そんな生死はかけてないよ? そうじゃなくて、どうやったらもっととめき先輩の役に立てるかなぁって」
十瑪岐にとっての人付き合いとは、貸し借りを清算しあって続いていくものらしい。そう以前語っていたのを覚えている。つまり彼と友人関係を続けるためには彼の役に立たねばならないということではないか。
(なんだかんだでお世話になってるし、いやお世話してる気もするけどとにかくもっと役に立ちたい。そしてとめき先輩の唯一無二な親友の座をこの手に勝ち取るんです!!)
莟は内心で奮起する。
むんっと拳を握る莟に由利は何を勘違いしたのか、目を輝かせて飛びついた。
「えっ、なにそれ。やっぱ恋? 十瑪岐先輩に恋しちゃってるわけ莟ちゃん!」
「ちょっ、声がおっきいよ。そして誤解だよ。わたしはただ、もっととめき先輩と仲良くなりたいなって」
「ええっー! そんなの絶対恋じゃん。絶対に恋じゃん!」
「や、だから違う──」
「違わないよ。だって今より仲を進展させたいんでしょ?」
「そうだけど、そういうことでは」
「いやいや二人とも十分に仲良さげじゃん。なのに今以上のものを求めちゃうとかそんなの特別な関係になりたいってことでしょ。それすなわち恋だよ莟ちゃん」
「えぇ……そ、そうなの?」
「間違いないって! いやー、清純無垢だった莟ちゃんも色を知るお年頃なのですな」
「発言がなんかおじさんっぽいよ。……って、流されそうになったけど、これは恋じゃないって」
「なんでそう断言できるのさ。自分の本当の気持ちなんて自分でも分からないものでしょ?」
ね? と由利が手を握ってくる。常々思っていることを外から突き付けられた莟は、思わず口ごもってしまった。
「それは…………そうかもだけど。でもわたし、これが恋には思えないし」
スクリーンに映るもどかしさも、ラブソングに歌われる切なさも、小説に描かれる気持ちの揺れ動きでさえ、共感できた試しがない。
その気持ちが分からない。合致しない。想像で同意を示してみても、やっぱりどうしてもズレてしまう。
だから違う、と思う。
そんな莟の憂患を由利はあっさり一笑に付した。
「そんなのみんな通る道だって。恋かな? って思って恋かもってなったらあとはもう恋なんだよ」
「???」
「もうっ、こうなったらばんばんアピールしてどんどんアタックしてかなきゃね! 莟ちゃんって疎そうだから、徹底的に後押ししちゃうぞ~! 莟ちゃんの恋路応援隊長務めちゃう!」
由利のハイテンションに押し切られそうになる。
その背後から、背筋を震わせる冴え返りのような冷たい声が降りた。
「新條さんたち、トラックの中に突っ立ってられると邪魔なんだけど」
焦げた肌に練習着を着たポニーテールの少女が、ゴミの擬人化を見るような侮蔑のにじむ視線で由利たちを見下ろしてくる。
ドッと冷や汗が噴き出す莟とは違い、由利はカラカラ笑って不機嫌な少女を宥めにかかった。
「えへ、ごめんちょっと盛り上がっちゃって。すぐ退くよ。それよりねえねえ古見ちゃんはどう思う? 聞こえてたでしょ? もう確実に恋が始まってるよねこれ!」
「…………」
意見を求められた古見は苦い顔をさらに渋く歪める。莟のほうを一瞥し、由利に視線を戻して仕方なさげに大きなため息をついた。
「……他人から決めつけられて断言されたら、本当じゃなくたってだんだんそう思えてきちゃうものでしょ。そんなの洗脳と変わんない。本人の中で答え出てないのに、周りがとやかく言うべきじゃないんじゃない」
「あそっか確かにそうだ。ごめんね莟ちゃん。テンションぶち上がっちゃって」
「ううん、親身になってくれてたの分かるし。……古見さんも、ありがとう」
睨みつけてくる古見に内心怯えながらも莟は笑みを作った。感謝を向けられた古見は、奥歯を噛みしめて半ば怒りともとれるほど眉をひそめる。
「蕗谷さんも、そんなくだらない戯言に付き合うなんてずいぶん余裕だね」
言いたかった罵倒を何重にもオブラートで包みましたという顔で吐き捨て、古見はトラックを走って行った。その背から立ち上っているのは明確な敵意だ。
見送った由利が冷えた空気を苦笑で乗り切ろうと頬を掻く。
「いやぁ、相変わらずピリピリしてるね古見ちゃん。結果出してる莟ちゃんが羨ましいんだろうけど。古見ちゃんも十分足速いと思うんだけどな。スポ特生と比べちゃうなんて難儀な性格してる。莟ちゃんも気にしないほうがいいよ」
「うん……」
由利が慰めてくれるが、莟は生返事しか返せなかった。
(『本当じゃなくたってだんだんそう思えてきちゃう』か……。そういうあやふやなものなんだ。でもこれっていう『正解』がないのなら、みんなは自分の気持ちをどうやって恋って確信してるんだろ。どうして正解のないものなのに、みんなおんなじとこにたどり着いて同じことで盛り上がれるの? うーん?)
そんな考え事が頭の中をぐるぐる回っていたからだ。
(恩人さんへのあの時の感情が恋だったかすら、わたしにはまだ分からないのに……。少なくとも、とめき先輩への気持ちとあの時の感覚は、たぶん別物のはず。でもこの気持ちも思いこめば恋になって、でも恋ではなく、ええっと……。とにかく、恋って感情を知りたいってずっと思ってきたけど、恋に近づくことだけが恋を知る方法じゃない……のかも? んん? 何言ってるんだわたし?)
自分で考えてさらに訳が分からなくなりながらそれでも思考を止められないのは、それほど焦がれているからに違いなかった。




