思い出も噂も原型がなくなるもの
恋だ何だと面倒臭ぇ。十碼岐が思わず本音を洩らしそうになった瞬間、横やりが入った。
「ああっー! あのクズっ、あたしらの後輩に何してんじゃー!」
物凄い形相で走って来たのは昼練中だったらしき女子バスケ部員たちだった。
莟は短パンにユニフォーム姿の女子四人組にあっという間に囲まれてしまった。
「ちょっと莟ちゃん、こんな男に関わっちゃ駄目だって!」
「変な壺とか買わされてない?」
「殺られる前に殺れ」
「またあのマネージャーが心配するよ!」
矢継ぎ早につめ寄る。十碼岐への威嚇も忘れない。
莟が困った笑みで彼女たちを落ち着けようと声をあげた。
「大丈夫ですって。どうしてそこまでクズと断言するんです?」
少女の素朴な疑問に部員たちは顔を見合わせ、同時に答えた。
「「「なんたってこいつ、葛和兄弟のクズのほうなんだから」」」
視線が一斉に十碼岐へ向く。逃げる間もなく、今度は十碼岐が囲まれた。
「莟ちゃんも聞いたでしょ? 生徒会会計の久米さんがなぜかコイツに告白した話。それが先週の月曜日のことで、土曜日にはもうコイツ捨てられたんだよ。あの学園一慈悲深いと言われる久米さんが匙を投げるってことはやっぱりクズの称号は本物なのよ!」
部員たちは首振り人形よろしくうんうんと頷く。莟は同意せず首を傾げた。
「……わたしそれ聞いたの二日前の部活終わりなんですけど、土曜のことがどうして日曜にもう広まってたんですかね」
「みんなそういう話好きだからじゃねえ?」
十碼岐が口を挟むと女子たちにめちゃくちゃ睨まれた。
女子部員は続ける。
「それくらいじゃ収まらない。コイツが全校生徒にクズって認定されたのは去年のことよ。飯開先生──人格者で優しくて授業も面白かった人気者の先生を、コイツが『なんか気に食わない』って理由で嫌がらせ始めて、最後には学園から追い出したのよ!」
「しかも教員免許剥奪のせいで家庭崩壊して先生、仲睦まじかった奥さんと離婚になったんだよ!?」
「莟ちゃんは新入生だから実感湧かないだろうけど、コイツを恨んでないニ、三年生のほうが少ないよ」
「関わって一利なしだよ」
「百害には百害で返すべし」
「こんな奴に近づいちゃだめなんだから」
「んなボロカス言われたらオレ泣いちゃう」
四人は莟を庇うようにして睨みつけてくる。酷く冷たいゴミを見る目つきだ。さすがの十碼岐も追い立てられてベンチを離れざるを得ない。
そんななか、莟が女子達を掻き分けて十碼岐の隣に立った。
「あのう先輩方、ご心配はありがたいんですが、わたしこの人と話があるので」
「そんな!」
「なにかされてからじゃ遅いんだよ?」
なおも心配の声を上げる彼女たちに莟は明るく笑って拳を構えた。
「大丈夫です。何かされそうになったらこう、パァン」
「ごふっ」
「ってしますから」
「えっ……なんで本当に殴ったの今……」
腹に突然受けた暴行に十碼岐が膝から崩れ落ちる。
衝撃映像に冷静になったらしい女子部員たちは、莟の意思を尊重することに決めたようだ。
「んもうっ、何かされたら言うんだよ?」
「うちらの後輩になんかしたら許さないから」
「その右ストレート封印するには惜しい」
「自分の拳以外も頼ってね……?」
それぞれ言葉を残し、バスケ部員たちは自主練に戻って行った。
十碼岐は涙目ながらも腹部のダメージからなんとか立ち上がる。
「お前っ……なんで本気で殴んだよぉ」
「えっ、すみませんちょっと小突いただけのつもりで……。先輩ってもしかして甲羅のないカメさんよりひ弱……?」
「どんな例えだ! オレは人並みに強いぞ!」
「人並みで強いという矛盾。次から豆腐と思って接しますね……」
「おう木綿豆腐だ覚えとけ! ……にしても四人もいると必ず一人は変なやつ混じってくんのなんでだろうな」
「女子って三人で姦しいんで、あぶれた人は別の属性獲得するんでしょうね……」
一人だけ異様に眼が血走っていて怖かった。
「つかお前、部活違う奴らとも親交あんのな」
蕗谷莟は短距離走の記録でスポーツ推薦を得ている。所属も陸上部だったはずだ。球技ではない。
十碼岐の疑問に莟はあっけらかんと答えた。
「運動部ってほら、学園から全体的に冷遇されてるでしょ? だから横の繋がりが強いんです。それにわたし唯一のスポ特生なので。みんなに声をかけてもらってます」
「なっ、んじゃ三年の西園寺とか楢林とかとも?」
「確かテニス部とサッカー部の人でしたよね。よくしてもらってますよ」
苗字しか言ってないのに即答する。十碼岐はさっきと違う意味で呻いた。この少女、予想以上に……?
二人でベンチに戻ると、莟がおずおずと訊いてくる。
「えっと……さっきのただの噂ですよね? 本当だったら人間性疑うんですけども」
「まったくあいつらの言う通りぃ。さらに去年の顛末はもちっとエグいぞ」
「この人悪びれない人だ」
ビシっと決めポーズで肯定すると後輩に引かれた。ベンチの端まで逃げられたので同じだけ距離を詰めると嫌そうな顔をされる。
(さっきから表情に嘘がねえ。わりと信用できそうだなコイツ)
こうして真向から真偽を確かめてきた人間は少ない。皆さっきの女子部員たちのように噂だけで十碼岐を嫌厭する。
この少女は少なくとも、自分の意思で判断しようとする頭を持っているらしい。
十碼岐はニタリと笑って相手の警戒を解くために両手を広げてみせた。
「オレのことはいいだろ。お前のほうを聞かせろよ。それ、どこで拾ったんだ?」
手にしたままの名札を指差す。莟は迷う素振りを見せたが、言わなきゃ始まらないしねと自分を納得させて話を切り出した。
「……公園です。わたしが小学六年生のとき、雨上がりだったので、梅雨時期だったと思います」
「今年も来週には梅雨入りだし、ちょうど四年前くらいってことか。オレらが中一のときだな」
「はい。あの頃わたし、いろいろあったせいで限界来てて。あの日は学校サボって公園の遊具の中で泣いてたんです」
「遊具?」
「中が空洞になってて上に滑り台が付いてる」
「ああ、王蟲の眼球みたいな窓がはまってるやつ?」
自転車で行ける距離の小さな公園にそういうのがあった気がする。
「それです。隠れるのにちょうどいいんですよね。そしたら、泣いてるわたしに声をかけてくれたお兄さんがいたんです。恥ずかしくって顔をだせなかったけど、真剣に話を聞いてくれて。そのときの優しいアドバイスに、すごく救われました。えっと……お心当たりはないですか?」
「ん〜……ねぇと思うが、断言はできん。んでそいつが落としてったのがその名札と。顔は見てねえってことだな?」
「はい。でもすごく遠くからだったんですけど、後姿は見てるんですよ。その人はたぶんくせっ毛で色素が薄かったかと。雲間から差し込む天使の梯子に照らされてキラキラ輝いてたので! まるで水辺に住む爬虫類の持つ鱗の光沢みたいな神々しさでした。黒髪直毛の先輩とは正反対ですね」
「そだなあ」
(髪はさておき、雨上がり……公園……。なんか引っかかるが、覚えてねえや。あの頃のオレが他人に優しい言葉かけるわけもねえし。ってことは幸滉のほうで確定だろうな)
追い詰められたときに自分を救ってくれた人間のことは深く記憶に残る。強い感謝も抱く。それが時に恋愛感情に発展してもおかしくはない。しかも相手があのリアル王子様キャラならば。
十碼岐は心中で安堵のため息をついた。
(好きだなんだと、正直もう勘弁してほしかったからなあ。オレには関係なさそうでよかったぜ)
好きだよと、生まれて初めてそう告白してきてくれた少女の顔が一瞬だけ浮かんで、十碼岐の胸に鈍い痛みが走る。それをニヤついた笑いでかき消し少年は柏手を打った。
「んで、そいつとどうしたいんだ?」
どうせ恋仲になりたいとかだろうと当たりをつけて尋ねると、莟はこぼすように呟いた。
「そうですね……知りたいです」
「知る……? だけか?」
予想以上に素朴な願いに首を傾げると、少女はどこか恥じるように苦笑して頷く。
「はい。実はその……、わたし恋愛の感度だけ低いみたいで。周りと話も合わなくなるし、そういう気持ちよく分らないっていうか……。でも分らないからこそ、近づきたい。あのときの感情の正体を確かめたいんです。
──あの一瞬だけ大きく跳ねた鼓動が、わたしの恋の脈だったのかどうか。それさえ分かれば、きっと……」
薄い胸の前で心臓の鼓動を感じるように手をぎゅっと握り締める。震える唇は、どこか思春期の少女には似合わない悲痛さを帯びていた。
「きっとあの人のことを知れば、またあの気持ちが分かるはずです。だから教えてください、お二人のこと」
「二人って……オレも? 遠目でも特徴確認してんだろ」
「断言できないって言ったのは先輩じゃないですか。わたしも涙で視界が不明瞭でしたし」
「それにしたって幸滉に直接言ったほうが手っ取り早いんじゃねえか?」
「あー……えへへ、幸滉先輩はなんか本当の王子様みたいで話しかけるの緊張するっていうか。女子の視線に胃が壊れそう。それに比べてとめき先輩は雰囲気からして駄目な人だから心虚無で話せて楽!」
「そりゃ光栄だことで。オレから聞いといてやろうかあ?」
「えっ!? えっと……心の準備が」
「ふぅん?」
十碼岐は腕を組んでしばし考える。この少女の目的が幸滉ならば、こっちに実害はなさそうだ。
なによりこの少女は運動部に顔が広い。体力もあるだろうし扱いやすそうだ。
(コネ作りに利用できる。養子に過ぎないオレが葛和グループのてっぺんに立つためには、後ろ盾を厚くするのが手っ取り早いからな)
十碼岐は脳内で損得勘定をはじき出し、満面の笑みを浮かべた。
「ようし。じゃあオレが特別に幸滉のマル秘情報をちょいちょい教えてやろうじゃねぇか。その代わりにだな」
「焼きそばパンですね! 足には自信ありますよ!」
「安直な提案やめろ。パシるならもっと有意義に使い潰すわ。違くてなあ、運動部のやつらとオレを繋いでほしいんだわ」
「紹介しろってことですか?」
「シンプルに言えばそゆことお。オレ運動部系の連中にはまだコネねえんだわ。ま、しばらくはパシ──オレと仲良くしてれりゃそれで良し。……急に距離詰めても警戒されるからな」
「警戒される言動するのが悪いのでは」
「とにかく、これで持ちつ持たれつ契約成立だ。これからよろしくなあ?」
「はい!! そういう利害関係は分かりやすくて好きです。よろしくお願いします!」
差し出した手をぶんぶん振られる。元気な少女だ。
「そうだとめき先輩、一つ気づいたことがあるんですが」
「おう、さっそくなんだあ?」
「幸滉先輩って、ヤバいストーカー付いてません?」
「それお前じゃなく?」
「わたしじゃなく」
「……マジな話?」
「マジです」
グッとサムズアップする邪気のない笑みに、十碼岐はさっそく不安を覚えた。