第139話 急な旅立ち
「カオリ! 貴方!…」
トーカが立ち上がって何か言い出しそうにしたので、私は手のひらを差し出して制止する。おそらくトーカは、私がカオリのお酒造りの為に、大量に穀物を買い込んだというのに、いきなりカオリが修行に出たいといった事に、何かを言いたかったのであろう。
トーカのその気持ちは分かるが、それ以上にカオリから話を聞かなければ、何の修行で、どうして修行に出たいのか分からない。
「えぇっと、カオリさん… ちょっと、いきなり結論からだったので、最初から理由を説明して貰えるでしょうか?」
私はトーカにも納得してもらえるように、カオリに訊ねる。
「あぁ、堪忍やで、うち、気持ちが先走ってしもて、うち、こないにマールはんから、お酒の材料を買うてもうたんやけど、今のうちでは、折角のマールはんの行為を有効に使う事が出来へんねん。このままやったら、折角の材料が勿体ないから、ちゃんと使えるように修行に行きたいねん」
カオリは私に謝罪するかのように、今回の理由を説明する。トーカはその理由に納得したのか、椅子に腰を下ろす。私はカオリの言葉に胸が痛くなる。今回の事はカオリを驚かせるために、私が穀物を買い付けたのが始まりであるが、私が発注量を間違えてしまったばかりに、カオリに気負わせてしまったのだ。
「カオリさん、そんなに気負う事はありませんよ。今回の材料はカオリさんを驚かせようと、私が発注したものなのですが、私が量を間違えてこんなに来てしまったんです。だから、もっと気持ちを楽にして下さい」
「えっ!? やっぱり発注ミスしていたの?」
私の言葉にトーカが再び、立ち上げる。
「あっ…ごめんなさい… 量じゃなくて、暴落前の金額で発注しておりました」
私は少し赤面しながら、トーカとカオリに頭を下げる。
「あぁ、そやったんや…うちはマールはんにもっと生産するように期待されているんやと思っとったわ」
カオリはばつが悪そうに鼻の頭をかき、トーカは納得して再び座る。
「そういう事情で改めて、カオリさんに訊ねたいんですが、修行についてはどうされますか?」
私の言葉にカオリははっと顔を上げる。
「カオリさんが、今、お酒造りに行き詰っているのは聞いております、だから、私は材料である穀物を購入しました。しかし、それはカオリさんに重圧をかけ苦しめる為ではありません。私がカオリさんに気持ちよくお酒造りに励んで貰う為の物です」
「マールはん…」
カオリは私がカオリの胸を内の思いを知っている事に気付く。
「だから、カオリさんが、材料の他に、知恵や経験、技術が必要というなら、それらを学ぶ事を止めたりはしません。むしろ推奨するつもりです。」
「ちょっと!マール!」
私の言葉に再びトーカが立ち上がる。
「カオリがここからいなくなっちゃうのよ!?」
「でも、一生会えないと言う事ではありません。ちょっと勉強してくるだけです。そうですよね?カオリさん」
私はトーカに言葉を発した後、カオリに向き直る。
「せや、うちもあいつらからあんまり長い間、目を放したくないし、それにうちはここが好きやから、ここから離れるつもりはないで」
「よかった、そう言ってくれて…で、あてはあるんですよね?」
私は、カオリにお酒造りの修行の行き先について訊ねる。
「あぁ、うちはハンスさんに気に入ってもらえたから、いつでも修行しにきたらええって言ってもらってん」
「なるほど、ハンスさんのいるベルクートですか。それなら安心してカオリさんを送り出せますね。場所もここのレグリアス地方のとなりですし」
恐らくはハンスさんの所であろうと考えていたが、カオリの事だから行き当たりばったりで出かける事も危惧していたので、その通りでよかった。
「では、いつ頃、出発されますか?」
「いまからや!!」
カオリは気が早いので、2~3日後と考えていたが、私の想像以上にカオリは気が早かった。
「いや、いくら何でも、今からって…」
「思い立ったが吉日や! ちょっと準備してくる!」
カオリは私が制止する暇を与えず、執務室を飛び出していく。
「ねぇ、マール」
トーカから声がかかる。
「はい、何でしょう…」
私はカオリが立ち去った扉を見つめながら答える。
「やっぱり、最初から止めた方がよかったんじゃない?」
「いや…その…こういうのは想定していなかったんで…」
「とりあえず、止めるなり、関係各所に連絡するなりした方がいいんじゃない?」
私はトーカの言葉にはっと気が付く。いくらカオリがハンスさんと中がいいと言っても、相手は大貴族、12公爵家のベルク―ドだ。失礼があっては…というか、そもそもいきなり行くのが失礼すぎる。
「ちょっと、おばあ様に事情を話してきます!」
私もそう言って、執務室を飛び出す。おばあ様は確か、今の時間は、礼儀作法の講師をしているはずだ。一階の応接室かな?
私は急ぎ応接室に向かう。そして、扉の前で一度、息をと問えた後、ノックをして中へ入る。
「おばあ様、ちょっとよろしいですか?」
「あら、マールさん。どうなさったの?」
今はどうやら、お茶の給仕の練習をしていた様だ。手の空いているメイド達がティーワゴンの周りでいそいそとしている。
「少し、おばあ様にお願いしたい事が御座いまして」
「まぁ、そうなの? とりあえず、座りなさいな。ちょっとお茶でも飲んで、息を整えて」
あまり、ゆっくりも出来ないのだが、ここはおばあ様の言葉に従って、ソファーに座る。
「さぁ、貴方達、マールさんにお茶を振舞ってみなさい」
あぁ、私は丁度良い練習台ですか… それに礼儀作法の練習をしているのに、私が作法を無視した行動をする事は出来ない。
新人メイドが緊張の為か、ティーカップをカタカタと音を立てながら私に差し出す。そして、おばあ様にも同様に差し出す。私はおばあ様が口を付けるのを待ってから、自分も口にする。
「はい、いいわよ、作法は間違っていなかったわ。あとは回数をこなして慣れる事ね」
おばあ様がメイドにそう言うとメイドは胸を撫でおろす。
「で、おばあ様。私の話をしてもよろしいでしょうか?」
「お待たせしたわね、マールさん。どうしたのかしら?」
おばあ様はゆったりと貫録を持って答える。
「あの、転生者のカオリが突然、ハンスさんの所へ事前連絡もせずに修行に行くと言っておりまして…」
「まぁ、そうなの。それは大変ね。お土産の準備をしないと」
おばあ様は、私が想定していた所と別の所を心配する。
「いや、お土産の準備より、連絡を…」
「あら、連絡なんてすぐに済むわ。貴族の要人が訪問するのではないのだから、ちょっと連絡入れるだけでいいわよ。それよりも、手土産も持たずに行く方が問題だわ」
「そう…なのですか?」
「ええ、そうよ。マールさん、お土産の準備をして。私はちゃんと連絡をしておくから」
そう言う訳で、おばあ様から先方へ連絡を入れてもらい、その間に私がお土産を準備する事になった。とりあえず、当家の特産の炭酸飲料と温泉館の無料招待状を準備する。今回、鶏肉は日持ちがしないので諦めた。また、それらを運ぶ為、馬一頭を準備する。
おそらく、カオリは転移魔法陣を使って、一度帝都に行ってから、ベルク―ドに向かうと思うので、簡単な地図とお金、先方への手紙も準備する。
こうして、転移建屋で待っていると、カオリが袋一つ持って建屋に現れる。そこで私は胸を撫でおろす。
「あら?マールはん」
「まだ、旅だっていなくて良かった… カオリさん、ほんと急なんですから…これ、お土産を乗せた馬です。移動に使って下さい。あと、こちらが先方への手紙と、簡単な地図、そしてお金です」
私はそれらをカオリに手渡す。
「えっ? うちの為にここまでしてくれるの? ありがとう~マールはん」
「本当はもっとゆっくり準備をしたかったのですが、あまりにもカオリさんが急なので」
私はちょっと、怒った顔をする。
「堪忍な…決意がゆらがんうちに行動せんとあかんと思って…」
「うふふ、分かってますよ」
「ほな、行ってくるわな」
「はい、行ってらっしゃい」
そうして、カオリは魔法陣の上から消え、ここを旅だって行ったのであった。




