打算的な体力測定
「どうかな。私を親友にしてくれる?」
さりげなく段階を上げ、鳴乍が真剣な眼差しを微笑みで覆って手を差し出す。
十碼岐はツンとそっぽを向いた。
「親友だの友達だの今更お前っ。お、オレはそんな都合の良い男じゃないんだからねえ!」
「自らチョロい女みたいな口調するくせに。でも十瑪岐くん、口元ちょっとニヤけてるよ」
「なっ、しょっ、そんなことないんだからね!? オレは生まれつき余裕の笑みで君臨してるだけだからあ。世界を見下してほくそ笑んでるんだよお」
「嫌な赤ちゃんですね……」
「本当にね。十瑪岐くんはやっぱり素直じゃないなぁ。ふーん、いいもん。莟ちゃんは友達になってくれるよね?」
「はっ、はい。もちろんです久米先輩」
「鳴乍でいいよ莟ちゃん。ありがとう仲良くしましょうね!」
二人でぎゅっと握手を交わす。鳴乍は莟の手を上下に振ったあと、なぜかすごく撫でてきた。いつまで経っても放してくれず、ひたすら撫でまわされる。
「くふふっ、ふにふになのに指だけ皮が厚くなってるね。スタートのとき地面に手をつくからかな」
「あの……そろそろ手を……」
「あ、ささくれ。駄目よちゃんとケアしないと。ハンドクリーム塗ってあげましょう。くふふふ。若い女の子のお手々だぁ」
「ちょっと目と鼻息が怖いです鳴乍先輩! 自分で塗れますからっ」
そんな傍から見たら和気あいあいとした女子たちのやりとり。それを横目でちらちら見ていた十碼岐が徐々に近づいてきた。
無言で二人の前に立った十碼岐は口元をひくつかせてふんぞり返る。
「なあんだよ二人だけ仲良くしやがってよお。全然羨ましくねえけど、仕方ねえから話くらいは聞いてやらあ」
「すっごい上から目線の寂しん坊だ!」
思わず後ずさる莟。鳴乍はこうなることが分かっていたかのようにもったいぶった笑みを浮かべて、
「そうね。私と友達になると良いことがたくさんあるよ? とりあえず、私にできる範囲で十碼岐くんに尽くしちゃおうかな」
「無償労働がとりあえずで出てくるだとお? くっ、だがオレは簡単には屈しねえぞ。何を言われようがフラれた男のプライドってもんが」
「毎年三月には歴代の生徒会役員がみんな集まってパーティーをするんだけど、一緒に行く?」
「よろしくお願いします鳴乍様!」
「落ちるの早っ!! 全日本プライド投げ選手権放り捨て型優勝候補の貫禄でしたよ!」
「馬っ鹿お前。兎二得学園の生徒会だぞ? 一人と顔見知りになるだけで超得するのに、歴代のメンバー大集結のパーティーとか金持ちバイキングどころじゃねえぞ! コネ作りベルトコンベヤーだ!」
「欲に忠実な人だ……」
「ふふっ、本当にね。十碼岐くんが有力者と繋がりを持ちたがっているのは聞いてから。私でよければ力になるよ」
鳴乍が愛おしむように微笑み、手を差し出す。十碼岐も今度は無視せずその手をとった。
「これからもよろしくね十碼岐くん」
「お、おう……」
柔らかに崩れた相貌に、十碼岐は眩しくて思わず目を逸らす。
そう目を離したのがいけなかった。ただの握手は数秒で蹂躙と化す。気づけば十碼岐の手は鳴乍の両手にガッチリと掴まれ撫でまわされていた。
「くふふっ。この形この大きさこの肌触り! 骨ばった指の関節からは想像できないほど柔らかな母指球はもはや猫の肉球。そして浮き上がった中手骨が描く手の甲の芸術的なライン! 極めつけは意外性のあるペンだこ! ああああっ、至高! 理想! やっぱり最高よ十碼岐くん!」
鼻息荒くよだれを垂らさんばかりに十碼岐の手を揉みまくる。
「おいっ、触りすぎだあこの手フェチ! いい加減に放せっ、金取んぞ!」
「おいくら?」
「支払いに躊躇いがねえ!」
「言い値で払うよ」
「まず定価が分かんねえんだわ!」
十碼岐が無理矢理に手を振りほどく。鳴乍は名残惜しそうにしつつも大変満足した様子であった。
こうして葛和十碼岐と、彼の元恋人である久米鳴乍は再び友好を結んだのであった。
◇ ◆ ◇
体育館での測定を終わらせ、床に座ってお喋りを始めてしまった女子二人。それ付き合って十碼岐も腰を下ろす。莟は鳴乍に興味津々なようである。
「身長が高いのいいなぁ。わたし百五十五ないんです」
「言うほど小せえかあ?」
資料を見たときの記憶が正しければ、彼女の身長は百五十四センチ。日本人女性の平均を考えれば低すぎるというわけでもない。だが莟は自分の背丈にご不満なようである。
「体格がいいってスポーツ選手にとってそれだけで財産なんですよ。特に身長はストライド──歩幅に直結するので、伸びるものなら伸ばさねばって感じです。それで、鳴乍先輩は何センチですか?」
「百七十二よ」
「オレのほうが七センチでけえぞ。ほれ羨ましがれ」
「十碼岐先輩は性別違うじゃないですか。参考になりません。鳴乍先輩はどうやって身長伸ばしたんですか? 適切な運動? 規則正しい食生活? それとも怪しげな健康増進飲料?」
「うーん。やっぱり決め手は遺伝かな」
「科学の進歩も太刀打ちできないっ」
莟が打ちひしがれて床を殴る。本気で落ち込んでいるようで、うつむいたまま肩を震わせている。だが沈んだままではないようで、床に額をつけるようにしながら声を絞り出した。
「ほ……他にはありませんか……」
「そうねぇ。うん、寝れば育つよ。私もけっこう寝たぼうだし」
「分かりました!」
勢いよく顔を上げた莟が元気よく頷き目の前の膝に頭を乗せる。黒タイツに頬を押しつけ力を抜いて目を瞑ると、数秒で寝息をかきだした。
早業を披露され呆然としていた二人だが、やがて鳴乍が喉を震わせた。
「……十碼岐くん、この子なんの躊躇いもなく私の膝を枕にしたんだけど」
「ああ、そいつ懐っこいよな」
「人馴れどころじゃないよ。無防備な頭部を会ったばかりの他人に預けるなんて。こんな警戒心でどうやって生きてきたのよこの子は!」
「野生じゃねえからなあ」
登下校でパルクールする姿を見ると野生児っぽいが。
莟は話題にされているというのに鳴乍に頭を撫でられても起きない。寝入る少女をペットにするように可愛がりながら、鳴乍がふいに真剣な声音で口を開いた。
「ところで十碼岐くん。私たちが別れたことが次の日には校内新聞のネタにされて事実と異なる噂が流れてたのけど、あれは貴方の差し金なのかな」
「言いがかりだなあ。確かにオレは壁新聞の常連だが!」
「主に悪評でね」
「っつうかよお。んなことしてオレになんのメリットが?」
おどけて肩をすくめる。
鳴乍はそんな十碼岐を、慈愛の籠った視線で見つめた。
「貴方が加害者になったせいで、私が被害者になって慰められる側になること」
声にはどこか確信がちらついている。十碼岐は目を微かに見開き、言葉を呑み込むように鼻で笑った。
「なんだあそりゃ? オレのメリットじゃねえよ、それは」
「そうかな」
「そおだよ。オレにあんま夢を見てんじゃねえ。コイツはただの自分本意なクズ野郎だ。他人に好かれるほど価値はねえよ」
自分自身を指差して下種い笑みを浮かべる。
「つうかその噂もオレが鬼畜みたいな形に変わってたしなあ。おかげですれ違う女子の視線が痛えのなんの」
「そうね。私も貴方も双方が悪く言われてた。あれは少し歪み方がおかしいと思う。噂の渦中の人間がみんな被害を受けかねない」
「まあオレは何と言われようが堪えないがなあ」
「それは──」
鳴乍が何か言おうとすると、膝の上で少女が唸った。
「……ってこのまま寝かせてたら駄目よね」
「そうだなあ。まだ測定ぜんぶ終わらせてねえ。おい起きろおコラ。むしろなんでたった数秒で眠れるんだお前は」
「う~ん……亀はいつでも寝れるんですよ……むにゃ」
「目覚めんかお前は霊長類だ」
「あたっ。……んぬぅ。…………あ、ごめんなさい、夢の中でなんかこう、座って手を前に伸ばす測定してました。あれ今回は種目にないですよねー。名前思い出せなくってなぜか倒立してました。なんでだろう」
「たしか長座体前屈じゃないかな」
「そうそれですそれ! あれ得意だったんですよね。お二人はどうです?」
「覚えてねえなあ。やってみるか。ほいよお!」
十碼岐がその場で足を伸ばし身体を倒すが、爪先があまりに遠い。思い切り伸ばしてすねに触れるのがやっとである。
「ぬううう」
「うわっ、硬すぎ……。普段どうやって靴下とか履いてるんですか。日常生活に支障が出るレベルでしょうそれ」
「ぐぬぬぬぬ」
「くふふっ、これは酷いね。仕方ないから後ろから押して上げようかな」
「ぐええっ、内臓潰れるっ」
鳴乍が面白がって背中を押す。それでも大して身体は曲がらない。鳴乍がさらに体重をかけると身体が密着した。
「あのお鳴乍さん? 背中にお胸が当たっているのですがあ」
「うん、当ててるよ?」
「なにゆえにいっ? ありがとうございますっ!!」
「顔が真っ赤ですよ十瑪岐先輩。あっ、叫んで息を吐いたからか指が爪先に届いてる!」
「かっ……代わりにオレの腰が逝った……」
乳圧から解放された十碼岐がひきつけを起こして床で跳ねている。激痛を堪えるか細い声が死にかけの蚊のようで憐れみを誘った。
動けなくなった十瑪岐の足を莟が両脇に抱える。体育館の出口まで無抵抗に引きずられていきながら、バンザイ体勢の十瑪岐はついて来る鳴乍を逆さまに見上げた。
「おい鳴乍。本題があるんだろ。友達がどうのはついでとしか思え──あだっ! 今なんかの器具の脚に肩甲骨削られたんだが!? もっと丁寧に運びやがれ」
注文を付ける十瑪岐に、それを無視する莟。仲良さげな二人を後ろから鳴乍が羨ましげに眺めている。
「さっきのが本題だったんだけどなぁ。まあいいよ、もう一つ話があるのは本当だものね」
ぼそっと呟いて、表情を切り替えた。
「葛和十碼岐くん。放課後に生徒会室へ来て。兎二得学園生徒会長が直々《じきじき》に貴方をお呼びよ」
「へえ?」
突然の呼び出し宣告に十瑪岐が片側の口角をつり上げる。それに笑みで返す鳴乍も、印象を引きずられてどこか裏がありそうに見えてくる。
背後で放たれる濃厚な黒いオーラに莟は冷や汗をかいた。
「この元カップル、お互い圧が強いなぁ」
お似合いなのに、という言葉はなんとなく呑み込んだ。