夜食は無闇に肉がいい
ところどころに灯る仄かな非常灯を頼りに放課後の廊下を進む。日が沈み落ち月も雲に隠れているのか、外はすでに真っ暗闇に閉ざされている。居残っていた最後の教師も帰ったのだろう、出るときは点いていた職員室の明かりもすでに消えてしまっていた。もはや巨大な筒に見えてきた長い廊下に自分の足音が響く。
楠間田はぶら下げたビニール袋を揺らし、窓の外を覗いた。誰もいないはずのそこにさっと光が走る。心臓が跳ねて足を止めた。
幽霊かと思えば、正体は単純に巡回の警備員が持つ懐中電灯だった。悪いことは何もしていないのに思わず首を引っ込めてしまう。
階段を上がると、一つだけ明かり漏れている部屋があった。周囲の暗さが一気に強調されて、そこだけ浮いているようだ。楠間田は一度だけスマホの画面を確認してから、音を立てないように扉を滑らせた。
情報処理室の前半分だけ点いた電灯。その下で、一人の少年が画面に張り付いている。冷却ファンの回る風音に、キーボードとマウスを叩く控えめな音が混じっていた。
「か、かか買って来た……よ、夜食」
呼びかけると、少年が振り返る。十瑪岐はヘアピンで前髪を留めおでこを全開にし、黒縁の分厚い眼鏡をかけていた。眼鏡を手首で持ち上げ眉間をこすり、思い切りのけぞって伸びをする。
「うう~んっ。あぁ背骨痛え。ご苦労お楠間田君。お使いさせてごめーんねえ。今何時?」
「て、手伝うって言ったのはぼ、僕だから。えっと」壁掛け時計を見て「十時七分、だよ」
隣に座ってコンビニのおにぎりとお茶を渡す。
「みつ、見つかった?」
「……いんや。やっぱめぼしいオークションサイトにゃ出てねえわあ。会員制の裏オークションとかだとセキュリティ突破して中覗くだけでも骨が折れるんだよなあ」
「そこからさ、さらに盗品が出品されてるか確認も、だもんね。き、気が、遠くなりそう」
「だよなあ。女子にこういうサイト巡りを手伝わせるわけにゃいかねえし。正直、楠間田君居てマジで助かったわあ」
十瑪岐は台形のメロンジュースにストローを指してため息をつく。楠間田は苦笑で応えた。
「そのジュース、た、た頼まれたので合ってる、合ってた……?」
「おう。この安っぽい味がたまんねえんだよなあ。昔から好きでよお」
「そう、なんだ」
「いただきまあす。なにお前サンドイッチなんかあ? パンで腹膨れんの?」
「これはかっ、カツサンド」
「なるほお。オレも肉頼みゃよかったかあ」
「ほっ、ホットスナック、あるよ」
「おおっ、やるじゃん楠間田君」
二人は中身のない会話を挟みながら、しばしのゆるやか夜食タイムを過ごした。
◇ ◆ ◇
画面に向かい続けいつの間にか日付が変わって日曜になっていた。十瑪岐は凝り固まった首筋を鳴らして嘆息をつく。
「だああああっ、疲れたあ……」
「み、見つからない、ね。肌色が目に、いいい痛くなってきた。本当に犯人はぬ、盗んだものを……?」
「十中八九そう思うぜえ。証拠がまだだったなあ。これ見ろ」
「しゃし、写真?」
手で目元を隠したポーズを取った男子生徒の写真だ。なんというか、スポーツ新聞の成人男性向け紙面の女性インタビューでこういうのよく見る。放課後からこっち嫌というほどこういう画像を見てきた。
「そ、鳴乍が新聞部部長から報酬として受け取ったオレのブロマイドん中の一枚。インタビューの時に撮られたやつだ。壁新聞用なのにさあ、どおして目元隠した写真まで撮る必要があるんだろうなあ?」
「フェチズム、とか?」
「いやそれ引き合いに出したら大抵の問題解決だけどよお。もうちょい性格悪く考えようぜえ。こっちの写真は莟に言って侵入──調達させた写真部の撮影データだあ」
USBの中を開く。そこには苦労して教えたピッキングの成果がずらりと並んでいた。
「あ、今までのいん、インタビューの」
「全員なあぜか顔隠した写真があんだろお? 毎回同じ指示を出してるってことだよなあ。これが意図的だったら?」
「じゃ、じゃあ、本当にぬ、盗んだ下着に持ち主の写真を付けて、売ってる……?」
「そ。ブルセラショップは過去の遺物だし、SNSで取引してる様子もねえ。そんでネットのほうを探したら、どうにもどっかのオークションサイトにうちの制服着た奴の写真が出てるらしいんだわ」
「て、手がかり、だね。そんな噂、あるんだ」
「ああ。この話が広まる前に手をうたねえと。だったらと思って画像検索ソフトにこの写真データありったけぶち込んでるんだがなあ。なかなか引っかからねえ。こりゃサイトのセキュリティがやべえぜ」
「どうしてそ、そんなことを、するんだろ」
心底分からないというふうに楠間田が首をかしげる。十瑪岐は写真と下着の悪用方法を脳裏に数十例思い浮かべながら、代表的なものだけ口にした。
「金じゃねえのお? それ以外は……なんだろうなあ。復讐とか? 被害者たちへの嫌がらせになってっからなあ」
動機に関しては鳴乍の調査待ちなので適当なことしか言えない。だが楠間田は妙に得心がいったようである。
「復讐……。こういう、のも、あるんだ」
「なんだあ。復讐に一家言あんのか」
「…………」
いまいち少年の表情が読めず問うと、今度は沈痛な面持ちで黙りこくってしまう。
十瑪岐は検索作業に戻ろうとしたが、か細い質問に引き戻された。
「じ、じ自殺は、復讐に最適、と、思う?」
「は? 全く」
「どうし、て?」
当たり前のことなのに、楠間田は納得できないようでなぜか疑問符を浮かべている。十瑪岐はそれこそ理解できず、マウスを乱暴にクリックした。
「オレらが高校生だから未成年っつう前提で言うけどよお。復讐としての自殺が喰らわす相手へのダメージって死んだ奴が思うより小せえんだわ。自殺した奴は、相手の人生無茶苦茶にしてやろおって思うわけだろ? だが加害者の名前は公表されねえ。学校での自殺はメディアにどでかく取り上げられるけどよお、そんときも、ほとんどの視聴者にとっちゃあ他人事なわけよお。二月もすりゃあ忘れるし、十年経って覚えてる奴なんかほぼ居ねえ。覚えてんのは結局親しい奴らだけだ。同じ日に芸能人の不倫騒動でもあれば、地元のニュースですらたった数分の扱いに成り下がる。自殺者がその後の人生全部かけたのに比べてよお、効果が短え、弱い、大した影響もねえ」
言って鼻で笑う。
だんだんと楠間田の顔色が悪くなっていっていることに気づいた。
これはもしもや例えばの話ではなく、彼自身の。そういえば去年隣のクラスは相当に荒れていたと聞く。クラスの中心人物が横暴でわがままな問題児だったせいでいじめも起こっていたと。
十瑪岐も幾度か、隣の教室から怒鳴り声が響くのを聴いている。楠間田が長期間休んでいた理由をおぼろに掴んだ気がする。
一瞬だけ視線を逸らし、十瑪岐は楠間田を見つめて続けた。
「不祥事は隠される。記憶は薄れる。加害者が海外にでも出れば死者は追っていけねえ。なによりよお、死んででも苦しめたいような相手が、お前が死んだくらいで傷ついてくれると思うかあ? お前を大切に思う奴こそ傷つくだけだ。何よりよお。死んじまったら相手の苦しんでる顔が見れねえだろお」
「い、命をかけても、一矢報いることすらでき、できなかったってこと、か」
「そりゃあ、そいつらにとっちゃたかが他人の、しかも見下してる奴の命だからなあ。有象無象の当たり前を対価にしたってそうそう響かねえし、痛まねえ。人の命が平等なわけねえんだから」
「やっぱり……そう、思う?」
「そりゃあ思うね。命はいつどこでだって不平等だあ」
引きつっておどおどと笑う少年に十瑪岐は口角を思い切り吊り上げ笑う。
「地球の裏側で起こった大災害で何千人が死にましたってニュースをいくらされても、身内一人の葬式のほうがよっぽど胸にくるもんだろお。そりゃそうだ、この世じゃ一日に何万人と死んでんだあ。んなもんにいちいち構ってられるかよ。ほらな、命は平等じゃない。自分に近いしいほど、親しい人間の命ほど、重く感じる。大切に思う。逆に自分と関係ない人間がどこでどう死のうと関係ねえし、何とも思えねえのさ。そういうもんだろお?」
「…………」
「だからこそ自分の周囲の価値ある命だけでも、守ろうとするんだろおオレらは。自分の命の価値を一番想ってやれるのは自分自身だ。価値ねえ他人のために投げ捨てんな」
暗く沈んだ額にデコピンをかます。楠間田は驚いて目を見開いた。ようやく視線が合う。蛍光灯を反射してその目に光が灯ったようだった。
「十瑪岐君は……人が絶望したときに陥る理論でこ、こ心を軽くする理屈を紡ぐん、だな……」
瞳の中で光が乱反射する。楠間田はこみ上げたものをこぼさないようにぎゅっと瞼をひき結んだ。
「ぼ、僕、死ななくて、よかったよ」
「……そりゃあ気づけて良かったなあ」
震える肩を一度だけ叩いて十瑪岐は体をディスプレイへ戻す。恐怖や苦痛によらない涙に対してどう反応すればいいのか分からない。こうやって自身の内の弱さをさらけ出されると、何か求められているようで、けれどその正体が分からず落ち着かなくなる。
楠間田が目元を袖で拭って十瑪岐の横顔へ熱の籠った視線を向ける。
「屋上からとび、飛び降りて死のうとした、とき。たす、助けてくれた人が、いたんだ。その人も、命は不平等って、言ってた。でも、その人にとって僕は、む、無価値なはずで。じゃ、じゃああの人は、どうして、あんな必死に、僕の腕をひっ、引っ張ったの、かな」
声がすこし上ずっている。十瑪岐は少年が声を発するたびに広がる、自分の胃の辺りをムカデが這いまわるような感覚に眉をひそめた。
「知るかよお。命の価値は平等じゃねえ。そいつの中でどの命に価値があるかなんざ、そいつ次第なんじゃねえのお? まあオレなら、目の前で水入ったコップが滑り落ちそうになってりゃあ、それが自分のコップじゃなくても焦って手を伸ばすだろうがなあ」
「は、反射、ってこと? そっか。そっ……か。ちな、ちなみに十瑪岐君は、他人のいの、命の価値って」
「生きとし生ける者すべて労働力として使える未来ある人的資源だ。オレの取り分が減るから無駄な消費はよくねえなあ」
「ははっ、らしいね。君はすごい、や。あこ、憧れるよ。……やっぱり…………だなぁ……」
「なんか言ったかあ?」
「い、いや、なにも言ってない、よ。証拠さが、探そう」
楠間田が晴れやかな表情で画面へ向かう。十瑪岐は少年の百面相を訝しみながらも、自身の作業に戻った。
指を動かしながら横目で十瑪岐を気にしてくる。
「そ、そういえばと、十瑪岐君はあの、す、スポーツ特待生の子と、仲がい、いいんだね。十瑪岐君が人とずっと居るの、み、見たこと、なかった、から」
「おう? まあ使い勝手の良い足だしなあ。人脈に期待できてノリも掴みやすい。利害関係は明白だから面倒くささもねえ。なんつうか気安いんだよなあ」
「き、きや……?」
「ああいや、今のだと語弊が出るな。んんーなんだ、身内……や……違えな。気の置けないとかそんな感じか」
「じゃ、じゃあく、久米さん、は? 君をふった人、でしょ?」
「お前、何が言いてえんだ」
「やっ! べ、別にそんな、嫌じゃない、のかなって」
慌てて手をパタパタさせる。十瑪岐はため息をこぼし、唇を尖らせた。
「生徒会役員とはお友達になったほうがお得だからなあ。受け入れ理由はそれだけえ。そう、ただ…………ただ太陽が眩しかったんだよ」
「? ……異邦人?」
意味が掴めず楠間田は連想したタイトルを呟く。十瑪岐は少年をちらと睥睨し、今度こそディスプレイへ視線を固定した。
「んな文学めいた思想はしてねえよ、オレは」




