エピローグ
下校中の十瑪岐は校門前の掲示板に張り出された順位表を見て顔をしかめた。
「あー……。やっぱりかあ」
先日行われた期末テストの結果が出たのだ。兎二得学園では、学年ごとに上位五十名までの名前と総得点が張り出される。目の前にあるのは二年生の結果だ。
上から順に知っている名前を探すと、まず鳴乍の名前が見つかる。順位はさすがの一桁だ。
それからほんの少し下に、見慣れた兄の名が。
「文化祭の調子でワンチャン勝てるかと思ったんだけどなあ」
『葛和幸滉』と十一番目に印刷されている。今までの彼は三十位前後をキープしていたはずなのに。
ちなみに十瑪岐の順位は二十七位。前は四十位程度だったので十分に躍進なのだが。
「何をでかいため息をついている。邪魔だ十瑪岐」
横からそう声をかけられた。広い道なのに避けずにわざわざそう不機嫌な声を十瑪岐にぶつけて来るのは一人しかいない。視線を下げると案の定、赤毛の少女が睨み上げていた。
「お、狛左ちゃんじゃあん。ってことは……はぁ、幸滉も。二人とも順位上がったのなあ。おめでとおー」
「どう見てもおめでとうって顔じゃないよね。十瑪岐もずいぶん上がったみたいじゃないか」
幸滉が順位表を見て笑いかけて来る。その手には数学の参考書があった。今まで勉学に力を入れているところは見たことなかったのだが。どうやら心境の変化があったらしい。
十瑪岐は中指を立ててガンを飛ばす。
「けっ、勝者の余裕かおおん? 次は負かすからな売り上げ歴代ナンバーワンの女装野郎」
「女装云々は十瑪岐のせいだろ。まあ、それは置いといて……」
参考書を閉じ、この少年にしては珍しく挑発的な笑みを浮かべた。
「二度と負けないから」
一方的に宣言し、椎衣を引き連れて行ってしまった。
遠くなる背を見送って十瑪岐はやれやれと頭を掻く。
「こりゃあ二度と勝てる気しねえなあ」
嫌だねえと呟いて背伸びをする。やることもないので帰るかと掲示板から離れると、茂みのほうから見知った少女たちが現れた。
鳴乍と莟だ。生徒会の備品らしき段ボール箱を抱えている。
「どうしたの十瑪岐くん、嬉しそうにしちゃって」
「また悪だくみですか? せっかく回復させた評判が最近また落ちてきてるんですから、ボロが出ないように大人しくしてましょうよ」
思ってもいなかった指摘をされて、十瑪岐はつい唇を尖らせた。兄がやる気を出すのは葛和の──延いては自分の利益にも通じるのだから問題はないはずなのだが。他人から言われるのはなんか受け入れられない十瑪岐であった。
「なんでもねえよお。ていうか最近、オレといるより二人でいるほうが多くね?」
「そうかしら? 莟ちゃんは私を見ると駆け寄って来てくれるから」
「大好きな先輩がいたらたとえ屋上からでも一瞬で駆け付けますよ。今日も途中まで一緒に帰ろうって話してたんです」
微笑ましく莟を撫でる鳴乍と、彼女を見上げて満面の笑みを浮かべる莟。仲が良いのは喜ばしいが、しかし。
「それオレは? 『も』ってことはこれまでも一緒に下校してるってことだよな。オレ一回も声かけられてねえんだけどお!?」
「ふっ。羨ましいですか? 恋人になった程度で、とめき先輩ごときが女子同士の繋がりを簡単に引き裂けると思ったら大間違いですよ」
「彼氏を差し置いてどや顔しやがるこの親友」
頭を拳でぐりぐりしてやろうと近づくが簡単に避けられてしまう。一部界隈ではいまだに暴君として扱われている十瑪岐だが、最近はすっかり莟に押されがちだ。
楽しげに逃げ回りながら、莟が先輩達を振り返る。
「お二人は冬休みってどうするんですか? どこか遊びに行きます?」
「いやぁ。年末は集まりやらパーティーやらで忙しいんだよなあ。今年はなんでかオレも参加しろって言われてるし」
「そうね。年明けも親類縁者や関係各所への挨拶回りがあるもの。莟ちゃんもよかったら行く? ちょうど出所する親族が何人か……」
「お勤めご苦労様です!?」
「冗談よ。莟ちゃんは相変わらず反応が良くて嬉しい」
鳴乍がいつものジョークで莟の肝を冷やす。
とにかく皆、予定は合わないようだ。
「まぁわたしもリハビリ中の遅れを取り戻さなきゃですしね。冬季大会の準備の付き添いもあるし…………あっ!」
「どうしたの?」
莟が急に大きな声を出した。どこかわざとらしい気もするが、鳴乍が問いかけると慌てた様子で足踏みし始める。
「部活の先輩に呼ばれてるの忘れてました。これはついでに持っていきますね」
返事もまたずに鳴乍の荷物をひったくると凄い速さで駆けていった。
露骨に気を使われた気もするが。お互いにあえて口には出さない。
「あら、暇になっちゃったね。一緒に帰る?」
「生徒会の仕事はいいのかあ? お前あちこちで見かけるし、忙しそうに見えるが」
「最近は受験でお忙しい生徒会長の補佐を任されるようになったの。いろんな仕事に関われて勉強になるよ」
「それって……」
ひょっとして、次期生徒会長として育成されてないか。十瑪岐が持っていた『幸滉を生徒会長に推薦してもらう権利』を捨てたから、ありえる話だ。
鳴乍はまだそこまで気づいていないらしい。
「理由は教えて貰えないけれど、重用してもらえるのはありがたいね。それにこの前なぜか、成長したなと褒められたのよ。自分が目標に向けて本当に進めているか不安になることもあるけど、生徒会長にそう言ってもらえると励みになるよね。だからかな、以前より、期待されてることを純粋に嬉しいと思えるようになったかも」
鳴乍は目を輝かせて嬉しそうだ。無理をしている様子はなかった。
であれば会長の件は、わざわざ十瑪岐の口から言う必要もないだろう。
あの生徒会長矢ノ根涼葉ならば、上手く鳴乍を導いてくれるはずだ。
安心に頬が緩む。そこでふと、鳴乍の向こうに気になるものが見えた。
気の弱そうな男子生徒が、目を血走らせた男子三人組に押されるようにして人気のないほうへ進んでいく。
「良いカモ発見……」
思わず口に出ていた。十瑪岐の視線を追った鳴乍はすぐ了承したようで頷いてくれる。
「ええ。行ってらっしゃい。おいたし過ぎちゃ駄目よ?」
手を振って送り出してくれる。夕日に照らされたその笑みは、やはりどこまでも眩しい。
十瑪岐は感謝しながらカモの後を追い始める。
文化祭でらしくもない正々堂々の勝負などしたせいで、すっかり元手がなくなってしまった。握れる弱味は三倍に誇張してでも有利に立って貸しを作らねば。
今は落ち着いているが、葛和兄弟のクズのほうという異名は遠くないうちにまた囁かれ始めることだろう。
誰も来ない雑木林の倉庫裏にやってきた彼らは、案の定一人を囲んで怒声を上げ始めた。そんな少年たちのリーダー格らしき人物の肩を叩いて、十瑪岐は下卑た笑みを浮かべてみせる。
「よお君たち。すこぶる楽しそうじゃねえかあ。ちょぉっとオレとも仲良くお話しねえ?」
◇ ◆ ◇
十瑪岐たちと別れた莟は、十瑪岐と初めてまともに会話した中庭に来ていた。
部活の先輩に呼び出されたというのは、場を離れるための嘘だ。交際仕立てのカップルに対する莟なりの気遣いのつもりだった。
あの二人とはもっと一緒に遊んだりお喋りしたり、仲良くしたいと思う。けれどたまには二人きりにしてあげるようにしよう。そう考えながらベンチに腰を下ろして夕日を見上げる。
空を染めゆくオレンジがとても綺麗だ。しかしなぜだろうか、あの二人を見ているほうがよっぽど眩しい気がする。
(羨ましいなぁ)
恋は眩しい。あんなに素晴らしいもの、やっぱり自分の中にはない。そう結論付けたことがどこか口惜しくて、自分には手に入らない恋を謳歌する二人が羨ましくて、でもやっぱり幸せそうな彼らを見るのは嬉しい。
(わたしは確かに、わたしの恋に必死だった)
追い求めた。向き合った。そうして答えを出したのだ。だからこそ、胸がこうして痛いのだ。
告白し合う二人を隠れて見守っていたときに感じた、一瞬だけ棘が心臓を撫でたような甘い痛み。
(そうか……)
納得を得て顔を上げる。見慣れた場所。さっきと変わらぬ風景。けれど違って見えるのは、おそらく自分の心持ちのせいだろう。
薄く開いた口から笑いが漏れて、莟はベンチに背を預けた。
あの痛みこそ人の言う『失恋』に似た何かだったと、やっと自覚して見上げる夕焼けは、いつもより目に沁みるものだと知った。
クズ男は誰の初恋でもない。はずだった 了




