納得できる言い訳って稀
この世には、話しかけづらいオーラが確かに存在していると、莟はここでようやく確信した。
怒鳴っているとか、表情が暗いとか、貧乏ゆすりをしているとかそういう分かりやすいものではないはずなのに、なぜか伝わってくる“いま話しかけたらマズイ”という空気感。
執務室にいる人間はみな、その空気をかもし出していた。
コの字に並べられた長テーブルへ向かう八人の生徒たち。その全員が鬼気迫る表情で目前の仕事に向き合っている。
左手で電卓を叩きながらキーボードを打つポニーテール少女、分厚いファイルとパソコン画面を見比べ赤ペンを走らせるメガネの少年、メモ片手に電話をかけながら部屋の隅を行ったり来たりしているのは見覚えのある金髪少女か。なぜか床に正座してパソコンを操作する者や書類の山に埋もれて頭頂部しか見えない者もいる。
共通しているのは、逼迫した様子で手と目を動かし続けていること。
部屋の一番奥にいる生徒会長は脇に立つ耳にピアスを開けた男子生徒と書類を挟んで何やら話をしていた。二人とも真剣な表情だ。とても割って入れる雰囲気ではない。
視力の良い莟だから気づいてしまうが、みな目が血走っていた。気のせいかやつれてすらいる。降り積もった苛立ちと緊張感が目に見えるようだ。窓は空いているのに不思議と閉塞感があった。空気はコールタールのように重苦しい。
隙間から覗くだけで、執務室が修羅場真っ只中を航行中であることは一目瞭然であった。
「これは…………入ってはいけないやつでは」
「そう言う奴を後押ししてやるのもオレの優しさだあ」
「のわあっ!?」
半開きのドアに身を隠していると、十瑪岐に背中を押されて転ぶように入室してしまう。身を起こして自分が一身に視線を受けているのに気づいた。心臓が口から出そうなほど跳ねる。
ひりついた空気が刃となって突き刺さる。やってしまったという後悔と、注目を浴びる恐怖が、次の瞬間に和らいだ。
「生徒会のみなさあん、お疲れさまでえす。ちょいと失礼しますねえ」
軽薄な低い声に視線の束が移動する。
葛和十瑪岐がニヤニヤ顔で入って来たのだ。
「おやおや十瑪岐君と蕗谷君なのな。どうしたのだい?」
代表してか、生徒会長の涼葉が訊いてくる。
どんなに贔屓目に見ても小学生としか思えない見た目から落ち着いた女性の声がして、莟は落ち着かない気分になった。彼女と直接会うのは二度目だが、このギャップにまだ慣れない。いまだに彼女が成人しているとは信じ難い。
まだ声が出ない莟とは違い、十瑪岐は我が物顔で部屋を見渡している。
「だいぶ余裕なさげですねえ。お? 鳴乍は?」
「久米君なら、いまもう一人と一緒に外で業者の方と話をつけているのだよ。彼女に用があったのかな」
「いやあ、確認しただけでえす。今日はちょっとコイツの立場をはっきりさせたくて来たんですよお。答えてくれるなら誰でもいいんすけどお」
と、莟の首根っこを捕まえて言う。すると生徒会長の表情が陰った。後ろめたいことがバレたときの子どものように視線が泳ぐ。それは他の役員も同じだった。
「ああ」
「なるほど」
「彼女のことか……」
口々にこぼれる明確な意味を持たない呟きたち。そう言葉を連ねている間は答えを先延ばしにできるような気がするが、十瑪岐はそんなもの許さない。
「『無所属』ってどういうことすか。仲間ハズレですかあ? いじめみっともなあい」
無遠慮に部屋の中心へ踏み込みながら、少年は挑発するように大げさなしぐさで問いかける。見ている莟のほうが焦ってしまうほどだが、叱責はなかった。
生徒会長はまっすぐ十瑪岐たちを見返しながらも、やはりどこか良心の呵責に耐えるように目を細める。
「それは……申し訳ないと思っているのだよ。彼女はなんと言っても十年ぶりのスポーツ特待生だ。あたしたちも扱いに困ってね」
会長の苦々しい口調に、他の役員も口々に同意する。
「そうなの。特にあなたの体力測定の数値は規格外で……。なんの種目に放り込んでも一位が確定している生徒なんてどう扱えばっ」
「男子の競技に一人だけ混ぜるわけにもいかねーし、何ならそれでも勝ってしまいかねねーし」
苦労の滲んだ弱音たちに莟は何も言えなくなる。さらにメガネ男子がよく通る声で説明を加えた。
「生徒会は運営として、すべての団に対して公平でなくてはなりません。そこに確実な得点源となると周知された生徒など、どこの団に組み入れても生徒会の贔屓ではないかと疑われ角が立ちます。しかもあなたは運動が得意というだけでなく、唯一のスポーツ特待生として認知され、注目されている。安易な扱いはできない。連日の事務に追い詰められた僕らは話し合いの末、『だったらどこの団にも入れなければよくない?』と結論付けたのです。木曜日の二十三時二十七分のことでした」
「そんな徹夜明けみたいなテンションで決められたんですねわたしの無所属……」
立ち上がった涼葉が総括するように頭を下げた。
「腑甲斐ない生徒会で本当にすまない蕗谷君。来年には必ずまともな処遇を考えておくから、今年はどうか納得してほしいのな」
立っても座っていたときと頭の位置がさほど変わらない少女は、しょんぼりとした様子で謝罪する。それを許さぬほど莟も狭量ではなかった。
「理由が分かればモヤモヤもなくなりますし、大丈夫です。分かりました。問題ないです」
「もちろんあまり得点に影響しない、学年全体で行う創作ダンス等には参加してもらうのだよ」
「うっ、それこそ心の底から遠慮したかったんですが。けど……とはいえ個人種目は出れないんですよね。そうなると練習しなくていいし、けっこう暇な時間が増えちゃうな。そうだ、体育祭の準備って大変みたいですし、なにか手伝えることとかありますか? 体育祭期間はどこのグラウンドも練習に使われちゃうから運動部も休みがちらしくて」
「「「「「「「なんと!?」」」」」」」
「うわびっくりした!」
三方からガタリと椅子が鳴るほどの食いつきである。思わず十瑪岐の背中に隠れると、役員たちは敏捷に会長のもとへ集まって何やら小声で相談を始めた。
「確かに無所属の人なら、仕事で簡単な情報に触れてもどこかの団に肩入れすることにはならないのでは」
「つまり人手が増える?」
「なにそれマジ助かるん!」
「まさに救いの手では」
「体力のある陽キャ。逃す手はない」
「これが天上より伸ばされし蜘蛛の糸……彼女が昔助けたクモ三郎だったのか……」
「会長」
「会長!」
「会長ご決断を」
「会長おおおおお」
「こいつらヤベえなあ。ガチで追い込まれてやがる」
「み、みなさん情緒がおかしくなってませんか。ちょっと落ち着いて」
思ったよりも過剰な反応に莟は怯えつつ笑いかけた。
相談を終えた涼葉がコホンと咳払いする。
「実は体育祭実行委員長を受け持っていた生徒会会計役員が一人、急な病気で入院していてね。人手が足りなかったのだよ。蕗谷君の申し出は大変ありがたい。けど、本当にいいのかね?」
「はい。みなさんがそんなお疲れになるくらい大変なんですね。わたしにできることならやりますよ」
「感謝するのだよ、蕗谷君。とはいえ、生徒会で扱う情報をすべて知ってしまうと周囲に利用されかねないのな。知られてもあまり点に影響しない仕事をしてもらおう。あ、ついでに十瑪岐君も手伝っていくといいのだよ」
「げえっ、オレもですかあ? オレちゃんと黄団に所属してますけどお……」
珍しく十瑪岐が口ごもる。不思議に思って莟はこっそり彼に話しかけた。
「どうしたんですかとめき先輩。いつもなら『生徒会に恩を売るチャンス』とか言って協力するのに」
「体育祭運営の手伝いとかめちゃくちゃ大変だからなあ? しかも今回はお前がメイン。ここでオレが微力を尽くしてもオマケ扱いだあ。労力と見返りが釣り合わねえのお。とはいえ……」
断ってしまうとそれこそ角が立つ。この期待の目を裏切れば、向けられた期待値と等価以上の失望を受けるのは必定だ。
関わらなければ好感度はプラスマイナスゼロでただの無関係だった。だがこうして一度誘われてしまえば、どうしても変動幅が生じてしまう。そしてそれは、上昇値よりも下降値のほうが大きくなるものだ。
小間使い程度の扱いならばそう感謝はされない。元から嫌われている十瑪岐は莟のように扱われないだろう。当たり前に仕事を引き受けても割に合わない。だがここで受けた落胆は間違いなく後を引く。
「ぬう、そうなると目標に響くか……?」
頭の中で計算を巡らせる十瑪岐へ、矢ノ根涼葉はとどめとばかりに微笑んだ。
「何をぶつぶつ言っているか分からないけど、君はどこ所属だろうと自分のためにしか動かないだろう。逆にそこは信用できるのだよ。決めた。蕗谷君のお目付け役ということで、君にも働いてもらうのな」
口元は笑みを浮かべているのに目が血走ったままだ。
もう逃げられない。悟った十瑪岐は最大限の媚び顔で肯定した。
「生徒会長直々のご用命とあらばあ、精一杯働かせていただきまあす☆」
言いながら腹をくくる。余計な労力を割くのは嫌だが、むしろ少しでも体育祭の内情へ触れることができるのはありがたいと、そう思うことにした。
「んで一つ質問なんですがねえ? 体育祭実行委員長が休んでるなら、代理がいるはずですよねえ。それ誰え? 企画の頭は把握しときたい。まさかそれも生徒会長が兼任してるってわけじゃねえでしょお?」
確認のためそう問う。
だが誰も名乗り出ない。書記の腕章をつけた、メガネ男子が代わりに答えた。
「それなら同じ会計役員で監査委員長の、久米鳴乍君です。彼女が第七十五回兎二得学園体育祭の体育祭実行委員長代理なんですよ」
◇ ◆ ◇
「あとで君たちへ割り振る仕事をまとめておこう。また明日の昼休みに来て欲しいのだよ」
そう生徒会長に言われて十瑪岐は莟と執務室を出た。
渡された腕章に目を落とす。浅黄色の布に白糸で『生徒会臨時スタッフ』と縫い付けられている。仕事のときはこれを付けろということらしい。
と、見下ろす腕章の先に白いものが見えた。執務室の扉の前に何か落ちている。
気を留めず拾い上げると、それは一枚のシンプルなカードだった。宛名も送り主も書かれていない。十瑪岐は一瞬の思考を経て、それを開いた。
「───っ!」
目が書かれた文字列をなぞる。最後まで行って折り返し、もう一度末尾に目を通した直後、出口へ向かって駆けだした。
「えっ、とめき先輩!?」
驚いた莟が追って来る気配がする。十瑪岐は振り返らず、とにかく周囲に人がいないことを確かめて走った。
出口へつくと、見張りの用務員の元へ駆け寄る。
「おいっ、オレらが入ってから、ここに出入りした奴らの名前ひかえてるよなあ」
「おや、君はさっきの。どうしたんだい、そんなに慌てて」
「いいからあ、名簿見せろっ。ほら腕章。オレらは生徒会長の犬だ。これで文句ねえだろお」
「ちょっと」
伏せてあったバインダーを奪い取る。
十瑪岐たちのあとに来たのはほんの数名。見覚えのある名前にメモ帳を取り出す。一番新しいページにその八人の名はあった。
見覚えがあるはずだ。つい数日前に記したものだったから。
「こりゃあ、各団の団長と副団長だな」
呟くと、話しかけられたと思ったらしい用務員がうなずく。
「ああ、体育祭関連で書類を二階の提出ボックスへ出しにね。彼らがどうしたんだい」
首をかしげる頭の薄い男に、十瑪岐はバインダーを返した。
「……いや悪いねえ用務員さん。お仕事ご苦労様あ」
何事もなかったように笑みを作り生徒会棟を出た。
十分に生徒会棟から距離を取ったところでさすがに袖を引かれる。莟は怪訝な表情で十瑪岐を見上げていた。
「とめき先輩、急にどうしたんですか? なんかメッセージカードみたいなのを拾ってから血相変えてましたけど」
「…………これ」
周囲に誰もいないことを入念に確認してから、莟にカードを見せる。文字列を視認した莟の顔色がさっと青くなった。
「これって……。え、どういうっ」
困惑する少女へ向け、唇に人差し指を当ててみせる。莟は察して口を閉ざした。
十瑪岐は、もう一度カードへ視線を落とす。
そこにはこう書かれていた。
『体育祭を中止せよ さもなければ多くの血が流れるだろう』
それは間違いなく──
「テロ予告だ。容疑者は生徒、しかも各団のトップ連中」
「えっ」
「オレらが執務室に入ったとき、まだこのカードはなかった。だから犯人はオレらの後に生徒会棟へ入って出てった奴である可能性が高え。業者はそもそも、今日一日あそこに入ってねえ。だったら生徒の仕業だろお」
「じゃあ、ただのイタズラですかね。さすがに生徒だけじゃそんな物騒なことできないだろうし」
顔色が戻る。だが十瑪岐はその楽観的な推測を肯定することができなかった。
「どうかねえ。金持ちってのは、ヤバイ連中に目を付けられてるもんさあ。一度クスリで捕まって反省したはずの芸能人が、どおしてなんども同じ過ちを繰り返すか分かるかあ? 売り手のリストに名前が載ってて、それが界隈で共有されてるからだ。良いカモとしてなあ。そうして付け回される。当人がどれだけ更生しようと願っていても、奴らは不安定なそいつの心に寄り添って、唆すのさあ。搾り取れるところから容赦なく搾り取るのが仕事だからなあ。ここに通うような金持ちは、ガードの緩ぅい子供の頃から目をつけられててもおかしくねえし、声を掛けられてることもあんだろお」
「これも……同じだと?」
「さあなあ。お前の言うとおりイタズラの可能性だってある。だが、これを教師連中に見せれば最悪、本当に体育祭が中止になりかねねえ」
「そんな──」
「体育祭には生徒の父兄が来るんだ。つまり大企業の関係者ばっかりなあ。不特定多数の人間が出入りするから学園側はいつもより監視がゆるくなる。当日の警備員は増やす手筈だろうがあ、テロにデカい組織が関わってりゃそれだけじゃ対処しきれねえ。安全を確保するためにゃ指示に従うほかねえと、保身第一のこの理事共は考えるだろうなあ」
「そんな……。生徒会の人たち、あんなに頑張ってるにっ。きっと鳴乍先輩だって!」
「ああ。頑張ってる奴らの足を引っ張るなんざ許せねえよなあ」
「とめき先輩……!」
「かけてる労力を無に帰す蛮行だ。必死にやってる奴が馬鹿を見るの世間は総じてクソだ。邪魔する奴みんな因果応報で過労死すりゃあいいのに。
……なにより、この祭りにどんだけ外ウマが動いてると思ってんだあ! 中止になんかなったらいくらの損害が出るとっ!!」
「……とめき先輩」
「おっとお喋りが過ぎたかあ」
つい本音が出てしまい、後輩に冷たい視線を向けられる。
「それで、どうするんです。先生たちが頼りにならないなら、せめて生徒会に伝えたほうがいいですよね」
「いや、駄目だあ。んなことしたらあいつらの負担が増える。ただのイタズラにしても警戒は必要になる。警備を増やしてタイムスケジュールを調整してえ……と仕事が増えるのは確かだ。すでに限界ギリギリで働いてる生徒会にこれ以上の心労をかけるのは避けてえ。あの様子じゃパンクしかねねえからなあ。それこそ体育祭が瓦解しかねん」
「でも無視してたら、それこそ本当だったときが……」
莟の言い分も正しかった。学園か生徒会のどちらかを通さねば大掛かりな対処はできない。ずっと黙っているわけにもいかないのだ。
学園は生徒よりも、金を出している生徒の保護者を優先する傾向にある。だからこそ生徒会は、『生徒のための会』となったのだ。あらゆるものから、時には学園や教員たちからも生徒を守るために。
だからといって生徒会に負担をかけすぎれば体育祭の進行に問題が生じかねない。本末転倒だ。
十瑪岐は無意識に耳のイヤーカフスを弄って計算を巡らせる。
そうして、妥協できるラインを出した。
「せめてこのカード置いた奴を特定する」
「できるんですかそんなこと」
不安そうな莟に、十瑪岐はニヤついた笑みで自信満々に胸板を叩いた。
「安心しろよお。舐めたマネしやがった奴追い詰めて腹ん中が空になるまでゲロらせるのは、オレの得意分野だからなあ」




