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おばけと狂奏乱舞

せみが活発に鳴く冬。

魔法が現実になった。


これは、とある世界の歴史。

相次ぐ異常気象によって地球環境は激変し、生きとし生けるもの達は進化と淘汰の岐路に立たされていた。

絶えず襲い来る自然災害、それに起因する様々な二次災害によって人類はおよそ半数を失い、残存する野性動物たちと苛烈に生存圏を争っていた。

超自然的気候変動による季節のズレは、どちらの命も公平に奪っていった。

世界の滅びは運命であった。


夏は寒く冬が暑い。

季節の逆転が普遍的な常識となった、とある年の蒸し暑い冬の始めに歴史的大事件は起こった。

被災の激しく崩壊を目前にしていた島国ジパング。

その科学者の一人が無限の可能性を秘めた未知なる第五元素、時を偶然に発見した。

時空間に影響を及ぼして不可能を可能にする奇跡、それこそ万人が希求する魔法だった。


さらに数十年を経て、魔法を扱いやすくする媒介として特別な超合金が発明され、それは家電やアクセサリーにまで姿形を変えて、魔法は人々にとってより身近な存在となった。


それから約三百年をかけて、人々は世界を理想的なものへと少しずつ修復していった。

やがて地球は、生命が豊かな幸福を享受する楽園となった。

そしていつか、ジパングはマジカルジャパンと名を変えて、魔法先進国として世界が憧れ、ついには神の聖域と崇められるに至った。


人間は魔法によって自然との共生を果たし、また何に脅かされることなく心身ともに充実した暮らしを謳歌していた。


さて、マジカルジャパンの南島に拠点を置く国際魔法研究会と呼ばれる組織がある。

ある時、彼らは過去を遡り前時代の歴史を手に取って、深い忘却の底に埋もれた破滅的な死を掘り出していた。

世界を救済した魔法の起源は必ずそこにある。

自然な成り行きだった。

選りすぐりのエリート達はそれを熟読し、熟慮し、一年熟成させて、自然と人類、それに魔法を加えて、多様な視点からありとあらゆるテーマで議論を交わした。


数ヶ月後、ある一つの疑問が投げられた。

それはエリート達みんなの興味を惹いた。

夢見心地な幼女ピアも興味を惹かれた一人だった。

父と母に挟まれて聞かされる退屈な堅苦しい議論よりも、よっぽど面白いファンタジーだった。

それは目が覚めるほどに。


平行世界。


突然、その存在を探ろうと誰かが提案したのだ。

誰が発言したかは分からない。

ひょっとしたら誰かの寝言だったかも知れない。

何であれそれは、熱くなった議論を冷ましているときにエリート達の集まるホール内を軽快に跳ね回った一言だった。

折しも、楽園に不穏な空気が淀んでいた時期だった。

魔法を度が過ぎる私利私欲のために悪用するものが増えていた。

それによる小競り合いや事件も目立ってきていた。

誰もが小さな不安を、心のどこかでは大げさに身近に感じていた時代だった。


だからエリート達は最悪の未来を想定し、その対策として平行世界へ移住することを真剣になって考えてみた。

仮に世界規模の滅亡級異常気象が再来したとして、仮に世界規模の人類闘争が勃発したとして、それから平行世界に逃げるとしてもその先で平行世界の人類と争っては意味がない。

資源の問題もあろう。問題は上げれば切りがない。

ただし、単純なことでほとんどの問題が解決する。

人類の繁栄していない平行世界を見つけ出せばいい。

平行世界が無限の可能性によって分岐した世界と仮定するなら、それも見つけられるはずだと結論した。


突飛で馬鹿らしく思えよう。

でも彼らは彼らなりに真面目だった。

真剣に真面目に取り組むこと、たった二年の間に、彼らは世界で最も巨大で精密な魔法粒子加速器「MRA」を搭載した次元超越装置なるものを完成させた。

それはまだ試作機であったが、平行世界に夢を見て急成長を遂げた天才幼女ピアのアイディアによってほぼ完成と言ってもいい出来に仕上がっていた。

超合金で組まれた世界一巨大なそれはどんな願望をも叶えると、誰もが信じて疑わなかった。

そこで、さっそく試験の運びとなった。

功績を認められて、それよりも愛されていたために、ピアが代表して呪文を唱えることを任された。

平行世界への扉を開くプログラムを起動する呪文を唱える、とても簡単なものだった。

みんなが笑顔で祝福して褒めてくれる予定だった。


ところが、予期せぬ事故が起こってしまう。

人類は夢ばかり見て幸福に甘んじていた。

どんなことも魔法があれば叶うと。

失敗しても何とかなると。

それは決して悪いことではなく自惚れでもない。

直向きに前向きだった。

しかし……。


世界の終末、後にディスオーダーと呼ばれる現象が発生した。

次元が繋がるときに生ずるエネルギーが次元超越装置に取り込まれて一体の巨大ロボットを召喚した。

幻想世界でのみ生きる破壊と恐怖の象徴、ドラゴンが大きな翼を広げて現実世界に飛び出した。

その衝撃で試験場が崩壊する。

崩れて穴の空いた天井から室内へ、夏の熱気とそれを些か冷ます微風が同時に垂れ込めた。

眩いばかりの日射の中に佇む巨大な影が、天を食らうように顎を開いて一吼えした。

ピアはその光景を瓦礫の隙間から呆然と仰ぎ見て朦朧と戸惑った。


これはいいこと?

それともわるいこと?


時は流れて約一年後、花笑う春の始まり。

某国某所、世界中の戦地から生き延びて集まった国際魔法研究会員の活動する秘密基地。

発作的に泣いては、ようやく泣き止んだピアはソファーに体を丸めて横たわり、耳を手で塞ぎながらテレビに流れる災害報道を眺めていた。

あの事故から数日の間、起動の直後に翼で体を包んで眠りについていたドラゴンが突然に覚醒して猛威を振るった。

ドラゴンが炎を吐くと、町も人も動物も植物も世界も何もかも純白の珊瑚のように風化した。

ドラゴンは世界を飛び回って、少しずつ少しずつ、未来を風化させていった。


また一年が経ち、暑さの残る秋のはじめ。

あの日にピアを助けて以来、特に親身になって面倒を見てくれていた女性技術者が、ソファーに横たわって災害報道を眺める彼女の後ろから全てを諦めたようにぼやいた。


「世界は過去に滅びると決まっていたのよ。私たち人類は魔法でそれを封じていたのに、自分たちでそれを解いてしまったに違いないわ」


「急に、どうしてそんな悲しいことを言うの?」


「あのドラゴンの口の中にある時計、ラグナクロックを見てそう思ったの。動き出したあの終末を数える時計の、その針が一周した時に、必ず世界は」


「世界の終わりなんて悪い噂よ」


「そうとしか考えられない」


「あれは失敗しただけ。きっとまだやり直せるもん」


「まだまだ子供ね」


泣くのを我慢して震えるピアの背中に冷たく吐き捨てて、彼女はいずこへ去ってしまった。

そして、もう二度と帰って来なかった。

残されたピアはしかし、仲間たちと諦めなかった。

やり直せると信じて疑わなかった。

愛慕する彼女とも。


さらに一年後、粉雪の降る冬の終わり。

パラダイムシフトという現象から名を取った「パラダイム超合金」で構成された未知のロボット。

それをタイムパラドックスから名を取って「パラドクスロボット」と名付けた。

パラドックスにはピアの思いが込められている。

絶望と希望の両方の意を合わせ持っている。

だからやり直すことも出来る。

あれを破壊すれば幸せだった日に戻れるはずだ、とピアは確信していた。


パラドクスロボット第零号はウェザリングドラゴンと名付けられた。

それに対抗するために集められるだけの超合金を集めて、人型超合金ロボット、メクルメクアイを建造した。

それが今日やっと完成した。


この世界は確かに、あの日に平行世界と繋がった。

ただし干渉出来ず視認することしか出来ない。

初めは希望を抱いていた人々も、逃げ惑いながら平行世界で幸せに生きる人々の姿を見せつけられているうちに混沌と狂っていった。

胸に灯る希望や願望はもう風前の灯だった。


メクルメクアイでパラドクスロボットをやっつけて世界に幸せを取り戻す。


ピアは人類の願いを一心に受け留めて、人工知能を搭載した超合金「シャインマスコット」と契約すると、絶望を希望で包み隠して魔法少女に変身した。

大人たちは、彼女の強い思いで世界は救われると、いつぶりか明るい夢を見ることが出来た。

だからこそ世界中から勇士が結集して、共に魔法科学迎撃機を駆使して、ドラゴンの炎を受けながらも最期の最後まで最前線で懸命に戦った。

ところが力及ばず、結果的には失敗。

勇士軍は再起不能なまでに打ちのめされ、白い広野の一部になった。

健闘したメクルメクアイも遂には五体をもがれてガラクタとなり、ほどなくラグナクロックの針が一周すると、ピアの心が凍え砕けるほどの温かな閃光と衝撃がどこまでも広がった。


こうして世界は有終の美を飾った。


断じて彼女の実力不足ではない。

その時の彼女は間違いなく世界中の誰よりも心が強かった。

人類は立派に戦った、それもまた間違いない。

それでも。

世界の滅びは運命であった。


「ねえねえ、返事してよ」


応答がない。

敵を前にしてイヌリンは沈黙した。

山に貪られる真っ赤な夕日の前で、染みだらけのぼろ切れをマントのように羽織った、まるで、てるてる坊主のような巨大な傀儡が不気味に揺らめいている。

超傀儡合金メランコリックコクラ襲来。


「私、一人じゃあ……」


瞬きの間に敵が急接近。

カラカラと超合金らしからぬ軽い音を立てて揺れる綻びた顔の傀儡は、窪みに墨を落としたような目からポロポロと影を落とす。


「イヌリンちゃん……!」


ハロウィン。それは一年に一度の収穫祭。

どこもかしこも朝から賑やかで人々は胸を踊らせて陽気だった。

出店が交通規制のされた線路沿いに点々と並んでおり、そこには野菜を使った目移りするような変わり種のお菓子がズラリと並んでいる。

この国ではサツマイモとカボチャがチェストナッツを抑えて特に人気だ。

それはどれも一口サイズで、特に子供たちは格安料金で食べられた。

子供たちの成長を願った昔ながらの伝統である。

今日のセテラはいつもの可愛いらしいミニリュックではなく、お父さんの大きい緑のリュックを背負って友達と出店巡りを楽しんでいた。

そのリュックから頭のはみ出た超合金チコリーを、通行人たちは時々気にするような素振りで一瞥している。

真理亜も気になっていたことをセテラにきいた。


「重くない?」


セテラはウィンクしながら「平気」と答えた。

事前に魔法をかけて軽くしておいた。

イヌリンが言うには一日は持つとのことだった。


「お!ソフトクリームだ!」


ミヤはいきなり叫ぶと駆け出した。

絵音が困った顔をこちらに向けて、セテラは苦笑した。

真理亜は気付けばもう追いかけていた。

ポニーテールが上機嫌に跳ねている。


「お昼どうしよっか」


歩きながら絵音がきく。

セテラは人差し指を頬に当てて思案する。


「パスタかなー。揚げ物でもいいかも」


「うへー揚げ物は……今ちょっとね……」


甘いもの続き、これで七連続。

気持ち悪くなることは容易に想像がつく。

それでもセテラの頭にポテトフライが浮かんだ。


「ジャガイモもサツマイモも、どっちもお芋だよね」


「お芋だよ。て、ポテトフライのこと考えてる?」


「えへへー。バレた?」


「ポテトフライに限らず揚げ物はだめ」


「あ、カボチャなら天ぷらだね」


「そうだね。でも、揚げ物はだめ」


「分かりました。そこまで言うなら絵音ちゃんは何が食べたい?」


絵音は小首を傾げた。


「うーんと、私は蕎麦かな」


「いいねえ。今なら鴨蕎麦があるもん」


セテラの前に並ぶミヤが振り向いて叫ぶ。


「焼き肉か寿司!」


「ミヤはさ、男みたいだよね」


クスッと笑いながら絵音が言った。


「どこかだ」


絵音はミヤの頭を可愛がるように撫でる。


「ルックスも声もこんなに可愛くてお人形さんみたいなのに、どうして言葉遣いとか態度とか男勝りなんだろう」


「やーめーろ!可愛がるな!」


言って暴れるミヤを、真理亜が後ろから優しく抱き寄せた。

身長差で姉妹みたいだな、とセテラは思った。


「ミヤはお嬢様だよ」


「ほら、真理亜もこう言ってる」


ミヤは見上げながらどや顔で言った。


「私も男みたいだなーてよく思うけど」


「おいセテラ」


「でも、ご飯食べてる時とか、たぶん、誰よりもお上品だよ」


セテラのその言葉を聞いて、絵音が思い出したという風に何度か頷いた。


「あー確かにそうかも。絶対にこぼさないし残さない」


「それに」


真理亜が続ける。


「口を大きく開けないし、きちんと左手を添えて食べてるよね」


「ははは!そうそう、それがまた可愛いの!」


絵音が笑うと、ミヤは一瞬顔を赤くして、さっと前に向き直ってしまった。


「おしまい!恥ずかしい!」


やがて順番が回ってきて、一行はサツマイモとカボチャのミックスソフトを頼んだ。

ミニソフトクリームなので食べやすくお腹に優しい。

ミヤが一口で半分も平らげるほどミニで、コーンのなかに僅かながらアイスが残っているのが見えた。

さすが、口元には何も付いていない。


「おいしいけど、なんの味だかよく分からん」


「一気に食べるからだよ……」


セテラは正解を見せるように交互に舐め取って食べた。

甘く素朴なサツマイモ、甘く濃厚なカボチャ。

舌の上でほろほろとほぐれるそれは、どちらもまさに甘美といった味でとても満足した。

ただ、体が冷えてしまったので、どこかではやくお昼を食べようと一行は早足になった。

焼き肉とお寿司は却下で、午後のデザート巡りも考えて、絵音の提案を採用して蕎麦屋さんに決めた。


歩いて体が温まってきた頃、お店へ到着した。

店内はお祭りの日とあって、それなりに混んでいた。

そこは、ほぼセルフ式になっており、入り口から少し進んで注文、それぞれ蕎麦を貰ってお会計を済ませるという流れで、ちょうど空いてくれたテーブル席に一行は落ち着いた。

リュック、イン、イヌリンは足の間に挟んだ。

真理亜が「みんなは座ってて」と言ってわざわざ四人分のお茶を取りに行ってくれた。


「ありがとね、真理亜ちゃん」


「いいのいいの」


三人は真理亜が座るのを待ってから、揃って食事の挨拶を済ませて箸を割った。

そしてセテラは、鴨肉を一枚、ミヤのカレー蕎麦に乗せてあげた。

ミヤは半熟卵をちゅるりと一口に吸い込むと目を細めて微笑んだ。


「良かったねミヤ。セテラが優しくて」


絵音の言葉にセテラは遠慮がちに小さく首を振った。


「うん!いつも何かくれてありがとうな!セテラ!」


「美味しそうに食べてくれるから、私も嬉しいの」


「おい。ミヤを犬か何かだと思ってないか?」


絵音が口に含んだばかりのお茶をちょっと吹き出した。

彼女は慌ててポケットティッシュを取り出すと、すぐにテーブルを綺麗に拭いた。


「絵音はいつもミヤを馬鹿にして」


顔をしかめて怒っているぞとアピールする。

絵音はむせながら弁解する。


「ごめん、違うの。今のはセテラが悪い」


「ええー私?そんなつもりで言ってないよ」


真理亜はその様子を、かき揚げを食みながら静かに見守っていた。

表情はとってもにこやかで楽しそうだ。


「はあー!美味しかった!」


店を出てすぐに、ミヤが大声で叫んだ。

人目から逃げるように、一行は線路沿いへ戻ろうと歩きはじめた。

ふと見上げた街路樹たちが鮮やかにおめかしをはじめていて、いよいよ秋模様が濃くなってきたとセテラは感じた。


「すごく綺麗に食べたね。カレーが一滴も付いていない」


「絵音。まだ馬鹿にすんのか」


「もー違うってば。素直に褒めてるの」


「本当に?」


「男っぽいとか言ったこと謝るよ。後でソフトクリーム買ってあげるから許して」


「やった!約束な!」


「さっき食べたのに……」


セテラは呆れたという風な視線を向けた。

と、お馴染みの駅前の水時計と噴水がある広場に着いたところで、真理亜がセテラの手をちょいと引いた。


「ん?どうしたの真理亜ちゃん?」


「見て。スタンプラリーがあるみたい」


真理亜が指す方、駅の入り口にスタンプラリーの上り旗が、こっちだよ、と誘っているみたいにはためいていた。


「ああ、毎年やってるけど、そう言えば一度も参加したことないね」


絵音は眉を八の字にしてみんなに「どうする?」ときいた。


「今からでも間に合うかな?」


時計の短針はとっくに頂点を過ぎている。

真理亜は参加したいようで、そわそわしている。

セテラがその背中をドンと押してやることにした。


「追いかけっこだよ」


と凛々しい顔で励ました。

みるみる真理亜の表情が明るくなっていく。


「ちょっと待って。まさか私は走りたくないよ」


「絵音、お願い!」


「いや真理亜。そう、まだ走るか決まったわけじゃないしさ、ほら、とにかく間に合うかまず確認しよう」


「取ってきた!」


いつの間にか走って、ミヤがスタンプラリーの参加用紙を取ってきてくれた。

そこには四枚分、スタンプが色濃く丁寧に押されていた。

水時計のスタンプだ。

それをジッと見て絵音は目も口も一文字にした。


「ねえ。これ遠い」


ここ蓮花市という箱庭は、内部でさらに幾つかの区に細かく分けられている。

そのスタンプラリーが示すスタンプは二つの大きな区を跨いで並んでいた。


「でも絵音ちゃん。直線だよ」


「セテラ。ここが、町の中心から線路が雪の結晶みたいに伸びているから雪印線と呼ばれているのは、もちろん知っているよね」


「もちろん知ってるよ!」


「指定されたルートはここを真ん中に、それぞれ反対方向に伸びているの。うぐいす駅行きと、めじろ駅行きね」


「そうだね!」


絵音の話す駅はどちらも田舎を終点としていて、このような収穫祭には適当ということなのだろう。


「見ての通り。まったく反対方向なの」


噴水の縁に座ってひっくり返りそうになったミヤを力任せに引き戻しながら絵音は言った。

そしてセテラの目を捉えて離さず、頼むから勘弁、という力強い眼差しで真っ直ぐに見つめる。


「それでも今日までだから、もう行くしかないんだよ。それによく見て。こっちとそっちは別。二枚集めるようになってる」


「あ、本当だ。ミヤがもう一枚ずつ取ってくる」


「これは私たちのチームプレーの見せどころだよ」


セテラは頑なだった。

景品の超合金スコップがどうしても欲しい。

まるで運命のような巡り合わせを発見して、この機会を逃すまいと固く決めたのだ。


「景品は野菜の種とスコップだろう。いらなくね?やっぱやめる?」


引き返してきたミヤが絵音の味方についた。

その通りだ、と絵音はセテラに目で訴える。

真理亜がそこへ横槍を入れた。

いや、それで突いた。


「子供は、この用紙を見せれば電車賃が無料になるって」


「行こう!」


ミヤは無料に屈した。

絵音はおもむろに項垂れて噴水の縁に腰掛けると、頬杖をついて苦笑した。

真理亜がその隣に腰かけて絵音の腕に抱きついた。


「楽しい思い出を作ろうね」


ハロウィンという一年に一度の特別な祭日に、みんなで楽しい思い出を作る。

彼女の満面の笑みからその真意に気付いた絵音は、照れくさそうに微笑んで頷いた。

こうして、二組に別れてそれぞれスタンプを集めることになった。

セテラとミヤ、絵音と真理亜で組み、それぞれ反対方向へ別れた。


「セテラ。そのイヌリンは拾ったんだよな」


ミヤが列車内に吊るされて揺れる広告を目で追いかけながら何気なくきいた。

セテラは膝の上に乗せたイヌリンを撫でて答える。


「うん。それから友達なんだ」


「やっぱ変なの」


「え!ひどい!」


「だってな。多分ゴミだし、セテラは女の子じゃん」


セテラはリュックごとイヌリンを、ぎゅっと抱き締めて反論する。


「ゴミじゃないもん。それに、女の子が超合金を好きでも別にいいじゃない。ほら、女の子って綺麗なのが好きでしょう」


「あー、そっか」


すんなりと納得してくれたようだ。

イヌリンが笑っているのをセテラは感じた。

それからスタンプ集めは滞りなく楽しく順調に進んだ。

降りてはまた乗ってを繰り返して三駅のスタンプを獲得した。

桜と三色団子とお酒。

まるで、お花見みたいな組み合わせになった。

その折、真理亜からメッセージが送られてきた。

パスケースに入ったテレフォンカードが二人同時に反応してブルルルと細かに振動した。

セテラが先に上着の内ポケットから取り出してメッセージを確認する。

内容は「スタンプを三つ集めたよ」という報告で、薄い半透明の画面を指でスクロールすると、続けて写真も添付されていた。

絵音が美味しそうにチーズフォンデュを食べているところを、真理亜がこっそり隠し撮りしたものだった。

画面の端から端までトローリとチーズが伸びている。


「あ、ずっこ!」


「食べちゃ駄目なわけじゃないし」


「みんなで食べようと思ってミヤは我慢してたんだぞ」


「じゃ、次の駅で私たちもオヤツにしよっか」


「よっしゃ!」


ということで、二人はチーズフォンデュに対抗してチョコフォンデュとドライベジタブルのスナックとカボチャプリンと大学芋とはちょいと違って蒸かしたサツマイモに黒蜜をかけたものを歩き巡り食べてやった。

のだが、次の駅に着く頃には、セテラは何とも言い難い気だるさでフラフラになっていた。

足の疲れからきたものでないのは確かだ。


「一口サイズでも、たくさんだと気持ち悪くなるね」


「ちょっと休もう。ちょうど半分だし」


セテラはミヤに手を引かれて屋台の向かいに並べられたベンチの一つに腰を下ろした。

ミヤはそのまま落ち着きなくどこかへ駆けて行き、しばらくして、紙コップに入ったミルクセーキと紅茶を買ってきてくれた。


「はい紅茶。無糖だけど」


「わあ!ありがとう!」


ミヤが差し出す紙コップからは湯気が立ち上っていた。

セテラは手に持っていたテレフォンカードを膝の上に置くと、熱さに気を付けながら、また絶対にこぼさないよう大事そうに両手で受け取った。

絵音と真理亜は、二人が歩いている間に残り二駅まで進んでいた。

セテラはテレフォンカードを上着のポケットに仕舞って、紅茶をフーフーしてから一口飲み、空を仰いだ。

今日の夕空は珍しく、まるで黄葉を隙間なく貼り付けたような黄色い空だった。

気温も下がってきていたので、温かい紅茶がとても心地良い。

文字通り、ほっと一息ついた。


「しあわせだなあ」


そんな言葉がつい口からこぼれていた。

直後、イヌリンの滅んでしまったという故郷の世界が頭を過って、とても済まない気持ちになった。


「ずっとこうならいいのにな」


ミヤが呟いた。

セテラは項垂れたまま「うん」と頷いた。


「知ってるか?最近、蓮花市の近くだけじゃなくて、他の市の近くでも爆発とか変な地震があったんだけど、それ、ヤバいかもってテレビで言ってた。何か目に見えない攻撃かも知れないって」


セテラは反射的に顔を上げてギクリと硬直した。

ニュースから目を反らし耳を閉じていた現実だ。

もっと控えめに行動しなければいつか大きな問題になるかも、とイヌリンと相談していたところだ。

セテラは紅茶を一口すすって、ふう、と息を吐いた。

外に出たモヤモヤが、あっという間に消えた。


「大丈夫」


セテラは、家族や恋人と仲睦まじく行き交う人々を愛しそうに眺めて断言した。

ミヤはグイとミルクセーキを飲み干すと、紙コップをくちゃくちゃにして席を立ち。


「不安なんてぽい」


そう言ってゴミ箱は燃えるゴミの方へそれを捨てた。

そして振り向いて、にこっと歯をみせて笑った。

まるで自分を誤魔化しているような笑顔にも見えた。

セテラ自身がそうすることが多くなっていたので、過敏になって、そう見えたのかも知れない。


「これで最後だー!えい!」


人気のないほの暗い終点うずら駅で、セテラは最後のスタンプを強くしっかり押した。

任務を終え、複数枚の用紙をまとめて折り畳んでリュックに大事に仕舞った。

駅の丸時計を見ると午後六時を過ぎていた。

いつもなら帰らなきゃいけない時間だけれど、今日はこのあと、メインイベントの花火大会がある。

さっそく中心駅へと戻った小さな二人は隙間のない人混みをかき分けて、苦労の末に絵音と真理亜と合流し、案内所へスタンプラリーの用紙を無事に提出した。

案内所のお姉さんはセテラの胸に抱かれたたくさんの用紙を一瞥して目を丸くしたあと、優しく微笑んだ。


「ご苦労様。すごいね、スタンプを二枚とも集めたの」


お姉さんは用紙の一枚一枚に丁寧に目を通した。

そして確認のスタンプを押し、二枚それぞれに仕分けてからセテラの方へ用紙を滑らせた。

セテラはそれをみんなに一組ずつ配りながら、お姉さんへ確認のため一言尋ねる。


「一枚でも貰えたんですか?」


「はい。一枚だけでも、お菓子の小袋は貰えますよ」


そう告げる彼女の後ろで、他の職員が段ボール箱からお菓子の小袋を取り出してセテラたちに見せた。


「それは気が付かなかったです」


「あらあら」


「でも、超合金のスコップは二枚じゃないと貰えませんよね?」


「もしかしてみんな、それが欲しかったの?」


女性に言われて、絵音は、まさか、と言いたげにこっそり首を振った。


「うん!」


とびっきり笑顔なのはセテラだけだった。

何はともあれ、無事にお菓子の小袋と家庭菜園セットを貰うことが出来た。

さてと時刻を確認すると、花火の時間までは、あと三十分ほどあった。

それでも一行は一列になって、早足で役所前の大きな公園に移動する。

この辺りで花火を見るとなれば必然ここになる。

芝生広場にレジャーシートを引いて、家から何か持ってくるか、もしくは出店から何か買ってきて楽しむのだ。

しかし、今日のセテラ達は夜ご飯のことをしっかり考えて遠慮して、人で埋まる芝生広場の端っこにレジャーシートを引いた。

一足遅かったようで良いポジションが取れなかったのは仕方ない。


真理亜が用意してくれたパステルカラーの花模様が可愛らしいレジャーシートに寄り添って座った。

その頃にはすっかり日も沈み、温かな日中とは打って変わって、空気がひんやりしていたので押し合うように密着した。

あちこちから花火を楽しみにする人達の期待の声が絶え間なく聞こえてくる。

セテラも同調して興奮した。

この瞬間、公園に集まる人達の心は一つだったかも知れない。

と、その時。にわかに流行りの音楽が流れた。


「はじまった!」


どこかで小さな男の子が一番に声を上げた。

しばらくして、町の中央は平面の夜空からまず星が消えた。

次に蓮華市のシンボルマークが現れて、次に花火大会のタイトルが現れた。

人々は声を潜めて囁き、今か今かと心待ちにする。

音楽がピタリと止んで、会場に夜の静寂が戻ってきた。

ほんの少しの緊張からセテラは拳をぎゅっと握った。


パッ。


次の瞬間、夜空に花が咲いた。

ミルクにカットしたピーチを浸したような白と桃の淡い一色で花弁を彩る大きな蓮華が、一輪、堂々と咲き誇った。

その輝きに照らされたセテラの頬は桃色に染まっている。

カラフルな花が咲いては光の粒になって、色々な模様を描いて消えていった。

その幸福絶頂の余韻は、一夜明けてもセテラの胸にしっかり残っていた。


「おはよう。イヌリンちゃん」


まだ興奮している気がして、セテラは自分の胸に手を当てた。

その気持ちを見抜いてイヌリンが言う。


「まだドキドキしてるのね」


「うん。目もチカチカするよ」


「それは、眠たそうに瞬きしてるからよ」


「そっかー。ドキドキするのに眠いの不思議ー」


セテラは大きくアクビをして布団を頭まで被った。

イヌリンがため息を吐く。


「朝よ。しかも九時過ぎ。起きてしっかりなさい」


「今日はお休みだからお昼まで寝まーす」


「もう。だらしないんだから」


セテラは魔法でも掛けられたみたいにグッスリと眠り、また夢の中に戻った。

彼女の見る夢はいつまでもハッピーだった。

悪夢なんて一度も見たことなかった。

いま見ている夢もやっぱりハッピーだった。

ママとパパに挟まれて花火を見上げている。

ヒューと可笑しな声で鳴きながら白い線が夜空に伸びていって、それからドーンと骨まで痺れるほど凄い音がして立派な花が咲いた。

その後にはチカチカ煌めく花弁が舞い降りて、白い煙が少しばかり漂って残っている。

いつもとは違う花火だけれど彼女は特に気にしなかった。

ただ、隣にいる両親が知らない誰かのような気がした。

それが、ちょっと気になったところで夢から覚めてしまった。


「イヌリンちゃん、いま何時?」


「もう十二時を過ぎているよ、お寝坊さん。いい加減に起きなさい」


夢うつつなセテラの問いに答えたのはイヌリンではなくママだった。

ママはセテラの頬にキスをすると、豪快に掛け布団を全部めくって、うしろでにドアを閉めて部屋を去った。


「うぅ……ひどいよぅ……」


温かい腐葉土から掘り出された芋虫のようにセテラは身悶えして唸る。


「おーきーなーさーい」


対してイヌリンは、ひとことひとこと、いちいち、くどくど強調して言ってやった。

セテラは観念してようやく起きることにした。

そして顔を洗って、昼食にグラタンを食べた。

ママが用事で出かけるので、後片付けはセテラが任された。

洗い物を終えると部屋に戻って、彼女はパジャマのまま部屋の掃除を始めた。

もちろん魔法には頼らず自力で、ささっと掃除機で綺麗にした。

ついでにパパの書斎もパパとママの寝室も一階だって、ぱぱっと家中を綺麗にした。


一仕事終えて、パパとソファーに並んでテレビを観ていると「ケーキでも買いに行こうか」と誘いを受けた。

時計を見るとオヤツの時間だった。

セテラは二つ返事して素早く着替えると外へ飛び出した。

パパと二人きりで散歩をするのは久しぶりだ。

まだ穏やかな気候で、薄い上着だけでも寒くはなかった。

でも、セテラはパパに引っ付いて歩いた。

胸も足も踊って、パパは少し歩き辛そうだった。

そんな風に、のんびり時間が過ぎて夕方。

彼女が机の上の、将来の夢、と題されたプリントとにらめっこしている時だった。


「セテラ」


いつも先に気付くのはイヌリンだ。


「ディスオーダーだね」


それは終わりなく繰り返しやって来るようだ。

部屋に異変はなかったので、セテラは窓を開けて、上半身を窓枠に乗せて外を一望した。

周囲の住宅を見渡すも、特に際立って目立つものはなかった。

大きな何かが住宅を貫通して生えていたり、恐竜のような珍しい生き物もいなかった。

ただ一つ気になったのが、庭の芝生の上を白い砂が被っていたことだった。

よく見ると、小さな突起や山みたいなのもあったし、人の形に似たものもあった。

イヌリンが窓枠に乗ってそれを見るなり、ひっくり返って床にゴトンと落ちた。


「どうしたのイヌリンちゃん?」


びっくりして声をかけるも返事はない。

ただの超合金かと見紛うほど静かだった。


「イヌリンちゃん!」


今度は大きな声で呼び掛ける。

するとようやく、小さな声でだが答えてくれた。


「私の故郷に似てる」


セテラは息を呑んだ。

イヌリンは恐る恐る話を続ける。


「下に見えたあれは人や武器よ。まだ薄いから見え辛いだけで、町へ出ればきっと、白く風化したビルなんかも見つかるはず」


セテラはようやく口を開いた。

息を止めていたみたいに苦しくて、一度大きく息を吸ってから話す。


「ちょっと待って。本当にそうなの?」


当然の疑問。

ただ白い砂とオブジェがあるだけなのだから。


「見覚えがあるもの」


「でも……」


「私だって信じられない。だって、だって消えたはずだもの」


私の世界は。

聞き逃しそうなほどの細声で最後にそう呟いたイヌリンの体から、影が長く伸びている。

日が暮れようとしていた。


「確かめてみよう」


セテラはイヌリンの返事を待たずして、イヌリンを緑のリュックに詰めた。

それを背負ってドアも閉めず部屋を出て、急ぎ足でパタパタと階段を駆け降りる。

キッチンに立つパパがその慌ただしい音を聞きつけて「今からどこかへ出掛けるの?」とセテラにきいた。

セテラは暗くなる前に帰る。

と伝えながら靴を履き、言い終わりに外へ飛び出した。

イヌリンはずっと黙っていた。


「行くよ」


一声かけて、セテラは町の中心へ向けて歩き出した。

道中、ポツポツと白いばかりの家らしきものを幾つも発見した。

それからイヌリンと出会った橋に差し掛かった時だった。

そこでイヌリンがセテラを止めた。

あれを感知したのだ。


「パラドクスロボットでしょう」


「うん。この町の近くにいる」


セテラは気配を辿って川上の方へ視線を走らせた。

川に沿って住宅が続き、山に突き当たると緩いカーブを描きながら左に曲がって小さな村を過り、紅葉の鮮やかな森へ入る。

山はその辺りで壁に埋もれて途切れている。

パラドクスロボットはその向こうにいるようだ。


視線を山の反対側へ移す。

山から離れるとビルが林立する都会の街並みが見えた。

塔のような白い建造物群もその辺りに集中して目立っていた。

ビルが夕陽を反射して、それらをキラキラと輝かせているように見えた。

汚れのない綺麗なシルクを町に掛けたみたいで、遠くにそびえる景色を美しいとさえ思った。


「行かなきゃ」


セテラは言うが早いか背を向けて走り出していた。

イヌリンの重さが増した気がする。

やや前屈みになりながら小走りで姿を隠せる場所を探す。

しばらく引き返して小道を進み、その奥にある神社の境内へ駆け込んだ。

鬱蒼と繁る木々のトンネルの途中で茂みに隠れ、呪文を一息に唱える。


「願いよ願いよ飛んでけ!ホップステップジャンプ!!」


にわかに眩しい夕陽を受けてセテラは目を閉じた。

手をかざしてゆっくりと目を開く。

変身を遂げた彼女は高原にいた。


「お人形さん?」


視線の彼方、緩やかに湾曲する山裾に人形のパラドクスロボットを見つけた。

夕陽を背にして蜃気楼のような影がポツンと宙に浮いている。


「セテラ、嫌な予感がする」


物思わしげに黙っていたばかりのイヌリンが口を開いた。

冷たい風が吹き荒び、その声は途切れ途切れに聞こえる。

セテラは肩をすぼめた。


「気持ちで負けちゃだめだよ」


セテラはイヌリンを励ますとメクルメクアイを召喚した。

スクリーンを展開して視界にしっかりと敵を捉える。

影から血が染み出すように敵が全貌を顕にした。

不気味なその姿にセテラは全身をブルッと震わせた。


「いくよ、イヌリンちゃん」


その呼びかけはコックピット内に虚しく響いた。


「ねえねえ、返事してよ」


応答がない。

敵を前にしてイヌリンは沈黙した。

山に貪られる赤い夕日の前で、染みだらけのぼろ切れをマントのように羽織った、てるてる坊主に似た巨大な傀儡が怪しく揺れ動く。


「私、一人じゃあ……」


瞬きの間に敵が急接近。

カラカラと超合金らしからぬ軽い音を立てて揺れる綻びた顔の傀儡は、窪みに墨を落としたような目からポロポロと影を落とす。


「イヌリンちゃん……!」


恐怖してかセテラはたちまち脱力して腰を落とした。

視界が薄れて思考が奪われていく。


「イヌリンちゃん!」


消えてしまう直前で強引に意識を取り戻して、イヌリンに対して両手で何度も平手打ちしてやった。

幼児がワガママに乱暴するみたいにペチペチと乱打した。


「痛い痛い!やめてよ!」


「もう!目の前にロボットがいるんだからしっかりして!」


振り返るとスクリーンに敵の窪んだ目が二つ映っている。

セテラはギョッとして、イヌリンはゾッとした。


「きゃあー!」


瞬間、セテラは絶叫して、渾身のイヌリンパンチをその顔面に食らわせてやった。

敵は大きく吹き飛んで、高原の土を抉りながら三度と跳ねて、仰向けに地に伏せた。


「君ってばさ。意外と容赦ないね」


「あ、びっくりしちゃってつい」


敵が折れた首をダランと下げたままズルリと起き上がった。

顔面はイヌリンパンチを受けて粉々になり、中身はただの空洞になっていた。


「イヌリンちゃん、平気?」


「うん。ちょっと悪い夢を見てた」


「私も感じた。でも大丈夫。私たちは一人じゃないもん」


セテラは勇ましく笑ってイヌリンにウィンクした。

イヌリンは安心してクスッと笑った。

憑き物が落ちたみたいに心が軽くなった。


「いくよ!イヌリンちゃん!」


「うん!やっちゃえセテラ!」


メクルメクアイが緑の目を光らせて、地を蹴り走り出す。

轟音が山にぶつかって大きく反響する。

セテラは目を細めて夕陽の眩しさを抑え、勢いのままメクルメクアイを跳躍させて敵の背後を取った。

夕陽を背にすれば眩しさは感じない。

敵がグルリと体を回転させてメクルメクアイに向き直る。

直後、二体のロボットがノーガードで激しく激突する。

敵は傀儡らしいガタゴトした動きで体ごと大きく腕を振り回してがむしゃらに殴打を繰り返してくる。

一方でメクルメクアイは、そんな軽い攻撃など物ともせず、素早く重い打撃で反撃した。

それを受けて、敵はどんどん後方へ押されていく。


「わっとと」


急停止、セテラは敵の背後に町を覆う壁があるのに気付いて攻撃を止めた。

その隙をついて、敵がメクルメクアイに絡み付いた。

あちこちからワイヤーのようなものをシュルシュルと伸ばして全身を縛ってゆく。


「うわわっ!どうしよう動けない!」


セテラが慌てふためいている間に、敵は軋むほど締める力を強めて、特に首を強く強く締めて、さらにワイヤーは熱を帯びはじめた。

ワイヤーの熱は加速度的に温度を上げて、ついには橙色に高温発光する。

メクルメクアイの全身から火花が散り煙が立ち上ぼる。

ネオン管はバキバキと音を立てて次々に割れた。

メクルメクアイは何とか逃れようと金切り声を上げる。


「ぐぬぬ、すごい力。全然動けない」


ワイヤーはドロドロと液状に近い状態になっていた。

傀儡は目の前で燃え上がり、幼い女の子の笑い声みたいな音を発してグニャグニャと自身の体を溶かしていく。


「うわあ……気持ち悪い」


この劣勢の状況でもセテラは冷静でいられた。

隣にいる信頼するイヌリンがいるから。

敵の本体が炎の塊になったところでイヌリンが合図を出した。


「セテラ!今よ!」


密かに体内で集約していたエネルギーを今こそ全開にして、全力をもってして力任せに敵のワイヤーを引きちぎってやった。

解放されたメクルメクアイは不安定に後退る。

その全身には痛々しく赤い線が走っていて黒煙を燻らせている。

特に首は内部が露出するほど損傷が激しく、全身への命令伝達に支障が出ていた。

敵が自虐的な攻撃で脆くなっていたがために辛くも脱出できたのだ。

これ以上の戦闘は難しいだろう。

しかし、まだ終わりじゃないことを二人はよく分かっていた。


「あ、ラグナクロックがない。イヌリンちゃん、どこか分かる?」


「感じない。ううん、全く感じない」


と、敵の残骸によって高原が火の海になりかけているのにセテラは気付いて仰天した。


「風よ吹け!ふーふー!」


イヌリンの知識と指導のおかげで、セテラの魔法の扱いはぐんぐん上達していた。

セテラは魔法で器用につむじ風を起こすと土を巻き上げて、塗り絵でもするように上手に丁寧に消火していく。

と、その隙を待っていたかのように、不意に一本のワイヤーが伸びてメクルメクアイの脆くなった首を易々と貫通した。


「しまった!セテラ向こうを見て!」


メクルメクアイは頭をゆっくりと回した。

ワイヤーは遠く、山裾の影の中へ戻っていく。


「本体は影の中に隠れていたみたい」


「そんなことって出来るの?」


「そうね。もしかしたら、擬態かも知れない」


とにかく。

と一呼吸置いて言葉を続ける。


「あれをどうにか引っ張り出してやっつけなきゃ」


「でも、左手が動かないよ」


メクルメクアイの左半身は機能不全に陥っていてた。

痺れているみたいに、指先がピクピクと痙攣するだけだ。

そこへ敵が追撃にワイヤーを撃ってきた。

間一髪、体を倒して避けることが出来た。

高原の火は鎮火して、黒煙と土煙が混ざったものが辺りに立ち込めた。

それをヒュッと裂いて、続けざまに撃たれたワイヤーがメクルメクアイの右腕を絡め取った。

その先をよく見ると三指の鉤爪が付いていた。

さらに六本のワイヤーが次々に撃たれた。

起き上がろうと苦戦するメクルメアイを掴んで離さず、ズルズルと地面を引きずって飲み込もうとする。


「負けないもん!」


セテラは歯を食い縛って、台座に差し込んだ魔法の杖に反撃の意思を伝えた。

メクルメクアイがそれに応えて踏ん張り、右手で一本のワイヤーを掴んだ。

そして、腰を回しながら右手を素早く後ろへ引いて、力任せに影から本体をズルリと引きずり出した。

その正体は巨大な長方形のカラクリ時計で、滅茶苦茶に地面を転げて横たわった。

突然、それが優しいメロディーを奏でる。

衝撃でヒビ割れた硝子の中バレリーナの女の子の人形がくるくる踊って滅亡の三十二分前を知らせる。


「あれ?何か素敵なメロディーだね」


セテラは呆気にとられて耳を澄ました。

イヌリンは、時計が奏でるそのメロディーをよく知っていた。

亡き両親に代わって親身に面倒を見てくれた彼女がよく口ずさんでいた優しさの溢れる歌だった。

衝動に駆られて悲しみが募る。

セテラはそれを繊細に感じた。


「イヌリンちゃん」


穏やかに呼び掛ける。

イヌリンは一瞬だけ、刺々しい憎しみのこもった声で願った。


「壊して」


セテラは顔を伏せて、それから小さく頷いた。

メクルメクアイは再度ワイヤーを引いて時計を浮かせると、迫るそれを風を切る勢いの回し蹴りで破壊してやった。

背後で女の子の悲鳴がこだまして、メロディーはおもむろに遠くなり、静かに事切れた。


「バカー!!」


いきなりイヌリンが叫んだ。

しかも続けて。


「バーカバーカアンポンマーン!ざまーみろってのー!」


と叫んだ。


「あんぽんたんだよ……」


セテラがびっくりして固まっていると、対してイヌリンは打って変わって大きな声で笑った。


「あースッキリした」


「イヌリンちゃん?」


「なに?私はへっちゃらよ」


セテラの心配をよそにイヌリンはケロッとしていた。

それが逆に心配になったけれど、心を通じて本当に大丈夫だということを感じ取り、とりあえず一安心した。


「心配しないでセテラ。私は、あんなくだらない意地悪になんて負けないんだから」


セテラは何気なく浮かんだ疑問を口する。


「本当に意地悪だったのかな?」


すぐに頭を振って。


「はやく帰ろう」


そう言って神社の境内へとジャンプした。

陽がすっかり沈む前に帰宅すると、パパがビーフシチューをこしらえて、ママと一緒にセテラの帰りをやっぱり心配した顔で待ってくれていた。


ところで、この戦いの一部始終を鋭い目付きで遠望していた者達がいた。

家主に捨てられ見るも無惨な姿の別荘の崖に突き出したテラスに二人の男が並び立って、目に見えない不可思議な現象を見下ろして観察していた。

事の終わりを確認すると、細い体をした和服姿の初老の男が両手をこれ見よがしに広げて口を開いた。


「私も、そして君も自身の目で確と見届けたろう。これこそがゴーストアタックだ」


そう言う男のシワの薄い顔に表情はない。

対して隣に立つ体格のいい中年の男は、訝しそうな表情で形だけ頷いた。

彼が着用している、斜めにストライプ模様の入ったネクタイを結んだカーキ色の制服は警防団戦闘部隊のものだ。


「轟音、衝撃、発光、そして爆炎。確かに、まるで視認不可能なステルス兵器が使用されたように思えました」


「視認だけでない。どの観測機器を用いても認識が出来ん。そこで一人の大馬鹿者が言った。さながら魔法のようだと」


初老の男は鼻で笑い、広げた腕を後ろ手に組んで空を仰いだ。

そして間を置いて、物々しく語る。


「この国は常に危険に晒されている。北に戦闘区域を設けようとも当然、安全とは断言できん」


中年の男は黙って高原を見下ろし続けていた。

まだ何か起こるのではと目が離せなかった。


「君たち、警防団の使命は何だったかね」


初老の男は急に、馬鹿にしたような初歩的な問いを投げ掛けてきた。

中年の男は眼下の高原で消えようとする土煙を見つめながら即答する。


「警防団は律を厳に重んじ、和を整え守ることを使命とします」


「そうだろう。つまりは、国に国民を脅かす威は何であろうとも徹底的に排除しなければならんというわけだ」


背筋に薄ら寒いものを感じた中年の男は、ようやく目を離して視線を隣の男へ移した。

初老の男は空虚な目でまだ空を見上げていた。


「日本帝国は、我々日本人の国で在り続けねばならない」


初老の男は言いながら足元に置いていた風呂敷を拾うと、中年の男に背を向けてキビキビと歩き、朽ちかけている木のテーブルの上にそれを置いた。


「奴らは日本人をレジメンタルと蔑み侮辱するが、我々は断じて奴らの所有物などではない。日本人の魂は日本帝国のものであり、日本帝国は日本人の国である」


最後に憎々しい語気で強く主張して、しっかりした足取りで初老の男は立ち去った。

ひとり残された中年の男はテーブルにそろそろと近付いて、風呂敷の包みを解いた。

中には薄い有機シートと茶封筒が入っていた。

まずは茶封筒の中身を検める。


「どこにでもいる普通の女の子が脅威だって?」


中年の男は呆れて溜息を吐くと、友達と線路沿いの出店を巡る笑顔の可愛いらしい女児に赤い丸印を付けた、とても悲劇的な写真に憂いを湛えた目を落とした。

ページをめくっていくと、家族構成など、その子のプライバシーがおよそ一つ残らず詳細に書かれていた。


「名はセテラ。満十一歳。両親と三人で暮らす。母は妊娠中。家族みな純血の大英帝国人である」


かいつまんで目を通しながら、次に有機シートを起動すると、デスクトップに唯一表示されたアイコンを指で触れて記録映像を再生してみる。

公園の木陰で女児が突然に消えたり現れたりする超常現象が俯瞰で記録されていた。

町の安全を守る目的で箱庭の天井に仕掛けられた監視カメラが撮影した映像だ。


「お偉いさん方。俺には、とてもこの子が工作活動するなど考えられんよ」


そういった事実はあるにある。

しかし、映像に記録された女児は、どう見たってどこにでもいる普通の女の子にしか見えなかった。

中年の男は全てを風呂敷に仕舞うとそれを脇に抱えて別荘を後にした。

男に正体はない。

夕陽がとうとう山に飲まれて光が途絶えた。

男は深い闇の中へ消え去った。

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