拉致は遠足に入りますか?
「あー……やっぱり? だよなあ。あんがと狛左ちゃん。こっちも莟連れて確認してみるわ。いやなんも企んでねえってえ。ほんとよ? 疑いすぎだっつうのヤダわ傷つくぅ! おう、んじゃねえ」
通話を切って、十碼岐はひとつ背伸びをする。片手だけ天に伸ばしたのは、もう片方の腕に小柄な少女を抱えているせいだった。
「んぬぅ。とめき先輩そろそろ下ろしてくれませんか。ていうか今日が練習場ぜんぶ整備で部活休みってよく知ってましたね」
「え、そなの? 知らんかったわ」
「部活あっても連れ去るつもりだったんですか!? 学力特待生の勉強禁止するのと同じですよそれ!? もしくはカメレオンに体色変化するなって言うようなものです!」
「生きる術なんか?」
莟が丸まって抗議の声を上げている。
十碼岐は放課後になってすぐ、彼女を捕獲するために一年四組の教室へ向かったのだった。
一年生の教室が集まる階ではいつも向けられる冷たい視線が少なくて行動が楽だ。新年度が始まって早二か月が過ぎようとしているが、まだ十碼岐の悪評を知らない生徒も多いらしい。誰にもガンを飛ばされることなく目的地に着く。
帰って自主連に励もうと教室を出た莟の首根っこを捕まえ、十碼岐は行動を開始したのであった。
「ヤバめのストーカーがって言ったのお前だろうが。そゆのは早めに対処すんのがいいの。つっても幸滉の番犬サマに確認したが、あっちは変な視線もなんも感じねえそうだ。やあっぱなんかの間違いなんじゃねえの」
「じゃあこの写真はどう説明するんですか」
ようやく地に足付いた莟が差し出してきたのは、ストーカーらしき人物を見かけた時に拾ったという幸滉の写真だ。
遠くから撮ったらしき画質の荒いバストアップ。角度からして確実に隠し撮りである。
しかも幸滉の顔に黒のボールペンで何重ものバツ印が刻み込まれていた。裏から見ればこれをやった人間が込めた感情の深さが窺い知れる。ほとんど紙が破れかけるほどの筆圧だった。
確かに異常な執着のようなものが感じられる。しかし、
「証拠がこれだけじゃあな。幸滉の顔が生理的に気に食わなかっただけっつう可能性も無きにしも非ず。ストーカーの顔見てねえのか」
「それは……ごめんなさい」
「ちょい状況を整理しようぜ。昨日そのストーカーいたっぽいのがここだな?」
「はい。ちょうどここです。わたしがあっちの木陰に隠れて幸滉先輩を観察してたので。それでふと嫌な気配がして振り返ったとこに、この写真を見つけたんです。地面が微かに温かかったので直前まで誰かが座ってたんじゃないかと。状況証拠からみて絶対にストーカーですって」
「ふーん」
南校舎の外れだった。莟が指差す低木の裏に座ってみる。自然とできた窪みにすっぽり収まる感じだ。
「どうですか座り心地は」
「狭さがいい。背中側が校舎になってんのも硬い壁があって安心できる。なんかガキの頃に作った隠れ場みてえ。やべっ、このまま寝れる」
「えっ、ちょっと気になるかも。代わってください」
「そう言われると断固譲りたくなくなるんだよなあ」
「ひねくれ者! ……じゃなくて。ストーカー的にはどうなんですか」
「ああ、視界は意外と良好だ。それに比べて向こう側からはこっちの姿が全く見えねえ。隠れて誰かを見張るには良ポジだな。メモっとこう」
ここの茂みだけ偵察に向いた密度なのだろう。低木の葉の隙間から辺りを観察できる。幸滉がいたというベンチも、それを観察していたであろう木陰の莟の姿も両方よく見える位置だ。
ここにいた誰かは、写真にバツを入れながら幸滉に視線を送り、そして莟が振り返る気配で逃げて行った。そのとき写真は落としてしまった、という筋書きだろうか。
「さあて、状況は分かったが、その誰かの素性が分からねえとなあ。他に目撃者いないのか?」
「うーん……」
腰を上げ尻の砂をはらいつつ尋ねると、莟は難しい顔で腕を組み考え込んでしまう。長くなるかな、と十碼岐が欠伸を噛み殺すと少女がパッと顔を上げる。
「あ、思い出した」
そして校舎を指差す。正確には、外に面した廊下を。
「ちょうど振り向いた時、この茂みより先に窓のほうを見たんです。その時に目が合った人がいました。その人だったら、ここにいた誰かを見ているかもしれません」
◇ ◆ ◇
ストーカーの目撃者を探して十碼岐と莟は学園のある森林エリアを出てオフィスが立ち並ぶ区域まで出た。ビルとビルの間の狭い路地に身を潜ませる。
どこの学校も終わる時間だが、車での送迎が主な兎二得の生徒は見かけない。他校の生徒や、早めの仕事帰りらしきスーツ姿がちらほらあるだけだ。
「本当にそいつだったんだな?」
念を押すように問うと、莟は力強く頷いた。
「はい、見覚えあると思ったら、たぶんうちの群棟に住んでる人です」
十碼岐は彼女が群棟と呼ぶ建物に覚えがあった。
群島アパート、通称”群棟”。狭い敷地に四つの棟が並び立ち、近くの兎ニ得学園に通う一般家庭の生徒相手に部屋を貸し出している個人経営の激安アパートである。学園が用意している寮とは家賃に天と地ほどの差があるという。
ゆえにほとんどの一般生が郡島アパートの世話になっていたはずだ。十碼岐は入ったこともないが、場所くらいは知っている。
「ここから走って十五分くらいなんですけど」
「それはお前だけな。校門から五キロは離れてっから。三十分はかかっから。お前本当に人類?」
「普通ですよ。道をショートカットしながら走っているので」
「空間跳躍?」
「ではなく。こう例えば、壁を蹴って上の道に出たり」
言いながらひょいと身を翻し、あっという間に上方三メートルほどの位置にある窓枠に飛び乗ってしまった。見上げる十碼岐は呆気にとられる。
「やっぱ猿じゃねえか! 霊長類には違いねえけど」
あの絶対に中の見えないスカートはいったいどうなっているのか。
「そんな道を毎日のトレーニングに使うのはわたしぐらいなので」
「過負荷過ぎだろ。特殊な人間しか使えねえ直線距離を日本人は道と呼ばねえんだわ人の道のりに下りてきてえ」
「はーい。逆に言えばっ、とぉ。他の生徒さんがたはこの最寄りバス停までのルートを張ってれば絶対会えます!」
素直に目の前に降って来たので十碼岐はどや顔を浮かべる少女の肩を揉んでやる。
「名前か部屋番知ってりゃ早いんだけどな」
ため息をつくと、ツボ押しにくすぐったそうにしていた莟は目線を落してしまった。
「ごめんなさい。登下校の時にちょっと見かけたことあるくらいで、そこまでは……」
「おうおう役に立たねえなあ。もうちょいパシリとしての価値を見せてくれねえと幸滉のおねしょ歴は教えられねえなあ」
「知りたくないような知りたいような。ていうか、とめき先輩が幸滉先輩のために悪質なストーカーを捕まえようとするなんて、ちょっと意外です」
「そうか? ああいう奴らはとにかく対象の情報をえげつなく集めるだろお? つまり幸滉の弱味とかも一緒にゲットできるかもなんだぜ!」
「うわっ、兄弟愛かと思ったら私欲でした」
「愛より欲が強えなんて高校生にもなりゃ誰でも分かるだろ。何回大晦日越えてんだってんだよ」
鐘を突くくらいせねば消せないのが煩悩であり欲である。
「兄弟ならストーカーが持ってるくらいの弱味はすでに握っているのでは? おねしょ歴とか」
「や、実は知らねえんだわ」
「うずいたわたしの好奇心の行き場!」
「オレらは学校以外じゃあんま顔合わせねえからな」
「? ……どうして──」
「おい、あいつじゃねえか?」
十碼岐に腕を引っ張られて莟は言葉を呑み込んだ。路地から顔だけ出して彼が示す向かいの歩道へ視線を向ける。
肩をすぼめた少年が歩いてくる。甘いものが好きなのか、ソフトクリームを乗せたドリンクを片手に持っていた。だが顔立ちや服装に特徴はない。莟は少年の一部分を注視した。
「あ、確かにあの人です。あの冷たい色彩、まろやかなフォルム、そして輝かしい光沢。間違いなくあのメガネです」
「無機物だけで人を判断するんじゃねえよ。まあ違ったらそん時だな。んじゃちょっくらお話聞こうねえ」
楽しげに猫なで声を出す十碼岐の手にはなぜか荒縄が握られていた。もとから歪んだ瞳がさらに怪しく輝いている。心なしか息も荒い。嫌なオーラが出ていた。
「その縄で何する気ですか!?」
「やだなあ。お話しやすくする小道具だって。なかなか口開かねえ奴でも逆さに縛りあげりゃあ一発だからあ。効率重視してこ?」
「確かに効率は大事ですね! ……って、待て待て待て、やっぱり駄目でしょう。暴力はコミュニケーションに入りませんよ!?」
「んなバナナはおやつに入りませんよみたいに言われてもなあ」
「えっ、入らないんですか? うちの先生は入るって言ってました」
「どっちでもいいだろ。おやつだと言われても、デザート枠で弁当に仕込む抜け道があんだから。相容れなさそうなもんでも工夫しだいだ。つまり暴力も言語文化に馴染むって」
「詭弁より法律を重んじるべきではないかとっ」
莟の必死の制止の甲斐あって、十碼岐はほどなく荒縄をビニール紐に持ち替えたのであった。
没収した縄に視線を落とし莟が呟く。
「ところで朽ちた縄って遠くからだとシマヘビさんに見えますよね」
「もしかしなくても爬虫類好きだろお前」