いつか君へ贈りたいプレゼント
ゴーストアタックを目の当たりにしてから二週間後。
再度ゴーストアタックが行われたその日まで、正体不明の男はどこにでもいる普通の女の子と、彼女の家族を日夜通して監視した。
ソルトペッパー エト セテラ
初めに断言します。
彼女はどこにでもいる一般的な女児と変わりありません。
菫市二号学園初等部五年。
真面目に勉学に励み、運動も適度にこなします。
男女問わずクラスの同級生とは仲睦まじく、特に親しい友人三人と過ごすことが多いです。
自宅外においては、よく学びよく遊ぶ。
自宅内においては盗聴もしてみましたが、こちらにおいても不審な点は一つもありませんでした。
(イヌリンと呼ぶ、あれは変わった置物だろうか。それにはよく話し掛けている様子だったが、それについてもやはり報告は必要ないだろう)
家族仲は良好。
父親は駅員として平日五日、セントラル駅に務めています。
母親は介護士として働いていますが、現在は産前産後休暇中で自宅で家事をしていることが多いです。
二人の人間関係に探りを入れてみましたが、どちらにも不審なところは見当たりませんでした。
(話していて馬鹿らしい。確か、珈琲豆は切れていたな。この煩わしい報告をさっさと切り上げて買いに行こう)
二日前にゴーストアタックが南の第三等危険領域内にて発生。
その子細はそちらがよくご存知でありましょう。
彼女はその時刻、子供部屋で昼寝をしていました。
父親は職務の最中で、母親はリビングでテレビを視聴していました。
(何か呪文のようなものを唱えて静かになったが、まさか魔法ではあるまい。万が一にそうだとしても)
ところで例の映像については、こちらから改めて各専門機関に調査を依頼させてもらいました。
結果、一種の超常現象と判断。
誰もがお手上げということでした。
さて、とにかく彼女が潔白であることは自明でありましょう。
これ以上の個人に対する調査は不必要と判断します。
私はそれよりも、ゴーストアタックの正体を突き止め、その攻撃がどこから来るものかを探ることを優先すべきと進言します。
「君にも娘がいたね」
電子タブレットのスピーカーを通して、あいつはいやにわざとらしい軽口で脅してきた。
照準器を覗いての脅しだ。
「私情はありません。そもそも私には正体がない。そのため、同じくゴーストと呼ばれるこの私を選んだのでは?」
「どうも君には愛国心すらないのかも知れないね」
あいつは鼻で笑って言った。
癇に障る悪い癖だ。
「報告は以上になります」
俺はよく分からなくなっていた。
一見すると危険因子の封鎖活動は愛国心を試されているようだが、実際には違う。
愛国心を利用されているに過ぎない。
家族ができた現在は後悔をしている。
国よりも身近な誰彼を愛して今一瞬を大事にして生きるべきだった。
子供達が心のままにそうしているように。
それが国の為になることを俺は知っている気がする。
もし、いつか世界だって救うだろうという希望まで望んでいる。
「君の今までの功績と信頼に免じて、それで良しとしよう。今回もよく働いてくれた。娘が今から三分ほどで帰宅する。報酬で褒美をくれてやるといい」
あいつはいよいよ引き金に指をかけた。
テレフォンカードの画面を睨んで見下ろすと、報酬が上乗せして口座に振り込まれた。
「褒美ですか?」
「君の娘は優秀だ。将来に期待しているよ。必ずや国の役に立つ良き人材となろう」
「俺と同じ道を歩ませるつもりはない」
冷静に言ってやった。
仕事中は私情が、いや心そのものがない。
そう決まっている。
「これだけは約束する。君の家族も愛すべき同胞だ。わざわざ危うい世界に招くつもりはこちらとしてもない。私はただね、この国を心から愛しているだけだ」
意外な含みだった。
口調からはどこか弱気を感じた。
「では」
銃口を自身のこめかみに向けたようにさえ思えた。
とはいえ気を許すつもりはない。
「さようなら」
男がハッキリと別れを言い終えると、有機シートは遠隔操作によって即座に初期化された。
「ただいま!」
その時にちょうど、玄関のドアを開け閉めする音とランドセルの金具やらが騒ぐ音が階下から聞こえて、次に無邪気な可愛らしい声が男の部屋まで届いた。
男が部屋を出てドアを施錠すると、娘が母親にテストの結果を知らせているのが聞こえた。
満点らしい。
書斎に入って、コートハンガーに掛けてある赤ワイン色をした上等のコートを羽織った。
今日は家族三人で外食することを約束している。
幸福な情景を思い浮かべて男は笑った。
「え!ジャンプしたの!」
さて、そう言ってセテラが驚いたのは遡ること二日前。
大英日本帝国は南部地方の某所に打ち捨てられた、ことごとく緑にのまれた瓦礫の町の真ん中で、そこに突如として生えたお菓子な大樹とメクルメクアイは対峙していた。
大樹の幹や根はもちろん超合金から出来ていて、しかし枝葉は色味も質感もさながら本物のようだった。
その枝葉には赤リンゴと青リンゴ、ロリポップキャンディーや板チョコレート、他には人型のクッキーやカラフルなマカロン、三重のパンケーキに苺のショートケーキまで実っていた。
どこからどう見ても、まさしくお菓子な大樹だった。
それは出し抜けに枝葉を揺らすと、巨大なお菓子を空中に浮かせて、次には飴霰の飽和攻撃を仕掛けてきた。
それ自体は容易く耐え抜いたのだが、続く地面から何本も突き出した太い根による攻撃に意表を突かれた。
一撃が重く、下方より打たれたメクルメクアイは綺麗な放物線を描いて飛んで高層ビルの一棟を倒した。
そこで敵は、忽然と姿を消してしまったのだった。
「それも、うんとうんと遠く」
イヌリンは、敵は遥か北の異国に移動したと言う。
セテラが見下ろす瓦礫の町には、お菓子な建築物がひしめいていて、カラフルなモコモコ衣装を纏った人々がお菓子に集る蟻のように蠢いていた。
すべて平行世界のもので半透明である。
「いいなあ。お菓子の国」
「ちょっとちょっと。聞いてる?」
「うん。でも、外国はパスポートとかいるし、それに勝手に入ったら怒られるよ」
「それを言ったって仕方ないでしょう」
「だって、悪いことだけはしたくないんだもん」
「じゃあどうするの?」
セテラは、うーんと唸って、渋々ながら自分を納得させてジャンプすることに決めた。
ただ、敵は町の中心近くにいるらしく、また気配が微弱だった。
そこで、まずは様子見をするために町の郊外へジャンプすることに決めた。
「ホップステップジャーンプ!」
重厚な曇天から漏れる日差しを受けた霙がきらきら風に舞っている。
セテラたちがジャンプしたのは、果てしない雪原と雪化粧をした森の境だった。
その景色とはチグハグに平行世界が重なって、やっぱりあちこちにお菓子な建物が生えていた。
ズームして、スクリーン越しに遠方に町を見つける。
高いビルなどは見当たらず、セテラの町とそう変わりないレンガ造りの町のようだ。
その中心近く、町の煙突から立ち上る灰褐色の煙の向こうに超合金の大樹が透けて見えた。
イヌリンが魔法少女の衣装を「ふわもこ」とした防寒仕様に変えてくれた。
メクルメクアイを残して、二人はさっそく町に向かってジャンプした。
「人が少ないね」
セテラは町の入り口から続く雪避けされた石畳の側に立って、物珍しそうに視線をあちこちに巡らせる。
「これだけ寒いんだもん。みんなお家の中にいるんじゃない」
気温が間もなく零を下回ろうとしていることをイヌリンが伝える。
セテラは防寒仕様のおかげか、魔法そのもののおかげか、寒さを強く感じることはなかった。
白い息を吐きながら、町の中へ踏み込もうと片足を上げたその時、イヌリンが待ったをかけた。
セテラはフラミンゴのような格好で固まった。
イヌリンは、足跡が不自然に残るために屋根伝いにジャンプしよう、と提案する。
セテラはそれに従って、右側に見える三階建ての建物の上へジャンプした。
文字通り「跳躍」して屋根の上に軽やかに跳び乗った。
「わっとと」
「危ない!」
その拍子にセテラは足を滑らせそうになって、雪の塊が下に向かってドスンと落ちた。
幸いにも通行人には当たらなかったが、分厚い毛皮の防寒具を頭から足先まで揃えた老紳士が傍らに落ちたそれを一瞥して、こちらを訝しげに見上げた。
彼は頭上に何もないのを確認すると、しきりに降り注ぐ霙を避けるように下を向いてまた歩き出した。
その先で、今度は並んで取り残された奇妙な小さな足跡と窪みを道路の側で見つけることになる。
「気をつけてよ、セテラ」
「だって杖が重いし、それに高くて怖いよぅ……」
「もう、何を今さら。それよりほら、ほら見てよ」
霙は雪に変わっていた。
まるで天使のように舞い降りる綿雪は煙突から立ち上る煙をひらりはらりと避けて、整然と並ぶレンガ造りの建築物をより純白で輝かしく、まさに情緒的に飾っていく。
白に浮かぶ赤レンガのコントラストは美しく、平行世界のお菓子の建物やカラフルな住民達がそこにさらなる淡い彩りを添えていた。
見渡す限りの絶景を目の当たりにしたセテラは、クリスマスが来月に迫っていることを感動の最中にふと思い出した。
そして、イヌリンに何か贈り物は出来ないだろうかと思案する。
イヌリンはそれを、感動のあまりに立ち尽くしているものと勘違いした。
一方でセテラは、煙突がないのにサンタさんはいつもどうやって家の中に入ってくるのだろうと考えを移していた。
その物思いにふける顔を見て、イヌリンはやっと、セテラが上の空であることに気付いた。
「セテラ。何を考えているの?」
「ん?クリスマスとサンタさんのことだよ」
セテラはついでと聞いてみた。
「イヌリンちゃんの世界にも、クリスマスがあって、サンタさんはいるの?」
「いるよ。クリスマスシーズンにはサンタさんがプレゼントを乗せたソリに乗って、二匹の赤鼻のトナカイさんに引かれて空を走っているよ」
「いいなあ。じゃあ、煙突は?」
「何?煙突?」
分からないという風に聞き返す。
「サンタさんは煙突から家のなかにお邪魔するでしょう」
イヌリンはそれを聞いて大笑いした。
「煙突なんて大昔のもので、もうどこにもないよ。それにあったとしても、夜にそんなところから忍び込んだら大火傷しちゃうじゃない」
「本当だ。じゃあ、サンタさんは魔法を使って家のなかにお邪魔するんだね」
「うん。そうそう」
偶然にも奇妙にも話が纏まった。
答を得たセテラは満足して頷いた。
「さ、そろそろ行こう」
イヌリンは慎重に移動することを指示した。
足下に気を付けるのと、相手の動きを警戒してのことだ。
セテラは雪を踏み締めて、雪よりもふわっと軽やかに跳躍した。
屋根から屋根へ跳ぶのは中々に恐ろしいことで、何度か臆病になった。
その度にイヌリンが安心して大丈夫と言ってくれたので、十度目の跳躍時には楽しくなっていた。
そうして何度目か、いよいよお菓子な大樹のごく近くまで来た。
町を覆う傘のように枝葉が広がっていて、そこに実る林檎や菓子類がハッキリと判別できるくらいまで近付いた。
今のところ動きはない。
「よく見たら素敵だね。クリスマスツリーみたい」
「セテラってば、またまた呑気なこと言って。あれがさっきみたいにお菓子を降らせたら、この綺麗な町は、ぜーんぶ粉々になっちゃうのよ」
「それはダメ!」
イヌリンはここでハッと気付いた。
「そういうことね。きっと私たちが手出し出来ないように、わざと町の中へジャンプしたのよ」
「ええー。そんなのずっこい」
「時計の針はどれくらい進んでるかな?」
二人して目を凝らしラグナクロックを探してみる。
ロリポップキャンディーに混じってそれはあった。
わざわざ擬態させて隠してあるようだ。
その針は、杖の形をした紅白縞模様のキャンディケインだった。
それをセテラが先に見つけた。
「見っけ。半分を越えてる」
「それは早いね」
「うん。どうしよっかあ」
セテラは、どこか間の抜けた声で言った。
それはまるで、世界の危機なんてこれっぽっちも気にしていないような軽い口調に聞こえた。
イヌリンが疑わしく思って気に掛けていると、不意にセテラの目がとろんと微睡み、とろけた顔で微笑んだ。
「イヌリンちゃん。甘い匂いがするね」
「え?まあ、言われてみればちょっと」
そこまで言って違和感を覚えた。
「でも、おかしくない?」
「お菓子だもん」
セテラは恍惚として、ずっとお菓子な大樹を見つめている。
そして、どこか会話がずれている。
「しっかりして!」
「ほえ?」
「セテラってば、何だかおかしいよ!いつものことだけどいつもより酷いくらい!」
「お菓子おいしそうだねえ」
突然、セテラは口を閉じてモゴモゴさせた。
何かを味わっているその様子を見て、イヌリンはギョッとした。
明らかな異常行動である。
「君は、ぼっー、としてることが多いけどさすがにおかしいってば」
「え?味しない?苺ケーキ、あ、待って、今はチョコレート」
イヌリンは、またまたハッとなって気付いた。
「その匂いは機械の仕業かと思ったけど、今ハッキリした」
「んゆ?」
「それはきっと共感覚よ。あのパラドクスロボットが魔法を君にかけたの。視覚に嗅覚や味覚を繋げて、て聞いてる?ねえねえ?」
セテラはもはや夢中になっていた。
幸せの絶頂て顔だ。
「前に私が暗い気持ちにさせられたのと、きっと同じよ」
セテラの耳にイヌリンの言葉は届いていない。
イヌリンは自身の中にある魔法解除のプログラムを発動することにした。
これは初歩的な魔法で、万が一の備えにどの魔法道具にも備えられている基本的な安全機能であり、シャインマスコットも例外ではない。
例えるなら、怪我に備えた消毒薬や火事に備えた消火器みたいなものだ。
イヌリンが淡く光ると、セテラの睡んだ目はしっかり見開かれて、姿勢までシャキッとなった。
「はうっ!お菓子がない!」
「まだ言う?」
「違うよ!見て!」
セテラは目前のパラドクスロボットを指差して、あたふたしている。
しかし、イヌリンからすれば何も変化は見られない。
「目の前にパラドクスロボットがいないの!」
「何言ってるの。だってほら……あ」
イヌリンは気付いた。
セテラにかけられた魔法は解いた。
しかし、もし自分にまで魔法がかけられていたとしたら……。
元いた世界では、魔法を悪用する人が増えていた。
その為の予防策として、魔法を利用する機械にはどれもセキュリティが備わっていた。
端的に説明すると、第三者による悪質な魔法の干渉を拒むようにしていた。
ところがイヌリンの体、そのシャインマスコットだけは例外だ。
商品ではなく、メクルメクアイを操作する魔法少女をサポートするためだけに緊急で用意されたものだ。
常に使用者の側にあったし、そもそも第三者による悪用など全く想定していない。
あくまで魔法少女をサポートするためのものなので、魔法解除のプログラム程度しかインプットされていなかった。
「私まで魔法にかけられてたってことね」
にわかに甘い匂いが強くなった。
続けて激しい頭痛と吐き気が襲ってきた。
超合金の体では対処の仕様がない。
イヌリンが苦痛に喘ぎだす。
セテラはそれを見てますますパニックに陥ってしまった。
「落ち着けー落ち着けー!」
セテラは目を閉じて一所懸命に考えを巡らせる。
魔法を解く方法は何かないか……。
「そうだ!」
手を叩いて閃く。
彼女も魔法を扱う魔法少女なのだ。
ならば答は簡単。
「魔法よ魔法よ飛ん」
「だめ!」
セテラが魔法を解こうと呪文を唱えると、その終わりをイヌリンが叫んで遮った。
苦痛に耐えながらも絞り出されたその声からは必死さを感じた。
「君が私の魔法を解いたら、もしかしたら、もしかしたら私まで消えてしまうかも」
「どういうこと?」
イヌリンは声を押し殺した。
これ以上は堪えきれないというような苦痛を味わっているに違いない。
魔法がダメなら手段は一つだ。
セテラは覚悟を決めてジャンプする。
メクルメクアイに助けを求めて。
「きゃあー!!」
イヌリンを抱えてメクルメクアイの足下に飛んだセテラは、吹き荒ぶ風の音に負けないほど大きな驚きの声を上げた。
助けを求めたメクルメクアイが、まさかパラドクスロボットの長い枝に絡め捕られて、グロテスクな赤黒い液体によってドロドロと溶かされていたのだ。
表面が子供が舐めたロリポップキャンディーみたいになってしまっている。
まだ、形は保っていたが。
「これが本当の目的……か」
「イヌリンちゃん、喋らない方がいいよ。休んでて。私ひとりで必ず何とかしてみせるから」
構わずイヌリンは言葉を続ける。
「パラドクスロボットの目的がやっと分かった。目的はメクルメクアイと、そして多分、私よ」
「それって?」
「生き残りの私達を消すのが目的なのよ。何度も世界を消してきたけど、私とメクルメクアイは一度も消えていないからね」
「そんな……」
「こんなにたくさん雪が降る場所へジャンプしたのは姿をしっかり隠すためだと思う。見えにくいし、熱源探知だって誤魔化せるし、それに音だって」
そこまで言って、イヌリンは激痛に喘いだ。
標的を前にしたパラドクスロボットに容赦はなかった。
ただ、残り物を消すためだけに行動しているようだ。
イヌリンの見る世界がグルグルと崩壊していった。
聞こえる音は悲鳴のようだ。
それでもイヌリンは気力を振り絞る。
「お願い。私をここに置いて、あれをやっつけて」
「友達をこんなところに置いてなんて行けないよ。危ないし」
「お願い」
イヌリンの切なる願いにセテラは頷くしかなかった。
イヌリンに背を向けると拳を握って、お菓子な大樹を睨む。
「必ず助けるよ」
だから。
「願いを乗せて!」
セテラはブレインルームへジャンプした。
直ちに台座へ魔法の杖を突き立てる。
「光り輝け!メクルメクアイ!」
メクルメクアイが緑の目を光らせて起動する。
力一杯に枝をバキバキと折って、肩のマジカルロケットを利用して遠く離脱した。
風雪は強まり今や吹雪のようだ。
白い幕を挟んで、二体のロボットが対峙する。
「痛いの痛いの飛んでけ!」
セテラは魔法でメクルメクアイの自己修復機能を加速させて傷を癒した。
これで戦いは振り出しに戻った。
セテラは、またどこかへジャンプされる前に決着をつけることを決めた。
超猛毒合金ギフトホグウィードに実る林檎やお菓子が黒く染まって腐っていく。
この威嚇にセテラは動じない。
ちょっとだけ、もったいないな、という気持ちが過ったけれど。
「今度こそやっつけちゃうんだから!」
メクルメクアイは新しいマジックアイテムを魔法陣から召喚した。
「マジックアイテムサプライズ!ソーイングビーニードル!」
メクルメクアイに内蔵されたマジックアイテムの一つで、つまりは超合金の裁縫針である。
これにミラクルエネルギーを通わせて、バッサバッサと伐ってやろうというわけだ。
と、いきなり戦いの幕が上がった。
先に動いたのは敵の方だ。
以前と同じに幾本の根を不意に地面から突き出して横殴りの攻撃を仕掛けてきた。
メクルメクアイは足下の揺れから根を警戒して飛び退くと、突き出しては鋭く迫る根を回避して、流れるような動きで次から次へと伐り捨てた。
と、ここで敵の枝葉が怪しげに揺れているのに気が付いた。
メクルメクアイは次の攻撃に備えて身構える。
敵は腐った林檎や菓子を魔法で空高く打ち上げた。
それは狙い定めた標的へと、吹雪に混じって雹のように降り注ぐ。
「ふんだ。もう当たらないよ」
メクルメクアイが飛翔体の軌道を超速で計算して、肩のマジカルロケットで空高く上昇しながら迫る攻撃を避けきった。
下方でジュッと蒸発するような音がした。
どうやら雪が溶けたようだ。
白い煙が辺り一面に充満した。
吹雪がそれをさっと拭うと、眼下の雪原にどす黒い水玉模様が刻まれていた。
「何あれ!」
メクルメクアイが成分を瞬時に解析する。
スクリーンに毒物であることが表示された。
「なんたら……ポイズン……うぇ!やっぱり毒なんだあれ!」
当たればさっきのように溶かされてしまうだろう。
セテラは十分に気を付けることにして、メクルメクアイを捕らえようと伸びてきた幾本の枝を見事に伐り落としてやった。
「今度はこっちの番だ!それ!」
空中から鳥のように急降下して敵の傍らをすり抜けながら、頭に繁る葉の一部をバッサリ伐った。
メクルメクアイは雪原を滑るように着地して、雪煙の大波がその後に続いた。
「え!うっそー!なんで!」
直後、メクルメクアイの右足が腐食しているという警告がスクリーンに表示された。
辺りをよく見渡してみると、敵を中心に毒がジワジワと広がっていた。
恐らく根から毒を広げているのだろう。
大地が汚され腐っていく。
セテラは自然が好きだ。
散歩をするのが好きなのも、美しい自然が温かく心を癒してくれるからだ。
野端に咲く花に触れることも好きだ。
植物だけでない。
動物も空も大地も海も風も星も、憧れるほど自然を愛している。
「許さない」
セテラは静かに怒りを露にした。
今まで生きてきてこんなに怒ったのは初めてかも知れない。
そもそも誰彼に対して本気で怒ったことがない。
それほど温厚なセテラが、友達を傷つけられたのと、この場所にもう野花が咲かないのを想像して、とうとう激怒した。
悔し涙が目尻に溜まるほど、セテラの魂の怒りは高く燃え上がった。
「かんかんに怒ったんだから!お仕置きしてやる!」
メクルメクアイは超合金の裁縫針を敵を目掛けて投げた。
それは蜂のように縦横無尽に宙を駆け巡り、いとも簡単に、大樹の幹を幾度も貫き枝葉を幾度も派手に散らした。
その尾には魔法の糸が括られている。
どんどん加速して縫って、ついに敵は枝葉を動かせぬほど、がんじがらめに縛られた。
「でも、もう二度とこんなことしないなら許してあげる」
セテラの心で、怒りの隣に悲しみが寄り添っていた。
「闘争」という行為に対しての嘆きだ。
セテラは他人に本気で怒ったことがなければ、喧嘩だって本気でしたことはない。
大きく深呼吸して気持ちを落ち着かせる。
「約束したから。みんなを守るために私は戦わなくちゃいけないんだ」
自分に言い聞かせる。
糸の縛りが強くなり、キリキリした甲高い金属音がして腐った果実や菓子がボトボトと落ちた。
それが後悔の涙ならどんなに心が救われたろうか。
敵の毒手が地面から突き出してメクルメクアイの体をズルズルと這い上がり蝕んでいく。
そして、セテラの幼気な良心に反して、残酷に裏切るように先の尖った枝を一本メクルメクアイに鋭く突き出した。
諦めの悪いその攻撃をメクルメクアイは難なく左手で掴んだ。
そして、おもむろに縦に二度振った。
セテラはもう怒っていなかった。
優しい笑みを浮かべていた。
しかし敵は、魔法の糸により細切れになってバラバラに砕けた。
敵の残影は瞬く間に吹雪に掻き消された。
周囲に生えていたお菓子な建物も、一つ残らず名残惜しくも消えてしまった。
「綺麗に綺麗になあれ」
セテラがキラキラした魔法の結晶を辺りに振り撒くと、奇跡らしく浄化され、毒による黒ずみは全てさっぱりなくなった。
「これで、何とかなるといいんだけど」
セテラは次に、イヌリンを探しに吹雪の中へ飛び出した。
気配を辿って、呼びかけながらイヌリンのもとへ向かう。
するとイヌリンの方からジャンプして現れてくれた。
「何してるの。危ないから外に出ちゃだめよ」
「だって、イヌリンちゃんが大丈夫か心配だったもん」
「ありがとう、もう大丈夫。でもごめんね。いつも頼って助けてもらって、たくさん心配させちゃって」
セテラはしゃがんで頭を振った。
「私だって頼って助けてもらってるから、おあいこだよ」
「私、何かしたっけ?」
「戦ってる時だけじゃない。家では勉強を教えてくれたり、宿題を手伝ってくれるし、他にも私の知らないことをたくさん教えてくれた」
「そんな大げさよ」
「だから、おあいこなの。パーとパーでハイ、タッチ!」
セテラは言って、イヌリンの体を掌で軽く叩いた。
それに対してイヌリンはムッとした声で抗議する。
「ビンタになってるんですけど」
それから同時にクスッとなって、二人は仲睦まじく笑いあった。
あなたがいると、君がいるから、どんなに苦しくて辛くても何度でも笑える。
「ねえ、イヌリンちゃん。また少しだけ町に行っていい?」
「町に?どうして?」
「お散歩したいんだ。天井とか壁のない町。テレビでしか見たことないから」
「そっか。じゃあ、着替えなきゃね」
「魔法で用意出来る?」
「そんなことしなくても取って戻って来ればいいじゃない。冬服はもう出してたよね、あ、靴と傘も持ってこなきゃ。とにかく待ってて」
「え!ここで!?私も一緒に」
「だめよだめだめ。お部屋が、セテラの衣装についた雪でびちょびちょになっちゃう」
イヌリンはそう言うと、あっという間にジャンプして姿を消してしまった。
「イヌリンちゃあーん!」
セテラは吹雪く雪原の真ん中に一人、いやメクルメクアイと二人取り残されてしまった。
視界はホワイトアウトして、まるで遭難したみたいな気分だ。
「ふえーん!こんなところに置いてかないでよおー!」
しばらくしてイヌリンが戻ると、小さな雪だるまが五つ並んでいて、その隣で大きな雪だるまが一つ寂しそうに震えていた。