反感注いで虚無を塞ぐ
授賞式も文化祭も何もかもがあっという間に過ぎ去って、気づけば放課後になっていた。
教室の飾りは取り払われ、丸められたガムテープでパンパンのゴミ袋や紐で縛った不揃いの段ボールが廊下に積まれている。
祭りのあとの喧騒すらすでに遠い。昇降口前に並んでいたテントは見る影もなく、正門に残ったアーチも役目を終え、取り壊されるのを待つのみだ。
すっかり殺風景になった教室から並木道を見下ろして、幸滉は思わずといった様子で言葉をこぼす。
「僕の今までって、なんだったんだろうな」
返事を期待しない呟きは夕焼け空に吸い込まれた。適当な机に行儀悪く腰かける十瑪岐も、彼の背中に一瞥を投げるだけで応えようとしない。
「どうせ何もかも壊して無駄にしてしまうなら、何をやっても無意味だと思ってた。そうやってやり過ごしていたんだ」
小さく開かれた口から細々と独白がこぼれ落ちる。言っても意味がないと閉じ込め続けてきた思いが、栓を失ったことで流れ出るように。
「十瑪岐にはわかる? どうせ偽物だからって適当に扱ってたものが実は本物でしたなんて急に言われて、受け入れられる? ……なぁ。全部知ってたくせに、どうして今まで黙ってた?」
ここで幸滉は初めて弟を振り返った。少年はつまらなさそうに幸滉を見返し、淡々と言葉を返す。
「言ったところで受け入れられたか?」
「…………」
受け入れられるわけがない。いまそう十瑪岐にぶつけたばかりだ。
十瑪岐は幸滉の気持ちなど理解していないだろうが、相手の感情に共感しないからこそ、返す刃はあまりに鋭利だった。
幸滉はため息をついて胸元を握りしめた。胸がざわめきその度に痛みが脳髄を串刺しにする。だが不思議と、以前のようなやるせない息苦しさはない。
まるで絶望の淵で延々と焦らされて、待つのも耐えるのもとっくに限界で、そうしていっそ全部さっさと壊してくれと嘆いた直後、本当に世界が崩壊したような。
この痛みにはそんな清々《すがすが》しさがある。
きっと、四肢を縛っていた重りが急に消えたから、思ったよりもずっと空っぽだった自分に戸惑っているのだ。
取り繕うのも馬鹿馬鹿しくなるくらいの虚しさ。だからだろう、自然と口も軽くなる。
「僕はずっと、葛和を本当に継ぐべきは十瑪岐だと思ってたよ。だから椎衣がそばにいるべきなのも十瑪岐で、僕はその権利を嘘で独占してるんだって」
「狛左ちゃんがオレを選ぶわけねえだろ」
「どうして? 椎衣の忠誠は葛和を継ぐ相手に捧げられるものだ。別に僕である必要はない。それに十瑪岐は、……椎衣の初恋じゃないか」
「は!? えっ待って、最後の初耳なんだが。狛左ちゃあーん!? どゆことお!?」
十瑪岐が信じられないという顔で勢いよく教室の外へ呼びかける。つられてそっちに視線を向けると、扉の影に隠れていた赤毛の少女がおもむろに姿を現した。
「椎衣……」
聞かれていたのか。そう理解すると共に、口が勝手に彼女を呼ぶ。しかし椎衣が廊下からこっちへ踏み込む様子はない。
少女は普段通りにも見える無機質な表情を浮かべ、小さな頭をコトリと傾けた。
「ボクの初恋は幸滉様ですが」
「…………え?」
明日の献立はと告げるのと同じ調子で言うから、言葉の意味を呑み込むのに数秒必要だった。
「だ、だって椎衣は、十瑪岐に初めて会ったとき、十瑪岐のことを王子様みたいだって言ってたじゃないか。椎衣の初恋って『王子様みたいな人』なんでしょう? 小さい頃に教えてくれたじゃないか」
「そうでしたか? いえ、幸滉様が仰るのなら確かにボクはそう言ったのでしょう。しかしなぜそこで十瑪岐と繋がるのです?」
互いに首を傾げて疑問符を浮かべる。相手の言ってることが自分の認識とかけ離れ過ぎてるせいで理解できず、思考が内に閉ざして延々と回っている。
そのループから一番に抜け出したのは意外にも十瑪岐だった。
「あ、分かった。狛左ちゃんが持ってる絵本。あれだ、裸の王様。あの絵本なぜか王様が黒髪天パに書かれてたろお? そのことだろ。昔のオレって今より天パ酷かったし」
「王様と王子様は別物じゃない?」
「ガキにんな区別あるかあ? それにオレ、絵本に出て来る馬鹿な裸の王様みてえって、狛左ちゃんからこの髪を馬鹿にされた記憶あるぞ。なあ狛左ちゃん」
「そうだったか?」
「んもぅ。加害者はすぐ忘れるう。オレだって素直に傷つくことくらいあるんだぞぉ」
自分の胴を抱いて身体をくねらせるが、それに反応してくれる者はいない。
幸滉は震えている自分の手を見下ろして、勢い込んで訊いた。
「じゃあ本当に? で、でもだったら、椎衣はどうして僕のプロポーズを断ったのさ」
「プロポーズぅ? それも初耳なんですけど。もっとオレへのホウレンソウ密にしてお前らあ!」
「なぜわざわざ貴様に伝えねばならない。放置・憐憫・総毛立つの略としてであれば常だが」
「こじつけ感がすげえ! 特にソウ!」
十瑪岐の嘆く声が緊張感をぶち壊す。椎衣はため息をついて、やっと教室に入って来た。脇目も振らずまっすぐに幸滉の前へ進む。
「告白というのは、七歳の頃に仰っていた『狛左から葛和にならない?』という幾分遠回しな内容のあれですか」
「う、うん。よく覚えてるね」
「幸滉様のお言葉なら一字一句誤りなく思い出せますから。
確かにあれはお断りさせていただきましたね」
自分で納得するように頷く。それで幸滉はさらに訳が分からなくなってしまった。
「意味を理解していたなら、どうして?」
「狛左の苗字を変えてはならないと。勇玄様からご命令を頂いているので」
「どうして!?」
さも当然のように言う椎衣の肩を掴んでしまう。椎衣はがくがく揺らされながらも律義に説明しようとする。
「勇玄様曰く、『“狛左”ってもう字面からして可愛いよね』とのことです」
「なっ──」
予想外の文句に幸滉は絶句してしまった。
父が可愛いもの好きなのは、交流の少ない幸滉でもなんとなく分かっていることだった。だがまさか名前まで対象になるとは。
狛左という苗字を気に入っているから可愛いを減らしたくないからということか。父は冗談で言ったのかもしれないが、真面目な椎衣はそれを厳守するだろう。
つまり彼女がこの先どこかへ嫁ぐ可能性は無いに等しい。
ならば、と。一つの可能性が思い浮かぶ。
「じゃあもし……。もしも逆に、僕が狛左になるって言ってたら、受けてくれてたの?」
「はい。それなら問題ありませんので」
「僕が葛和じゃなくなるのに?」
「いけないのですか?」
「だって、椎衣がそばにいてくれるのは、僕が葛和を継ぐ人間だからで」
「ボクがお仕えするのはあくまで『葛和に相応しい人』であって、実際に葛和を継ぐお方を指すわけではありません。それに勇玄様はすでにグループの中から優秀な人材を募り育成しておいでです」
やはり当然の共通認識であるかのように語る。
混乱していまいち理解できていない幸滉に、十瑪岐が横から説明を加えた。
「お前が後継者として優秀すぎるからそういう風潮があるってだけで、別に息子に跡を譲るなんて公言してねえんだぞ、あの人」
幸滉は頭を抱えた。そう言われてもすぐには噛み砕けない。混乱しすぎて思考がまっさらになっていくのが分かる。言葉の代わりに湧き上がってくるのは、自分がとんでもない認識違いをしていたのではないかという予感とざわめき。
「じゃあなに? 僕はずっと勘違いで思いつめて、勘違いで失恋してたってこと?」
否定を願った呟きは、しかし弟に鼻で笑われた。
「哀れだなあ」
「…………」
ですよねという心の声が強すぎて、十瑪岐の態度にも怒りすら湧いてこない。
「ああぁぁぁぁぁぁ………」
顔に熱が集中して赤くなっているのが分かった。意味の乗らない呻きが止まらなくて腕で頭を抱え座り込んでしまう。今までの自分なら椎衣の前でこんな情けない姿をさらすことなどできなかった。けど、
そもそも今までの自分こそが、真相を知っていた椎衣からすれば空回りばかりで無様だったのだと気づいてしまえば、もう格好つけてなどいられない。
本音を言えば奇声を上げながら床をのたうちまわってしまいたい。それができないのは、まだまだ自尊心を守りたい自分がいるからだ。
とても十瑪岐のような恥知らずではいられない。
羞恥に見悶える幸滉の前に誰かが屈みこむ気配がする。見なくても分かる。それはいつも側に居てくれた愛しい彼女のもの。
鼓膜を震わせた音は優しく柔らかい。
「幸滉様。すぐに受け入れようなどと、無理をする必要はありません。貴方がどれだけ悩もうと、苦しもうと、心の底から貴方が納得できるまで、ボクがいつだってお傍におりますから」
「そうだぞお幸滉。今までお前は踏ん張って来たんだ。ちょおっとくらい立ち止まって、阿呆みたいに泣き叫んでもいいじゃねえか。お前にはその権利があるだろうさ」
十瑪岐にまで慰められる。幸滉が驚きで顔を上げると、十瑪岐はにぃっと下卑た笑みを浮かべていた。あれは脳内でそろばんをはじいている顔だ。
「変に開き直られるより、恥じらってるほうが良い画が取れるしなあ」
指で作ったフィルムに縮こまった幸滉を収める。片目をウインクみたいに閉じてカメラマン気分だ。
冷たい視線二つに見上げられていても十瑪岐の調子は崩れない。ごそごそとカバンからプリントを取り出して兄へ差し出す。
「っつうことで、はいこれ。女装写真集の撮影スケジュールぅ。ハードだけど期待いっぱいに待ってくれてるみんなのために頑張ろうなあ♡」
三日月みたいな形に歪むその目はあきらかに落ち目のカモを見るそれで。気落ちした身内へ向ける慈悲などとても含まれていなかった。
落ち込んでる場合じゃない。このままじゃ弟のおもちゃにされる。
そんな危機感が、幸滉に早急な立ち直りを決心させるのだった。




