予想してない助っ人は
十月某日。花の金曜日。
兎二得学園高等部でついに文化祭の幕が上がった。
学び舎が祭りで賑わう非日常感は若者の気分を最高潮に盛り上げる。それはここ兎二得学園も同じ。はしゃいだ者勝ちとでも言うように、校内は明るい声で溢れていた。
校門からすぐ色とりどりの屋台テントが並び、それが校舎の向こうまで続いている。あちこちに掲示されているのは呼び込み用のポスターだ。
運動場には特設ステージが設けられ、有志によるステージパフォーマンスや、著名な芸能人によるトークショーが予定されていた。開演間際まで生徒達が設営に勤しんでいる。
兎二得学園の文化祭は膨大な予算と生徒たちの創意工夫によって、他に類を見ないほど彩り豊かだ。
本気の商業研究発表に取り組むクラスもあれば、集客実験に奇抜なメニューを売るクラス、あえて普通の模擬店や展示を行うクラスなど方向性は多岐に渡る。部活や同好会での出店も認められていて、とにかくにぎやかだった。
そんな人込みの中、十瑪岐は駆け寄って来る後輩を見つけて片手を上げた。
「よお莟、待ち合わせ時間ぴったりだなあ。逃げずに来るたあ見上げた律義さだ。オレなんかもう心臓バクバクで内臓の一つや二つえろっと吐き戻しそう☆ ……どうにか入らずに終えられねえかなあ」
「そんなことしたら鳴乍先輩、悲しみますよ」
「だぁからなけなしの根性を振り絞ってここに居るんだろおが。しっぽ撒いて逃げ出してないだけ褒めて欲しいくらいだぜ。つうかやけに上機嫌だなお前。なんかあったか? あ、まさかお化け屋敷とか平気なタイプ? この裏切り者めえ!」
「違います。ちゃんと怖いですよ。機嫌が良く見えるのは、さっきまでずっと漫研のお手伝いしてたからかもです。売り子って初めてしましたけど、けっこう楽しいものですね。ダウンロード販売のほうも近年稀に見るほど好調だって部長さん言ってましたし。頑張ってお手伝いした甲斐がありました。口コミが広まれば広まるほど、きっととめき先輩が有利になりますからね!」
「そこどおいう因果関係? 本の内容が気になるんだが」
「見ちゃ駄目です。わたしのすべてを賭けてでも、絶対に目に触れさせませんからね」
「ケチぃ」
「ケチじゃないです慈悲です。それよりとめき先輩は見ないうちに何かやつれたような」
莟が背伸びして十瑪岐の頭に触れようとする。腰をかがめて好きにさせると天パに手櫛を通された。乱れていたらしい。満足気な莟に、十瑪岐はため息をついてみせる。
「そりゃあずっとレッスン続きだからなあ」
「そんなんで明日の本番は大丈夫なんですか?」
「平気平気ぃ。放課後のリハーサル終わったらもう帰ってぐっすり寝るだけだし。さっきまで今日の分のレッスンやってきたからな。ていうか聞いてくれよお、クソほどスパルタなんだよあの二人ぃ!」
「二人? 飯開先生だけじゃなかったんですか?」
「それがよお」
第一校舎へ向かいながら、十瑪岐は子供のように頬を膨らませて愚痴り始めた。
◇ ◆ ◇
文化祭まで残り三日と迫った放課後のことだった。
今日も今日とて飯開の指導のもとレッスンに励む十瑪岐の前に、小柄が過ぎる女性が現れた。
扉を開けてひょいと顔を覗かせたのは、小学生のような見た目で片手にブランデーの瓶をぶら下げた矢ノ根涼葉だった。
「生徒会長? どおしてここに。もしかして激励にでも来てくれたんすか。あでも、生徒会長は特定の生徒に肩入れはしないんじゃなかったんですかあ?」
飼い主を出迎える大型犬のように駆け寄ると、涼葉は十瑪岐を見上げて優しく、そしてどこか艶やかに微笑む。
「もちろん、生徒会長はすべての生徒に平等に接するべきなのな。とはいえ君はあたしをいつも楽しませてくれる特別に可愛い後輩だ。少しくらい依怙贔屓しても罰は当たるまいよ」
「ええ~。超光栄ですう。そんで、なんの御用で?」
「用があるのはあたしじゃなくてね。あたしはただの付き添い。彼女を案内してきただけなのだよ」
涼葉が後ろに控えていた赤髪の少女を前に押し出す。十瑪岐はその人物に見覚えがあった。
「お前……生徒会の瓜生田先輩?」
首を傾げると、少女は親しげに微笑む。
「へぇ、知ってくれてたんだ。そのとおり、生徒会役員の瓜生田恵です。生徒会で一番影が薄い自覚ありだから知ってて貰えるのは素直に嬉しいぞ」
「どうして三年の女子生徒を」
飯開への罰則が一部緩和されたとはいえ、彼がしでかしたことは変わらない。彼と特に交流のあった三年生──その中でも女子生徒は飯開に接触しないよう厳しく対応がなされていたはずだ。
「あたしが許可したのな。彼女の切なるお願いのために」
涼葉が瓜生田の隣に立つ。そうすると身長差で姉妹のようだ。彫りが深く異国の血を感じさせる瓜生田の容姿は、幼さの強い涼葉とは似ても似つかないが。
「瓜生田君は本来、体育祭実行委員長をする予定だったのだよ」
「あぁ、急な入院で地獄を引き起こした奴って瓜生田先輩だったのか」
つい本音が出る。十瑪岐はやべっと口をつぐんだが、瓜生田は苦笑するだけだ。
「あはは……。弁解はしない。葛和君には私のいない体育祭で随分と働いてもらったらしいね」
「そりゃあオレも頑張りましたけどお。滅茶苦茶に走り回って仕事片付けて余計なお節介と根回しまでこなしましたけどお。体育祭の手伝いについちゃあ、主体は莟だ。礼を言うなら蕗谷莟に言ってやってくださいよお」
「そっちはもう行った。良いインスピレーションも頂いてある」
「?」
「飯開先生が上げてた君の練習動画、全部見させてもらったよ。最初に比べてずいぶん上手くなったじゃない」
「おう。もう通しで完璧にやれるぜ」
「で?」
「え?」
「まさかキミ、『完璧』ごときで満足してるわけじゃないよね?」
瓜生田の薄い笑みが急激に温度を変える。十瑪岐が思わず姿勢を正すと、瓜生田は彼を間近で見上げて暗い笑みを深めた。
「兎二得生は恵まれて育った子のほうが圧倒的に多い。上質なパフォーマンスなんて日常的に摂取している。簡単に言えば、目が肥えてるんだ。彼らにとって『完璧』なんて当然なもの。演目の前提に過ぎない。彼らが求めているのは、より深く、より味わい深い至高の芸術さ。君はそんな子たちの前でただ『完璧』なだけのモノを披露するつもりだったの? 突き抜けた才能も目を惹くカリスマも確かな実力もない、ただの端役が?」
「え、なにぃ? なんかすごい辛辣なんすけどこの人」
目線で涼葉に助けを求めるが彼女はすでに帰るところだった。交差する視線の向こうで含み笑いを残し、扉の向こうへと早々に消えてしまう。
これで味方はいなくなった。飯開は遠巻きに観察してくるだけで助けは期待できない。恐怖で顔を青ざめさせる十瑪岐に、瓜生田は冷笑を浴びせてくる。
「辛辣? 当たり前。だって私は、私の体育祭を蹂躙してくれやがったクソ野郎へお礼参りに来てるんだから」
「はひっ!?」
後退るたびに距離を詰められ、鏡面まで追い詰められた。瓜生田は凄みのある笑みのまま十瑪岐を睨めつけてくる。
十瑪岐は彼女の言葉を脳裏で繰り返す。体育祭を蹂躙? 自分が何をやったと────いや、心当たりが多すぎる。点数操作に番外競技、他にも表ざたになっていないだけで、舞台を整えるために色々とやらかしている。少なくとも瓜生田の想定していたものからは大いにかけ離れてしまったに違いない。
「体調を崩した私の責任とはいえ、まさか体育祭を私の手から完全に奪われて、個人の成長のためだけの舞台にされちゃうとは思わなかった。よりにもよって私の私による私のための舞台を、よくも」
「すみませんごめんなさいすんませんっ!!」
もはや平謝りするしかない。その場で土下座し許しを請う十瑪岐に、瓜生田はコロッと上機嫌になって鼻を鳴らした。
「まぁ、体育祭自体が平穏無事に終わったことは確かだから。私のストレス発散だけで済ませてやろうかな」
「はぇ?」
恩情か! と十瑪岐が顔を上げると、瓜生田は三歩下がって、その場で十瑪岐が躍るパートを軽くさらって見せた。動きは同じで派手でもないのに、自分を鏡で見ていたときとは別物に感じる。
瞬間、生徒会役員のプロフィールが十瑪岐の脳裏を駆け巡った。瓜生田の家系は代々芸術家を輩出している。彼女の両親も有名で、たしか激情的なバイオリニストとスパルタ舞台監督だったはず。
そして瓜生田恵も幼い頃から芸術に触れ、その才能を遺憾なく発揮していた。彼女の戦場は舞台の上。スポットライトを浴び観客を別世界へと誘う、海外からも注目を集める界隈で有名な舞台女優だった。
踊り終えた瓜生田は一挙手一投足まで気を配った動きで手を広げ、伏した十瑪岐を指差す。
「舞台とは感情によってのみ成り立つ。ただ筋書き通りに動けばいいってもんじゃない。心臓から指先まですべてに気持ちが乗っていて初めて、観客は我らに心を開く。葛和君の下手糞な立ち回りを見ていたら演者魂に火がついちゃったよ。これはもう適当なところで発散しとかないと劇団仲間に申し訳ない。というわけで。
本番まで残り四日は仕上げとして、思う存分キミに『完璧』以上のものを叩き込んであげるね。これが私からの《《お礼》》だ葛和十瑪岐君」
十瑪岐を見下ろすのは炎揺らめく興奮した瞳。
彼女に両親の性質が色濃く引き継がれていることは疑いの余地もない。




