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願いを乗せて!光り輝けメクルメクアイ!

この世界では武力が盛んだ。

いまなお、各国は武力を行使して力を誇示している。

しかし、世界どこでも争いがあるわけではない。

互いに損害を押さえるためにも、取り決めた場所と規則で武力を競う。

大英日本帝国という島国においては、北の大地を戦場と定めていた。

当然その土地を故郷と愛していた人々の怒りは現在も燻っている。

ところで、不作為か作為か。

まれにミサイルといった破壊兵器が戦闘区域外に飛来することがある。

それも町の側ならまだしも直撃なんてこともある。

そのため、こと大英日本帝国では長く歪で巨大で堅牢な箱形シェルターの中に町や自然までも納めている。

彼ら国民は箱庭に生まれ箱庭に眠るのだ。


ソルトペッパー エト セテラ


彼女もまたその一人である。

今年で十一才になった初等部五年生の、どこにでもいる普通の女の子。


セテラは大人しく清らかで優しい。

人、動物、植物……。自然を愛し自然に愛され生きていた。

趣味は散歩。どんな天気でもよく出かける。

作り物であっても、この世界の自然、全ては彼女にとって本物で愛おしいものだから。



箱庭の壁や天井には外の景色だろうものが鮮明に映し出されている。

可愛らしいミニリュックを背負ったセテラはその絵画を眺めながら今日もいい天気だと頷いて、玄関の扉をそっと閉めた。

今日の予定は友達とショッピングモールで買い物すること。


季節は夏の終わり。

まだまだ盛んな熱気がコンクリートの上で陽炎になって揺れている。

レンガと木材で組まれた家々を過り自転車を走らせていると、生温い人工風が彼女の美味しそうなたまご肌を舐めた。

虚空に燦々と浮かぶ円い照明に時おり目を細めながらも気を付けて走り、やがて待ち合わせの噴水広場までやって来た。


そこは町を雪の結晶を描いて広がる雪印線の中心駅、その駅前である。

カラクリ仕掛けの水時計が一つあるのが特徴的だ。

休日の駅前だけあって、誰かと待ち合わせをする人でいっぱいだった。

落ち着かずそわそわしている人、呆けた顔で天を仰いでいる人、本を読んでいる人、立っている人に座っている人と様々な人がいる。

その中から、彼女はすぐに友達を見つけた。

三人いる友達のうち、最も活発な子が噴水の縁に立って、赤毛の長い髪と腕を振ってくれていた。


「ミヤちゃーん!」


セテラが大声で呼び掛けると、三人の友達はすぐに彼女のもとへ駆けてきた。

自転車に乗っているのは彼女だけなので、彼女は自転車を引いて友達の後ろをついて歩く。

道中に交わす話題はテレビやファッションや少女漫画など二転三転気まぐれに移り、分かりづらい理科の授業の愚痴をぽろっとこぼしたところで目的の大型ショッピングモールへ到着した。


さて、用事を済ませてショッピングモールから外へ出ると景色は朱色に染まっていた。

虚空に円はない。遠い向こうにあろう壁に半円があった。

今日はパパの誕生日で、ママと夕食を作る約束をしていたセテラは友達にお礼と別れを言って自転車を走らせた。

背中に「またね」と大きな声が三つしっかり届いた。

セテラは、またね、という言葉が好きだ。

小さくその言葉を繰り返して、赤赤と燃える半円とは真逆に進んで行く。

目を細める必要はなかったが、きちんと気を付けて走った。

町は早くも燃えているように真っ赤に染まっている。


帰路の途中、小川に架かる緑の鉄橋を渡ろうとしたところで、セテラは不意にブレーキを握りしめて自転車を止めた。

二台の自動車が傍らを通り過ぎたが、歩道におちているそれを誰も気に留めなかった。


「あれ?朝にはこんなの無かったよね」


セテラの身長のちょうど半分ほど「約二フット」くらいの高さもある無機質な異物が、奇妙にも忽然と現れた。

ちょうど向かいから歩いてきた女性は訝しげにそれを見遣ると、次に彼女に邪魔だというような目を向けて去っていった。

彼女は自転車を欄干に密着するくらい寄せ置いて、好奇心のままに、それにそろそろと近寄ってみた。

頭頂部が黄緑色の見かけ白菜みたいなそれは、照明を受けて鈍く赤く光る体を欄干に預けて佇んでいた。

まるで傷付いた体で今から川に身投げでもしそうな儚い雰囲気だ。

もちろん、清らかな彼女はそんなことは思わないし感じもしない。

やっぱり好奇心のままに、ただどんなものか興味を味わおうと人差し指で恐れることなく、ちょんと触れてみた。


野菜は人肌程度に温まっていた。

セテラは少し違和感を抱いた。

が、きっとずっと外にあって温まってしまったのだろうと推理して納得した。

彼女は学校でも家でも優等生なのだ。


ふと、それが動いたような気がした。

鈍く赤い光がキラッと反射して、一瞬、彼女は目をつむった。

そしてまた開くと、なんと野菜は自立していた。

セテラはさすがにびっくりして「わあ……」と静かに驚いた。

でも目は釘付けで、どうしようか戸惑って口を結んだ。

その時である。

前触れなく、それの方から話しかけてきた。

瑞々しい声でシャキシャキと言葉を伝える。

口がないのに。あと目もないのに目を合わせて。


「こんにちは。ううん。はじめましてが先かな」


「わあ……」


もう一度静かに驚くセテラを見て、それはお辞儀するように、ぺこりと前に体を傾けた。

意思があれば礼儀もあるらしい。


「驚かせてごめんね。私は、君みたいな人をずっとずっと待っていたのよ」


「私みたいな?」


「君からはキラキラしたものを感じる。君は夢見る女の子。違うかな?」


セテラは小首を傾げて自信無げに「そうかな」とだけ答えた。

それは二度頷いて、希望のこもった声で何か言いかけてから、少し迷った素振りをして、ちょっぴり切ない声を出した。


「とても信じてもらえないかも知れないけど、けど、良かったら話だけでも聞いてくれない?」


「うん。いいよ」


セテラは拍子抜けするくらいあっけらかんと返事して、それをよいせと両手で抱えた。

それはずっしりとして、ランドセルよりも重いと感じた。


「重いねー」


「超合金だからね。それで、私をどうするつもり?」


「急いでるの。だから、話は歩きながら聞くよ」


セテラは踏ん張ってそれを数歩運び、それから自転車の前かごに、よいせと乗せた。

金属と金属がぶつかりあう大きな音がして、それの重さに自転車が倒れそうになり、彼女は慌てて体で押し戻した。


「ふう……。危なかったあ」


「これじゃあ歩けないよ。むりむり」


「でも、急いでるから」


「分かった。それなら任せてちょうだい」


突然、それの体が淡く発光した。

すると、セテラの体にかかる負担がとても軽くなった。


「魔法よ魔法。私の体を軽くしたの」


それは当たり前のように「魔法」という単語を口にした。

セテラは魔法を物語のなかでしか知らなかった。

この町や自然は本物に思えても、魔法はまさか本物に思えなかった。


「本当に?」


特に表情の変わらないまま真偽を疑うセテラを見て、それは淡く光って、ほんの少しだけ浮いてみせた。

彼女は顔を綻ばせて小さく拍手を送った。

まるで手品を楽しむ無邪気な子供のように。


「本当だ!すごいね!」


セテラは柔和な笑顔で褒める。


「本当に本当に信じてくれた?信じてくれなくても、別に仕方ないからね」


「信じたよ。私、魔法は小さい頃から好きなんだ。だから嬉しい!」


本当に喜んでいるようだ。

でも、セテラを喜ばせるためにずっと浮いてはいられない。

普通の人は怖がったり不気味に思うからだ。

それで何か騒ぎあっては、それは目的を果たせない。

ふわっと前かごに収まって彼女に帰宅を促した。


「そうだ、帰らなきゃ!」


セテラが自転車を急ぎ気味に走らせている間に、それは自身の人生を語った。

こことは別の平行世界からやって来たこと。

そこはパラドクスロボットによってなくなってしまったこと。

平行世界をいくつも旅してここにやって来たこと。

次にこの世界がなくなりそうなこと。

私と契約して魔法少女になって世界を救ってほしいこと。

しかし、セテラはそれらを人工風の音でほとんど聞き逃していた。


「ただいま!」


風見鶏がくるくる踊る青い屋根の一軒家に帰り着いたセテラは、両親に帰宅を叫んで、まずはそれをさっさと二階の自室に運んだ。

ぬいぐるみがショーケースに二十体ほど飾られていて、女の子らしく、また子供っぽい印象も与える部屋だ。

彼女はベッドにリュックを投げて、それの尻についた砂なんかをハンカチで拭ってからタブレット端末を脇に寄せると、勉強机の中央にそれを置いた。


「ごめんね。今日は大事な日で、ちょっと待っててもらえるかな」


「私のことは気にしないで。家族の誕生日よね。ほら、駆け足駆け足」


「じゃあ、行ってくるね」


セテラは一度部屋を出て、とんぼ帰り、おやリュックを忘れたようだ。

中にはパパへの誕生日プレゼント、友達が一緒に選んでくれた、眼鏡をかけたメジロの描かれたネクタイが入っているので忘れてはいけない。

うっかりさんは慌ただしく部屋を出ていった。

しばらくして、閉め忘れたドアから家族団らんの声が聞こえてきた。

彼女は一人っ子で、とても両親と仲がいいらしい。

無機質な悲しみが静かにドアを閉めた。


「お待たせー」


数時間経って、セテラは幸せいっぱいの顔で部屋に戻ってきた。


「あらあら。リュックをまた忘れてるよ」


「本当だ。お風呂上がりに持って上がるよ」


セテラは言って、それを両手で抱えた。

それは反射的に待ったをかけた。


「もしかして。私までお風呂に入れようとしてる?」


「一緒に入らないの?」


セテラはそれの返事が意外とでも言うように目を丸くしている。

それは彼女の本気をはっきりと感じられた。


「私は超合金よ」


「超合金て何?」


「ニホニウムをメインとした様々な元素……要は様々な金属に魔法の力を含ませた特別すごい合金のこと」


「うーん。ごめん、よく分かんない」


「まあ、理解出来なくても仕方ないよ」


「それでも、あなたが超合金でも、私達は友達だからね」


その言葉に、今度はそれが、ない目を丸くした。

出会って間もないのに友達と呼ばれるとは思わなかった。

それに彼女には友達がなく、仕事仲間しかいなかった。

なので、熱い奔流が心で渦巻くことになった。


「えっと……友達?」


「うん。もしかして、だめ、とかないよね」


「ないない。けど、超合金と人間なのよ」


「でも、あなたも女の子だよ」


セテラは確かにそれを女の子と思ってくれている。

超合金でもお構い無しだった。

そのことが、ぎゅっと嬉しくて、溢れ出した熱い気持ちがそれを懐かしく素直にしてくれた。


「分かった。連れていって」


「じゃ、また魔法で軽くして」


「了解了解」


セテラのママは長身の細身で綺麗な女性。

しかも、とっても優しい。

拾ってきた大きな超合金野菜を抱いて風呂に入ろうとする娘を一度は止めたが、友達だから、と娘に真剣な顔で言われると困った顔をしながらも好きにさせてくれた。

ただし約束として、ぴかぴかにすること、を誓わされた。


「どう?温かい?わかる?」


「うん、わかるよ」


セテラはママとの約束を守って、それをぴかぴかに洗ってくれた。

律儀にも頭はシャンプーとリンスを使って、体はボディーソープを使って丁寧に手洗いしてくれた。

それではお返しにと、それは魔法でシャボン玉をたくさん作って彼女を喜ばせた。

彼女は足付きバスタブの縁で組んだ腕の上に顎を乗せて、浴室に充満して跳ね回る頑丈なシャボン玉たちを好奇の目で追いかける。


「あらためまして。私は人工知能搭載型超合金、シャインマスコットのチコリーよ。よろしくね」


唐突にそれは正体を明かした。

何言ってるかさっぱり分からないし、セテラはとにかくチコリーなんて聞いたこともなかった。

だから、チコリーが名前だと思った。


「違う違う。マスカットじゃないし、チコリーは野菜。名前はないよ」


「え、ないの?」


あの日に消してしまったものだ。

出来るだけ過去を思い出さないために。


「じゃあ、決めなきゃ」


「えー。ペットじゃないのよ」


「だって名前がないと困るんだもん」


「そうねえ。じゃあ、君が決めてちょうだい」


「イヌリン!」


「ペットじゃないってば」


イヌリンはムッとした。


「かわいいもん」


対してセテラは頬を膨らませ、頑固にも押し問答の末にイヌリンの変更を許さなかった。

諦め半分、気に入り半分で、イヌリンは話をまた過去に移した。


「私の生まれた平行世界はね、魔法が進歩した魔法世界なの」


「素敵だね。いいなあ」


「特に私の祖国マジカルジャパンは、どこよりも魔法研究が進んでいた魔法先進国なのよ」


「へえ、すごいね。ねえねえ、魔法ってどうやって使うの?」


「イメージをはっきりさせて、こうしたいあれしたい、て超合金に念じるの。人の脳から発せられた思念を受けて、地水火風の四元素に続く第五元素である時、つまり魔法元素が反応してミラクルエネルギーが発生。イメージが具現化する仕組みよ」


「わかりません」


セテラは肩まで湯に深く沈めて真面目な顔で考えるのを諦めた。

ふう、と顔に迫ったシャボン玉を吹いて悪戯にイヌリンにぶつけてやった。

それはコツンと跳ね落ちてイヌリンの隣に浮いた。


「実を言うと私たちも理解してないことが多くてね。だから、かな。事故が起きて」


イヌリンは言葉を途切らせた。

セテラは何も言わず黙っていた、イヌリンの世界が消えてしまった話は覚えていたから。

本当なら、とてもとても悲しいことだ。

大切な家族や友達と会えないし、大好きなことが出来ないのだから。

やや間を置いて、イヌリンは話を再開した。


「世界が協力して平行世界の研究をしていたある日のこと。その実験中に事故が起きたの」


イヌリンの声が震えている。

恐怖と悲しみと色々な暗いものがドロドロと彼女の肌を包んでいるようだ。


「初めは何が起きたか誰にも分からなかった。ただの集団幻覚だと思った。町に町が、世界に世界が重なったの。でも、触れたり干渉は出来なかったし、向こうの人たちは私たちのことが見えていなかった。それよりも、もっと大変なのがパラドクスロボットだった」


「ロボット?」


「うん。それはドラゴンの姿をしたロボットで、口の中、喉の奥に時計がついていた」


「時計が?」


「それは世界の終わりを数える恐ろしい時計、ラグナクロック。長い針だけがあって、それが一周すると現在ある世界は激しい衝撃と光のなかで消えてしまうの。そして、幻に見ていた世界が現実になるのよ」


「やだ。とっても恐い」


セテラは肩をすくめて、くちもとを湯に沈めた。


「今も恐ろしい。ウェザリングドラゴンて名前のロボットが世界を飛び回って、口から吐く白い炎で何もかも石みたいにしたの」


セテラは恐ろしい想像を振り払うように、強く頭を左右に振った。

彼女の髪から飛んだ水滴の一つがイヌリンに当たって、ツーと一筋に垂れ落ちた。


「ごめんね。こんな話は聞きたくないよね」


「私は魔法少女になって、それと戦うの?」


こんな話をして、今さらながら申し訳なく思ったイヌリンは口を閉ざして黙った。

しかし魔法少女がいなければ、また、また、また、また、何度でも世界が消えてしまうのが事実だ。

イヌリンは覚悟を決めて、もう一度お願いした。


「私はこの世界を救いたい。そして、友達になってくれた君も、君の家族や君の大切な人たちを救いたい。怖いかもしれないけど、恐いかもしれないけど、私が君を守るから、どうかよろしくお願いします」


「イヌリンちゃん……」


「私と契約して魔法少女になって。そして、一緒に世界を救ってください!」


イヌリンの強い願いをセテラは一心同体に感じた。

彼女は運命的なものを悟った。

何よりも、友達を助けたいと強く信じた。

だから、覚悟を誓う。

人生で初めての大きな決断。

まだ十一才だけれど年齢なんて関係ない。

子供とか大人とかも関係ない。

人間らしい愛情で決心した。


「分かった!」


セテラはイヌリンがびっくりするくらい強い力を両手に込めてイヌリンを掴んだ。


「私は魔法少女になる!世界をみんなを友達を、家族を、あなたと一緒に守る!」


束の間の静寂があって、感極まったイヌリンは、とうとう泣き出した。

今日まで魔法少女の契約が可能な女の子すら見つけられず、幾つもの世界が消えるのを何も出来ないまま見てきた。

それは痛み、言葉に表せないほどの苦しみだった。

いっそ、もう消えてしまいたいほどに。


「セテラ!大丈夫!?」


間もなく、セテラのママが大慌てで風呂場に飛び込んできた。

イヌリンは咄嗟に泣き止んで、セテラは、うたを歌っていたとベロを出して誤魔化した。

びっくりするからあんまり大声を出さないように、と注意だけしてママは出ていった。


「びっくりした……」


「くすん。ごめんね」


「泣いていいよ。でも、静かにね」


セテラはイヌリンを、ぎゅっと、それでも優しく抱き締めた。

超合金の温もりが、人間と変わらぬ心の温もりと、彼女はその時にようやく気付いた。


「じゃあ、契約しよっか」


風呂上がり、セテラは自室のベッドでイヌリンと真剣な顔で向き合った。

その手には油性のマジックペンが握られている。


「さ、どうぞどうぞ。遠慮なく描いてちょうだい」


イヌリンの言う契約とは簡単なものだった。

超合金の肌に顔を描く。

ただそれだけのことだった。


「でも、どうして顔を描くの?」


セテラが何気ない疑問を口にすると、イヌリンは微笑して答えた。


「気にしないで。特に深い意味はないよ」


セテラは分かったと頷くと、マジックペンの蓋を外して、インクで濡れそぼったペン先を慎重に超合金の肌へ当てた。

きゅきゅきゅ、と拒むような音を出しながらマジックペンは恐る恐る顔を描いていく。

その顔は、少女漫画にならって大きな目をしていた。

瞳の中は希望の光でキラキラしている。


「できた……!」


セテラは達成感で満ちた顔でペンの蓋をしめた。

そしてベッドから降り、勉強机の脇にある引き出しから手鏡を取り出すと、さっと振り向いてイヌリンへ突き出した。


「どうかな?」


イヌリンはしばらく鏡に映る自身の姿を見つめて、満足したように大きく二度頷いた。


「いい感じいい感じ。悪くないよ」


「良かったあ……」


セテラは、ほっとして胸を撫で下ろした。

と、イヌリンの体が淡く発光して、宙に棒状の何かが現れた。

それはイヌリンの体から出てきたように思えた。

棒の先端には白い超合金の球が付いていて、それにラメ入りのピンクで花を表す幾何学模様、フラワーオブライフが描かれている。

また、女の子向けに大きなリボンで飾られていた。


「これは何?」


セテラは言ったあとすぐ閃いて、イヌリンの返事を待たずして自信満々に自ら答えた。


「魔法の杖だ!」


「ぴんぽーん」


その音だけはとても機械的だった。


「正解。これはオーティスティック、君の言う通り魔法の杖よ」


魔法の杖はゆっくり宙を移動して、両手を伸ばして待ち構えるセテラの手に収まった。


「わわっ。ちょっと重いかも」


「仕方ないよ。頭に超合金が付いているからね。そればっかりは我慢してちょうだい」


セテラは、またまた閃いた。


「もしかして、私も魔法が使えるようになる?」


「なるなる。魔法少女に変身したらね」


「変身したい!」


セテラは目を輝かせてイヌリンに迫った。

そうしたら魔法の杖が重くて、彼女はそのままベッドへ前のめりに倒れ込んだ。


「わぷっ」


「もう。焦らないの」


「えへへ」


セテラは恥ずかしそうにベロを出す。

そして気を取り直して立ち上がると、杖を力いっぱい握りしめた。


「変われ変われ変われー……!」


念じることでイメージが具現化する、というイヌリンの言葉を思い出して、セテラは杖の頭にある超合金を睨んでとにかく強く念じてみた。

ところが、何も起こらない。


「あれ?どうして?」


「だから焦らないの。君は私と契約したのよ」


「そっか。変われ変われ変われー……!」


今度はイヌリンに向かって念じてみた。

目をぎゅっと閉じて「変われ」と何度も呟く。

イヌリンは呆れたように溜め息を吐いて、優しく助言してあげる。


「私の中に変身の設計図があって、それを呼び起こす呪文があるの。その呪文を教えてあげるからまずは聞いて」


「あ、呪文かあ。そっかそっか」


イヌリンは、こほん、と咳払いして呪文を唱える。


「願いよ願いよ飛んでけー!」


「痛いの痛いの飛んでけー?」


セテラは小首を傾げて、一句一句確認するように間違った呪文をぽつりぽつり唱えた。


「わざと言ってる?」


「似てるなあ、て」


「大事なことだから、ふざけてないで、きちんと気持ちを込めて」


「はい」


「せーの!」


「願いよ願いよ飛んでけー!」


と、きちんと気持ちを込めて唱えると、それに反応してイヌリンの体が淡く光り、薄い虹色の超合金の板が飛び出した。

それはセテラの体に合わせて素早く形を変化させると、セテラのパジャマと同化して、頭には鶏を模したハットを乗せたオレンジ色の可愛らしい衣装になった。


「すごーい!ズボンがスカートになった!」


「驚くところはそこなの?」


セテラはベッドの上でフリルをひらひらさせながら喜びに舞い踊る。

超合金魔法少女セテラの華やかな誕生だ!


「その衣装は超合金からなってるからとても頑丈なのよ。何かあっても君の体は守られるから安心して」


「分かった!」


「素直ね。けっこうけっこう」


「ようし。この魔法の杖で恐いのやっつけちゃうぞ!」


セテラは杖を突き出して言って、それっぽく格好つけてみた。

そうしてまた前のめりに倒れそうになった彼女の体をイヌリンが跳んで押し戻し、きっぱりと否定する。


「君はロボットに乗って戦うのよ」


「え……?ええー!!」


「だって相手は巨大なロボットだもの。危ない危ない」


「あ、そっかあ。そうだね」


その時にノックの音がした。

魔法少女はきっと秘密にしなきゃならないこと。

セテラは一瞬ギクリとしたものの、冷静に返事をした。


「はあい」


セテラのパパだ。

ドア越しにはやく寝なさい、と言われた。

時計を見ると十時を半分近く過ぎていた。

セテラは明日の支度をして、布団のなかへ潜った。

今夜から隣でイヌリンが眠る。

一人じゃないことを、互いに嬉しく思った。


「明日から戦うんだよね」


「明日かどうかは分からない。もうすぐってことしか私には分からない」


「そっかあ」


「戦うの、嫌じゃない?」


セテラは唸りながら少し考えて答えた。


「あんまり好きじゃない。女の子だし、喧嘩もしたことないし。あ、お母さんとは口喧嘩するよ」


「あまり恐がらせたくないけど、本当に、とっても恐いことなのよ」


「そうだよね」


何となくそうだろうなあと思っていた。

だからセテラは横向きになって、イヌリンをひしと抱いた。


「でも……一人じゃないから」


その言葉でイヌリンの心が、ふわっと、軽くなった気がした。


「そうね。一人じゃない」


あの時だってそうだった。

それなら、どうして私は負けたのだろう。

イヌリンの意識が少しずつ遠退いていく。

これからのことを深く案じる。

まだ、夢を見ることはなかった。


「行ってらっしゃい!」


翌朝、早くに仕事に向かうパパの背中を頑張れの気持ちで叩いて見送ると、セテラは食卓に飛んで朝食を頬張った。

今朝のメニューはママ特製のフレンチトースト。

前日から特製卵液に漬け込んでいる本格的なもので、仕上げにアーモンドスライスを乗せてシナモンパウダーをパパっとかけてある。

それと、パパがプレゼントのネクタイを結んで仕事に出掛けたのが嬉しくて、彼女は足を揺らして、とにかくご機嫌だった。

魔法少女としての活動は怖さ半分で、でもやっぱりワクワクして、ついには椅子がガタガタと音をたてて、彼女はついに「落ち着いて食べなさい」とママに叱られた。

普段は大人しいセテラも、今日ばかりは大人しく出来なかった。

自転車で走っているときは鼻歌を歌っていたし、ミヤと絵音と真理亜の三人の友達と合流して歩いているときは自転車のカゴを何度か友達のランドセルにぶつけてしまった。


「今日はどうしたの?セテラ、いつもより元気だね」


教室でそれぞれの席に落ち着いたとき、セテラの後ろに座る絵音が聞いてきた。

彼女は学校終わりにスイミングスクールに通っていて、泳ぐのに邪魔だからと綺麗な黒髪を肩の上で短く整えている。


「んーとね」


セテラは何と説明しようか考えた。

魔法少女のことは「内緒」だとイヌリンと約束した。

夢が叶った、というのもちょっと違うし。

チコリーを拾いました、というのは意味分かんないし。


「今日もいい天気だから!」


と答えておいた。

絵音は困った顔で笑った。


「じゃ、いつも通りじゃない」


「あ、遠足が楽しみ」


「それもいつも通りだね。まだまだ先だけど」


それから一週間以上、いつも通り、の平穏な日常が続いた。

セテラの調子もすっかり元に落ち着いた。

勉強して、友達と遊んで、そこにイヌリンとお喋りする生活が加わって、それがもうすっかり定着しただけだった。

マジカルジャパンでは魔法を使用するために一人につき一つは超合金を利用したアクセサリーを必ず身に付けて生活しているなど、平行世界の話は新鮮で面白く、世界が終わるなどという危機感はどこへやら。

あれから魔法少女にも変身することは一度もなかった。

しかし、災いや不幸というのはいつだって不意討ちでやってくるもので、それに初めに気付いたのはイヌリンだった。

慣れることのない、超合金の体を静電気がピリリと走るような悪寒がした。


「運動はあんまり好きじゃないかも」


平たい曇天の下、それでもまだまだ暖かい日が続いていて、セテラは半袖に長ズボンという格好で体育の授業を受けていた。

今日は運動の日に向けたリレーの練習をしている。

セテラはランナーを待つ間に体を動かしていた。

その隣で同じくランナーを待つ真理亜は体のあちこちを伸ばしている。

彼女はスラッとした長身に、毛先が遊んでいる栗色のセミロングがよく似合う大人っぽい女の子だ。


「私は好きだよ。特におっかけっこは」


「知ってる。だって真理亜ちゃんいつも言ってるもん。公園に行ったら鬼ごっこしようって絶対に言うもん」


「セテラは楽しくない?」


「私はね、のんびりお散歩するのが好き」


「セテラはそうだよね。いつも、のほほん、て感じでさ」


「だから、こういうの苦手かもーて」


ランナーがやって来た。

セテラは上手にバトンを受け取るとパタパタと駆け出した。

少しだけ遅れて真理亜も走り出す。

セテラはフォームを意識してより早く走れるように頑張った。

他の子に追い抜かれてしまったけれど、それでもいつもより速かったと先生に褒められた。

バトンも上手に手渡せた。


「セテラ、また早くなった?」


「そうみたい!」


セテラは、えへんと胸を張って答えた。


「でも、真理亜は相変わらず遅いな」


そう言ったのはミヤだった。

今日は長い赤毛をツインテールにしていて、可愛らしいな、とセテラは思った。


「追いかけるの楽しいよ」


ミヤは不満で頬をいっぱい膨らませた。

真理亜と同じチームで初めに頑張って走るのがミヤだった。


「たまには追いかけられてくれな」


「ごめんね」


素直に謝られたミヤはそれ以上に真理亜を責めることはなかった。

いや、そもそも責めるつもりなんてなかった。


「遅いのはいいんだけど。やっぱり勝ちたいじゃん。みんなでさ」


「うん。もっと頑張るよ」


「じゃあ、家に帰ったら公園に集まって特訓な!」


「鬼ごっこするんだね!」


真理亜は嬉しそうに目を細め、えくぼをつくって喜んだ。

と、その後ろで絵音が何かに躓いて転んだ。

絵音は三つめのチームの選手で、ちょうど走り終わって戻ってきたところだった。


「平気?なにやってんの絵音」


運動神経のいい絵音が転ぶのは珍しいことだった。

ミヤは絵音に手を伸ばしたが、その手は別のものに触れた。

セテラの胸がドキンと高鳴って、針でチクリと刺されたような痛みを感じた。


「でっけえ!なんだこりゃ!」


ミヤが大声を上げたので皆の注目はそれに集まった。

白菜みたいな超合金チコリーに。


「きゃあー来ちゃった!」


セテラは頬に手を当て悲鳴を上げた。

遅れて全身の和毛が逆立った。


「来ちゃった?」


絵音に言葉を返すことなく、セテラはそれをよいせと両手で持ち上げた。


「何だろうねこれ。おっとっとっ、すっごく重いよ」


セテラは眉を谷折にして精一杯演技をした。

これが平行世界からきた友達だと知られてはいけない。


「本当に何だろうね」


言って真理亜が手を伸ばした。

セテラは体を捻ってそれをかわした。


「セテラ?」


「きっと汚いから触らない方がいいよ」


「うん。そうだね」


ミヤが悪戯に手を伸ばしてくるので、セテラはそれも全力で、しつこくても、全部かわしてやった。


「ちょ、ちょちょ、やめ、やめてよミヤちゃん!もう!」


イヌリンが重いのでセテラは息が絶え絶えになって腕は今にも取れそうなくらいクタクタになった。

足はぷるぷる、肩は外れそうなくらい上下している気がする。


「何やってんだ。ミヤに貸してみ」


「だめ!」


「ねえ、どうしてそこまで必死なの?」


絵音が呆れ笑いながら、当然の疑問を口にした。


「危ないからだよ。それに重いし」


「じゃ、そっと置けばいいんじゃない?」


「うん、だよね。これ捨ててくる」


先生が不思議そうな顔してこちらへ向かってくる。

みんな走り終えたようだ。

体育の先生はまだ新人の女性教師で、キリンみたいな顔をしている。

すごく優しいけれど、叱るときは話が長いことで有名だ。


「先生!変なの落ちてたから捨ててきます!」


だからセテラは叫んで、とにかく逃げるようにグラウンドを小走りで去った。

そして、大きな林檎の木が一本と花壇だけがある小さな中庭までやって来た。

息はもう絶えようとしていた。


「ふえぇぇん……重かったよぅ……」


木のベンチにイヌリンを置いて、セテラはその隣にどかっと座った。

そして、大きく深呼吸して息を吹き返した。


「汚い、とか、変なの、とか、捨てる、とか酷くない?ねえ酷くない?」


「酷いのはイヌリンちゃんでしょう!どうして来ちゃったの!みんなびっくりしてたじゃない!」


セテラはまるでお母さんのようにイヌリンを叱責する。


「それは、ごめんなさい。緊急事態で」


「そうだとしても、どうしてみんなの前に急に出てきたの」


「慌てて来ちゃったの」


「これからは気を付けてね」


この時セテラの頭から、うっかり危機感が抜け落ちていた。

世界が終わる前触れにパラドクスロボットはやって来るのだ。


「それで、緊急事態って何のこと?」


「もうすぐ、パラドクスロボットが現れるかも知れない。だから気を付けて」


「……どこに出てくるの?」


パラドクスロボットと聞いて世界の終わりを思い出したセテラはゾッとした。

町の真ん中にテレビで見たことのあるロボットや怪獣なんかが出てくるところを想像して血の気がさあっと引いた。


「分からない。ただ、世界が重なる現象がその前に起きるから、君がビックリしないように知らせようと思ったの」


「そうなんだ。知らせに来てくれてありがとう」


セテラが顔を青くしているのに気付いたイヌリンは、安心させるように穏やかに気持ちを伝える。


「一緒なら大丈夫。でしょう」


「うん」


「私もそう信じてるよ。信じてるから、ね」


それから放課後。

セテラは不思議の国に迷い込んだ。

友達の会話が耳に入っても頭に届かない。

なぜなら、町が大変なことになっていて混乱しているからだ。

半透明のビルや家が道路の真ん中でもお構いなしにそこら中にあって、幽霊がうようよと歩いている。

建物は恐る恐るすり抜けた。

銀行を金庫まで突き抜けて歩いたのは初めてだった。

幽霊は避けて歩いた。

きっと生きている人なんだろうけど、ごめんなさい、どうしても気味が悪くて避けてしまう。

自転車を引いて歩いているので回避行動は難儀して、友達はセテラの奇行をいよいよ可哀想に見守っている。


「セテラ。本当に大丈夫?」


絵音が耐えきれずにきいた。

ミヤは、それ言っちゃうか、という風におでこに手を当てた。

真理亜は困惑しながらも微笑んでいる。

セテラはみんなの心配を受けて居たたまれなくなった。


「ちょっと風邪気味かも」


これは良い言い訳だった。

みんなが納得してくれたし、自転車に乗って帰る理由にもなった。

ただ危なっかしいから、みんなと遠く離れたところで結局は自転車に乗らず、そのまま歩いて帰ることにした。


「ただいま……」


家に着く頃には精神が疲労困憊と参っていた。

ママもパパもまだ帰っていなくて家は物音一つなく静かだった。

ママがママさんバレーの練習に行っていることを思い出して、ちょっぴり心細くなった。


「でも、私は一人じゃないもん」


ランドセルを背負いなおして、一目散に二階へと駆け上がり自室に飛び込んだ。


「ただいま!」


「おかえり」


友達の人工知能搭載型超合金のシャインマスコットのチコリーのイヌリンが明るい声でセテラの帰りを迎えてくれた。


「イヌリンちゃーん!」


セテラはランドセルをその場に落として、わあ、と泣き出す勢いで机の上にいるイヌリンに飛びついた。

イヌリンはそれを見て察した。

自分も昔に経験したことだったから。


「怖かったのね。よしよし」


「うん。こんなの全然わくわくしないよ」


「現実はそんなものよ。世界が終わるって知ってるし、余計に怖かったよね」


「私ね。金庫の中に入ったし、レストランのキッチンにも入ったし、スーパーの裏にも入ったよ」


「ん?うん」


「あ、それよりも幽霊みたいな人達が怖かった」


「びっくりするよね、あれは」


「みんなには見えてないんだよね」


「うん。多分だけど、魔法が使える人にしか見えないんだと思う」


「そっかあ。私、魔法少女になっちゃったからなあ」


不意討ち、イヌリンは胸を撃たれたように感じた。

絶望のどん底に引きずり込まれそうな恐怖を。

それは壁の向こう。

セテラの家の壁ではない。

箱庭の壁の向こうから心が捻れるような圧力を感じた。

それをセテラも感じ取ったようだ。

振り向いて、ジッと壁を凝視している。

不安なのだろう。口をきゅっと結んでいる。


「セテラも感じた?」


「うん。来たんだね」


セテラは自分でも分からないくらい、やけに冷静だった。

一方で、魔法少女としての使命を果たすんだと胸が高揚した。

そのうえ恐怖の圧力をはね除けるような勇気がどこからか湧いてきた。


「セテラ。いける?」


「平気。行こう」


凛と澄まして、右手をイヌリンに突き出して変身の呪文を唱える。


「願いよ願いよ飛んでけ!」


それに応じてイヌリンの体から飛び出した薄い虹色の超合金の板がセテラの制服と同化、彼女を瞬く間に魔法少女へと変身させた。

続けて飛び出した魔法の杖オーティスティックは今度こそ両手でしっかり掴んだ。


「さ、ジャンプしよう」


「ジャンプ?」


「魔法の杖を強く握って。ジャンプする場所は私が捕捉するから、目を閉じて伝わる気配を辿ってみて」


セテラは言われるままに杖を床に突き立てると、目を閉じて、自身へ伝わる恐怖の先へと意識を走らせてみた。

すると、まぶたの裏に映る景色が光のように駆け抜けて、あっという間に森の上に佇む巨大な怪物を捉えた。


「わわっ、何か見えるよ」


「ジャンプと唱えて」


「ホップステップ、ジャーンプ!」


杖の頭にある超合金が呼応して、表面に刻まれたフラワーオブライフが淡く輝いた。

すると眩い閃光のあと、彼女は「外界」へと跳躍した。

一陣の風が吹いて、初めての感覚が彼女の全身を刹那に巡った。

紫がかる空の下、鬱蒼と繁る森の中にある開けた草原に彼女は立っている。


「ここ……どこ?」


「町の外よ」


「町の外……ええー!」


セテラは驚き慌てふためいた。

彼女たち箱庭の住人は幼い頃より教えられている、町の外にはミサイルといった危険なものが飛んでくると。

そして壁の外へ許可なく出ることは、その行為は重い犯罪だと。


「わわわ、どうしよう!大変なことだよ!お巡りさんに捕まっちゃうよ!ミサイルが飛んできたら危ないよ!」


「もっと大変なことが起きて、もっと危ないものが向こうにいるのよ」


セテラは気配がする方へ目を凝らしてみた。

巨大な影が遠くにそびえていた。

初めは山の影に見えたくらい巨大な影が。


「あれが……」


セテラはその影を見ただけで怖じけづいてしまった。

さっきまで湧いていた勇気はまるで枯れてしまったようだ。

しかし、無理もない。

彼女はまだほんの子供なのだから。


「あれがパラドクスロボットよ」


その名を聞いて、初めての外の世界に感動した余韻はぜんぶ風にさらわれた。

夜空の吐く息は冷たくて、セテラは身をぎゅっと縮みこませた。


「私があれと戦うの?」


イヌリンは返事の代わりに、その小さな体からあまりにも巨大なロボットを召喚した。

衝撃で土煙が舞い、セテラは一度目を閉じた。

それから、うっすらと目を開いてロボットを仰ぎ見る。

こちらを見下ろすロボットの鋭い目とセテラの丸い目が合った。


「おっきい……」


厳ついロボットの頭は体に対して小さく、その大きな体からは力強さをハッキリと感じる。

全身は柿色を基調として、ロイヤルパープルとホワイトのラインが妖しい模様を描いている。

肩は黒い丸型のマジカルジェットで出来ている。

また、各部に透明なネオン管が浮いていた。


「これが超合金ロボット。名前はメクルメクアイよ」


「ちょっとかっこいいかも?」


その時、物々しい地響きがして足元が揺れた。

遠くの巨体な影が動いた気がした。


「向こうも察知して動き出したみたい」


「え!もう戦うの!」


「迷っている時間はないよ。頑張ろう、セテラ」


そう言われて、セテラも少しやる気になった。

まだ怖い気持ちがあるけれど、とにかく今はやれることをやってみるしかない。


「がんばってみる。イヌリンちゃんと約束したもん」


「……君は強いね」


イヌリンはポツリと呟いて、それからロボットに乗り込む呪文を教えてくれた。

セテラは杖をロボットへ掲げて叫ぶ。


「願いを乗せて!」


セテラは一瞬でメクルメクアイの頭蓋に収まるブレインルームへとジャンプした。

真っ白で簡素なドーム状の部屋だ。

目前には一つだけ、彼女の腰くらいの高さの円筒の台があった。

隣にちゃんとイヌリンがいてくれたので、彼女はとりあえず一安心した。


「さあ、次はあの台に杖を挿し込んで」


「よい……せ!」


隙間を幾らか開けて、台は杖をすっぽり飲み込んだ。


「そうしたら、超合金に手をかざして呪文を唱える」


「光り輝け!メクルメクアイ!」


セテラの声に再度呼応して、高い音を一つ鳴らし何かが反応した。

そして、目前の壁が細かく六角形のパネルになって、一つ一つが順次パラパラとめくれて広がった。

メクルメクアイが緑の目を光らせて起動する。


「きゃあ!高い!」


目前には広大な景色が広がっている。

メクルメクアイの目を通して外の景色が映し出された。


「落ち着いて落ち着いて。ロボットの中だから平気」


そう言われても、目の前の映像はガラスも何もないみたいに透明でよく見えていた。

だから、ほんの拍子に落ちてしまいそうな気がして腰が引けた。


「それよりも前を見て」


びくびく怯えながらも視線を上げていく。

森には世界が重なった影響で、やっぱりあちこちに建物が生えていた。

ビルや家には明かりが点いていて、向こうの世界も同じく夜を迎えるようだ。

あの下には平行世界の人達が、やっぱり幽霊みたいに歩いているのだろう。

もう一段階、視線を上げてみる。

すると、距離を開けて、巨大な鹿っぽい生き物がこちらの様子を伺うように足を広げて姿勢を低く構えていた。

鹿にしては首が長く、頭には湾曲して伸びる角が二本あった。

セテラはどこかキリンみたいで体育の先生みたいだなと思った。

しかし、その全身はもれなく鋼でゴツゴツ角張っており、ややオレンジがかった色をしていた。

そして、額に時計があるのをセテラは見つけた。

針はまだ動き出したばかりだ。


「あれが、パラドクスロボット」


「そうよ。まだ一度も倒せたことはないけど、きっと倒せるはず」


「ええー!やっつけたことないの!?」


「大丈夫!私は君を信じる!だから君は私を信じて!」


イヌリンの声から必死さが伝わる。

セテラは信じることに決めた。

いや、出会ったあの日から信じている。

彼女の話す言葉も気持ちも、全て。


「でも、どうやって戦ったらいいの?」


「イメージすれば、その通りに動くよ。……そうね。まずはとにかく思いっきり暴れてみて」


「分かった!かも!」


超災害合金ディザスタージェレヌクとの戦いが始まる。

セテラの闘争心を察知したのか、先に動いたのは敵だった。

頭を下げて角を突きだし、串刺しにしてやろうと木々を薙ぎ倒してこちらへ猛突進する。

それはまさに火砕流の如し勢いである。


「やだ、危ない!」


間一髪、メクルメクアイは右方向へかわした。


「やった動いた。私ってばすごーい」


「またくるよ」


敵は踵を返して、再度突進を試みた。

メクルメクアイはそれも高く跳んでかわした。


「ジャンプしちゃった!高いし怖いよ!」


日は落ちてすっかり夜になった。

一瞬の間に、敵は夜に沈んだ森に深く潜み姿を消していた。


「あれ?どこ行ったんだろう」


着地して、周囲を見渡すも敵の姿は見えない。

そこでイヌリンが気配を探ってみた。

素早く探知して、右方向から敵が来るとセテラに警告する。


「うわっと!」


半透明のビルの明かりが揺らいだかと思うと、その裏から敵は飛び出してきた。

メクルメクアイは咄嗟に敵の頭をガシッと受け止めた。

幸いにも敵の角は細い腰の左右にある。

しかし、それを利用して敵はメクルメクアイを豪快に横へ薙ぎ倒した。

激しい衝撃と共にメクルメクアイは倒れたが、中にいるセテラは見えないクッションに体を支えられた。

敵の頭の後ろには綺麗な満月が浮いている。


「セテラ!はやく立ち上がって!」


敵は追い打ちに、ガキンガキン、と超合金の蹄を何度も振り上げては叩きつけてくる。

メクルメクアイはそれを腕でガードする。


「イヌリンちゃん。ねえ、どうしよう」


「そうね……蹴っ飛ばしちゃえ」


「え?」


「蹴っ飛ばしちゃえ!!」


イヌリンのこんなに大きな声は初めて聞いた。

セテラの中に、もう恐れる気持ちはなかった。

メクルメクアイは両足を畳んで、足裏を敵の腹に引っ付けた。


「ようし!イヌリンキック!」


「ちょっと変な名前は付けないでよ」


敵は逃げようとしたが判断が遅れた。

イヌリンキックは想像以上の威力で、敵は満月に向かって高く飛んでいった。


「ようく狙って」


「分かった」


メクルメクアイはすぐさま立ち上がると、やる気満々で腕を振り回す。

そして緩やかに回転して落ちてくる敵に向かって走り、タイミングを合わせて。


「イヌリンパーンチ!」


「格好悪いから変な名前を付けないで!」


イヌリンパンチは見事に敵の横っ腹に炸裂してボディにヒビを入れた。

吹っ飛んだ敵はでたらめに転がりながら野原に一本の線を描いた。

超合金と超合金の衝突する重厚音は遠くの山に当たってグワングワンこだました。


「わあ、すごい音。耳がキーンてなってる」


「やったね。ちゃんと当たったよ」


「でも、また立った」


敵はよろめきながらも立ち上がった。

それを見てイヌリンは決着を宣言する。


「ビシッと決めちゃおう」


スクリーンに「秘萌技」と表示され、次に英語が表示された。

言葉、内容、それらがセテラの脳内へと瞬時に伝わった。


「ひめわざって、男の子が叫んでるヒーローのあれ?」


「あれあれ……あれって何?」


「何でもない。とにかくビームが出るんだね。それでやっつけられるんだね」


「そうよ。超加速魔法粒子光線という」


「難しいのはなし!とにかくやっちゃおう!」


セテラの思念に呼応して、心臓部である魔法粒子加速器「MRA」がフル稼働する。

高濃度魔法粒子、ミラクルエネルギーが充ちて高まる音がコックピット内にまで響いてきた。

足の裏から頭まで微振動が伝わる。

セテラは超合金の球にかざす手に「絶対にやっつける」という決意を込め続けた。

スクリーンの右にはミラクルエネルギーの充填率が表示されていて、それが限界を大きく超えて「LOVE BURST」と表示された。

全身のネオン管がヴァーミリオンに蛍光する。


「セレン!」


「テルル!」


セテラが叫んで、続けてイヌリンも叫んだ。

メクルメクアイの胸部が肩と脇下の四方向に斜めにスライドして開き、ミラクルエネルギーが解き放てと急かすようにバチバチ迸る。

にわかに、敵が阻止しようと角から稲妻のような光熱エネルギーを照射した。

それが命中しようとも、二人が動じることはない。

メクルメクアイの超合金ボディは一切を弾いた。


(今度こそ……決める!)


イヌリンは決意を昂らせた。

二人で声を合わせて呪文を高らかに告げる。


「ラブレター!!」


解き放たれた美しい一条の輝きは魔法推進力により光速を越えて月を目指す。

敵はそれが自身に落ちてくると察知して、直立して空を狙う。

二人の愛の重なりを合図に月面で増幅したミラクルエネルギーは反射して瞬く間に地上へ、敵の放つ光熱エネルギー照射を裂いて必中直撃した。

敵は超合金の体を撃ち砕かれ、ドロッと溶けて、光の中で細かな影になり、最後は派手に爆発四散した。


「勝ったー!やったやった!」


セテラよりも早くイヌリンが大喜びしてはしゃいだ。

超合金チコリーはゴンゴン跳びはねながらセテラの足元を一周した。

セテラによって描かれた笑顔が生き生きしている。


「ふう、やったね。イヌリンちゃん」


半透明のビルが消滅していく。

一件落着。世界は救われたようだ。


「これで、もう大丈夫だよね」


「うん。ありがとう、セテラ」


「ああー!」


「なに!?」


「いま何時……?」


「七時前だけど」


「ママとパパに怒られちゃう!はやく帰ろう!」


「うん。そうしよう」


セテラは念のために玄関から、そっと帰宅した。

すぐに物音に気付いた両親がリビングの戸を開けて飛び出してきた。

セテラはひどく叱られると肩をすくめて覚悟したのだが、意外にも両親は彼女の帰りを強く抱き締めて迎えてくれた。

それも涙を流すほどに心配して。

ちょっと大袈裟過ぎると思ったのだが、両親の話を聞いて彼女は納得した。

轟音に地震、ロボットや魔法は感知できなくとも、その他諸々の現象はしっかり影響が出ていたのだ。

大規模な攻撃がこの町に行われたのではと二人は揃って不安になり、家にいない娘のことを我が身が引き裂かれる思いで案じてくれていたのだ。

両親の愛情を受けてようやく、非日常の戦いから解放されて日常に帰ってきた実感がした。

途端に怖かった気持ちを思い出して、安心して、もう心の中がグチャグチャになって、セテラは両親と一緒に大泣きした。


その声を玄関のドアの向こうで聞いていたイヌリンは、また一人で、どこかへと消えた。

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