表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

仮面の女神

作者: 此花咲耶

1人の男を取り合った姉妹、相克の刻を経て、互いの傷を知り、愛に目覚めていく。

瑞穂は恋人を奪った、由希を許すことはできなかったがそれ以上に自分を愛していながら大事な妹を傷つけたのが許せなかった。

仮面の女神

あたしはきっと病気なんだろう。由希はハンドルを握りながら心の中で呟いた。姉からのLINEは全部無視、電話も無視。そんな状態が2年ほど続いていた、ラインの内容はわかってる姉の瑞穂がまたネチネチと嫌味と恨みを書いているに違いないのだ。

由希は、洗車機に入った車の中できつくハンドルを握って呟く。

病気じゃなかったらなんだって言うのよ、お姉ちゃんの恋人と、恋に落ちるなんて。

由希は遠野の涼やかな眼差しを思い浮かべる冬の最中でも、夏の香りがする様な人。姉の恋人、ずっと付き合ってきた幼なじみ。

洗車が終わった時スマホがなる、姉からの着信。無視しようとしたが、今日は夏の陽射しのせいかつい電話に出る気になった。

由希、

久しぶりに聞く姉の声は無機質で硬化していた。

何よ姉さん。

暫く息づくような沈黙の後。姉はいった。

久雄さんが殺されたの。

え?

感情の起伏は感じ取れない。今丁度彼のことを思い出していたらから妙な気分がする。

今、殺されたって?

帰ってきて、教えて欲しいことがあるの。


ずっと来たいと思っていた。杉田美穂は霊峰戸隠山を清々しい気持ちで見上げていた、盾の如く連なる山々の頂にはまだうっすらと雪が残る湖面が、透き通った鏡池にその神々しい姿が逆さまに写っている。夜があけがけ白樺の木立にまいた朝霧が徐々に晴れていく彼女は背中に背負ったザックの肩紐を強く握った。

行こう。昼前には山頂に着きたい、

晴れて視界が良くなった白樺林の間をかけてくるものがある。1匹の黒い犬だ。口に何かくわえている、美穂は人なっつこい、その大型犬に向かって手を伸ばした。

口にくわえているものを信じられない気持ちで、見つめた。

手だわ、人間の。


愛しい男は遺体となって由希の目の前にいた冷たいステンレス製の上に横たわっていた。厚い胸板に胸毛がありそこに顔を埋めるとくすぐったかったっけなどと思い出す、眠っている様だ。2年ぶりの姉妹の再会、姉はこんな時久雄との思い出を思い出してはいないのだろうか、横目で様子を探るが仮面をつけているように変化はない、少し白髪が増えた気もする元々身なりに構わない女性だったが、更に老けた気がする。

黒いシャツにデニムパンツの定番の格好だった。

久雄の右手は無かった。

死因知りたい?

瑞穂の声がそんなに大きくないのに死体安置室に響いた。由希は言い澱んだ死因を聞いたところで彼が蘇るわけでもない。

死因は絞殺。死後2日経過登山客が鏡池で発見したわ、右手を黒い犬がくわえてきたそうよ。

チェイサー。

黒い猟犬が由希の脳裏に浮かんだ。

そう、チェイサー。

彼が良く訓練していたあの賢い犬、久雄が投げた黄色いフリスビーを空中で上手にキャッチしていた。

主人の死体を早く発見して欲しかったのかもしれない。

あの犬は今近所の人に預かってもらっているの、あなた引き取ってくれない?

ええ、どうして私が。私はすぐ帰らなきゃ行けないのよ。

でも、あなた久雄の恋人だったでしょ。

それを言うなら姉さんだって。

帰郷してから初めて目があった黒目がちで黒曜石のような輝きを放つ姉の目には動揺は見られなかったが、先に目を逸らしたのは姉の方だった。

とにかくちょっと調べて欲しいことがあるの、これは正式な要請よ。

手袋した手で保存袋に入った、小さなタネを見せた。

こちらのデータベースではわからな

いのよ。なんの種か、あなたならわかると思って。この地域の植物ではないのよ、あなたならわかると思って詳しい分析をお願い。

由希の手のひらにそっと保存袋をおく、その指先には優しさが込められていた。

今日は実家に泊まるわ姉さんも来るでしょ。

私はいいわ、母さんの機嫌が悪くなる。

姉は随分前、由希が家を出る前に家を出て一人暮らしをしていた。母と親交はないらしい。


芋の煮転がし。角煮、コンニャクの染煮転がし、キンピラゴボウ、ポテトサラダ。

食卓には由希の好物ばかり母は格好を崩して青いギンガムチェックのテーブルクロスの上に並べた。

さあ食べて、あなたの話聞かせて、

大学の講師はどう?本を読んだわ。

ちょっと、食べるか話すかどちらかにさせてよ。

母はちょっと老けたかもしれない、

パーマがかかっている髪には白髪が増え、シワも深くなっている。

母は子供みたいにはしゃぎ由希の顔を眺めて言った。

あんたは綺麗ねお姉ちゃんと大違い、あの子は身なりも構わず、男っ気もない、あんた、良い人いないの?。

こんばんは。

玄関のドアが空いて、聞き覚えのある声がした。

なんてことなの、姉だわ。

母、美樹は口を真一文字に結ぶと玄関に立って行った。

何しに来たの。

差し入れを持ってきたわ。

瑞穂は小脇に抱えたワインのボトルを掲げで見せた、

安心して。夕食をご馳走になる気はないから。

当たり前よ、貴方に食べさせるものはこの家にはないわ。

やっぱり来るんじゃなかった。

母娘は対峙した。

待って、姉さんは私が呼んだのよ、

由希なんてことを。

お母さんとお姉さんに仲良くしてほしくて。良いでしょ?家族なんだから。

由希!お姉ちゃんが何したか忘れた訳じゃないでしょ。

母の眦が釣り上がった嫌な予感がする。

瑞穂はね、お父さんを自殺に追い込んだのよ。

ダイニングテーブルの上に並べられた冷え切った料理が食べられるのを待っていた。

私は自分の職務を全うしただけよ。

瑞穂の声は小さくか弱かった。由希は思った、母にはわからないお姉ちゃんだって逡巡したに違いないしかし、刑事として不正の証拠を手に入れる立場にいて見逃すことなどできないから、働くようになってから気持ちがわかる。

分かったわ、どうやら歓迎されてないようね、帰るわ。

姉は諦めたような笑みを浮かべてワインを小上がりに置くと出て行った。

要らないわこんなもの。

閉じられたドアに、母の声が鋭く響く。置かれたワインを由希はとった、

やめなさい、そんなもの。

私、夕飯要らないわ、ワイン貰っていく。もう寝る。

由希。

ワインボトルを片手に、ゆっくり階段を上がって行った。


もう何日も掃除していない、瑞穂が気まぐれに買った観葉植物が枯れかけている。角に埃が溜まっているが物が少ないせいで、そう散らかっているようにも見えない。久雄と同棲していた時に買ったダークブラウンのソファーに腰を下ろす。

缶ビールのプルトップを開けて喉に流し込む。あの時の判断は間違っていない、瑞穂は何百回となく繰り返してきた。

5年前、県内で選挙の収賄事件が起こっていた、当選した現職議員が現金をばら撒いていたらいし、捜査2かは慎重に勧めていたが、県の検事正である瑞穂の父親遠峰豊が突然証拠不十分で立件困難であると表明したのだった。2課の先輩が悔しそうに瑞穂に言った。

天野の後ろ盾には現職総理がついているからな、その資金源も総理周辺であろう、検事正も長いものに巻かれろ主義なのさ。

居酒屋でしたたかに酔っ払った、先輩にお酌しながら、彼の言葉が胸に突き刺さる。

この国の正義はどうなっちゃうんだ。

まだ駆け出しの新人だった瑞穂は尊敬する父がそんなことをするなんてにわかには信じられなかったが、自分に出来ることはないか必死に考えていた。あの夜。

ビールのつまみに、缶詰の焼き鳥があったかとゴソゴソ探す姿があの時の自分と重なる。父の留守を狙って書斎に入った整然整った部屋、微かに父の漢方役の匂いが、する。

部屋に鍵はかかっているが机にかぎはかかってない家族を信頼している証だろう、突然、白髪に覆われた父親の穏やか顔が浮かんだ。

あたし、何をしているんだろう。と同時に、悔しそうに顔を歪めた先輩の顔が浮かぶ、彼の後ろには何千何万の検事と警察官の顔があるのだ。

あった。

間違いない、父はやっぱり持っていた。選挙法違反で訴えられている、野辺山の選挙事務所のものの帳簿だ、総理周辺から出たとされる金額、それに、賄賂を渡した金額と相手の名前が記されてある。不正な行為とは分かっていたが、瑞穂はそれを持ち出し深夜のコンビニでコピーをした。寒々とした、照明の下、半分目を閉じて、それを行う。父親にすまないという気持ちは無かった、それよりも正義を全うしたいという気持ちが強かった。

そのままコピーを2課の先輩に渡した。

焼き鳥の缶詰は空になり、タバコに火をつけようとして止めた、胃がきりきりと痛む。

書斎から見えた百日紅の赤さが生涯忘れる事はなかった、その百日紅をバッグに1枚の絵画の様に父親の死体が天井からぶら下がる。

わたしのせいだ。酔い潰れるまで寝れない。恐らく父は情報漏洩の責任を取って自殺したのだ、父の死によって事件は大きく進展したものの家族とは上手く行かなくなった。

痼りのようなものが広がり、逃げるように、久雄のアパートに転がり込んでいた。


透き通った白ワインがゆっくりと喉元を過ぎていく美味しかった。白いグラスの中に揺れる琥珀色の液体を眺めながら、由希は壁に持たれて膝を抱えていた。久雄が亡くなったというのにお祝いみたいな料理を作る母に少しイラついていた、姉をいつまでも恨むところも。母にとっては父が全てだったから仕方がないきもする。久雄がこの世にいないのだ、改めて気持ちが沈む、左指にしたムーンストーンのリングを眺める、白ワインも久雄の好きだった銘柄だ。

青いシャツがよく似合う人だった、笑うと糸になる目と茶色の髪の毛、姉が大好きだった由希は度々久雄のアパートを学校帰りに訪ねるようになった。

やっぱり、初恋だったのか。由希の想いは過去へ飛ぶ。

コンのブレザー、短めのチェックのスカートぺったんこの鞄失敗した前髪、薄く塗ったルージュ、ランバンのコロン。由希は所在投げにアパートのトタン製の階段に座り込む。どこからか桜の花びらが舞ってきてエナメルの靴に張り付く、それを払うように脚をぶらぶらさせ、ポケットからマルボロを取り出すと一本口にくわえた。

コラ、未成年だぞー。

見ると久雄がスーパーのバックを下げ立っていた。今日も青いシャツを着ている。

未成年でも、今日卒業したから!

今日卒業式だったのか、それはめでたい。

久雄は寄ってきて、由希の頭をくしゃっとやる。

お、前髪失敗したな。

やめて。

由希は真っ赤になって抗議し、久雄の肩を叩く。

いていて!ま、上がれや。

彼のからだから微かのタバコの匂いがした、同じ匂いになりたくてタバコ、吸いたいのに。

何度もきた部屋はちょっとだけ姉の匂いがする、居ない時まで、存在を見せつけて来る姉に少し嫉妬していた。雑然とした部屋、脱ぎ散らかした瑞穂の衣類を籠に畳んで久雄は丁寧に入れていた。

悪いな、瑞穂は今日も遅いんだよ、折角妹が卒業式だっていうのにな。

由希はコーヒーサイフォンにゆっくりお湯を回し入れながら首を振った。なんだか、久雄が哀れに見えた。

卒業祝いに1つお願い聞いて貰っていいかな?

姉とお揃いのマグカップの緑の方にコーヒーを注いで久雄に渡す。こんな事言うつもり無かったのに咄嗟に口をついて出た。

なんだ、俺に出来ることか?

今日で高校卒業したからついでに、処女も卒業したいの。

ばか、何言ってんだ!

ほらさ、他の男じゃ心配だし、久雄さんなら安心だし。

やめろや、俺は君の姉さんの彼氏だぞ。

知ってる。

あれ、私どうして涙出てんの?由希の頬に夕陽が当たって輝く、開いたカーテンから差し込む日差しに照らされた部屋は見知った部屋じゃなかった。

恐らくは久雄もどうかしていたのだろう。

後悔はしないな?秘密を守れるか?

その顔は今まで見たどの顔とも違っていた、由希は急に怖くなった心臓が早鐘を打ち出した、ふしくれだった彼の手が細い肩を抱いた。

閉めて。

由希は開け放たれたカーテンを指差して震えたで言うのがやっとだった。

ああ。

彼はいい顎に触れると唇を吸ったタバコとコーヒーの匂いが口一杯に広がる乳房に触れ、もう片方はスカートの中にと沈んでいく2人はそのままキッチンの床に倒れ込んでいく、フローリングは冷たく彼の手は暖かい、剥き出しにされた乳房にに口づけ無精髭がチクチクと当たりくすぐったいような、痛いような感覚を覚えている隙に、薄桃色のパンティがずらされ局部に直接彼の指があたる、死ぬほど恥ずかしい。無様に脚を広げて、他人にそこを触られるなんて、そしてその感情がそこに欲情を生み出しているなんて、まるでそこだけ別の生き物みたいに濡れている。彼は激しく何がを祈るように、そこに指を出し入れする。

あ、ああっ。

耐えてはいたが、声が漏れた潤みはますます増していく、乳房が乱暴に揉まれた。

ひ、ひぃ。

突然前触れもなく焼け火柱が潤みをたたえた局部に押し入れられた、あしは極限まで、広げられ、痛みにただひたすら耐えた。子供のように自分にむしゃぶりつく姿が初めて心の底から愛しいと思った。私はこの人を愛しているんだ。

卒業、と、銘打った背徳行為はそれきりにはならなかった。姉の持ってきたワインがそろそろ尽きようとしていた、寝静まったキッチンにおり、明かりをつけずに冷蔵庫を物色するラップがかかったポテトサラダを発見すると。意地汚い猫みたいに爪先だちで二階に登った。

バイトと、予備校の合間に久雄のアパートに通った。開け放たれたカーテンのそば。姉が寝たであろうベッド、ダイニングテーブルの下あらゆる所で肌を重ねる度に久雄の心は姉にある事を知る。私の方が若く何よりも綺麗で、一途に好きなのに、どうして私よりお姉ちゃんなのか、。

ポテトサラダはやっぱり、あう。

意地汚い猫だった、あの頃は。焦った私はいきなり裸を晒してみたりなどした、会えば辛くなるのに会えなくなると息もできない、あの頃は、溺れそうな日々が続いていた。

ポケットから保存袋を取り出す、植物の種が僅かに入っている、北信地区の植物の種は大体頭に入っているが自生する中にはない、この特徴は。

麻薬?

ケシの一種ににていた。しかも新種の。

ビールが3本目。ツマミはコンビニのポテトサラダに変わっていた、湿っぽい風がシャツに張り付いて気持ち悪い、あの日もこんな日だった、あんなことになっているなんて、気づきもしなかった。瑞穂は久雄の残したスマホを触りながら、こめかみを抑えた。ズキズキしてきた。

朝から頭が痛かった風邪をひいたのか、喉も痛い、ユンケルと風邪薬の入ったビニール袋を下げノックもせずに自宅のアパートのドアを開けた、久雄のバイクが止まっていたから鍵は空いてると知っていたから、

何をしているの?

シンクに真っ裸の由希が腰をかけていた、その股間で蠢く頭が久雄のものと知った時瑞穂は全身の血が逆流するのを覚えた。

言葉は非難するつもりで発した訳ではなくただ純粋に何をしているか聞いて見たかった。だけだ。

狼狽した光をたたえた久雄と目があった瞬間この人は自分を愛しているんだと感じた。由希のことなど、何とも思っては居ない、久雄の方を省みることをしなかった自分が悪いのだと。

瑞穂。

お姉ちゃん。

振り返った由希の瞳には挑戦的な光が浮かんでいた、久雄を我がものにしたと言う傲りの光だ、それが哀れでならない。

出てって、頭が痛いの。

頭痛はさっきから続いてる、悪いのは私、それでもやっぱり2人を許す事は出来ない。

出てって!

瑞穂は毅然とした調子で告げる。由希はチェックのワンピースを慌てて着、久雄も、Tシャツとジーパンをきると、瑞穂を振り向く事なく出て行った。2人は何処かで続きをやるのだろうか?そんな事は関係ない、今は眠るんだ、実際酷く眠かった。

見るとも無しに、スマホの住所録を検索していた、自分の名前と連絡先を見つけると何故だか、ほっとした逆に由希の名前はない、探しているうちに、捜査一課の杉崎の名前があった。どういう事?

フリーライターだった久雄には警察関係者の知り合いがいても不思議じゃないが何故杉崎はその事を私に報告しないのだろうか?疑念がポツンと浮かぶ、とりあえず連絡を取ろうとした時、瑞穂の携帯が鳴った。

姉さん。

由希。

久雄さんの司法解剖は終わったの。

ええ、何?

麻薬は検出されないわよね?

どういう事なの?

預かった種あれ、麻薬よ、DNA鑑定しないと正確な事はわからないけど。明日信大の四条教授にあって、調べてみる。

久雄は、麻薬がらみで殺されたってこと?体内から麻薬は検出されなかったわ。とにかくその線で調べてみるわ、ありがとう。

姉さん。

何?

久雄さんの事残念だったわね。

うん。

優しい人だったね。

クズだけどね。

電話口で同時に笑った。

瑞穂は杉崎に電話したが出る事はなかった、疑問はその日解決する事は無かった、酔っ払って寝落ちした瑞穂はその夜久雄の夢をみた。

二日酔いだ、朝イチ熱い湯船に入って酒を抜くことにした、シャワーを四肢に当て体の芯から温めていく、筋肉質な身体だったが腰の周り腹部には脂肪がつき始めていた、女性的な魅力に欠ける自分を、どうして久雄は選んだのだろう。唯一自分を好きでいてくれた男を失った悲しみが今更ながらひたひたと襲ってきた、

涙をシャワーで洗い流している時携帯が鳴った。部下の椎名からで杉崎の遺体が戸隠で発見されたとの報告だった。

お久しぶりです。

四条教授は埃だらけの研究室に眼鏡を曇らせて由希を出迎えてくれた。

ああ、来たのかね?。

ビーカーや、試験管の類も以前とそのままなのが奇跡的ともいえる。

ご活躍だね、本を読んだよ。

読んでくださったんですか?

非常に興味深い内容だよ信州における絶滅植物と外来植物との関係。

四条研究室名物。ビーカーに入ったコーヒーを差し出した。

お母さんは元気かな?

はい、相変わらずです、これなんですが

由希は保存袋に入った種子をコーヒーを飲みながら教授に差し出した。

ほう、これは一見すると麻の様だが。

詳しく調べて欲しいんです。

構わんが、えらく物騒な物が出てきたな、出所を聞いてもいいかな?

はい、ある殺人事件の被害者の爪から出てきたんです。

こりゃますます、物騒だわい。


2度の殺人事件に見舞われ戸隠山の付近は少々ざわついていた。パトカーを降り椎名を従えると、手袋をはめ杉崎の遺体に近寄った。

小太りの杉崎の遺体は、目を貫かれていた。側に控えている臨場中の監察医に瑞穂は問う。

死因は?

監察医の石井は杉崎の首筋を指し示す。

絞殺だね。

赤い筋がついていた。

目に刺さっている枝は、凶器ではない?

詳しい解剖をしてみないとわからないがぱっと見死後に刺された、とおもう。

久雄の死とは無関係では無さそうだ、最初犬が加えていた手は切り取られていたのは最初偶然かと思ったが、これは犯人からのメッセージではないか?そう考えた、体の一部に何らかの細工をし、久雄の場合は手、杉崎の場合は目。手を出すな、

目を瞑れということではないか瑞穂は思い当たった。

これは警告ね、同一犯の可能性がある。

連続殺人ですか?

遺体を見ている椎名が振り返った同僚の死に動じない、彼女に驚いている様子だ。顔色がひどく悪い。

最初は気づかなかった、でも、死因が同じ体の一部分が切り取られていることなどが、一致するわ。

まだ続くって事ですか?

シートに覆われた、杉崎の遺体を眺めて手袋を外した。

君は解剖に付き合って、私は杉崎の自宅に行く。

確か2歳になったばかりの子供がいるはずだ、辛いニュースを伝えなくてはならない。椎名と、瑞穂はしばらく顔を見合わせた彼には言えまい杉崎が久雄を殺した可能性もあることも、いずれは伝えなくてはならないが今は得策ではない様気がした。

杉崎の家は郊外の新興住宅街にあった、建てたばっかりの小さめの家の玄関先にはペチュニアの赤い花が揺れていた。

杉崎の妻明里は泣き腫らした目で小さなスカートを履いた杉崎の娘を抱いて出てきた。結婚式で見たより老けていた、苦労していたのだろうか?それともこういう時期だからか。

この度はご愁傷様です。少し話を伺いにきました、それと彼の私物もみたいんですよ。

どうぞ。

娘はぐずり、床に下ろすと瑞穂をチラッとみて、奥に引っ込んでいってしまった。

あの、主人は苦しくまなかったでしょうか。

コーヒーにリーフパイを添えたものを差し出し明里はそう尋ねる、積木にままごとセット、子供のものばかりが溢れた部屋、いかにこの夫婦が娘を愛しているか分かった。絞殺の上目を射られた惨たらしい死に方だったが。

いえ、それほどでも。

良かった。

明里は積木で遊び出した娘を見やった、眼元が父親によく似てる、実直な男だった血気盛んというよりは慎重に丁寧に裏を取るといった捜査をよくし勘に頼りがちな自分を制してくれたものだ、そんな彼が手柄を欲しさに何かヤバイ橋を渡るなんてあるだろうか?。

遠野久雄という名前に聞き覚えは?

さあ?仕事のことは、何も話しませんでしたから。その様な名前は聞いた事がありません。

そうですか、最近何か変わったことは、思い当たることとかありませんか?

それが。

明里は声を一段と低めた。

1週間程前ですか、倉庫を急に整理し始めて、普段倉庫の中など無頓着な人なのに非番の日に一日中かかって整理してたんです、使わなくなったベビーバスなどか入ってるんですけどね。今にしておもうと、何か思うところがあったんですね。

ちょっと倉庫見せてもらって良いですか?

ええ。

倉庫内は整然とは行かないまでもそれなりに整理されていた、埃をかぶったローラースケート、スノーボードの板、ベビーバスなどの向こうに一か所だけ、埃をかぶってない箇所があった、クモの巣を払うと、そこに置かれたダンボール箱を拾い上げる、コレが杉崎が置いて行ったものなのか?

これは?

さぁ?私が置いたものではありませんわ。

開けると中から、大量のスクラップブックが出てくる、そこには瑞穂の父親の自殺に関する記事が、スクラップされていた。

どういう事?なぜ杉崎が、父の事件を?

どう?教授の様子は。

母は、娘の為にハーブティーを入れながら少しだけ浮き足だったように聞く、お茶請けに出されたクッキーにもハーブが練り込まれている。

母は庭で様々なハーブを育てており効能についても詳しかった、普通の主婦にしては詳しいのではないだろうか、

今日のお茶はね、

母の蘊蓄を遮って由希は言う。

元気そうだったわ、でもちょっと老けたかな。

当たり前よ、私と同じ歳ですもの。ハーブティーは紅茶と変わらなかった。母と父そして教授は大学の同窓生だった、2人で母を取り合ったらしい、母にとって過去最大のロマンスである。畑仕事のせいか手も顔も日に焼け鷲鼻で少し鋭い目の現在の彼女からは想像がつかない。

そうだ、これ。教授に差し上げて、

母は紙袋から市内の老舗菓子店の包みを取り出した。

これ教授が大好きな新村の期間限定の和菓子よ、今度訪ねる時差し上げて。

ええ。由希は受け取ったが、違和感を覚えたがその時、その訳は分からなかった。

そういえば。

明里がスクラップブックを見つめる瑞穂に小さく呟いた。

いつだったか、主人は言ってました。

お父様の死は自殺ではない。と。

当たり前ですよ、私が殺したんだから、と言いかけて、向き直った。

では父は殺されたと。

時々うなされている事もありました。

これ、お借りしてもよろしいですか?

どうぞ。主人の敵を打って下さいね。

ええ必ず。瑞穂は力強く肯く、

杉崎の集めた資料な中には瑞穂の父親が亡くなった日の供述調書のコピーもあった。これは自分1人で捜査する案件だと考えた瑞穂はスクラップブックを自宅に持ち帰って精査する事にした、12時前に近くのコンビニによると。ビールと弁当それにチータラを購入すると自宅アパートの階段を一歩ずつのぼる。

最上段に意外な人物が居た、暗闇でも映える紅いワンピースに身を包んでいる。

由希。どうしたの?

詳しい検査結果を知りたいと思って。

いいわ、入って。

想像通りの無機質な部屋に入って由希はなんだかおかしくなった。

相変わらず殺風景な部屋ね。

用件は。

久々の兄弟水入らずなのに、素っ気ないのね、久雄さんを忍ぶ気持ちはないの?

今は事件が優先よ。

相変わらずの鉄仮面ね、彼に未練はないの?

椅子代わりのベッドに倒れ込みながら由希は瑞穂に聞く、瑞穂は由希の為に酒のグラスと、ツマミをローテブルを並べていた。

久雄さんが可愛そう、久雄さんは姉さんを愛していたのに。

わかっていながらなぜ彼と寝たりなんかしたの。

瑞穂の声は低く凄みがあった、グラスに入ったビールをあおる。

私も久雄さんが好きだったからよ、

彼は寂しかったのよ、姉さんにほっとかれて、わかってないの?死んでからも許さないの?私の事は許さなくても良いけど、彼は許してあげて。

貴方は大事な妹なのよ、由希あなたに、一時の気まぐれでも手を出し彼の事、私が許せると思うの?まだ、あなたのことを愛してくれればよかったのに。

それは無理、人の心は縛れない。

その通りよ、由希。

由希はビールに手をつけず、姉の方を睨みつけた、投げつけようとするが力なくローテーブルの上においた、姉とは永遠にわかり合えないのだと観念した。カッとなりやすいのは母ゆずり、一方感情を押し殺してしまうのは姉が父から受けついだ性格の一つだ。

行くわ。そしてこれきりね。詳しい事は四条教授から調査報告書がきたら連絡します。

姉は振り返る事すらしなかった完全に怒らせてしまったようだ。

由希は外に出た夜風がワンピースに絡みつく、とことん酔っ払いたかった。

三本目のビールが空いた、弁当の中の茄子の天ぷらを口に放り込みつつ、杉崎がコピーしていた父親の事件の供述調書を読み直す。

父が、自殺でないとしたら?。

あれ?

当時は気が付かなかった矛盾があぶり出しのように浮かび上がった。

変だわ、あれはどこに行ったっけ。

現代犯罪記録大全学生の学生の頃夢中で読んだ一冊だった。

その中にフタリシズカの押し花があった。そうよ、あの日。

9月20日木曜日。

午前中あなたは何をされてましたか?

私は家に居ました、昼食を夫と共に摂って午後1時頃帰ってきた娘と遅い昼食を出し少し会話をしてから、そうですね2時頃、夕食の買い物に出かけました。

遺体を発見したのは奥さんあなたで

すね?

はい、夕飯の時間になっても書斎から出てこないものですから娘を呼んで一緒に鍵を開けましたところ天井のシャンデリアから吊り下がっている夫を発見しました。

2人でですね?

はい、下の娘由希と2人です、

遠峰由希の供述調書。

あなたは何をしていました?

はい、その日は大学のゼミが志賀高原であり朝ホテルを仲間と出ました。

家に着いたのは1時頃でした。

お母さんは家に居ましたか?

はい、出迎えてくれて遅い昼ごはんを摂らせてくれました。

お父さんは?

父は書斎から出てきませんでした。

仕事をしているんだと思いました。

それから何をしましたか?

昼食を食べ自室で荷ほどきをしていたと思います。母が外出したのは知りませんでした。

それから?

疲れていたのでうとうとしていたと思います、母が呼びにきた時にはもう暗くなり始めてましたから。

何時か覚えていますか?

時計を見ましたが、7時過ぎだと思います。

それからお母さんと部屋に行き、お父さんを発見したのですね?

はい。父はシャンデリアに吊り下がってました。

違う。

瑞穂はフタリシズカの貼られた、本の栞を見つめた。

そこに由希の字で、9月21日志賀高原にてとある、あの子が帰ってきたのは父が死んだ翌日の事なのだ。

なぜ嘘をついたのか?恐らくでないとわかっていながら、瑞穂は疑念を抑えることができず、由希の携帯を鳴らした。

由希、どこに行ってたの?

夕飯は?

要らない!。

心配顔の母を無視して自室の扉を乱暴に閉めると由希はそのままベッドに倒れ込んで激しく嗚咽した。

お母さんは、夕飯の心配ばっかり、

自分の娘達がどうなってるのか全く知ろうともしない。

私達はもうわかり合うことはないのかもしれない、久雄さんの死を悼むこともできずに。

由希は彼の澄んだ眼差しを思い出した、その瞳にどれだけ勇気と温もりを貰えたか。しかしその先には何時も姉の姿があったのだ、自分で壊したとはいえ、姉に彼を返してあげたかった。

由希は見るとも無しに、四条教授に預けた種子の写真を見ていた、向き合ってなおると、さらさらと、DNA配列をメモしてみる、多分こんな感じになるはず。だとしたらこれは、ラインの通知音が鳴った。

四条教授からだった。

分析完了しました、これは大変なものです、すぐに手をひくべし、明日戸隠奥社まで来られたし。

その時、由希の中の違和感がすっと溶けていった。

何回目かの電話の最中に、瑞穂宛に一通のメールが届いていた。

杉崎の妻明里からだった。

夜分遅く失礼します。これは事件とは関係ないかと思いますが、5年前、娘が手術をいたしました、心臓でしたので大変お金がかかりましたが夫はどこからか、お金を持ってきました

丁度お父様の事件の前後だったかと思いました、ずっと忘れておりましたがこうして夫を失ってみますと、全てが繋がって見えるように思います。どうか犯人を逮捕してください。

繋がった、すべて。瑞穂は深い絶望感の中眠って行った。

戸隠神社は、宝光社、中社、奥社、の三社からなる。

有名な杉の巨木が立ち並ぶのは中社であり、奥社と呼ばれるものは、はるか山中にひっそりとたたずみ、拍子抜けするほど小さい。

裏は笹に覆われた険しい山道がうねうねと続いていた。

やっぱり来たんだね。

初めて見る、教授の顔だった。

教授が呼んだんじゃないですか、由希はトレッキングシューズにヤッケを着こんでいた。山の空気は寒く朝靄が立ち込めていた。同じく登山支度をした教授が獣道を歩き出す、由希はそれに続いた。

10分程歩いただろうか。

これは。

一面に大麻草の畑が広がっていた、

朝露に濡れて葉が揺れて音を立てている。

新種なんだよ、病気に強い。それに効果が抜群だ。

教授、なんてことを。

遠野君はこの事を知ってしまったんだよ、だから死んでもらうしかなかった。

どうしてこんな事を。

何言ってるんだ、これは人助けなんだよ、君ならわかってくれるね?

姉に連絡します。

無駄だ、圏外だ。

言いつつ、教授が襲いかかってきた、常軌を逸している。逃げようと振り返った先に、意外な人が立っていた。

母さん、

そのまま由希は昏倒した。

母が、由希を石で殴ったのだ、母は愛しい娘の姿を見ながら泣いていた、

ごめんなさい由希。でもこうするしか、2人はぐったりした体を引きずり、白樺の木にロープを吊した。

まだ息はある、でも、由希には死んでもらう。

ごめんね。

やめなさい!そこまでよ。

警官と共に現れたのは瑞穂だった、由希に連絡がつかない事を知り携帯のGPSを辿ってきたのだ、四条と母は抱き合いながら泣いていた、憑物が落ちたみたいなダダの老人だった。

霧島佐世子、四条渉、遠野久雄、杉崎徹、および霧島源之丞殺害容疑で逮捕する。

瑞穂、あんた、お母さんに手錠をかけれるの?

できるわよ、椎名。

部下の椎名がシワだらけの細いてに手錠をかける。

父も、あなたが殺した。

何を。

杉崎に命じてね、当時杉崎はお金に困っていたからお金をやって殺させて、自殺に見せかけたのね、そして彼も殺した。

今更自首するとかいうからだ。

手錠をかけられた、四条が毒づく。

あなた達はずっと父を裏切って大麻栽培を続けていたのね、それを知った父と久雄さんを殺したのね。

私は、あなた達を決して許さないわ、由希を必ず幸せにする、負けないと誓うわ。連れて行って。

パトカーの音が遠ざかり救急車のサイレンが近づく。

由希は意識を取り戻した。

姉さん!痛い。

大丈夫?

瑞穂は由希を強く抱きしめた、体が暖かい。由希の右目から涙が伝って落ちた。

お母さん、私を殺そうとしたのよ。

もう、終わったのよすべて、大丈夫よ。私が居るでしょ。

私、嘘をついてたのお父さんが死んだ日はまだ、ウチには居なかったのよ、ゼミの合宿だった。

うん。

お母さんに頼まれたの、疑われるのが嫌だからってもうやましい事してたのね。

うん、

ずっと裏切ってだんだね。

あんな人でも、あなたを愛してたわ。

うん。

担架に乗せられるまで姉妹は硬く手を握り合った。

由希、あなたには私が居る。

うん。

由希を乗せた救急車のサイレンがだんだん遠ざかって行く。


風が強く吹く、池を渡る光る風遠くに仰ぐ戸隠山は残雪を頂く、黒いグレートハウンドが瑞穂目掛けて一直線にかけてくる。

チェイサー、懐かしい愛しい声がする少し薄い茶色の髪、剃り残しのある髭、茶色と薄いグリーンが混じった、特徴のある瞳。

ブルーのシャツが風を孕んで膨らんでいる、彼は屈んでチェイサーの頭を撫でていた。

ねぇ。

私あなたを愛していたよ。

知ってた。

なぁ。

俺もお前を愛していたよ、いつか会いに行くつもりだった。

うん、知ってた。

よく頑張ったな。

うん。

目を開けた、瑞穂の前には闇が広がる頬が濡れていた。

完。







仮面の女神

あたしはきっと病気なんだろう。由希はハンドルを握りながら心の中で呟いた。姉からのLINEは全部無視、電話も無視。そんな状態が2年ほど続いていた、ラインの内容はわかってる姉の瑞穂がまたネチネチと嫌味と恨みを書いているに違いないのだ。

由希は、洗車機に入った車の中できつくハンドルを握って呟く。

病気じゃなかったらなんだって言うのよ、お姉ちゃんの恋人と、恋に落ちるなんて。

由希は遠野の涼やかな眼差しを思い浮かべる冬の最中でも、夏の香りがする様な人。姉の恋人、ずっと付き合ってきた幼なじみ。

洗車が終わった時スマホがなる、姉からの着信。無視しようとしたが、今日は夏の陽射しのせいかつい電話に出る気になった。

由希、

久しぶりに聞く姉の声は無機質で硬化していた。

何よ姉さん。

暫く息づくような沈黙の後。姉はいった。

久雄さんが殺されたの。

え?

感情の起伏は感じ取れない。今丁度彼のことを思い出していたらから妙な気分がする。

今、殺されたって?

帰ってきて、教えて欲しいことがあるの。


ずっと来たいと思っていた。杉田美穂は霊峰戸隠山を清々しい気持ちで見上げていた、盾の如く連なる山々の頂にはまだうっすらと雪が残る湖面が、透き通った鏡池にその神々しい姿が逆さまに写っている。夜があけがけ白樺の木立にまいた朝霧が徐々に晴れていく彼女は背中に背負ったザックの肩紐を強く握った。

行こう。昼前には山頂に着きたい、

晴れて視界が良くなった白樺林の間をかけてくるものがある。1匹の黒い犬だ。口に何かくわえている、美穂は人なっつこい、その大型犬に向かって手を伸ばした。

口にくわえているものを信じられない気持ちで、見つめた。

手だわ、人間の。


愛しい男は遺体となって由希の目の前にいた冷たいステンレス製の上に横たわっていた。厚い胸板に胸毛がありそこに顔を埋めるとくすぐったかったっけなどと思い出す、眠っている様だ。2年ぶりの姉妹の再会、姉はこんな時久雄との思い出を思い出してはいないのだろうか、横目で様子を探るが仮面をつけているように変化はない、少し白髪が増えた気もする元々身なりに構わない女性だったが、更に老けた気がする。

黒いシャツにデニムパンツの定番の格好だった。

久雄の右手は無かった。

死因知りたい?

瑞穂の声がそんなに大きくないのに死体安置室に響いた。由希は言い澱んだ死因を聞いたところで彼が蘇るわけでもない。

死因は絞殺。死後2日経過登山客が鏡池で発見したわ、右手を黒い犬がくわえてきたそうよ。

チェイサー。

黒い猟犬が由希の脳裏に浮かんだ。

そう、チェイサー。

彼が良く訓練していたあの賢い犬、久雄が投げた黄色いフリスビーを空中で上手にキャッチしていた。

主人の死体を早く発見して欲しかったのかもしれない。

あの犬は今近所の人に預かってもらっているの、あなた引き取ってくれない?

ええ、どうして私が。私はすぐ帰らなきゃ行けないのよ。

でも、あなた久雄の恋人だったでしょ。

それを言うなら姉さんだって。

帰郷してから初めて目があった黒目がちで黒曜石のような輝きを放つ姉の目には動揺は見られなかったが、先に目を逸らしたのは姉の方だった。

とにかくちょっと調べて欲しいことがあるの、これは正式な要請よ。

手袋した手で保存袋に入った、小さなタネを見せた。

こちらのデータベースではわからな

いのよ。なんの種か、あなたならわかると思って。この地域の植物ではないのよ、あなたならわかると思って詳しい分析をお願い。

由希の手のひらにそっと保存袋をおく、その指先には優しさが込められていた。

今日は実家に泊まるわ姉さんも来るでしょ。

私はいいわ、母さんの機嫌が悪くなる。

姉は随分前、由希が家を出る前に家を出て一人暮らしをしていた。母と親交はないらしい。


芋の煮転がし。角煮、コンニャクの染煮転がし、キンピラゴボウ、ポテトサラダ。

食卓には由希の好物ばかり母は格好を崩して青いギンガムチェックのテーブルクロスの上に並べた。

さあ食べて、あなたの話聞かせて、

大学の講師はどう?本を読んだわ。

ちょっと、食べるか話すかどちらかにさせてよ。

母はちょっと老けたかもしれない、

パーマがかかっている髪には白髪が増え、シワも深くなっている。

母は子供みたいにはしゃぎ由希の顔を眺めて言った。

あんたは綺麗ねお姉ちゃんと大違い、あの子は身なりも構わず、男っ気もない、あんた、良い人いないの?。

こんばんは。

玄関のドアが空いて、聞き覚えのある声がした。

なんてことなの、姉だわ。

母、美樹は口を真一文字に結ぶと玄関に立って行った。

何しに来たの。

差し入れを持ってきたわ。

瑞穂は小脇に抱えたワインのボトルを掲げで見せた、

安心して。夕食をご馳走になる気はないから。

当たり前よ、貴方に食べさせるものはこの家にはないわ。

やっぱり来るんじゃなかった。

母娘は対峙した。

待って、姉さんは私が呼んだのよ、

由希なんてことを。

お母さんとお姉さんに仲良くしてほしくて。良いでしょ?家族なんだから。

由希!お姉ちゃんが何したか忘れた訳じゃないでしょ。

母の眦が釣り上がった嫌な予感がする。

瑞穂はね、お父さんを自殺に追い込んだのよ。

ダイニングテーブルの上に並べられた冷え切った料理が食べられるのを待っていた。

私は自分の職務を全うしただけよ。

瑞穂の声は小さくか弱かった。由希は思った、母にはわからないお姉ちゃんだって逡巡したに違いないしかし、刑事として不正の証拠を手に入れる立場にいて見逃すことなどできないから、働くようになってから気持ちがわかる。

分かったわ、どうやら歓迎されてないようね、帰るわ。

姉は諦めたような笑みを浮かべてワインを小上がりに置くと出て行った。

要らないわこんなもの。

閉じられたドアに、母の声が鋭く響く。置かれたワインを由希はとった、

やめなさい、そんなもの。

私、夕飯要らないわ、ワイン貰っていく。もう寝る。

由希。

ワインボトルを片手に、ゆっくり階段を上がって行った。


もう何日も掃除していない、瑞穂が気まぐれに買った観葉植物が枯れかけている。角に埃が溜まっているが物が少ないせいで、そう散らかっているようにも見えない。久雄と同棲していた時に買ったダークブラウンのソファーに腰を下ろす。

缶ビールのプルトップを開けて喉に流し込む。あの時の判断は間違っていない、瑞穂は何百回となく繰り返してきた。

5年前、県内で選挙の収賄事件が起こっていた、当選した現職議員が現金をばら撒いていたらいし、捜査2かは慎重に勧めていたが、県の検事正である瑞穂の父親遠峰豊が突然証拠不十分で立件困難であると表明したのだった。2課の先輩が悔しそうに瑞穂に言った。

天野の後ろ盾には現職総理がついているからな、その資金源も総理周辺であろう、検事正も長いものに巻かれろ主義なのさ。

居酒屋でしたたかに酔っ払った、先輩にお酌しながら、彼の言葉が胸に突き刺さる。

この国の正義はどうなっちゃうんだ。

まだ駆け出しの新人だった瑞穂は尊敬する父がそんなことをするなんてにわかには信じられなかったが、自分に出来ることはないか必死に考えていた。あの夜。

ビールのつまみに、缶詰の焼き鳥があったかとゴソゴソ探す姿があの時の自分と重なる。父の留守を狙って書斎に入った整然整った部屋、微かに父の漢方役の匂いが、する。

部屋に鍵はかかっているが机にかぎはかかってない家族を信頼している証だろう、突然、白髪に覆われた父親の穏やか顔が浮かんだ。

あたし、何をしているんだろう。と同時に、悔しそうに顔を歪めた先輩の顔が浮かぶ、彼の後ろには何千何万の検事と警察官の顔があるのだ。

あった。

間違いない、父はやっぱり持っていた。選挙法違反で訴えられている、野辺山の選挙事務所のものの帳簿だ、総理周辺から出たとされる金額、それに、賄賂を渡した金額と相手の名前が記されてある。不正な行為とは分かっていたが、瑞穂はそれを持ち出し深夜のコンビニでコピーをした。寒々とした、照明の下、半分目を閉じて、それを行う。父親にすまないという気持ちは無かった、それよりも正義を全うしたいという気持ちが強かった。

そのままコピーを2課の先輩に渡した。

焼き鳥の缶詰は空になり、タバコに火をつけようとして止めた、胃がきりきりと痛む。

書斎から見えた百日紅の赤さが生涯忘れる事はなかった、その百日紅をバッグに1枚の絵画の様に父親の死体が天井からぶら下がる。

わたしのせいだ。酔い潰れるまで寝れない。恐らく父は情報漏洩の責任を取って自殺したのだ、父の死によって事件は大きく進展したものの家族とは上手く行かなくなった。

痼りのようなものが広がり、逃げるように、久雄のアパートに転がり込んでいた。


透き通った白ワインがゆっくりと喉元を過ぎていく美味しかった。白いグラスの中に揺れる琥珀色の液体を眺めながら、由希は壁に持たれて膝を抱えていた。久雄が亡くなったというのにお祝いみたいな料理を作る母に少しイラついていた、姉をいつまでも恨むところも。母にとっては父が全てだったから仕方がないきもする。久雄がこの世にいないのだ、改めて気持ちが沈む、左指にしたムーンストーンのリングを眺める、白ワインも久雄の好きだった銘柄だ。

青いシャツがよく似合う人だった、笑うと糸になる目と茶色の髪の毛、姉が大好きだった由希は度々久雄のアパートを学校帰りに訪ねるようになった。

やっぱり、初恋だったのか。由希の想いは過去へ飛ぶ。

コンのブレザー、短めのチェックのスカートぺったんこの鞄失敗した前髪、薄く塗ったルージュ、ランバンのコロン。由希は所在投げにアパートのトタン製の階段に座り込む。どこからか桜の花びらが舞ってきてエナメルの靴に張り付く、それを払うように脚をぶらぶらさせ、ポケットからマルボロを取り出すと一本口にくわえた。

コラ、未成年だぞー。

見ると久雄がスーパーのバックを下げ立っていた。今日も青いシャツを着ている。

未成年でも、今日卒業したから!

今日卒業式だったのか、それはめでたい。

久雄は寄ってきて、由希の頭をくしゃっとやる。

お、前髪失敗したな。

やめて。

由希は真っ赤になって抗議し、久雄の肩を叩く。

いていて!ま、上がれや。

彼のからだから微かのタバコの匂いがした、同じ匂いになりたくてタバコ、吸いたいのに。

何度もきた部屋はちょっとだけ姉の匂いがする、居ない時まで、存在を見せつけて来る姉に少し嫉妬していた。雑然とした部屋、脱ぎ散らかした瑞穂の衣類を籠に畳んで久雄は丁寧に入れていた。

悪いな、瑞穂は今日も遅いんだよ、折角妹が卒業式だっていうのにな。

由希はコーヒーサイフォンにゆっくりお湯を回し入れながら首を振った。なんだか、久雄が哀れに見えた。

卒業祝いに1つお願い聞いて貰っていいかな?

姉とお揃いのマグカップの緑の方にコーヒーを注いで久雄に渡す。こんな事言うつもり無かったのに咄嗟に口をついて出た。

なんだ、俺に出来ることか?

今日で高校卒業したからついでに、処女も卒業したいの。

ばか、何言ってんだ!

ほらさ、他の男じゃ心配だし、久雄さんなら安心だし。

やめろや、俺は君の姉さんの彼氏だぞ。

知ってる。

あれ、私どうして涙出てんの?由希の頬に夕陽が当たって輝く、開いたカーテンから差し込む日差しに照らされた部屋は見知った部屋じゃなかった。

恐らくは久雄もどうかしていたのだろう。

後悔はしないな?秘密を守れるか?

その顔は今まで見たどの顔とも違っていた、由希は急に怖くなった心臓が早鐘を打ち出した、ふしくれだった彼の手が細い肩を抱いた。

閉めて。

由希は開け放たれたカーテンを指差して震えたで言うのがやっとだった。

ああ。

彼はいい顎に触れると唇を吸ったタバコとコーヒーの匂いが口一杯に広がる乳房に触れ、もう片方はスカートの中にと沈んでいく2人はそのままキッチンの床に倒れ込んでいく、フローリングは冷たく彼の手は暖かい、剥き出しにされた乳房にに口づけ無精髭がチクチクと当たりくすぐったいような、痛いような感覚を覚えている隙に、薄桃色のパンティがずらされ局部に直接彼の指があたる、死ぬほど恥ずかしい。無様に脚を広げて、他人にそこを触られるなんて、そしてその感情がそこに欲情を生み出しているなんて、まるでそこだけ別の生き物みたいに濡れている。彼は激しく何がを祈るように、そこに指を出し入れする。

あ、ああっ。

耐えてはいたが、声が漏れた潤みはますます増していく、乳房が乱暴に揉まれた。

ひ、ひぃ。

突然前触れもなく焼け火柱が潤みをたたえた局部に押し入れられた、あしは極限まで、広げられ、痛みにただひたすら耐えた。子供のように自分にむしゃぶりつく姿が初めて心の底から愛しいと思った。私はこの人を愛しているんだ。

卒業、と、銘打った背徳行為はそれきりにはならなかった。姉の持ってきたワインがそろそろ尽きようとしていた、寝静まったキッチンにおり、明かりをつけずに冷蔵庫を物色するラップがかかったポテトサラダを発見すると。意地汚い猫みたいに爪先だちで二階に登った。

バイトと、予備校の合間に久雄のアパートに通った。開け放たれたカーテンのそば。姉が寝たであろうベッド、ダイニングテーブルの下あらゆる所で肌を重ねる度に久雄の心は姉にある事を知る。私の方が若く何よりも綺麗で、一途に好きなのに、どうして私よりお姉ちゃんなのか、。

ポテトサラダはやっぱり、あう。

意地汚い猫だった、あの頃は。焦った私はいきなり裸を晒してみたりなどした、会えば辛くなるのに会えなくなると息もできない、あの頃は、溺れそうな日々が続いていた。

ポケットから保存袋を取り出す、植物の種が僅かに入っている、北信地区の植物の種は大体頭に入っているが自生する中にはない、この特徴は。

麻薬?

ケシの一種ににていた。しかも新種の。

ビールが3本目。ツマミはコンビニのポテトサラダに変わっていた、湿っぽい風がシャツに張り付いて気持ち悪い、あの日もこんな日だった、あんなことになっているなんて、気づきもしなかった。瑞穂は久雄の残したスマホを触りながら、こめかみを抑えた。ズキズキしてきた。

朝から頭が痛かった風邪をひいたのか、喉も痛い、ユンケルと風邪薬の入ったビニール袋を下げノックもせずに自宅のアパートのドアを開けた、久雄のバイクが止まっていたから鍵は空いてると知っていたから、

何をしているの?

シンクに真っ裸の由希が腰をかけていた、その股間で蠢く頭が久雄のものと知った時瑞穂は全身の血が逆流するのを覚えた。

言葉は非難するつもりで発した訳ではなくただ純粋に何をしているか聞いて見たかった。だけだ。

狼狽した光をたたえた久雄と目があった瞬間この人は自分を愛しているんだと感じた。由希のことなど、何とも思っては居ない、久雄の方を省みることをしなかった自分が悪いのだと。

瑞穂。

お姉ちゃん。

振り返った由希の瞳には挑戦的な光が浮かんでいた、久雄を我がものにしたと言う傲りの光だ、それが哀れでならない。

出てって、頭が痛いの。

頭痛はさっきから続いてる、悪いのは私、それでもやっぱり2人を許す事は出来ない。

出てって!

瑞穂は毅然とした調子で告げる。由希はチェックのワンピースを慌てて着、久雄も、Tシャツとジーパンをきると、瑞穂を振り向く事なく出て行った。2人は何処かで続きをやるのだろうか?そんな事は関係ない、今は眠るんだ、実際酷く眠かった。

見るとも無しに、スマホの住所録を検索していた、自分の名前と連絡先を見つけると何故だか、ほっとした逆に由希の名前はない、探しているうちに、捜査一課の杉崎の名前があった。どういう事?

フリーライターだった久雄には警察関係者の知り合いがいても不思議じゃないが何故杉崎はその事を私に報告しないのだろうか?疑念がポツンと浮かぶ、とりあえず連絡を取ろうとした時、瑞穂の携帯が鳴った。

姉さん。

由希。

久雄さんの司法解剖は終わったの。

ええ、何?

麻薬は検出されないわよね?

どういう事なの?

預かった種あれ、麻薬よ、DNA鑑定しないと正確な事はわからないけど。明日信大の四条教授にあって、調べてみる。

久雄は、麻薬がらみで殺されたってこと?体内から麻薬は検出されなかったわ。とにかくその線で調べてみるわ、ありがとう。

姉さん。

何?

久雄さんの事残念だったわね。

うん。

優しい人だったね。

クズだけどね。

電話口で同時に笑った。

瑞穂は杉崎に電話したが出る事はなかった、疑問はその日解決する事は無かった、酔っ払って寝落ちした瑞穂はその夜久雄の夢をみた。

二日酔いだ、朝イチ熱い湯船に入って酒を抜くことにした、シャワーを四肢に当て体の芯から温めていく、筋肉質な身体だったが腰の周り腹部には脂肪がつき始めていた、女性的な魅力に欠ける自分を、どうして久雄は選んだのだろう。唯一自分を好きでいてくれた男を失った悲しみが今更ながらひたひたと襲ってきた、

涙をシャワーで洗い流している時携帯が鳴った。部下の椎名からで杉崎の遺体が戸隠で発見されたとの報告だった。

お久しぶりです。

四条教授は埃だらけの研究室に眼鏡を曇らせて由希を出迎えてくれた。

ああ、来たのかね?。

ビーカーや、試験管の類も以前とそのままなのが奇跡的ともいえる。

ご活躍だね、本を読んだよ。

読んでくださったんですか?

非常に興味深い内容だよ信州における絶滅植物と外来植物との関係。

四条研究室名物。ビーカーに入ったコーヒーを差し出した。

お母さんは元気かな?

はい、相変わらずです、これなんですが

由希は保存袋に入った種子をコーヒーを飲みながら教授に差し出した。

ほう、これは一見すると麻の様だが。

詳しく調べて欲しいんです。

構わんが、えらく物騒な物が出てきたな、出所を聞いてもいいかな?

はい、ある殺人事件の被害者の爪から出てきたんです。

こりゃますます、物騒だわい。


2度の殺人事件に見舞われ戸隠山の付近は少々ざわついていた。パトカーを降り椎名を従えると、手袋をはめ杉崎の遺体に近寄った。

小太りの杉崎の遺体は、目を貫かれていた。側に控えている臨場中の監察医に瑞穂は問う。

死因は?

監察医の石井は杉崎の首筋を指し示す。

絞殺だね。

赤い筋がついていた。

目に刺さっている枝は、凶器ではない?

詳しい解剖をしてみないとわからないがぱっと見死後に刺された、とおもう。

久雄の死とは無関係では無さそうだ、最初犬が加えていた手は切り取られていたのは最初偶然かと思ったが、これは犯人からのメッセージではないか?そう考えた、体の一部に何らかの細工をし、久雄の場合は手、杉崎の場合は目。手を出すな、

目を瞑れということではないか瑞穂は思い当たった。

これは警告ね、同一犯の可能性がある。

連続殺人ですか?

遺体を見ている椎名が振り返った同僚の死に動じない、彼女に驚いている様子だ。顔色がひどく悪い。

最初は気づかなかった、でも、死因が同じ体の一部分が切り取られていることなどが、一致するわ。

まだ続くって事ですか?

シートに覆われた、杉崎の遺体を眺めて手袋を外した。

君は解剖に付き合って、私は杉崎の自宅に行く。

確か2歳になったばかりの子供がいるはずだ、辛いニュースを伝えなくてはならない。椎名と、瑞穂はしばらく顔を見合わせた彼には言えまい杉崎が久雄を殺した可能性もあることも、いずれは伝えなくてはならないが今は得策ではない様気がした。

杉崎の家は郊外の新興住宅街にあった、建てたばっかりの小さめの家の玄関先にはペチュニアの赤い花が揺れていた。

杉崎の妻明里は泣き腫らした目で小さなスカートを履いた杉崎の娘を抱いて出てきた。結婚式で見たより老けていた、苦労していたのだろうか?それともこういう時期だからか。

この度はご愁傷様です。少し話を伺いにきました、それと彼の私物もみたいんですよ。

どうぞ。

娘はぐずり、床に下ろすと瑞穂をチラッとみて、奥に引っ込んでいってしまった。

あの、主人は苦しくまなかったでしょうか。

コーヒーにリーフパイを添えたものを差し出し明里はそう尋ねる、積木にままごとセット、子供のものばかりが溢れた部屋、いかにこの夫婦が娘を愛しているか分かった。絞殺の上目を射られた惨たらしい死に方だったが。

いえ、それほどでも。

良かった。

明里は積木で遊び出した娘を見やった、眼元が父親によく似てる、実直な男だった血気盛んというよりは慎重に丁寧に裏を取るといった捜査をよくし勘に頼りがちな自分を制してくれたものだ、そんな彼が手柄を欲しさに何かヤバイ橋を渡るなんてあるだろうか?。

遠野久雄という名前に聞き覚えは?

さあ?仕事のことは、何も話しませんでしたから。その様な名前は聞いた事がありません。

そうですか、最近何か変わったことは、思い当たることとかありませんか?

それが。

明里は声を一段と低めた。

1週間程前ですか、倉庫を急に整理し始めて、普段倉庫の中など無頓着な人なのに非番の日に一日中かかって整理してたんです、使わなくなったベビーバスなどか入ってるんですけどね。今にしておもうと、何か思うところがあったんですね。

ちょっと倉庫見せてもらって良いですか?

ええ。

倉庫内は整然とは行かないまでもそれなりに整理されていた、埃をかぶったローラースケート、スノーボードの板、ベビーバスなどの向こうに一か所だけ、埃をかぶってない箇所があった、クモの巣を払うと、そこに置かれたダンボール箱を拾い上げる、コレが杉崎が置いて行ったものなのか?

これは?

さぁ?私が置いたものではありませんわ。

開けると中から、大量のスクラップブックが出てくる、そこには瑞穂の父親の自殺に関する記事が、スクラップされていた。

どういう事?なぜ杉崎が、父の事件を?

どう?教授の様子は。

母は、娘の為にハーブティーを入れながら少しだけ浮き足だったように聞く、お茶請けに出されたクッキーにもハーブが練り込まれている。

母は庭で様々なハーブを育てており効能についても詳しかった、普通の主婦にしては詳しいのではないだろうか、

今日のお茶はね、

母の蘊蓄を遮って由希は言う。

元気そうだったわ、でもちょっと老けたかな。

当たり前よ、私と同じ歳ですもの。ハーブティーは紅茶と変わらなかった。母と父そして教授は大学の同窓生だった、2人で母を取り合ったらしい、母にとって過去最大のロマンスである。畑仕事のせいか手も顔も日に焼け鷲鼻で少し鋭い目の現在の彼女からは想像がつかない。

そうだ、これ。教授に差し上げて、

母は紙袋から市内の老舗菓子店の包みを取り出した。

これ教授が大好きな新村の期間限定の和菓子よ、今度訪ねる時差し上げて。

ええ。由希は受け取ったが、違和感を覚えたがその時、その訳は分からなかった。

そういえば。

明里がスクラップブックを見つめる瑞穂に小さく呟いた。

いつだったか、主人は言ってました。

お父様の死は自殺ではない。と。

当たり前ですよ、私が殺したんだから、と言いかけて、向き直った。

では父は殺されたと。

時々うなされている事もありました。

これ、お借りしてもよろしいですか?

どうぞ。主人の敵を打って下さいね。

ええ必ず。瑞穂は力強く肯く、

杉崎の集めた資料な中には瑞穂の父親が亡くなった日の供述調書のコピーもあった。これは自分1人で捜査する案件だと考えた瑞穂はスクラップブックを自宅に持ち帰って精査する事にした、12時前に近くのコンビニによると。ビールと弁当それにチータラを購入すると自宅アパートの階段を一歩ずつのぼる。

最上段に意外な人物が居た、暗闇でも映える紅いワンピースに身を包んでいる。

由希。どうしたの?

詳しい検査結果を知りたいと思って。

いいわ、入って。

想像通りの無機質な部屋に入って由希はなんだかおかしくなった。

相変わらず殺風景な部屋ね。

用件は。

久々の兄弟水入らずなのに、素っ気ないのね、久雄さんを忍ぶ気持ちはないの?

今は事件が優先よ。

相変わらずの鉄仮面ね、彼に未練はないの?

椅子代わりのベッドに倒れ込みながら由希は瑞穂に聞く、瑞穂は由希の為に酒のグラスと、ツマミをローテブルを並べていた。

久雄さんが可愛そう、久雄さんは姉さんを愛していたのに。

わかっていながらなぜ彼と寝たりなんかしたの。

瑞穂の声は低く凄みがあった、グラスに入ったビールをあおる。

私も久雄さんが好きだったからよ、

彼は寂しかったのよ、姉さんにほっとかれて、わかってないの?死んでからも許さないの?私の事は許さなくても良いけど、彼は許してあげて。

貴方は大事な妹なのよ、由希あなたに、一時の気まぐれでも手を出し彼の事、私が許せると思うの?まだ、あなたのことを愛してくれればよかったのに。

それは無理、人の心は縛れない。

その通りよ、由希。

由希はビールに手をつけず、姉の方を睨みつけた、投げつけようとするが力なくローテーブルの上においた、姉とは永遠にわかり合えないのだと観念した。カッとなりやすいのは母ゆずり、一方感情を押し殺してしまうのは姉が父から受けついだ性格の一つだ。

行くわ。そしてこれきりね。詳しい事は四条教授から調査報告書がきたら連絡します。

姉は振り返る事すらしなかった完全に怒らせてしまったようだ。

由希は外に出た夜風がワンピースに絡みつく、とことん酔っ払いたかった。

三本目のビールが空いた、弁当の中の茄子の天ぷらを口に放り込みつつ、杉崎がコピーしていた父親の事件の供述調書を読み直す。

父が、自殺でないとしたら?。

あれ?

当時は気が付かなかった矛盾があぶり出しのように浮かび上がった。

変だわ、あれはどこに行ったっけ。

現代犯罪記録大全学生の学生の頃夢中で読んだ一冊だった。

その中にフタリシズカの押し花があった。そうよ、あの日。

9月20日木曜日。

午前中あなたは何をされてましたか?

私は家に居ました、昼食を夫と共に摂って午後1時頃帰ってきた娘と遅い昼食を出し少し会話をしてから、そうですね2時頃、夕食の買い物に出かけました。

遺体を発見したのは奥さんあなたで

すね?

はい、夕飯の時間になっても書斎から出てこないものですから娘を呼んで一緒に鍵を開けましたところ天井のシャンデリアから吊り下がっている夫を発見しました。

2人でですね?

はい、下の娘由希と2人です、

遠峰由希の供述調書。

あなたは何をしていました?

はい、その日は大学のゼミが志賀高原であり朝ホテルを仲間と出ました。

家に着いたのは1時頃でした。

お母さんは家に居ましたか?

はい、出迎えてくれて遅い昼ごはんを摂らせてくれました。

お父さんは?

父は書斎から出てきませんでした。

仕事をしているんだと思いました。

それから何をしましたか?

昼食を食べ自室で荷ほどきをしていたと思います。母が外出したのは知りませんでした。

それから?

疲れていたのでうとうとしていたと思います、母が呼びにきた時にはもう暗くなり始めてましたから。

何時か覚えていますか?

時計を見ましたが、7時過ぎだと思います。

それからお母さんと部屋に行き、お父さんを発見したのですね?

はい。父はシャンデリアに吊り下がってました。

違う。

瑞穂はフタリシズカの貼られた、本の栞を見つめた。

そこに由希の字で、9月21日志賀高原にてとある、あの子が帰ってきたのは父が死んだ翌日の事なのだ。

なぜ嘘をついたのか?恐らくでないとわかっていながら、瑞穂は疑念を抑えることができず、由希の携帯を鳴らした。

由希、どこに行ってたの?

夕飯は?

要らない!。

心配顔の母を無視して自室の扉を乱暴に閉めると由希はそのままベッドに倒れ込んで激しく嗚咽した。

お母さんは、夕飯の心配ばっかり、

自分の娘達がどうなってるのか全く知ろうともしない。

私達はもうわかり合うことはないのかもしれない、久雄さんの死を悼むこともできずに。

由希は彼の澄んだ眼差しを思い出した、その瞳にどれだけ勇気と温もりを貰えたか。しかしその先には何時も姉の姿があったのだ、自分で壊したとはいえ、姉に彼を返してあげたかった。

由希は見るとも無しに、四条教授に預けた種子の写真を見ていた、向き合ってなおると、さらさらと、DNA配列をメモしてみる、多分こんな感じになるはず。だとしたらこれは、ラインの通知音が鳴った。

四条教授からだった。

分析完了しました、これは大変なものです、すぐに手をひくべし、明日戸隠奥社まで来られたし。

その時、由希の中の違和感がすっと溶けていった。

何回目かの電話の最中に、瑞穂宛に一通のメールが届いていた。

杉崎の妻明里からだった。

夜分遅く失礼します。これは事件とは関係ないかと思いますが、5年前、娘が手術をいたしました、心臓でしたので大変お金がかかりましたが夫はどこからか、お金を持ってきました

丁度お父様の事件の前後だったかと思いました、ずっと忘れておりましたがこうして夫を失ってみますと、全てが繋がって見えるように思います。どうか犯人を逮捕してください。

繋がった、すべて。瑞穂は深い絶望感の中眠って行った。

戸隠神社は、宝光社、中社、奥社、の三社からなる。

有名な杉の巨木が立ち並ぶのは中社であり、奥社と呼ばれるものは、はるか山中にひっそりとたたずみ、拍子抜けするほど小さい。

裏は笹に覆われた険しい山道がうねうねと続いていた。

やっぱり来たんだね。

初めて見る、教授の顔だった。

教授が呼んだんじゃないですか、由希はトレッキングシューズにヤッケを着こんでいた。山の空気は寒く朝靄が立ち込めていた。同じく登山支度をした教授が獣道を歩き出す、由希はそれに続いた。

10分程歩いただろうか。

これは。

一面に大麻草の畑が広がっていた、

朝露に濡れて葉が揺れて音を立てている。

新種なんだよ、病気に強い。それに効果が抜群だ。

教授、なんてことを。

遠野君はこの事を知ってしまったんだよ、だから死んでもらうしかなかった。

どうしてこんな事を。

何言ってるんだ、これは人助けなんだよ、君ならわかってくれるね?

姉に連絡します。

無駄だ、圏外だ。

言いつつ、教授が襲いかかってきた、常軌を逸している。逃げようと振り返った先に、意外な人が立っていた。

母さん、

そのまま由希は昏倒した。

母が、由希を石で殴ったのだ、母は愛しい娘の姿を見ながら泣いていた、

ごめんなさい由希。でもこうするしか、2人はぐったりした体を引きずり、白樺の木にロープを吊した。

まだ息はある、でも、由希には死んでもらう。

ごめんね。

やめなさい!そこまでよ。

警官と共に現れたのは瑞穂だった、由希に連絡がつかない事を知り携帯のGPSを辿ってきたのだ、四条と母は抱き合いながら泣いていた、憑物が落ちたみたいなダダの老人だった。

霧島佐世子、四条渉、遠野久雄、杉崎徹、および霧島源之丞殺害容疑で逮捕する。

瑞穂、あんた、お母さんに手錠をかけれるの?

できるわよ、椎名。

部下の椎名がシワだらけの細いてに手錠をかける。

父も、あなたが殺した。

何を。

杉崎に命じてね、当時杉崎はお金に困っていたからお金をやって殺させて、自殺に見せかけたのね、そして彼も殺した。

今更自首するとかいうからだ。

手錠をかけられた、四条が毒づく。

あなた達はずっと父を裏切って大麻栽培を続けていたのね、それを知った父と久雄さんを殺したのね。

私は、あなた達を決して許さないわ、由希を必ず幸せにする、負けないと誓うわ。連れて行って。

パトカーの音が遠ざかり救急車のサイレンが近づく。

由希は意識を取り戻した。

姉さん!痛い。

大丈夫?

瑞穂は由希を強く抱きしめた、体が暖かい。由希の右目から涙が伝って落ちた。

お母さん、私を殺そうとしたのよ。

もう、終わったのよすべて、大丈夫よ。私が居るでしょ。

私、嘘をついてたのお父さんが死んだ日はまだ、ウチには居なかったのよ、ゼミの合宿だった。

うん。

お母さんに頼まれたの、疑われるのが嫌だからってもうやましい事してたのね。

うん、

ずっと裏切ってだんだね。

あんな人でも、あなたを愛してたわ。

うん。

担架に乗せられるまで姉妹は硬く手を握り合った。

由希、あなたには私が居る。

うん。

由希を乗せた救急車のサイレンがだんだん遠ざかって行く。


風が強く吹く、池を渡る光る風遠くに仰ぐ戸隠山は残雪を頂く、黒いグレートハウンドが瑞穂目掛けて一直線にかけてくる。

チェイサー、懐かしい愛しい声がする少し薄い茶色の髪、剃り残しのある髭、茶色と薄いグリーンが混じった、特徴のある瞳。

ブルーのシャツが風を孕んで膨らんでいる、彼は屈んでチェイサーの頭を撫でていた。

ねぇ。

私あなたを愛していたよ。

知ってた。

なぁ。

俺もお前を愛していたよ、いつか会いに行くつもりだった。

うん、知ってた。

よく頑張ったな。

うん。

目を開けた、瑞穂の前には闇が広がる頬が濡れていた。

完。



























































最後まで読んでいただきありがとうございました。

これからも、傷つきながらもまっすぐ生きていく女性を書いていきたいと思います。

よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ