嘘は多重防壁
細いフォークを手に取って、莟はイチゴの乗っていないケーキを頂く。舌に絡みつくほどに甘いクリームをストレートの紅茶で流し込んだ。クリームはなんだか生っぽくて苦手だ。当たり前だが火が通っていない感じがする。
そんな感想をできるだけ顔に出さないようにという試みは成功しているようで、芹尾怜は楽しげに紅茶をあおっている。何気なく飲んでいるこの紅茶も聞けば飛び上がるほどのお値段なのだが、貧乏舌の莟は知る由もない。
「十瑪岐君はどうやら……賭けトランプにイカサマして先輩たちから何かを巻き上げたらしいんよ。先輩方が逃げ帰ったあと……イカサマの協力者らしき女の子が出てきてな。口論になっとった。その子は十瑪岐君が勝ち取ったモノを……手に入れたいみたいやった」
「それって……?」
「詳細は分からんな。でもまぁ、話聞いとったら……察しは付くわな。その子は逃げた先輩方に弱み握られて脅迫で金やら家業の情報やら絞られよって……それに気づいた十瑪岐君にやり返そうて唆されたんよ。耐えかねてたその子は十瑪岐君と手を組んで……その弱みを取り返したっていう寸法やったらしい。たぶん……画像か映像やね。そこにはイジメの証拠も映っとったみたいでな。その子は復讐するために……それを是が非でも手に入れたい様子やった」
「とめき先輩は渡したんですか」
「いや。それが面白てね。これ……その時の音声」
怜がどこから取り出したのかボイスレコーダーの再生ボタンを押す。
『話が違うっ! 助けてくれるって──』
『助けたじゃないっすかあ。アイツらの手からこれを取り返した。二度とあんたが奴らに脅される心配はねえ』
少しくぐもった声が流れ出した。母音の掠れたような聞き覚えのある声は十瑪岐だろう。もう片方は知らない女性のものだ。
『それはそうだけど。私が求めたのはそういうことじゃ──っ。まさか、最初からそのつもりで……?』
『っは、ここまで舞台を整えるのにどんだけ苦労したと思ってんすかあ? ただの善意で協力したとでも? 脳に血管じゃなくてお花の根っこ張り巡らせてんじゃねえの。そんなんだからあんな低能共に弱み握られて付け込まれるんだよ』
『────っ。今まで散々我慢してきたんだ。やり返さないと気が済まないんだよ! さっさとそれを渡せ!!』
『残念、もう元データは別のとこに移動させましたあ。せっかくアイツらを好きに動かせるネタを掴んだんだ。ネタは鮮度が命でねえ。使うたびに威力は減っていく。そう何度も乱用できねえの。あんたみたいに使いどころも弁えず、一時の道楽のために使われたらもったいなくてオレ泣いちゃうよお』
『……アイツらから奪い取った物はお前にも還元する。それでいいだろ。それを渡してくれ』
『だあかぁらあ、分かんねえかなあ。オレは阿呆を信頼して手を組んだりしねえんだよお。これはオレが保管して管理するからあ。あんたは安心してオレに手綱を握られとけな』
『ふざけるな!! これじゃ、相手があいつらからお前になっただけじゃないかっ!』
悲痛な叫びに、喉の奥で笑う音がする。
『十分っしょ? オレはアイツらほど無体を強いたりしねえよ。頻繁に命令したりしねえし、優しく扱ってやるってえ。それに働きには見返りを与える派ですからあ、そうだなあ……何回か大人しく言うこと聞いてくれれば、ちゃあんと消してやるよ?』
『キサマっ──』
激昂の叫びの途中で怜がレコーダーを停止させる。機器をスカートへ仕舞い、満足そうに笑った。
「うん、気持ちの良い……クズっぷりやね。これは惚れるわ」
「惚れたんですか!? だいぶアレでしたけど?! いいんですかこれ!」
「まぁ初恋いうのは嘘やけどね」
「嘘なんですかっ?!」
「あ……信じたんや。芹尾怜はゴシップ大好きな……大噓つきやからね。覚えとくとええよ。まああの顔が好みなんは……本当やけどね。いろんな表情が見たくて追いかけたり剥いだりしよったら……嫌われてもうて、もう用がないと……話しかけてもくれへんねん。悲しいわぁ。
まあ自分の愚痴は置いといて……莟ちゃんに聞きたいのは、このあとなんよ」
視線を莟へ集中させる。優雅に足を組んで紅茶を含んだ。
「この時に手に入れた弱味な……十瑪岐君いまだに使うてないみたいなんよ。それだけやのうて、あれだけいろいろ人を脅しよるけど……それも使うてない。自分も取引持ち掛けられたんやけどね」
「えっ、あの人、芹尾先輩にまでご迷惑を!?」
「ちゃうよ~。対等な取引やから安心しい。
自分の祖父は業界じゃ名の知れた……大物でな。引退した今でも結構な影響力があるんよ。だから世論を捏造するんも、逆に事実を握りつぶすも……思いのままや。十瑪岐君は一度だけその影響力を借りたい言うて。代わりに自分の願いを叶えてくれるらしいねん」
「芹尾先輩の願い? 十瑪岐先輩の手を借りるって、どんな願いなんですか?」
この先輩なら大抵の願望は自分で叶えられそうに思えて、好奇心から訊いてみる。すると怜は陰気な目元をかすかにほころばせた。眉を剃っているから表情が読みづらいが、いたずらっ子のように楽しげだ。
「それは乙女の秘密や。ついでに、十瑪岐君が何にその力を使うかも知らんで。自分はずっと……彼が言うように葛和グループを乗っ取るために記事を捏造したいんやと思うとった。けど、観察してるとどうにもおかしい。彼が手を出してる連中な……あまりにも見境ないんよ。葛和手に入れるだけなら……あんな手の広げかたはせんのや。十瑪岐君は本当は……何を企んでるんやろ。莟ちゃんはなんか知らん?」
「それは……」
それはおそらく、自分の出生の秘密が露見した時にもみ消すためではないだろうか。
葛和十瑪岐は葛和グループトップと、その実妹の間の子どもだ。それは公にされていない。たとえ当事者間で納得している問題であっても、世間にとっては十分スキャンダルだろう。その当事者のうち二名が死亡しているならば、なおさら。
死人に口なし。弁明も説明も死者には不可能だ。だからこそできる想像の余地を、世間は面白おかしく騒ぎ立てる。
きっと十瑪岐は、それを止めようとしているのだ。
のべつ幕なしにコネを作りまくっているのも、情報がどこから漏れるか分からないからではないのか。
(芹尾先輩は気づいてない。たぶん他の生徒も。そういう事情をわたしが知ってるのは、わたしがとめき先輩と一緒にいるからなんだ)
考えてみれば単純だった。十瑪岐を疑心暗鬼に見つめる生徒たちと、友人として親しくしている自分。両者の間にある差は、十瑪岐自身について知っているか否か。
莟は他人よりも十瑪岐についてちょっとだけ多く、深く知っている。理解できている。
(それはなんか……)
自分でも理由は分からないが、少し嬉しい。
「なんや……知ってるみたいやね」
囁くような声が耳朶に這い入って、浸っていた優越感からハッと我に返った。
「あっ、ごめんなさい。ええっと」
「ええよ、言えへんのやろ? しっかり理由がある……無計画やないと分かれば十分や。面白いことが起きそうでなにより。おかげさまで……聞きたいこと聞けたわ。引き止めてごめんやで」
「いえいえ、こっちこそご馳走になっちゃって、相談にまで乗っていただいて。頂きすぎたくらいです。とめき先輩は脇が弱いとか追加で教えましょうか」
「流れるように友達売るんやな。君らが仲良い理由……分かった気するわ。けどほんま、口うるさくしてまうのは……自分の癖なんや。堪忍な」
怜が手を合わせて肩をすくめる。莟は苦笑して席を立った。
「今日はありがとうございました。楠間田先輩も言ってましたけど、芹尾先輩は優しくてお茶目な人ですね。とめき先輩が初恋ってのはすごく驚いて本気にしそうになりましたけど。冗談が分かりにくいですよ、もう。では、これで失礼します」
「はいは~い。またね」
退出する莟へにこやかに手を振って、怜は残った紅茶に口をつける。物置の狭い休憩スペースに一人、息をついて失笑をつくった。
「そ、初恋なんかや……あらへんで。芹尾怜は嘘つきやからね」
喉の奥で言って、白い指がひっそりとレコーダーを撫でた。




