出縄早紀の入浴 その1
「おそいですよー」
隣人の第一声だ。
時計の針は二十時をさしていた。
「ディナーだから六時くらいに迎えに来てくれると思ってましたよー」
六時というとユウキとケーキを食らっていた時間だ。
「根坂間さん。お腹すきました。早くご飯連れてってください」
なんか朝会った時よりウザくて面倒くさい感じの人になってる気がする。
「すみません。仕事が長引いてしまって。お詫びに今夜はごちそうさせて下さい」
「そういう事なら許してあげます」
少し怒った様な表情をしているが、それすらもかわいく見える。
「では行きましょうか。こんな時間になってしまったのでファミレスでいいでしょうか?」
「根坂間さんにお任せします」
ニッコリ笑顔。いちいちかわいいのだけれども、これが噂の『あざとい女』というやつだろうか。
アパートから徒歩三分のところにファミレスがある。
三人は横一列で並んで歩いた。側から見たら完全に親子三人だ。
「ねぇねぇ、おねえちゃんの名前って何ていうの?」
そういえば自分も彼女の名前を知らない。
「私は早紀、出縄早紀っていうのよ」
「早紀おねーちゃん!」
「なーにユウキくん?」
「薬師おにーちゃんって性格が表裏激しいけど、本当はすごくいい人なんだよ。だから早紀おねーちゃんが何か困った事があったら薬師おにーちゃんに言って助けてもらってね」
何を言ってるんだ。
裏表って……
見透かされている?まさかな。
ユウキも含め、会う人間すべてに通常通りの対応をしている。あまり深く考えない子供には本心が見えてしまうのだろうか。
「そうですよ。何かあったらいつでも呼んでくださいね。壁叩いてもらえたらすぐ駆けつけますから」
軽く冗談を入れた社交辞令を出縄早紀に使っておく。
「ありがとうございます。壁をドンドンすればいいんですネ」
本気にされた。
「さすが薬師おにーちゃん優しいね」
この小学生もどこまでが本気かわからなくなってきた。
それはそうと目的地が見えてきた。
この辺りは住宅街であまり商店がない。特にこの時間になるとスーパーマーケットも閉店してしまうのでこのファミレスが食料調達の生命線になる。
コンビニという便利な文明くらいほしいものだ。
「夕飯時からはずれたので余裕で入れそうですネ」
出縄早紀が意地悪な微笑みでこちらに視線を投げかけてきた。
迎えに行く時間が遅くなった事をネタにしているに違いない。
入口の扉を開け、二人を先に店内に入れる。
ユウキの件があるので、スタッフの案内より先に店内の一番奥の目立たない席に二人を誘導する。
「薬師さんジェントルマンさんですね。さすがですネ」
席に誘導した事をエスコートと勘違いしたようである。
予想通り夕飯ピークを過ぎて店内は比較的空いていた。
「薬師さん、ほんとに食べないんですか?私は遠慮とかしませんよ」
ビーフシチューを口に運びながら話しかけてきた。その横ではユウキが同じものを同じ様にスプーンを口に運んでいる。
まるで親子な光景だ。
「そういえば出縄さんはお風呂とかどおする予定ですか?あの部屋シャワーすらないじゃないですか。僕は近所にある銭湯使ってるんですが」
ある思惑から用意していた質問を投げかけた。
「えっ、お風呂ですか?えーと……」
何か引っかかる事があるのか言いよどんだ。
「……私ですね……知らない人と一緒にお風呂とか駄目なんです。だから銭湯とか行けないのでネットカフェとかスポーツジムのシャワー使おうと思ってます。だから昨日スポーツジムに入会してきましたよ。カラダも鍛えられて一石二鳥ってやつですネ」
シャワー使う為にジムに入会とかなかなかすごい人だ。
「あっ!根坂間さん私のシャワーシーンとか気になっちゃいました?まだ駄目ですよ。お付き合いし始めたら一緒にお風呂入ってあげてもいいですヨ」
冗談とはいえ、この笑顔にこの台詞の破壊力はよろしくない。普通の男なら確実にマジ恋が出来上がっている。
「いや、そうじゃなくて。ユウキをお風呂に入れてほしいのです。僕仕事で遅くなる事多くて。そうなるとこの子をお風呂に連れて行けないから出縄さんさえ良ければユウキを預かっていただきたくて」
「……私のシャワーシーンの下りはスルーですか。まぁいいです。そうですね……一緒にというかシャワーの時に一緒についていてあげる事はできますよ。私がしてる間だけユウキ君には待ってもらわないといけませんけど」
シャワーの話を華麗にスルーされて不満な様だ。
「ありがとうございます。本当に助かります。毎日ではないのですがお願いするかもしれません。その時はお礼もいたしますので。よろしくお願いします」
助かった。毎日ユウキの世話をするのはさすがに無理だ。
しかし、ユウキを預けるにあたって一つ彼女に話さなければいけない事がある。カラダにあるいくつものアザの事だ。
親戚の子という設定にはするが虐待があるかもしれないという事は正直に話す事にした。