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クズ男は誰の初恋でもない。はずだった  作者: まじりモコ
十二周目 クズの矜持
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普段使わない筋肉が悲鳴を上げてる


 葛和兄弟は放課後になると学園を出て、少し離れたダンス教室に向かうのがここ一週間の恒例であった。


 二人のためだけに貸し切られた鏡張りのレッスン室。その床にぜえぜえと息を切らして倒れ伏した弟と、それを涼しい顔で見下ろす兄の姿があった。


 二人をじっと観察していた飯開はんがいは、薄いため息をついて音楽を止めた。


「葛和兄はさすがに完璧だな。もう言うことがない。葛和弟は体中に無駄な力が入りすぎだ。コンクリの上に居ながら溺れてるつもりか君は。はい、五分休憩。さっさと回復しなさいクソガキ~」


 手を叩き、部屋から出て行ってしまう。幸滉はなんとか這いずって壁にもたれかかった十瑪岐へ、スポーツドリンクを差し出した。


 十瑪岐がひったくる勢いで受け取り半ばまで飲み干してしまう。幸滉は彼の隣に腰を下ろした。


「それにしても、よく飯開先生に話を付けられたね。わざわざ時間を割いて手ずからダンスの手ほどきなんて。どんな脅しをかけたのさ」


「逆だよ、逆。オレが足元見られてんのお。おかげで高額なお仕事の手引きさせられちゃったあ」


「えっ、それって……」


大丈夫だぁいじょうぶぅ☆ 紹介したのは労基には引っかからないホワイトな職場だからあ」


「労基以外のすべてにひっかかってそうな気配を感じたのは僕だけ……?」


「養育費たっくさん貢ぐために金がいるんだとお。つうかお前こそ、オレと一緒にステージに立つなんざ了承するとは思わなかったよ」


「先んじてあれだけ周知されてたら断れないだろ。本当に性格悪いよな十瑪岐は。新聞部の部長ともずいぶん懇意にしてるみたいじゃないか。それだけ協力を引き出せるなんて、何か密約でも交わしてるんじゃないの」


「そりゃあナイショに決まってんだろお? 女性と交わした秘密なら、たとえ愛しのお兄様相手でも教えられねえだろおよ」


 十瑪岐は大げさに言ってみせるが反応がない。会話が途切れてしまった。

 鏡越しに隣を窺い見る。幸滉は三角座りでうつむいていた。少年の周囲には薄く暗い空気が漂っている。


 こんな雰囲気の彼を見るのは、十瑪岐の両親が死んで以来だ。


 昔は時々こういう顔をすることがあった。嫌なことが抱えきれないくらい溜まると、榎本えのもとの家に逃げて来るのだ。そうして何を愚痴るでもなく、ただぼんやりと時間を無為に過ごしては、迎えに来た椎衣と共に帰っていく。それが数か月に一度くらいの頻度であったはずだ。


 いま思えばあれは、幸滉なりの甘えだったのかもしれない。


 十瑪岐は自分でも何を言うつもりなのか分からないまま口を開こうとして、突然顔を上げた幸滉にそれを遮られた。


「最近、椎衣の姿が見えないことが多い。十瑪岐は何か知ってるんじゃない?」


 目を合わせないまま問うてくる。十瑪岐は呆れか安堵か区別のつかない嘆息を漏らして、頭からタオルを被った。


「さあなぁ。今頃カルフォルニア辺りじゃねえ?」


「ふざけるなよ。これでも真剣に訊いてるつもりだ」


狛左こまざちゃんのことでオレが干渉できることはねえよ。特に今はな。狛左ちゃんの行動をオレらが制限していいわけがないし、邪魔していい道理もねえ」


 今度は十瑪岐が口を閉ざす。幸滉はまだ問い詰めたいようだったが、十瑪岐が本当に詳しくないことを感じ取ったのだろう、詮索をやめて十瑪岐のタオルを畳んだ。


「明日からは十瑪岐がマンツーマンでレッスンを受けなよ」


「はあ? サボる気かてめえ」


「フリも歌詞も全部覚えたしね。このまま続けても退屈なだけだ。せいぜい十瑪岐の分までクラスの研究発表に協力するつもりだよ」


「嫌味かよお兄様ぁ」


「そうだよ」


 疲労など欠片も感じさせない動きで立ち上がり、幸滉は意地悪い笑みを浮かべる。


「せいぜいじたばた足掻きなよ、葛和兄弟のクズのほう、なんでしょ?」


「……ずっと思ってんだけどさあ、オレがクズのほうならお前は何のほうなわけ?」


「………………な、なごむほう……?」


「言ってる自分が一番納得できてねえ顔になんの笑えるからやめろ?」



      ◇   ◆   ◇



 こうして指導がマンツーマンになったことで練習はさらに厳しさを増した。学校の休み時間のほとんどを机に突っ伏しって過ごす羽目になるほどに。


 とはいえ飯は食わねば体力も保たない。睡魔の誘惑に勝てない頭を腕にぐっと力を込めて持ち上げる。ふらりと起き上がった十瑪岐の前に、クラスメイトの女子生徒が立っていた。身体の前で小さな紙袋を握っている。その後ろには付き添いのように、あるいはボディーガードのように別の女子が佇んでいた。


「? なんか用かあ?」


 疲れているおかげで覇気のない声になった。聴く者によっては人当たりの良い優しい声音に聴こえただろう。少女もそのうちの一人だったようで、背中を押されるように腕を突き出す。


「トメキ君、あ、あの、これ。うちで作ってる、室内シューズの滑り止めスプレーっ」


「おう?」


「あのっ、練習……応援してるっ」


 顔を真っ赤にして紙袋を押し付けて来る。受け取った十瑪岐はようやく意味を理解して破顔した。


「え、なに、くれんの? ちょお助かるぅ。ありがと」


 気の抜けた笑みで礼を告げると、少女は顔をさらに赤くしてしまった。

 付き添いの女子生徒がなぜかぐっと親指を突き上げるので同じように応えておいた。周囲からもざわっとどよめきが起こる。


 練習で疲れ果てている十瑪岐は、普段と違って相手の弱味に付け込めるほど頭を回す余裕がない。すると目つきから険が消え、自然な表情になっていた。


 そういった偶然の重なりが髪型の変化も相まって、十瑪岐の印象を大きく変えた。別人を相手にしている気にさせて、十瑪岐を敬遠していた同級生たちが好意的な興味を持ち始めたのだ。


 貰ったスプレーの説明書きを目でなぞっていると、周りを男子に囲まれる。


「おい葛和、飯開はんがい先生のインスタ見てるぞ。苦手だったバックステップだいぶ上手くなってきてんじゃん」


「なにオレの醜態そんなに広まってのお? 素直に恥ずかしいんだが」


「いやすごいよ十瑪岐君。汗だくで倒れそうになってるのに『もういっちょお!』って練習続けるし。あれだけ熱心なら上達して当然だ」


「ええぇ、そんなとこまで撮られてたのかよ。くっそ飯開はんがいあの野郎ぉ」


「悪態つきながら、一緒にケーキ食べてたよね」


「実は普通に仲良いんじゃない?」


 いつの間にやら女子生徒も混ざっている。


 虐げられ慣れていない上流階級の人間というのは警戒心が薄いようで、黒い噂がある相手でも、交流してみて安全そうならこうして簡単に印象をひっくり返してしまう。


 何より十瑪岐の被害者は自業自得とも呼べる相手ばかりだ。彼らは声を大にすれば自身の悪行も語らねばならなくなるため、事件のほとんどは表沙汰にならない。十瑪岐が何かやらかしたという風聞はすぐ伝わるが、その詳細まで知っている者は学園でも数えるほど。


 心の底から十瑪岐の被害者を憐れんでいる者は少ない。そもそも相手を知らないからだ。だからクラスメイトにとって十瑪岐のやらかしはほとんどの場合、他人事なのだ。


 最も知られている飯開教諭の件も彼らの頭の中では解決済みの終わった事件と認識された今、十瑪岐の周囲にあったわだかまりは薄くなり始めていた。


 マイナス値だった好感度は反転し、ようやく人並みの数値に上がり始めている。それは見事にゲイン効果を発揮し、十瑪岐は一時的な支持を得ていた。


 そんな十瑪岐の様子を後方から流し見る少年が一人。


 いつもならとっくに椎衣と食堂へ向かっているか、お弁当を広げているはずなのに、今日は授業が終わった状態のままぼんやり停止している。


 理由はただ一つ。椎衣が昨日から休みだからだ。

 体調不良というわけではないらしいが、休みの理由は聞かされていない。

 ラインメッセージを入れても既読にすらならなかった。


「幸滉君、お昼食べないの?」


 たまに言葉を交わすクラスメイトに声をかけられ、幸滉は我に返った。


「あっ、ごめん。ちょっと心がカルフォルニアに」


「君たち兄弟って意外とお笑い枠だったの?」


 まさか、と笑う。

 椎衣の睨みがないせいで、教室の外には幸滉目当ての女子生徒が集まっている。これは食堂になど行ってられないなと、幸滉は昼食を諦めるのだった。



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