人体の急所を覆う布が足りない
朝一の眠たい授業は喜ばしいことに自習であった。ようやく目の冴えてきた莟が次の授業の準備をしていると、扉のところから呼び声が。
「つーぼーみちゃん」
十瑪岐だったら考えられない控えめな呼びかた、見れば鳴乍だ。美人な上級生、しかも生徒会役員の登場に教室がざわつく。
莟は飛び上がって彼女を出迎えに行った。
「鳴乍先輩! この前は頭大丈夫でした?」
「うん物言いに気をつけようね。一昨日の私が奇行に走ったみたいに聞こえちゃう。病院でも検査してもらったし、大丈夫よ」
「安心しました。それで、何か御用ですか?」
「そうそう、これを渡そうと思って」
「あっ! これ新聞部の?」
差し出されたのは色文字が躍るA3サイズの紙束だった。左上が紐で綴じてある。下段にはろくろを回すポーズをした十瑪岐の写真が配置されていた。
「そう、今年度の壁新聞よ。昨日の会議前に執行部の人たちにお願いしてたら、朝から準備してあったの。早く届けようと思って」
「ありがとうございます!」
さっそく束をめくる。今日発行の記事が一番上にきている。紙面の上半分が学内情報、下半分に特集インタビュー記事が配置されているようだ。下にだけパラパラと目を通していくが、めくる速さがどんどん落ちていく。終いには掲載された写真をじっと見つめ始めた。表情も険しくなっていく。
「…………? これって」
立ち去りかねた鳴乍の視線の先で、莟は小首を傾げた。
「どうかしたの?」
訝しむ先輩の声に、莟は茫然とした表情で顔を上げた。
「鳴乍先輩。被害者の共通点、わたし分かったかもしれません」
その数分後、プールの男子更衣室でひび割れた悲鳴が響いた。
◇ ◆ ◇
昼休み、生徒会棟の一室前に下着窃盗犯調査メンバーが集まって、莟はすぐ違和感に気づいた。
「…………とめき先輩、どうして内股なんですか」
様子がおかしい。歩きながらも常に下半身を気にしている。
十瑪岐は苦々しい表情をかすかに赤く染め、ぼそぼそと答えた。
「……盗まれた」
「はい?」
「オレのパンツ盗まれたんだよお! 股がスースーして落ち着かねえ!」
半泣きの告白である。楠間田が憐れむようにその背をさすっている。うずくまった十瑪岐に鳴乍が部屋のカギを開けながら問いかけた。
「それが本当なら初の男子被害者だけれど……私たちが追ってるのと同一犯なのかしら。盗まれたのはどこで?」
「今日の一、二限は男子だけ強制プール掃除だったろう。その更衣室でやられた。掃除終わって着替えようとしたら無かったんだあ」
「先輩のうっかりで失くしたんじゃないですか? 他の人が間違えて履いてたり」
全員が車座で席につく。莟の疑いの視線に十瑪岐は深刻な顔で指を組んだ。
「それはねえ。間違えようがねえんだ。オレの愛用ボクサーパンツにはぜんぶ代摸さんがオレの名前を刺繍しちまってる──達筆に漢字で!!」
「家政婦さんっ──! なんという所業を!」
送ってもらうときに会ったことがある莟だけが反応する。十瑪岐はこめかみに血管を浮き上がらせ憤怒の表情で悔し涙をこぼした。
「これは犯人からの警告に違えねえ。これ以上調査すんなってなあ。野郎っ舐めたマネしやがって。オレのパンツに手をだしたこと後悔させてやる。必ず見つけ出して二親等内の預金通帳一桁までむしり取ってやらあっ」
「私怨でやる気が増しているところ朗報よ。莟ちゃんが被害者の共通点を見つけてくれたの」
「あんだと?」
差し出された紙束を受け取る。最初は訝しむ目でめくっていたが、それが徐々に真剣なものに変わっていった。耳のイヤーカフスを弄りながら自分のカバンから取り出した生徒会の資料と見比べ再度確認をし、
ニヤッと口角を吊り上げて紙束を叩く。
「そおいうことかあ。奴さん思った以上に鬼畜じゃねえの」
「え、なんっ、なにどうしたの?」
一人話についてこれず困惑する楠間田に、十瑪岐が解説する。
「下着を盗まれた被害者、全員この壁新聞のインタビューを受けた経歴がある」
「えっ……あ、本当だ。きづきっ、気づかなかった。じゃあ、は、犯人は記事を見て狙う、めめ、目星を?」
「はんっ、芹尾パイセン被害者の法則性把握してたなあ。思ったよりデケぇヒントだったわけだあ。よく気づいたぞ莟」
完全に立ち直ったようで、メンバー一人一人へ順に視線を向けた。
「鳴乍、生徒会役員権限で被害者たちと関係者の経済情報洗いなおしてくれるかあ。動機の確信が欲しい」
「任せて」
「楠間田君は土日外せない用事とかあるかなあ?」
「なかった……と、思う」
「じゃあこれ情報処理室の使用許諾、こっちは念の為の宿泊許可申請書なあ、自分のぶん名前書いて提出してきて」
「は、はい……?」
常備しているらしき専用用紙に日付と自身の名前を書き入れ楠間田へ渡す。
行動が迅速で具体的だ。莟では被害者のことしか分からなかったが、十瑪岐にはすでに犯人像が見えているのだろう。
手際よく指示を出しているが、この男ノーパンである。そう考えると莟は真面目な顔ができない。
楠間田たちを送り出した十瑪岐はおもむろに莟の隣へ。
媚びへつらった顔で、ジャラっと十徳ナイフと針金を広げた。
「莟はさあ、ピッキングとか覚える気なあい?」
「全く全然ミリ微塵もありません」
ドン引きの顔なら容易かった。
「ジュース買ってこいとかなら笑顔でいくらでも引き受けますけど、犯罪の片棒担ぐのは無理です」
「ええ~ピッキングは将来役に立つぜえ」
「それが必要になる将来性は潰していいんですよ」
「就活で有利に!」
「どんな感性の面接官なら特技にピッキング持ち出す就活生を採用するんですか。それで入れるのは御社じゃなくて牢屋です」
「オレなら取るぜ」
「でしょうけれども。ていうかなぜわたしに技術を継承しようとするんです。自分でやればいいじゃないですか」
「女子寮にはさすがに入れねえんだわ」
「えっ、犯人は女子生徒なんですか? わたしてっきり……」
「現状分かる範囲での推測だけどなあ。こういう時は手分けして証拠集めが早ええ。調査の人手が増えて助かったぜえ」
自分の仕事が減って安息顔の十瑪岐が伸びをする。莟は複雑な気持ちで切り出した。
「……楠間田先輩のこと、このまま受け入れていいんですか。さっき気づきましたが、新聞が発行される前に窃盗にあってるケースが一つだけありましたよね。ってことは犯人、壁新聞を参考にしてるんじゃなくて、新聞部員そのものなんじゃないんですか」
「そこよく気づいたなあ。ま、鳴乍も察してたようだが」
「怪しいですよ楠間田先輩。このタイミングで接触してくるのも、先輩のファンとか宣うのも」
「オレのファンへの誹謗中傷はやめろよお」
「いるはずない存在は想定できないんですよ。先輩のどこに憧れられる要素があるってんです。万歩譲っても新聞部の間者ですよ」
「まあ、怪しいのは認めるがよお。いいじゃねえか別に」
「なんか先輩にしては楠間田先輩に甘くないですか。まさか……好きとか言われて浮かれて……?」
「そういうんじゃ……あるのか?」
十瑪岐は眉を八の字に歪め、自分でも己の行動原理を理解していない様子である。
「ええ? さすがにチョロ過ぎませんか。結婚詐欺に遭いそう。それでなくても他人にお金使いたがりなのに。そんなんじゃ自分を不幸にしますよ」
なんだか本気で心配になって莟はそう忠告する。十瑪岐は心外だと言うように首を鳴らした。
「オレはいつだって自分の幸せのために行動してるぜえ」
「結果的にそう見えないから言ってるんです」
「そうかあ? こりゃあそれこそ解釈がズレてんなオレら。…………莟は、一番自分を不幸にしてる人間ってどんな奴だと思う」
「えっと……自分を大事にできない人?」
唐突な問いになんとなくで答える。十瑪岐は機嫌よく口角を片方上げた。
「そお。つまりは愛情の有無だ。自己愛こそ愛情の基本だからなあ。とはいえ人を愛さないこと、愛せないこと、愛されねえことはそりゃあ確かに不幸だが一番ってわけじゃねえ。今後どうなるか分からねえからなあ。ちょっとしたきっかけで視界は開ける」
顔の前でパッと開いた両手で今度は目を覆う。
「本当に不幸なのは、他人から与えられた愛情を、すべて疑って拒絶することしかできねえ奴だ。こういう奴は前に進めねえ。ずっと同じこと繰り返すだけだからなあ。オレはそういう人間にだけはなりたかねえんだよ」
声のトーンが落ちていく。手で隠れてその表情が読めない。
やけに実感の籠った口調に、莟の背筋がかすかに震えた。
この人は今、どんな顔をしているのだろう。思わず手を伸ばしかけた莟の前で、十瑪岐がにわかに背筋を伸ばす。そこにあったのはいつものニヤけ顔だった。
「まあなんだ。オレは自分の根幹が人としてアレなの自覚してんだあ。だからこそ……こんなオレを好きって言ってくれるなら、取りこぼしたくはねえってこと。こっちは供給不足の空っぽなんだあ。たとえ嘘であっても、ちったあ足しになんだろ?」
自嘲するような笑み。それを見ていて莟は胸がもやりとうずくのを感じた。
「…………上から目線の寂しん坊」
「なんか言ったかあ?」
「いえ何も。つまり先輩は、自分を好きになってくれる相手が好きなんですね」
「一言に要約しすぎて語弊がなきにしもあらずだが、まあそういうこったなあ」
「……別にわたしだって、とめき先輩のこと嫌いってほどじゃないですけど」
「お、おう? そうか」
突然むくれっ面になった莟に、十瑪岐は戸惑っている。
「まあ他人の考えなんて分からねえもんだ。どんな気持ちも結局は受け手次第なんだからよお、気持ちよく浮かれるくらいでいいだろお」
見上げた少年の顔が、窓から差し込む光に眩む。眩しさに細めた視界が一瞬だけ記憶の光景と重なった。
あの恩人も、同じようなことを言っていたことを思い出す。
──どうせ相手の気持ちなんて分からないんだから、自分の解釈で世の中を都合よく見てるほうが気が楽だ。だから愛情が貰えるならそれが嘘でもお世辞でも──
「『貰えるのなら貰っとくべし』……?」
「ん? ああ、そうだな」
「それ、とめき先輩の考えですか……?」
薄く開いた唇が震えていた。自分がいま何という名前のついた感情で言葉を発しているのか掴みきれない。どんな返答を期待しているのかすら、逸る心臓じゃ形にできなかった。
莟の期待と裏腹に、十瑪岐は軽く肩をすくめる。
「うんにゃ、葛和の家訓みてえなの。お世辞も社交辞令も活用して自己肯定感の向上に努めろ、ってな」
「じゃあ幸滉先輩も同じ考えなんですね」
ほっと息をつく。その安堵の吐息が持つ熱の意味にまでは、莟は思い至らない。
「とめき先輩が急に良いこと言い出すから頭おかしくなったかと思いました。幸滉先輩と同意見なのなら納得です」
「さあ、あいつは何考えてんのかわかんねえからなあ」
十瑪岐が莟の手を引いて立たせる。指に硬く生ぬるい感触が。握らされたそれは──十徳ナイフ。
「んなことよりい、ちゃっちゃと覚えようかあピッキング」
さっきの真面目な話は前座に過ぎないとでも言うような笑みで、逃がさねえぞと十瑪岐がウインクを決める。
「…………」
こんなノーパン男の話なんて真剣に聞かなければよかった。莟は心の底からそう思った。




