不穏な気配
カハド村を出て六日目の昼食を終え、飛鳥、シェリア、ヘレナの三人はいつも通りニヴィーリアへ向け旅を続けていた。
そんな中、飛鳥は荷台で無光の無詠唱の習得に勤しんでいた。
「よし、頼む」
「ん、光源」
掬うように構えたシェリアの手が淡く光ると、その上に三〇センチほどの光の球が現れた。
日はまだ高く暗闇とは縁のない時間帯に辺りを照らすだけの法術を使用したのには訳がある。
「全てを無に帰す祓光の証……無光!」
飛鳥は右手に聖術気を込め手を合わせるとゆっくりと離す。
すると、その手の間に全てを飲み込むような真っ黒な球体が現れた。
それと同時に、シェリアの光源が歪みあっという間に無光に吸い込まれ、黒い球体は姿を消した。
「詠唱有りだともう問題ない?」
シェリアが飛鳥の右手を覗き込みながら言った。
「ああ、そうだな。でも……」
飛鳥は先程と同じ様に右手に聖術気を込める。
シェリアがそれを確認すると、もう一度光源を発動する。
だが、いつになっても光源が吸い込まれることも、黒い球体が現れることもなかった。
「この通り。無詠唱だとまったく……」
飛鳥は頭の後ろで手を組み寝転がった。
魔法の発動は細かく分けると多くなるがとりあえずは三つ。魔法を構成する術式、魔法を発動するための唱言。魔法を形作るための想像力。
無詠唱で魔法を発動するためには、この三つをを完全に理解し、実行する必要があるのだ。
飛鳥はヘレナに異世界の住人でさえ魔法の無詠唱を完璧にすることを一つの目標に掲げていると聞き肩を落とす。
今まで魔法とは無縁の世界で生きてきた飛鳥が、魔法の術式を完全に理解し使用するのは極めて困難な状況であった。
魔女の神杖による記憶の譲渡で受け取った魔術の術式は本能的に理解はしているが、新たに覚えるとなるとこれ程までに厳しいのかと、つい溜息が出る。
「でも不思議だよね……」
唐突にシェリアが言った。その手には数日前にシェリアが使用したキセレの作った無光の魔道具が握られていた。
「不思議って、何が?」
「……無光って、普通に考えたら魔術じゃなくて法術みたいじゃない?」
そう言われてみれば確かに……、と飛鳥は顎に手を当てる。
魔術は主に相手に傷を負わせることを目的とした術である。そして、法術は自身の強化や身を守るすべに長けた術だ。
普通に考えるならば無光は魔術ではなく法術であるのが自然であった。
「うーん、でも魔女である俺が使えたってことは魔術だと思うんだけどな……。なら試しにシェリアも使ってみるか?」
飛鳥はヘレナから渡された無光の術書をシェリアに差した。
シェリアはそれを開き覗き込む。そして、書物から一切目を逸らすことなく右手を前に出し唱言を唱えた。
そして、少し間をおいて、
「……だめ」
と言った。
飛鳥が無光の術式を頭に叩き込んでいた時、シェリアも共に横から見ていたこともあり、魔女や賢者を抜きにして考えれば飛鳥が出来て、魔法に長く触れていたシェリアに出来ないはずがないのだ。
つまり、無光は正真正銘、魔術ということになる。
明らかに法術の効果である無光に二人は頭を悩ませていたが、突然シェリアが荷台から馬車の前方に顔を出した。
「ヘレナ、馬車止めて!」
「えっ!?」
ヘレナは勢いよく手綱を引いた。甲高い声で鳴きながら前足を上げる二頭の馬。
シェリアは飛鳥とヘレナに沈黙を促し馬車の前方をじっと見た。そして、眉間にシワを寄せながら口を開く。
「金属音や爆発音が聞こえる。……多分、誰かが戦ってる」
「戦ってるって……、こんな所で?」
飛鳥は辺りを見渡しながら言った。そこは辺りが木で覆われた雑木林の中。一応道らしきものはあるのだが、ほとんど使われることがないのか雑草が所々に生えている。
ヘレナは辺りを見渡し顎に手を当てながら口を開いた。
「この道はめったに人が通ることはありません。それは……、シリュカール王国と隣接するガルマイン王国の王族がお忍びで行き来する時にしか使用されないからです」
王族と聞き飛鳥の顔が一瞬歪む。飛鳥の危機察知センサーが鋭く反応したからだ。そして、なぜキセレがそんな道を知っているのかは……もう聞く必要がないのだろうか。
「なので、ここは行商はもちろん盗賊の類もいないはずです。ですが、戦闘音が聞こえると言うことは、どこかに情報が漏れたということでしょうか……」
ヘレナはそこまで言うと飛鳥の方を向いた。その眼には「どうしますか」と言う意味を含んでいそうで飛鳥は強めに頭を掻いた。
「行きましょう。流石にここで知らん顔するのは眼ざめが悪い」
その返答にヘレナの口角が上がる。その顔は「そう言うと思っていました」と言っているのが飛鳥にはっきりと伝わった。
ヘレナは勢いよく手綱を振り馬を走らせる。
戦いに備え荷台に戻った飛鳥をヘレナは横目で見た。
(人を信じられない、人と係りたくない……。そう言いながら人との関係を切れずにいるあなたは……)
――いったい、何を思って生きているのですか……?
ヘレナは再び前を向き手綱で馬を叩いた。
そこには馬と馬車の揺れる音だけが鳴り響いていた。
―――――
馬車を走らせ少し経った頃、飛鳥が再び荷台から顔を出した。
そんな飛鳥の顔を一瞬ちらっと見た。
「付けたんですね……」
「ええ、まぁ。……また俺の見た目で騒がれるのも嫌ですし」
そう言う飛鳥の瞳は日本人らしい黒い瞳をしていた。
飛鳥は生まれつき黒髪に瑠璃色の瞳を宿している。それはこの世界に広く知れ渡っている黒い髪に青い瞳であるという賢者の特徴と偶然にも一致していた。
初めて訪れたナウラではそこまで大きな問題にはならなかったが、これから行く先々では何が起こるかは分からない。なので飛鳥たちが日本へ帰った際、キセレに黒色のカラーコンタクトを用意しておくよう言われていたのだ。
「おぉ~。アスカの目、真っ黒」
同じく準備を整えたシェリアが荷台から出てきた。普段、飛鳥の青い瞳を見慣れているだけあって今の飛鳥は物珍しいようだ。
「日本人はすごいですね……。目に何かを入れるなんて普通考えませんよ」
「確かに一般化はしていますけど、コンタクトは嫌ってる人は日本にもいますよ? 俺も実際のところ異物感あって変な感じしますし……」
飛鳥は目の下を軽く押しながら言った。
そして、馬車の進む先を見つめるシェリアは飛鳥が渡したシュシュでポニーテールを作っていた。相変わらずシェリアの顔に前髪が簾ののようにかかっているが、以前よりは髪が邪魔になることはないだろう。
そうこうしていると、道の先に血痕と人影が見え始めた。
だが、その人影は道の脇で倒れ、動く気配は全くの皆無であった。兜を突き破り良く頭部を矢で射ぬかれた者。鎧と兜の隙間から剣を差し込れ頭部を切り落とされた者。
魔法による地面のくぼみも目立ち始めた。
「この鎧……、シリュカール王国の近衛兵です。やはり狙われているのは王族のようですね」
道々に倒れる数人の兵を見て瞬時に言ったヘレネ。そして、何を思ったのかヘレナは飛鳥に目を向けた。
「アスカさん、分かっていますか?」
「え……?」
突然の問いかけに飛鳥は思わずひょうきんな声が出る。だが、真面目な顔のヘレナにすぐに気を引き締め直した。
「この先に進むと、人を殺さなければなりませんよ」
鋭く睨みつけるような視線に飛鳥は思わず固唾を飲んだ。人を殺すという言葉に身体が強張ってしまった。
しかし、飛鳥の腹の内はすでに決まっていた。飛鳥は絞り出すような声で口を開く。
「大丈夫です。ここは日本とは違う。分かってます。分かってます……」
両拳を握りながら答える飛鳥にヘレナは静かに頷くと視線を前方に戻す。
次第に倒れた人影は増え馬車が通れるような隙間はなくなるほどの死人が出ていた。
「シェリアさん、どかせますか?」
「まかせて」
シェリアがそう答えると腰に差した賢者の神杖を抜き低く正面に構え聖術気を込める。
すぐに神杖を振り上げ『土大壁』を発動する。道の中央にあっという間に高さ二メートル程の壁が彼方まで一直線に伸びる。その瞬間、神杖を振り下ろすと土大壁がど真ん中で割れ、倒れた人々を押しやりながら広がった。
ヘレナは綺麗に均された道を突き進んだ。




