唸れ! 信念のクロスカウンター!
いつも昼食に使っていた空き教室。莟はそのベランダに隠れていた。中では後から来た十瑪岐が椎衣と密談を交わしている。莟は緊張して、聴こえてくる声に耳をそばだてた。
「んじゃあ、成功ってことかあ」
「ああ上手く誘いを引き出せたそうだ。ご両親と共に来場予定と聞いている」
「一番の懸念は解決。お膳立ては十分だなあ」
(なんの話をしてるんだろ)
筋が見えてこない。だがどうやら、学外の第三者が関わっているのは確かなようだ。
「まいど連絡役してもらって悪いなあ。オレと彼女が一緒に居るとこあんま作るわけにゃいかねえからよお」
「そこは重々承知している。必要なことであれば協力すると言っているだろう」
「ありがと狛左ちゃん♡ んでえ? もう一回計画を確認したいってぇどういう風の吹き回しい? 話をするのも嫌がってたよなあ」
「…………順調に進んでいる今だからこそ、改めて確認作業を行うのは互いにとって重要だ」
口ごもったのは一瞬で、椎衣はすぐに真面目な口調でそう返した。
(もしかして、わたしに聞かせるため?)
十瑪岐は椎衣の思惑に気づかず、彼女が計画と向き合っている証明とでも思ったのだろう。弾んだ調子で頷く気配がする。
「おっけえ。んじゃまず目的と過程とゴールを分けて見てこっか。
一つめ、目的は幸滉の本音を引き出すこと。
二つめ、ゴールは葛和の跡取りの座をオレが幸滉から奪うこと」
「それが幸滉様が今まで築き上げてこられたものを壊し尽くす最速最短の方法だからな。幸滉様からすべてを剥奪し、裸になったあの方に残った本心を抉り出す」
「そ。それが狛左ちゃんの役目ねえ。そこまではオレがどおにか持っていってやる。そういう約束だもんなあ共犯者ぁ?」
挑発するような声音に椎衣は沈黙を守る。それで生まれたやりとりの間隙で、莟は思考をまとめた。
つまり結局は、幸滉先輩のためなのか、と。
幸滉から本音を聞くためにだけ、この二人はずっと前から何か大掛かりな準備をしていたのだ。その手段が、幸滉から『葛和』という重圧を取り除くこと。なるほど背負っているものを降ろせば頑なな彼もほろりと本心を告げるかもしれない。
しかしどうやって、という疑問も浮かぶ。
幸滉が跡目になるのは、多くの社員も望んでいることだと聞いている。一方で十瑪岐の評判はまちまちだ。
十瑪岐の悪評は主に学園内でのもの。葛和の関連会社にも話は漏れ聴こえてはいるものの、あくまで噂程度の強度らしい。どちらにせよ、十瑪岐が次の社長や重役に収まると考えている者はほとんどいない。
そこに幸滉と十瑪岐の意思は関係ないのだ。たとえ幸滉自身から跡目を十瑪岐に譲ると公言しても反発があるだろう。現行の会社が権力ではなく信頼によって運営される以上、発言者が現代表取締役に代わっても同じだ。平穏無事にとはいくまい。
彼らの後ろにある社会というものは、それだけ複雑なのだ。
「んで三つめ。一番重要な過程だがあ、それは幸滉を徹底的に追い詰めることだ。これが今進めてる計画の核なあ。決行は今年の文化祭。普段よりよっぽど衆目があるし、混沌としてるから工作もしやすいからなあ。何よりこの件は卒業まで持ち越せねえ。今年やっちまうほうがいいだろう。文化祭に幸滉の婚約者とその両親を呼ぶのは目撃者兼証人にするため。そんで婚約を白紙にさせ後ろ盾を消すためだ」
十瑪岐がイヤーカフを弾く金属音が静かな教室に響く。
「事象がすべて文化祭のステージに集約するようオレが誘導する。言うなりゃあ公開処刑だ。まぁ冤罪だが、吊し上げは容疑者が不利になるようにできててお手軽だよなあ。
幸滉を今までオレがやってきた悪事の黒幕に仕立て上げる。幸滉の評判を底辺まで堕としてえ、代わりにオレが同情を得る寸法だあ」
「そのために、幸滉様を信望し、なおかつお前と険悪な仲だと周知されているボクの証言が必要になる」
「おう、狛左ちゃんが幸滉第一主義なのは学園中に知られてる事実だからなあ。その狛左ちゃんが泣きながら幸滉を糾弾し、オレの味方に回ればあ、いかに盲目的な生徒だろうと心内に疑いが生じる。そこにオレが今までちょっとずつ仕込んできたことの証拠を分かりやすくバラ撒けばあ、みんな真相知りたさに食いつくはずさあ。サクラも十分用意してるしなあ。この時のために、オレが表立って動くときには必ず幸滉を関わらせてたんだから」
(…………そうか)
湧き立つ心中と裏腹に、莟の内心で合点がいった。
葛和兄弟と関わっているとよく耳にする話だ。十瑪岐が悪事を働くと、そこに幸滉が颯爽と現れて被害者へ手を差し伸べるのだ。幸滉が『王子』と祭り上げられる要因の一つでもある。特に救われた女子生徒は彼の中性的な容姿も相まって確実に信者になるのだ。
やり過ぎた事案はそうやって幸滉にフォローを入れてもらっているのだと、今までの莟は認識していた。
十瑪岐が進めているのはその行動を裏返す策。
幸滉が『学園の王子様』の地位を得るために十瑪岐を利用していたと印象付けるつもりなのだ。
そんなこと上手く行くだろうか。いや、十瑪岐がやるのだ。おそらくすでに根回しは済んでいる。あとは、導火線に火を点けてやるだけで、ことは進む。
(でも、その方法じゃ──)
「こっちの仕込みは順調。狛左ちゃん、幸滉を裏切る覚悟決まったあ?」
「覚悟など、とうの昔に固まっている。どれだけ彼を傷つけようと必ず成功させるのみだ」
言質を取って逃げ道を潰すような重々しい応酬。莟はいよいよ耐えきれずに身を現した。
「待ってください!」
勢いよく扉を滑らせ教室に飛び込む。
目を丸くした十瑪岐と視線が合った。彼の顔が瞬時に苦々しいものへと変貌する。
「莟、なんで……。おい狛左ちゃん、これはどおいうことだ。どうして莟がここにいる。さっきのはこいつに聞かせるためか」
「計画の存在がバレていたのでな。下手に暴かれるよりも、教えて判断を促すべきだと思ったのだ」
「チッ」
白々しい空気を切り裂く大きい舌打ちで、十瑪岐は怒気の籠った視線を莟へ投げかける。
「莟お前、待てっつったなあ。今のを聞いて、お前はなにか口出しするつもりなのかあ?」
「そりゃ出しますよ。だって、そのやり方じゃ、お二人は絶対に幸滉先輩に嫌われるでしょう」
「だから?」
言葉は冷たく端的だった。いつもは彼の瞳ににじんでいる友好が今は欠片も感じ取れなくて、莟はどこか焦燥感にも似た衝動に突き動かされる。
ここで引いては、取り返しのつかないことになる気がして。
「家族でしょう。他人と違って、自分の世界から追い出して『はい終わり』じゃないんですよ? 縁は一生、続くんです。さっき言ってたことを実行したら絶対に溝になる。後悔しますよ!」
「だから? って。もっかい言ったほうがいいかあ? こんなんいつもやってる事だろお。なんで今回に限ってそんな突っかかってくんだよ」
「あなたが幸せにならないって言ってるんですよ!」
震える手のひらを握りしめて誤魔化して、無理に大きな声を出す。驚きでひるんだ十瑪岐に畳みかける。
「今までのは、絶対に気持ち的にも利益がありました。嫌な思いで終わったりしなかった。とめき先輩か、もしくはその身内のためでしたもん。わたしのときだって──っ」
助けてくれたのにと言いそうになって、言葉を切る。
出しそうになった甘えを呑み込んで莟は目前に立つ少年へと向き合った。
「幸滉先輩の落ちた評判を取り返す算段は」
「んな都合のいいもんあるわけねえだろ」
「あなたたちの関係性を修復する目途は」
「さあ、幸滉次第じゃねえ?」
「──っ、これは誰が得をするための計画ですか」
「オレが葛和を手に入れてハッピーじゃ駄目なわけえ」
「それが本当にあなたの望みだって思えないから言ってるんですよ!」
それはゴールだと説明したのは十瑪岐だ。
葛和での地位を奪うことは落としどころであって、求めた成果ではないはずだ。
自分がゴールするためではなく、タイムを縮めるために走るように。
「そのやり方じゃとめき先輩はお兄さんに嫌われちゃう。それじゃ幸せになれない。家族は大事じゃないんですか!? あなたにとって簡単に切り捨てていいものじゃないはずでしょう!」
だが、望んだ返答はない。十瑪岐は白けたように黙って莟を見つめている。
あれは覚悟が決まってしまった目だ。覚悟が決まって、イッてしまった目だ。
何を言っても彼の心に響くことはないと理解する。莟はそれでも唇を噛んで、十瑪岐を睨み上げた。
「こんなの駄目です。止めます」
「どうやって?」
嘲る低い声音に、莟は声の温度を落とす。言葉が届かないなら説得の方法を変えるだけだ。
「殴ってでもを、文字通りに」
「は? いや待て──」
踏み込みは一瞬。次の瞬間には莟の拳が十瑪岐の右頬に突き刺さっていた。
吹き飛んだ十瑪岐が机を巻き込んで床に倒れる。瞬間、弾かれる勢いで起き上がった十瑪岐の顔は怒りで真っ赤になっていた。
「こぉんの脳筋女ァ!! 殴りゃあオレが屈すると思ってんのか!」
「思ってませんよ。さっさと立ってください。とめき先輩が言ったんですよ。暴力もコミュニケーションだって」
「いい度胸じゃねえかあ。女だからってオレが手加減する奴に見えてんのかあ?」
「そんな幻覚患ってませんよ。性別を言い訳に泣き言で済まされなくてよかったです」
「もう勝った気でいるんじゃねえよ怪我人がよお」
「素人相手に良いハンデですよ。いいからさっさとかかって来い。口だけ達者でやり過ごすおつもりですか腰抜け」
「ああ?」
互いに深い青筋を浮かべてガンを飛ばす。激昂で今にも頭の血管がぶち切れそうだ。一触即発の空気が限界まで高まって────弾けた。
同時に踏み込む。互いの拳が交差する。喰らった攻勢を倍にして返さんと雄叫びを上げる。
まさかと目を疑うような本気の殴り合いが始まった。
「…………はぁ。なんでもいいから早く終わらせてくれ」
完全に蚊帳の外な椎衣はため息をついて、机や椅子が吹き飛ばないよう教室の隅に移動させるのだった。




