大事なのはフェチズム
文化祭二日目。今日は外部の来場が許されていた。在校生の父兄はもちろん、卒業生や企業のお偉いさんも大勢訪れる。
文化部を中心に、そういった相手へのプレゼンとして企画や展示発表などを行うところも多かった。場合によってはアイデアを買われて在学中に起業する生徒達もいたりするので、気合が入るのは当然である。
十瑪岐と幸滉のクラスもどちらかと言えばそっち寄りだ。教室の中は片付けられ、説明用のパネルが並んでいる。奥にはシステム効率化の図解と模型が置かれていた。説明係も各所で案内をしている。
午後のステージに合わせて午前中が当番な葛和兄弟を一目見ようと訪れる生徒も多い。
客引き目的で入口に配置されてしまった幸滉は、興奮している女生徒たちを適度にあしらってこっそりため息をついた。
今日も椎衣の姿はない。ここ数日、連絡すらつかなかった。少なくともいま、椎衣の端末には未読バッジが五十件以上溜まっているはずだ。送ったのが自分なのだから想像は容易い。
いったい彼女が今どこで何をしているのか。葛和の今後を決める今日のステージを椎衣は見に来ないのか。そんなことばかり考えてしまう。
「こんにちは幸滉さん」
耳に馴染んだ声に、幸滉は瞬時に意識を切り替えた。柔らかな笑みを浮かべて振り向けば、そこには予想通り、さらに柔らかな印象の少女が立っている。
彼女を見た者の多くは、第一印象を『清楚』だと語るだろう。
平均的な身長に、華奢な体躯。それに見合った驚くほど小さな顔は、薄いメイクも手伝って芸術品のようだ。
彼女が小首を傾げるとゆるくカーブした髪が肩甲骨を綿毛のように撫でる。所作一つ一つに品があり、いっそ神聖な空気すら放って見えた。
彼女は兎二得とは別の有名校へ通っている一つ年上の高校生だ。そして幸滉の婚約者でもある。
「佐知さん、本当に来てくれたんですね」
「ええ。せっかくご招待いただいたんですもの。あいにく父は最終日しか予定が空いておりませんでしたので、本日はわたくしだけで失礼します。幸滉さんは午後から大きなコンテストに出ると聞きましたが」
「おや、知られてしまいましたか。ほんの数分の登壇ですよ。それより今日は──」
笑みを崩さぬまま話を逸らそうとする。だが背後から現れた少年が強引に肩を組んできて失敗した。
「オレらの出番は午後の一時からですぜえ。あんたも暇ならぜひ見に来てくれよ。ところでこの美人さんはいったいどなたあ? お前が女子と普通の距離感で親しげなのって珍しいなあ」
重くのしかかる邪魔者を引き剥がす。無視したかったが、佐知が大人しく待っているので紹介しないわけにもいかない。よれた幸滉は襟を正して丁寧に少女を手で示した。
「十瑪岐は会ったことなかったけ? 彼女は──」
「幸滉さんの婚約者です。初めまして、貴方が葛和十瑪岐さん?」
佐知が幸滉に気づかれないよう、一瞬の目配せをする。十瑪岐は心得て笑みを返した。
「おう、はじめましてだお嬢さん。お噂以上に綺麗なご令嬢だなあ。いやあ、こんな美人と小学生の時から婚約してるなんざ羨ましいねえお兄様」
「ちゃかすなよ」
幸滉はしかめそうになる眉間を親指で伸ばし、また肩を組んでくる十瑪岐の手を払う。
先ほどから観衆がいつもと質の違う黄色い声を上げているような気がして見渡したがなぜか誰とも目が合わなくて、幸滉は首を傾げるのだった。
◇ ◆ ◇
実を言えば、葛和十瑪岐は幸滉の婚約者と一度だけ顔を合わせたことがあった。
それは両親が亡くなる少し前。椎衣から突然に時間を作ってくれと言われて連れられて行った喫茶店でのことだ。
個室で待っていた美しい少女が幸滉の婚約者だと紹介された時には驚いた。少女が文句のつけようのないレベルの美少女だったことにではない。彼女と十瑪岐を仲介しているのが椎衣だということにだ。
幸滉は彼女を椎衣と会わせないようにしていたはずだが。いったい何処から繋がりを持ったのだろう。
「わたくしが狛左さんに強引にお願いしたのです。どうしても、お二人にお願いしたいことがありまして」
佐知と名乗った上品な少女は、紅茶にたっぷりミルクを注いで切り出した。
「どうにか穏便に婚約を解消したいのです。この関係は、お互いのためになりませんから」
また驚いて隣の幼馴染を凝視してしまう。
まさか椎衣が──葛和を第一に考えている彼女がそんな話のために十瑪岐を引っ張りだしてきたとは。どうやらこれが、元から口数の少ない椎衣が黙り込んでいる理由のようだった。
「あー……、とりあえず、理由から聞いていいかあ? お前らの婚約って、そもそもあんたの父親からの提案だったよなあ」
「はい。父は葛和グループの威光を借りたかったのでしょう。そちらのお父様を押し切る形で成立させたと聞き及んでおります。ですが、それは当時のお話。現在は我がグループの事業も安定し、葛和のお力添えなくとも十分にやっていけます。そうなると、わたくしと幸滉さんの婚約関係はもはや過去の遺物にございます」
「つってもよお、葛和との姻戚関係があるにこしたことはねえだろお? だから誰も婚約を解消しようと言い出さねえわけだ」
「十瑪岐さんの仰るとおりです。すでに公然と明言してしまっていることでもありますし。理由もなく白紙にしてしまえば余計な詮索をされるのが落ちでございます。婚約関係は互いにデメリットもないのですからいまさら取り下げるのはと考えるのも仕方がないことです。ですがそれは家の事情。必要不可欠となればわたくしも受け入れますが、無くとも成り立つものであれば、通す我も芽生えるというものでございます」
「つまりお前、幸滉に不満があるってわけか」
「十瑪岐っ」
不躾な十瑪岐の発言に椎衣が叱咤の声を上げる。しかし佐知は気にしたふうでもなく微笑んだままだ。
「よいのです狛左さん。十瑪岐さんも、そうやって思うままに発言していただけたほうが、わたくしも進めやすいですし。ですけれど、幸滉さんに不満があるわけではないのですよ。彼に落ち度は何一つありません。話も対応も仕草も、すべて婚約者として申し分ない……いえ、完璧すぎるのです。だからこそ、わたくしにとっては不都合というだけのこと」
「なるほどお。適当な理由をつけて婚約を解消したいけど、その理由が思い当たらねえから、オレ達みてえな幸滉に近しい人間を呼び出したと。けどよお、幸滉が嫌になったんじゃねえなら、縁を切りてえ理由は結局なんなんだよ。生理的に無理ってやつ?」
いよいよ本題に入る。すると佐知はすっと目を細め真顔になった。
「わたくしの好みはもっと精力的で筋肉ボインな男性ですので」
「筋肉ボイン」
耳を疑う単語に思わず繰り返してしまう十瑪岐と、絶句している椎衣。二人の困惑を置き去りにして佐知は続ける。
「ええ。思わず下から支えたくなる零れ落ちそうなほどの胸筋が好きです」
「ゆ、幸滉も割と鍛えてるほうだと思うがなあ」
「細マッチョなど枯れ木としか思えません」
口を付いたなけなしのフォローは、にべもなく一刀両断されてしまった。
「なにより……」
佐知が紅茶を含んで、薄くため息をつく。
「初恋をいつまでも引きずり続けている男ほど、相手をしたくない存在はおりませんから」
佐知は椎衣へちらりと目配せするが、彼女は何事か考え込んでいるようで気づいていない。
十瑪岐は苦笑いするしかなかった。
「事情は分かった。確かにそりゃあ急務だわ」
「今すぐというわけではありません。正式な婚姻は幸滉さんが高校を卒業したあとです。それまでに解決策を見つけたいのです」
「いいぜ。なんとかしてやるよ。なあ狛左ちゃん。狛左ちゃーん? 聞いてるう?」
「……あ、ああ。そうだな。本人が望んでいないのだ。協力もやぶさかではない」
この時の安請け合いがここまで尾を引くとは、十瑪岐も椎衣も、そして佐知すら思っていなかったのだ。




