仕事はきっちりでバッチリ
気づけたのは莟のおかげだった。
「あっ! これか!!」
部活バッグを漁っていた彼女が突然叫んだ。あやうくジュースを吹きこぼすところだった十瑪岐はせき込みながら莟の背後へ回る。
「どおしたよお」
「これです、これ」
差し出されたのは、バッグの底で圧縮されたのだろう、ぐちゃぐちゃのペラペラになった細長い用紙だった。
「はあ? んだあこの南京玉すだれなプリントお」
「マネージャーから貰った手紙を先輩が赤ペン先生したやつです」
「ああ、あったなあそういうこと。これがどしたあ?」
広げると確かに見覚えがある。
「楠間田先輩が言ってたんです。わたしがとめき先輩に抱き着いてたって。いつのことだろうと引っかかってたんですけど、これ渡されたとき、とめき先輩引き止めようとして後ろからぎゅっとしたでしょう? たぶんそのとき見てたんですよ。分かってスッキリしました」
「……偶然とは思えねえなあ。そんときから楠間田はオレたちを──オレを見てたってわけか。なるほどねえ。おかげでオレも謎が解けたわ」
ジュースの紙パックを広げ、ストローを奥へ押し入れる。平らになったそれを莟が広げたビニール袋へ落した。自然な動作でごみを回収した莟が声だけで聞き返す。
「謎ですか」
「お前がオレたち兄弟を観察してたのってどんくらいだ」
「えっと、最初に話しかける二週間前からです」
答えを聞いて、やはりとほくそ笑む。
「オレはその一か月前から、監視されてるみたいな嫌な視線を感じてた。あの時はお前が犯人だと思ってたが、なるほど違ったわけだあ」
◇ ◆ ◇
「あの視線はお前だったんだなあ、楠間田君。オレと鳴乍の変な噂流したのもお前かあ?」
「……ご、ごめん、なさい。ぜん、ぜんぶぼく、が」
「おいっ」
「こらこらあ生徒を脅しちゃ駄目だよお先生。せっかく楠間田君が庇ってくれようとしてんのにい。まあ、実害受ける前だったからなあ。そんな責めるつもりはねえよお。噂のことも女子二人にちょっかいかけたことも許す」
「は?」
「え?」
「うっそでしょう」
「犯行組は分かるがなんで莟まで驚いてんだよお」
「だって、相手に少しでも落ち度があれば揚げ足取ってでも脅迫の材料にするとめき先輩が他人を許すなんて……。ゆするの間違いでは?」
「そうしたいのはやまやまだが、今日は他にやらなきゃいけねえことがあるんでなあ」
自分の首に両手を当てながら十瑪岐は鳴乍へ視線を向ける。
鳴乍は頷いて、芝生を踏みしめた。
「飯開先生、貴方は女子生徒たちへ息をするように嘘を吐き、彼女たちをいいように操っていましたね。誰の証言を聞いてもあなたの発言はちぐはぐで実態がありませんでした。貴方がその場その場で自分を取り繕っていたからです。ですが、一つだけ一貫していたことがあります。……『妻と娘を愛している』、みんなにそう言っていたそうですね。それだけは、貴方の譲れない本心だったのではないですか?」
誠意をにじませたような問いかけだった。だが飯開は企みが外れたことがよほど効いたのか、不快を隠そうともしない。膝を小刻みに揺らして目を光らせる。
「そんなことを聞いて、なんの意味があるのかな久米君。君は生徒会へ入ったらしいね。一年生の頃から誠実の塊だと言われていた君だが、人から見えないところで冷笑を浮かべているのを見かけたことがある。あれを見てピンと来たよ。君の本性はこちら側ではないのかな。だからこそ君には近づかなかったわけだけど、そんな君が愛情の是非を問うと?」
「さすがのご慧眼です、飯開先生。ええ、他人の苦痛に歪む顔は何より私の心を弾ませてくれます。どちらかと言えば、貴方の側の人間なのでしょう。ですが私は自身の本性になど振り回されたくないのです。だからこそ、自分を偽る。一貫して誠実を振りかざす。貴方は逆ですね。自分に嘘をつかず他人を騙してみせた。『妻や娘よりお前を愛してる』とでも言えばもっと騙しやすかったでしょうに。貴方はそれをしなかった。その理由をこの後人に教えてはくれませんか」
「……いまさら口にしたって……」
鳴乍の説得に開きかけた口が、冷たい呟きを吐き捨て閉じてしまう。飯開に話す気はないらしい。鳴乍は焦りを覚える。
その横で、莟が覚悟を決めた表情で手をまっすぐ上げた。その手は寒々しく震えていて、どれほどの勇気を振り絞って伸ばされたか、他人には想像もできない。
莟は自分に注目を集めて、両手をきゅっと胸元で握る。
「あの! 横からすみません。わたし一年生の外部生なんで飯開先生のことはよく知りません。でも誰かを愛せることは、すごいことだと思います。わたしなんてまだ、他人に恋することすら覚束ないから。だから愛情って、形はどうあれすごく大切で、尊いものに思います。ましてそれを貫けるのなら……。どうして愛したい相手を裏切るような真似をしたんですか」
嫌味でも貶めるでもなく、純粋な疑問のようだった。本当に分からないから知りたいと、そう願う問いかけに、飯開は善意の悪行を諭された子供のような気まずい表情で目を伏せた。
「おれは……生まれつきそういう人間なんだ。楽しいことを思いつくと我慢がきかない。乾いた心を潤せれば相手がどうなろうと構わない。他人の気持ちなんてどうでもいい。自分本位でしか生きられないクズだ。けどそんなおれでも、彼女と娘を愛していたのは事実なんだ。何物にも代えがたい真実だ。この愛情たけは、奪われようと失おうと、永遠に変わらない」
誰に言うでもなく、地の底へこぼすような告白だった。
その告白を受け、十瑪岐がおもむろに胸ポケットから頭だけ出ていたスマホを取り出し、耳元へあてる。そして空気をぶち壊す明るい声を出した。
「そういうわけでえす。もうこっち来ていいですよお」
「? おい、誰に電話してるんだ」
訝しむ飯開に、十瑪岐はにやあっと笑った。
「なあ、どおして指示だし中のオレがスマホを三台いじくってたと思う? 連絡相手は幸滉と莟と……あと一人は?」
「最初から、誰かに聞かせていたのか」
「通話は公園に来てからだけどなあ。誰かはすぐ分かるさあ」
視線が滑るように後方へ移る。釣られて飯開が振り返るとそこには三歳ほどの女児を抱えた女性が立っていた。
「あなた……」
「なっ、どうして……」
男が言葉を失う。女性は飯開よりも年上のようだ。莟は見たことがない人物だった。だが飯開の反応で分かる。彼女は飯開の元妻に違いない。腕の中で眠っているのは二人の娘か。
女性が元夫と十瑪岐の間に視線をさまよわせ、十瑪岐へ困惑の視線を送る。
「葛和君、さっきのはどういうこと。この人は私たちを愛しては──」
「すみませんでしたあ!」
言葉の途中で十瑪岐は唐突にその場へ膝をついた。勢いのまま早口で喋り出す。
「オレが勝手に、飯開先生はそうだと決めつけてたんです。血も涙もない極悪人にしか見えなかったから、奥さんと娘さんもいつか酷い目に合うに違いねえって。それで引きはがそうとした。飯開が女生徒誑かしてたのは変えようもない事実です。傷ついた奴がいっぱいいる。浮気どころの規模じゃねえ。二人を会せたら飯開は上手いこと言ってあんたらを騙すだろうと。だからオレと弁護士が間に立って離婚協議を進めさせた。こいつのやったことは許されることじゃなかったから」
芝に両手を付く。
「けど、オレが奥さんに言った事実は誤りじゃなくとも、本当じゃなかった。気持ちを何もくみ取れてなかった。もっと、あんたら二人に話し合う機会を与えて、二人で考える時間を与えるべきだった。…………申し訳ありませんでしたっ」
謝罪しながら額が地面につくほどに頭を下げる。それは紛れもない土下座だった。まさか十瑪岐がそんなことをすると思っていなかった飯開は目を白黒させている。信じられないものを見る目だった。
そんな男へ、十瑪岐は一度視線を投げかけまた頭を下げた。
「飯開も、オレが悪かった。愛だけは貫いたあんたから、オレがそれを奪っていい道理はなかった」
それ以上言葉はなかった。ただ黙って土下座の体制を崩さない。
「…………あなた」
十瑪岐の言葉に押されるように、女性がようやく飯開の目を見返した。
「私はもうあなたを信じられないし、もう一度よりを戻すことなんて考えられない。あなたのしたことは疑いようのないほど最低なことです。でも……」
言葉を切って、腕の中の小さな命を抱えなおす。そうして女性はずっと苦しげに硬くなっていた目元を、ほんの少しだけ緩ませた。
「あなたの愛情が本物なら、この子の成長を見守ることくらいは、許します。あなたはこの子の父親だから」
言われて飯開は涙をこぼした。肩を震わせ、今まで言えなかった一言を絞り出すようにしてようやく口にした。
「すまなかった……」
万感の思いが込められた謝罪は、どうやら女性の胸にも響いたらしかった。
◇ ◆ ◇
急な事態についていけないながらも、どうやら事は丸く収まったようだと莟は胸を撫でおろした。
元奥さんを呼んだのは鳴乍の案だろう。十瑪岐は本当に彼女の願う通りに動いたというわけだ。もし十瑪岐が好きにしていたら、飯開のプライドをズタボロにしてまた放り出すだけで根本的解決は図れなかっただろう。
元夫婦は二人で何か話し込み始めたし、十瑪岐もひっそり土下座を終了させている。今からでも部活へ合流しようかと考えていると、ぼんやりと立ち尽くしている楠間田に気づいた。
少年は飯開たちをじっと見つめたまま微動だにしない。莟が声をかけると、彼は沈んだ表情で見つめ返してきた。
「……君は、あい、愛は尊いものだって言った、よね。じゃあ、僕も? この、光景を見て、残念に思ってる僕の愛、もき、綺麗って、言えるかな」
「楠間田先輩……?」
すがるように見つめてくる視線に応えられない。何が言いたいのか分からず問い返そうとすると、そこへ額についた土を払いながら十瑪岐が近づいてきた。
「新聞部部長から話は聞いた。その吃音症は一年のときクラスが荒れてたせいで発症した心因性のものだな。今はその症状ほとんど治ってんだろお」
楠間田は指摘されて目を見開き、困ったように笑った。
「完全じゃない、けどね。そうか、部長は言っちゃったのか」
そうまつ毛を伏せる少年は普段よりもいくぶん流暢だった。
「治ってねえ演技を続けてたのは、弱者にはあっさり本音を漏らす人間の特性を利用するためかあ。そんなに、自殺を止めてくれた飯開に使ってもらいたかったか」
土をすべて払い終わった十瑪岐の問いに、楠間田は小さく首を振る。
「僕が先生に協力したのは、命を救われたからじゃ、ない。クソったれなあの人が、好きだから」
微かに頬を染める少年の声には、なぜか自嘲が混じっていた。
「無邪気に残酷で悪辣で、非情で、じ、自分勝手で身勝手で、他人を道具としか思ってない、血の通わない、同じ人間とは思え、ない、そういうあの人が好きだった。──恋をしたんだ」
風が吹く。それはさっきよりもなお冷たく感じられた。
「気持ち悪い、よね。男が男にって、しかも相手の悪いところをって。変だよ」
自分を責める口調だった。この少年の怯えた目は他人にではなく自分へ向けられているのだと、その声が雄弁に語るようだった。
十瑪岐はそんな卑屈さに舌打ちする。
「何を好きになるかなんて自分じゃ決められねえだろお。想うことは悪くねえはずだあ。お前がオレに近づいたのは、オレを通して飯開を理解するためか」
「同類の君を知れば、飯開先生をもっと理解してあげられると、思った。でもやっぱり別の人だったね。君のほうが親しみ、やすい。う、嘘ついて近づいて、ごめん」
「別にい。自分のためになりふり構わず頑張れる強かな奴、オレは嫌いじゃねえんだよ」
「君たちみたいに、自分のために生きられるクズって人種、僕は好き、だよ」
想いを振り払うように言って、少年はポシェットから取り出した腕章を付ける。そしてデジカメを構えた。
「この件の埋め合わせは必ず、するから」
「おう」
一枚写真を撮って、楠間田は録音中のボイスレコーダーに手を伸ばす。
「これにて飯開元教諭の追跡調査は、終わりです。記者は新聞部二年、楠間田想示が務めました。
…………さようなら、先生。人でなしのあなたが僕は好き、でした」
最愛へ笑みを向ける男は少年を見向きもしない。それでいいと思いながら頬を伝う雫を拭う。
決別の前にレコーダーのスイッチは切っておいた。
最後の告白は、どこにも届かず残らない。




