番外編 水道真琴の初恋 その1
前回の水道真琴の人物紹介にあった、牛丼屋さんのお話です。
読んでいただき感想いただけたら嬉しいです。
よろしくお願いします。
目の前にオレンジ色の看板がある。
「ついにこの日がきたのね」
緊張の為か考えていた事が言葉に出ていた。
腕時計の針はお昼の十二時五分を指していた。
まわりを見るとお昼休みの男女が右に左に通り過ぎていく。
ほとんどの人が昼食をとる為の移動に違いない。そういう私も同じ立場の人間だ。
すぐ横をスーツ姿の男が通り過ぎた。一切の迷いもなくオレンジ色の看板の店に入っていく。
『牛丼の吉田屋』
オレンジ色に黒い文字でデカデカと書かれている。
そう。私は牛丼を食べに来た。
生まれてはじめての牛丼。処女牛丼と言うべきかしら。
日本屈指の巨大財閥令嬢として生を受けた私、水道真琴は牛丼という料理を食べた事がない。噂によると、いつも自宅で食べている「すき焼き」をリーズナブルな価格で調理したものを白米の上に盛り付けて食べるというものらしい。
自宅で働いているお抱えの料理長にまったく同じものを作ってほしいとお願いした事がある。
「ははは、お嬢様も冗談をおっしゃるのですね。ここにある材料でつくれるはずないじゃないですか。お嬢様がおっしゃる牛丼というのはジョンソンが食べているゴハンと同じくらいのコストですよ」
ちなみにジョンソンとは私の飼っている犬の名前だ。
「それにそんなものを作って食卓に出した日には私どもは全員解雇されてしまいます」
本気でお願いしたのに笑われてしまった。
私のすべての食を管理する料理長に断られてしまったいま、残る手段は自力で食べに行くしかない。執事やメイドから情報を収集。綿密な計画を練り、ついに決行日である今日をむかえたのだ。
私が牛丼という料理を知り、そして食べよう思ったきっかけがある。それは職場の上司がお昼に食べているのを見た事だ。
ご飯が入っている容器の中は見えなかったが、とても美味しいそうな匂いがエアコンの風で流れてきた。甘いお醤油の香りが食欲をそそる。たしかに噂の通り『すき焼き』の香りに似ている。
まぁ強いて違いを述べるのであれば、自宅で食べているものよりお醤油の匂いが強い事くらいだろうか。
きっと味付けが濃口なのかもしれない。
観察を続ける。
その上司は牛丼が入っていると思われる容器を口に近づけ、一気にかきこむ。
いつもなら行儀が悪いと思うところだが、その時は美味しそうに食べていて、ちょっとだけ羨ましいと感じた。
それにしても……
何これ、入りづらいんですけど。店内を観察すると男性客しかいない。
女子は入れない結界でも張ってあるんですか?一歩でも踏み込むと私死んじゃうの?
それとも、ここのお店は男性専用で女性専用店舗とかあるわけ?
「あっ、水道先輩じゃないですか。そんな所に立ちつくしてどうしたんですか?」
突然うしろから声をかけられた。知っている声だ。
まさかこんなところで知り合いに会うなんて。
「あら、根坂間くんじゃない。もしかしてお昼ご飯かしら?」
根坂間薬師。
先月入ってきた新人。
誰にでも愛想よく同調し、自ら進んで仕事に取組む優等生的な振舞いで皆からの評価は高い。
でも私は彼の本性を知っている。
根坂間薬師は八方美人なのだ。しかも意識的に八方美人を使いこなしている。
そう、彼は表向きは社交的な人間を装っているが、本当の姿は面倒な人付き合いを嫌う内向ぎみな性格なのだ。
嘘をつく人間はたくさんいるが、彼ほど嘘で自分を塗り固めた人間は珍しい。
どんな理由があるかまではわからないけど私の好まない人種であるのはたしかだ。
「水道先輩もお昼ご飯ですか?もしかして牛丼ですか?先輩みたいな美人さんでも、こういうお店に行くんですね」
「『も』って事は根坂間くんも牛丼屋さん?よかったら一緒にどうかしら」
「……先輩から誘ってくれるなんて嬉しいです。いつも一人でご飯なんで、ちょっと寂しかったんですよ」
嘘おっしゃい。その変な『間』は何かしら。どうせ心の中では、
『うわぁ……なんで誘ってくるかな。昼休憩くらい一人で過ごしたいんですけど。いくら美人だからって誘ったら誰でも喜んでついてくると思っているのかっつーの』
とか考えているに違いない。
だけどね、せっかくだからあなたのこと利用させてもらうわ。女の子一人じゃ入りづらいこの牛丼屋さんも仕事の同僚とランチならば自然に入ることができる。偶然とはいえラッキーイベントに感謝しなくてはね。
「さぁ、根坂間くん。お昼休みにも限りがあるのだから早くお昼ごはん済ませてしまいましょう」
紳士がエスコートするかの様に根坂間薬師を入口に誘導する。
初心者の私にはお手本となるものが必要た。
彼を先に店内に入れる事で牛丼屋での立ち振る舞いを参考にできる。
「ありがとうございます。ではお先に」
根坂間薬師が扉を押して中に入っていく。
(ふーん。今時自動ドアじゃないのね)
じっくり観察しながら後をついて行く。
さて、最初にすべき事は券売機で食券を購入するのよね。ちゃんと予習してきたんだから。
……えっ?根坂間薬師。なぜいきなり席に向かうの?
「せんぱーい。こっち席空いてますよー」
根坂間薬師がこちらに向かって手を振っている。
あれ?食券は?そういえば券売機が見当たらない。メイ子ってば話が全然違うじゃない。ちなみにメイ子っていうのはウチで雇っているメイドの女の子の事だ。
「あ、ありがとう根坂間くん」
ちょっとだけ意表をつかれた。でも大丈夫よ。沈着冷静な私はすぐに立ち直る。
根坂間薬師の左隣のカウンター席に座る。目の前にはお醤油のボトルや謎の容器が並んでいた。その横にメニューがたてかけてある。
なるほど。ここのお店は食券ではなく直接オーダーするシステムなのね。
メニューを開く。
まぁ、今回は牛丼が目的だからオーダーするものは決まっている。とりあえず普通の牛丼でいいわよね。いろいろな種類の牛丼があるけど、こんなにバリエーション必要なのかしら。このお好み焼き牛丼ってのが一番意味が分からない。いくら期間限定の商品がほしいとしても迷走しすぎではないかしら。二つの違う料理を合体させようとすると概ね失敗する。もし、ここのお店がウチのグループのお店だったら直ちにメニューから削除する。
「いらっしゃいませ。ご注文お伺いします」
カウンター越しにお店のスタッフが注文をとりにきた。
「じゃあ牛丼を一つお願いします」
私は迷うこともなく冷静に牛丼を注文する。これなら誰も私を初心者とは思わない。いや、むしろこの華麗なオーダーは牛丼屋上級者にも匹敵するかもしれない。
「牛丼ですね?牛丼のどれにしますか?」
どれとは?私は普通の牛丼を頼んだつもりなんですが何か間違えたの?
「じゃあ彼と同じのをお願いします」
となりの根坂間薬師と同じものをオーダーする。
彼が普通の牛丼を注文したことは先程確認している。
「えっ……あっ、かしこまりました。少々お待ち下さい」
何?今の一瞬の間は。私何か変だった?
「先輩ってそんなに食べる様に見えないのにすごいですね。僕、たくさん食べる女性って魅力的で素敵だと思います」
この男はまた心にもない事を。
それよりも……根坂間薬師、その芝居じみた台詞はどういう意味?たくさんって事は量的に多いという事なの?あなたも大食いみたいには全然見えないじゃない。まぁ、量が多めと言っても食べれないほどではないでしょう。あなたのような細身体型の人間でも完食できるレベルなら私でも大丈夫です。
まぁ、お料理がくるまでまわりを観察して牛丼の食べ方を予習しておきま……
「はぁい!お待たせしました。牛丼スーパーキングサイズです!」
はやっ!体感的に五秒で出てきたのですが。
あっ、湯気で丼ぶりが見えない。でもこの香り……
わかる!美味しいのがわかる!
お醤油とお肉から滲み出た脂が混ざり合い食欲をそそる。たまねぎの甘い香りがお肉を引き立てる!
私……こんなのはじめて!
あっ!湯気が晴れて、黄金に輝く牛肉が姿をあらわす。
えっ?何これ?量が……
牛丼ってみんなでシェアするものなの?
どんぶりが大き……すぎる。
お肉が……お米が……まさか、こんなにたくさんの量、ひとりで食べるわけじゃないわよね?
左隣のお客さんを、横目で確認する。
ふ、普通……
私が知っている食器の大きさのどんぶりだ。
「ちょっと!根坂間くん、あなたと同じもの頼んだら大量の牛丼がでてきたのですが……」
右隣にいる根坂間薬師の方を見る。
「あっ……」
そこには自分の前にあるどんぶりと同じものを掴み、ツユの染みた美味しい色をしたお米をかきこんでいる後輩がいた。
「先輩、温かいうちに食べた方が美味しいですよ。ほら、時間経っちゃうとお米がツユ吸っちゃいますから。まぁ、それが好きだって人もいますが」
「わ、わかったわ。では……あらためて。いただきます」
牛さん達に感謝の意をこめ両手を合わせる。
「いただきます」
記念すべき一口目はやはり牛肉。
ぱくり
……いつも食べているお肉と全然違う。このポロポロ崩れているお肉。薄く、細々しているから味が染み込みこんで、この濃い味が生まれるのね。それに何故か虹色に輝いているお肉。これは味に関係しているのかしら。もしかして希少部位かもしれない。
そして、このタマネギ。長時間煮込んでいるのか味がよく染み込んでいて、噛むとすごく甘い。いつも食べているすき焼きにはタマネギなんて入っていないから、とても新鮮だわ。
濃い味を食べていると次はやはり白いごはんよね。ツユのかかっていない部分を口に運ぶ。
うん!美味しい!
しかもどんぶりの底の方からお米をかき出すとツユに浸ったコンデションのお米が。この味ならお肉なしでもいけてしまう気がする。
うーん……どうしよう。会社で所長がやっていた様にどんぶりから直にお米をかき込みたい。でもマナー的にどうなのかしら。自宅でやろうものならお説教からのマナー講座になってしまう。
根坂間薬師、あなたはどうなの?男の子だからやっぱりガツガツいきたいわよね?よね?
視線だけを右隣の根坂間薬師の方に向け様子を伺う。
えっ?何それ?赤いんですけど。
先ほどまでお醤油色の美しかったどんぶりが、今は真っ赤な尋常じゃないカラーリングに変化している。
何なの根坂間薬師。その赤い輪ゴムの様な物体は。
「あっ、先輩。先輩はコレ反対派ですか?でもコレで味変すると口の中リセットされていいですよ」
視線に気づいた根坂間薬師が銀色の金属の入れ物をこちらに差し出してきた。
その銀色の入れ物のフタをあける。その中には真っ赤な色をした輪ゴム……違う。これはしょうが?この香りは紅しょうがだわ。私の知っている紅しょうがはここまで凄まじい色はしていないけど間違いなくしょうがだ。
「先輩は紅しょうが好きですか?ぼくは必ずやるんです。まぁ、これってマナー違反とか調理してくれた人に失礼とかって批判されたりするんですが美味しいからやめられないんですよね」
根坂間薬師のどんぶりを見ると、牛肉が見えないくらいに紅しょうがが乗っかっている。『紅しょうが丼』と言っても過言ではない。
紅しょうが丼とまではいかないけど少し試してみようかしら。
銀の容器の蓋をあける。
中には紅しょうが山盛りで入っている。その紅しょうがには小さなトングが突き刺さっていた。トングを使い、牛肉の上に紅しょうがをのせる。
わりと多めにとったつもりだったが、どんぶりが大きすぎる為、少量に見える。
牛肉の温度で温められた紅しょうがの香りが鼻腔を刺激する。酸っぱい香りと牛丼のお醤油の香りがミックスされてさらに食欲を増進させる。
お肉と紅しょうがを一緒にほおばる。
おいしい!
想像以上にあう。
紅しょうがのシャキシャキが心地良い。これまで食べ進めてきた味覚がリセットされる。
再び最初の一歩から挑ませてくれるこの刺激。
これなら私はまだまだ闘える。
根坂間薬師。ただの事なかれ主義の八方美人かと思っていたけど少しだけ見直したわ。あなたから学ぶものがあるとはね。ありがとう。




