第155話 約束の時
「分かりました。マールさま」
ツヴァイは一礼すると館の方へ駆け出していく。
「くるみ! 敵の現在位置はわかりますか?」
私はくるみに呼びかけ、地図の場所へ行く。
「はい! マールさま! 1組の情報だと、今、この辺りですにゃん!」
そういって、くるみは地図の上を指さす。やはり、思ったより進軍速度が速い。
「トーヤさん、どう思います? 館に向かわず、直接、帝都方面に避難している領民がいるのですが、逃げ切れると思いますか?」
トーヤは私の言葉に、並んで地図を覗き込む。
「…厳しいな… 十中八九、追いつかれると思う…」
「では、当然、これから館から避難する組も追いつかれますよね…何もしなければ…」
あぁ… やはり、あの夢で見た運命は変えられそうにない… しかし、私が私である為に…私の大切な人々を守る為には仕方のない事だ…
「マールさま、皆様をお連れ致しました」
ツヴァイがおじい様、おばあ様、ラジル、それとリソンとファルーを連れて広間にやってくる。
「マール…来たぞ…」
おばあ様に肩を貸しているおじい様が代表して口を開く。私はその言葉に頷く。
「もはや、一刻の猶予もございません! 皆は館にいる者、領民全てを引き連れて、直ちに出発する準備をして下さい!」
「マール様はどうされるのですか!?」
リソンが口を開く。
「私は後で合流しますよ…」
「それなら、私もお嬢様と共に残ります!」
代々仕えてくれているファルーが声をあげる。
「ダメです! ファルーはメイドたちの事があるでしょ? ここのメイド達はそれぞれの親御さんからお預かりしている、大事な娘さん達です。貴方が私を大事に思ってくれる様に、メイド達も家族の方々から大事に思われているのです」
「し、しかし、お嬢様…」
侍女長であるファルーの本来の役目は私に尽くすことだ。だから、無理を言っているのは私の方であるので、その狭間でファルーは揺れ動く。
「私はここに残って当主としてやらなければならない事があります。しかし、お預かりしたメイド達の身を守る事も当主の役目だと思っています。でも、私の身体は二つに割ることが出来ません。だから、貴方にメイド達の事をお願いしているのです」
ファルーは私の言葉に大きく目を見開き、そして、何かを悟ったように顔を伏せる。
「分かりました…お嬢様」
ファルーは涙を流しそうな顔をして必死に堪えている。ごめんなさい…ファルー
「マール様、私はマール様と残ってもよろしいのですか?」
リソンが尋ねてくる。
「ダメです。貴方も避難してください。リソン、貴方は私個人よりもこの家に仕えている立場の者です。だから、私にもしもの事があった時に、次世代の当主を支える役目があります。それは分かりますよね?」
私の言葉でリソンは深い悲しみを湛えた顔をする。そして、恭しく頭を下げる。
「分かりました。マール様。このリソン、その役目、必ずや果たします… しかし…」
リソンは顔をあげて私の優しい顔で見つめる。
「私個人としては、これから先もマール様に仕え続ける事を願っております… どうかご無事で…」
「ありがとう…リソン…」
あぁ、私は本当に良い人たちに恵まれていたのだと改めて思う。
「では、おじい様、おばあ様、そしてラジル… 直ちに避難準備に入ってください! 私も転移建屋に行って、子供や重傷者の避難の指示を行います!」
「分かった…マール」
「分かりました! マールお姉さま!!」
ラジルは涙を必死に堪えながら大声で答える。
「頼みましたよ…」
私は少し俯いたままそう言い残すと、転移建屋に向かう。
「マールちゃん…いいの? 最後の別れになるかも知れないのに…」
「いいんですよ… これ以上、話すと決意が揺らぎますから…」
後ろから声を掛けるセクレタさんに、私は振り返らずに答える。
「そう…」
セクレタさんの声が小さく聞こえた。
私は転移建屋に辿り着き、扉を開けてそのままの勢いで階段を下りていく。
「ロラード様、転移を始める準備をして下さい!」
「おぉ、マール殿か」
私の声にロラード卿が振り返る。
「ロラード様、貴族の方々だけで何回転移出来そうですか?」
「ここの担当の者に話を聞いて、向こうの魔法陣の魔力供給用に人員を送ったとしても…あと3回が限度だな…」
ロラード卿は悔しそうな顔で言う。
「転生者の方で魔力供給できる方はいますか?」
私は転生者たちに向けて尋ねる。
「あぁ、その事も話していたんだが、俺たちを加えても5回が限度だ」
5回…それではここに残る人々の極一部しか転移出来ない… なら、貴族の方だけでの3回で、重傷者や子供を送ってもらい、転生者達は魔力を残して、避難者の護衛についてもらうしかない…
「分かりました。では、貴族の方々だけで3回転移を行ってもらいます! 転生者の方は避難民の護衛に回ってください! 転移するものは子供、重傷者を優先にお願いします!」
私の言葉に皆は真剣な覚悟を決めた眼差しで頷く。
「では、準備を始めるぞ! もう馬車は諦めろ! 数を優先する!」
ロラード卿が貴族の皆に言葉を飛ばす。そして、予め運び込まれていた重傷者や子供が魔法陣の上に集められる。
「向こうで魔力供給する六人もさっさと乗れ! 向こうに行ったからといって、逃げ出すなよ! ユズハ卿! ちゃんと監視しといてくれ!」
「わ、分かりました! ロラード卿!」
ロラード卿の的確な指示により、50人ほどの人々が魔法陣の上に集まり、転移の準備が整う。
「では、一回目始めるぞ!」
ロラード卿の声に、担当者が頷き、作業を始める。すると、一瞬で50人の人々がふっと消えて転移される。
「よし! 次の転移だ! 早く準備しろ!」
転移建屋の一階の大扉が開かれ、少し大きめの子供や老人たちが入ってくる。
「ささっ! 早く! 早く乗るんだ!!」
指示の声に、老人と子供たちが互いに手を引いたり引かれたりしながら、魔法陣の上へと急ぐ。
「向こうの準備も終わったようです!!」
操作の担当者が皆に分かるように大声をあげる。人々も乗り遅れないように慌てて魔法陣の上に移動する。今回は前回のように担架に乗った重傷者はいないので、その分多く乗れて、およそ70~80人ぐらいの人が乗っている。
「では、二回目始めてくれ!」
ロラード卿の声が上がると、転移開始の明りが点灯し、ふっと一瞬で転移が終わる。そこで、魔力供給をしていた貴族の一人が『くっ!』と声をあげ、膝を折る。やはり、無理をしているのだ。
「すまんが、後1回だ! 頑張ってくれ!!」
声をかけられた貴族はなんとか歯を食いしばりながら立ち上がる。
「では、次が最後の転移になる。魔法陣の外側の供給陣ではなく、内側の物に移動してくれ。あと、出来るだけの人々を乗せるんだ!!」
最後の転移となり、皆、慌てて魔法陣の上に移動する。これに乗り遅れたら、もう後は歩いて逃げるしかないのだ。
私は最後のお願いと礼を述べるため、ロラード卿の前へ進む。
「ロラード様…」
「マール殿か…」
ロラード卿は忙しい中、私の姿を見つけて、向き直って起立する。
「皆の事をよろしくお願いします…」
私は、ロラード卿に深々と頭を下げる。
「私も、マール殿のご健闘をお祈りいたす!!」
頭をあげて見たロラード卿はそれ以上語らず、全てを察しているようであった。
「では、転移します!」
担当の声が響く。私はその声をロラード卿と皆を見詰めたまま聞いた。そして、ロラード卿が込み上げる何かをぐっと堪えた時に、ふっと姿が消えた。最後の転移が終わったのだ。
私は暫くの間、何もない魔法陣の上を見続けた。しかし、私に感傷に浸る時間的な余裕はない。私は転生者達に向き直る。
「みなさん! 最後の転移が今、終わりました!」
皆、沈黙して私の言葉に集中しているので、私の言葉が建屋内に木霊する。
「この転移魔法陣は転生者の皆さんが、多くの汗水と時間、苦労を重ねて作り上げてきたものです…」
転生者たちは何も語らず、私の言葉を聞いている。
「しかし、今現在、セントシーナの軍勢が近づいており、ここを奪われれば敵に利用されてしまいます!」
そう、セントシーナはすぐそこまで来ているのだ。
「本来であれば、私が行うべき事なのでしょう… しかし、私には力がありません… 多くの努力と苦労を重ねて来られた皆さまに、こんな事…こんな事を申し上げるのは… 大変、心苦しいのですが… 魔法陣を… 魔法陣を壊してください! お願いします」
私はロラード卿にしたように転生者たちに深々と頭を下げる。
この魔法陣を作るにあたって、失明しかける者もいた、セクレタさんに怒られもした、増え続ける開発予算に青くなる時もあった。でも、共に苦労と努力を重ね、共に頑張ってきたのは、この転移魔法陣がこの領地にとって希望となりえたからである。
私はその魔法陣をこの領地にとっての希望の象徴を自らの手で壊せと言っているのである。
「別に構わないよ…」
転生者の一人が声をあげる。
「どうせ物だしな」
「作り直せばいいし…でも…」
「壊すつもりなんてないから」
私は最後の言葉にはっとして、頭を上げようとする。
しかし、突然、瞼が重くなり、意識が消えそうになる。
「えっ… 体が…」
身体が床に吸いつけられそうに重くて立っていられない…
「なんだかんだいっても、やっぱしマールたんは貴族なんだよなぁ~」
「そうだな… ようやく、睡眠魔法の抵抗を突破できたよ」
遠ざかる意識の私にそんな転生者の言葉が聞こえた…
『どうして…』
私はその言葉を言うことなく、意識が途絶えた。
「マールたんは眠ったな…結構、手ごわかった」
「だな…」
「さて、セクレタさん…」
転生者たちがセクレタに向き直る。
「約束を果たす時だ!!」




