会議よ踊り狂え
ふかふかの絨毯に額をこすりつけているのは他でもない十瑪岐だ。
日本において最上級の誠意を表す体勢を、部屋の主は一顧だにせず一蹴した。
「君の土下座に何の恐縮も込められていないのは知っている。時間の無駄だ。さっさと顔を上げるのな」
少し鼻に籠るような、女性らしさのある低い声が降りる。言葉の温度は普段の彼女からすれば信じられないほどに冷たかった。
大窓を背にした高級感漂う両袖机の上で葉巻を切る音が鳴る。火を点けたのは小学校高学年程度にしか見えない寸胴体型の幼い少女。以前は髪をツインテールにしていたが今日は下ろしていた。
実年齢に相応しい気怠げでアンニュイな表情を浮かべ、生徒会長矢ノ根涼葉は闖入者をあしらう。
「十瑪岐君、話は分かったのな。けれどあたしがそれを許可するとでも?」
「だから伏してお願いしてるんですよお」
効果が無いと分かって十瑪岐はあっさり体勢を正座に変えた。媚びた笑みで手を擦り合わせる。
「この通りです。責任は取りますからあ」
「生徒の身を護る生徒会長として、その願いを叶えることはできない。何より、君がそれでいいのかい」
「これが最善なんです」
十瑪岐の表情はいつの間にか真剣なものになっていた。口調の間延びも抑えられ、ひたむきさが伝わるようだ。
涼葉は嘆息し、煙を窓の外へ吐く。
「何度でも言うのな。生徒会の役目は生徒の味方であること。生徒を脅かした者の手綱を弛めることはできない。たとえどれだけ、飯開元教諭が改心していたとしてもだ。そもそも彼は己を顧みるタイプではなかろう。学園に関わらせるなど言語道断。いまだに多くの生徒が彼を慕っているのだぞ」
言うべきことを告げ、厳しい視線を向ける。十瑪岐はそれを正面から受けとめ、眉尻に力を込めた。
「あんたの立場は理解してます。だからオレは卑怯な手も使う」
立ち上がり、机に近づいていく。目の前まで来て、座った生徒会長を見下ろして不敵に笑う。
「飯開を追放した功績によって得た、生徒会長の力を借りる権利、ここで使わせてください」
十瑪岐が体育祭の賭けで発生した生徒会にお願いする権利を自分のために使わなかったのには理由がある。
そんな必要はなかったのだ。
十瑪岐はその権利をとっくの昔に手に入れていたのだから。
飯開教諭の悪行を暴く手伝いをし、自ら悪役を買って出た十瑪岐は、涼葉に一つの約束を取り付けていた。
「……本当にいいのな」
「オレにとっちゃあラスボス戦だ。出し惜しみはしてられねえんすよ」
「だがこの権利は、幸滉君を生徒会長に推薦させるために得たと言っていなかったかい」
兎二得学園高等部の生徒会役員は代々、前任者からの推薦で選ばれる。特に生徒会長による時期生徒会長の推薦はただの役員のものと違って選出された者に拒否権がない。
生徒会長の一声は、強制的に生徒会長の重荷を背負わせる。
高等部になった幸滉はさっそく役員からの推薦があった。中等部で生徒会長だったのだから順当な選出だ。
だが彼は断ってしまった。
自身には相応しい価値があるのに。あっさり捨ててしまう。やれば何でもできるのに、できる能力があるのに、何事にも打ち込まず適度にやり過ごしてしまう幸滉が、十瑪岐は大嫌いだった。
「勝負に勝てれば、んな嫌がらせする必要もなくなるからなあ」
「なるほど。何やら心境の変化があったらしい」
涼葉は愉快だと言いたげに微笑んで葉巻を灰皿に置いた。
「生徒会長の立場からすれば、それでも拒否しなくてはならないのだがね。残念なことにあたし個人は十瑪岐君のことを気に入ってしまっている。君がどんな騒ぎを起こすか期待してしまっている自分がいるのだよ」
「じゃあ……!」
注がれる期待の視線に、涼葉は大人びた笑みで応える。
「要求を呑むのな。飯開氏に設けていた学園への接触禁止令を一部緩和しよう」
「よっしゃあー!」
十瑪岐が無邪気にバンザイする。涼葉は微笑ましくなってちょっとつついてみることにした。
「それにしても、宿敵と呼べる相手に協力を求めようなんて。どれだけ追い詰められてるのだよ」
十瑪岐の動きがぴたりと止まる。みるみるうちにテンションが下がっていき、終いには肩を震わせ今にも泣きそうな顔で悔しげに唇を噛んだ。
「オレ……頑張ったんすけどっ…………やっぱり上手く……踊れなくってえ!」
「…………うん?」
「ステージでオレぇ、歌って踊らにゃならんのです。だから飯開の力を借りたくてえ」
「んんん?」
訳が分からない。涼葉はクエスチョンマークを量産させ、思考の一部を放棄するのであった。
◇ ◆ ◇
時間は遡り、プリコン対策会議。
場の主導権はすっかり由利が握っていた。
「飯開先生の件が解決したって、それは心理的な壁を取っ払ったにすぎません。あくまで『論外』から選択肢の一つに返り咲けるかもってだけで」
「オレ今のとこ論外なのお? 知ってたけど」
「私の会社はたまに炎上商法にも手を出します。けどあれも注目を集める手段としてであって、人気を得るっていう側面からじゃ上策とは言えないんですよね〜。ていうか『葛和十瑪岐』の好感度が低いことは変わらないし、もちろんこんな短期間じゃ変えようがない。そこに労力を割くのは時間の無駄かと」
「莟ぃ、お前の友達ってわりとズバッと言うのなあ。類友?」
「え、わたしこんな切れ味持ち合わせてます?」
「自覚ねえの? お前わりと辛辣だからな」
横のほうでひそひそ無駄話をする十瑪岐たちをよそに、由利はにんまり笑顔で自信ありげに切り出した。
「そこで、私に一つの提案があります。悪評を逆手に取りましょう。みなさんゲイン・ロス効果ってご存知ですか? 言うなればギャップ萌え。雨の日に捨て犬を拾うヤンキー理論です。元の印象が悪いことは変えられない。けどそれを基点に好意を錯覚させることは可能なんですよねこれが」
ゲイン・ロス効果は、言うなれば好感度のふり幅による錯覚のことだ。
元から好意的だった相手の良い面を見ても意外性はない。好感度が一から三に変わるようなものだ。一方、マイナス印象だった人間の良い面を知って印象がプラス三に上昇したとする。
こうなると好感度の到達点はさっきと同じでも、後者のほうが振れ幅が大きい分、好意が強く感じられるのだ。これをゲイン効果と呼び、この反対の現象をロス効果と呼ぶ。
理論をなんとなく理解して、莟はふと思う。
(とめき先輩たちの最初の計画もそんな感じだったような)
あの計画では加害者である十瑪岐を被害者に仕立て上げることで、王子様の名声を地に落とそうとしていた。まさしくゲインとロスの両方だ。
元の好感度が低すぎるから、高すぎるからこそ、成り立つ戦略。あれも根拠のない策ではなかったのだ。
「そういえば、狛左先輩は来てくれないんですか?」
十瑪岐に小声で尋ねると、少年は頭を振る。
「狛左ちゃんには別にやることがあるからなあ。こうなった以上はそっち優先してもらわねえとだから、助力は期待できねえよ」
「? 他にやること?」
「お前が心配することじゃねえ。あれは信頼されてる狛左ちゃんにしかできねえことだからな。こっちはこっちでやるしかねえんだわ」
十瑪岐は耳飾りを撫でながら、遠い目をして話を打ち切ってしまう。どうやら詳しく説明する気はないようだ。
そうやって二人が別のことに気を取られている間にも、会議は着々と進んでいた。
由利が目を輝かせて鼻息を荒くする。
「というわけで、十瑪岐先輩には余計なことをさせずに、ひたすら歌って踊っててもらいましょう!」
「「どういうわけ!?」」
話に置いていかれた二人だけが驚愕の声を上げるのだった。




