やはり運動音痴
『賢者の神杖』を手に入れる代わりに天空国家ニヴィーリアの王になるという究極の選択を迫られた飛鳥はやけくそになっていた。
「レ・ファルマが始まる前に盗むか? いや、神杖だぞ。警備は厳重だと考えた方が……。なら優勝者から……」
などと、いい加減な計画を無理にでも立てようとする飛鳥。
そんな飛鳥を横目にヘレナがくすくすと悪戯っぽく笑う。
「大丈夫ですよ、アスカさん。王になるのはニヴィーリア国民が優勝したときのみですから」
「……ヘレナさんって悪い意味でキセレに似てますよね」
「すみません。やめてください」
ヘレナの笑う顔がどことなくキセレと被ってしまう。そして、急に真顔に戻り否定するヘレナ。
そんなにもキセレと同じと言われたことが気に食わなかったのだろうか。仮にも店長なのに。
飛鳥はそんなことを思いながら、王位を受け取らなくて済むことに安堵していた。
「まぁ、スケボーの練習しろって言うぐらいだからヴィエンタードって乗り物もあんな感じの板系なんですよね?」
飛鳥は親指でシェリアと戯れるスケートボードを指した。
「はい。私は現物は遠巻きでしか見たことはありませんけど……。でも店長が言うにはすのーぼーど? の方がいいと言ってましたよ。でも移動中は練習できないそうなので」
「スノボか……。確かにこんな所じゃ出来ないよな。……ってことはヴィエンタードはそれなりにでかいってことなのか?」
身長や足のサイズにもよるがスノーボードはスケートボードの約倍の大きさがあるというのが飛鳥の認識だった。
だが、たとえ大きさが違ったとしても板の上に乗るという感覚は覚えておいて損はないはずだ。
「でも、どうなのでしょうね」
「何がですか?」
「……いくらすけーとぼーどで練習しても、私はあまり意味はない様な気がしてしまいます」
ヘレナの突然のやる気を削ぐような発言に飛鳥は首を捻った。
「あ、すべてが無駄になるとは言いませんよ。確かに乗るために必要な感覚は多少は得られるとは思いますが……」
ヘレナにしてはどこかはっきりしない言い方である。
「いくら地面を走っても、空を飛ぶヴィエンタードの感覚は全く違うのではないでしょうか」
「……空?」
「え、言ってませんでしたか? ヴィエンタードは地上からかなり離れた上空も飛ぶことが出来ると……」
聞いてない。ニヴィーリアでしか作られない移動用魔法具としか聞いていない。
だが、よくよく考えてみれば予測できたことなのではないだろうか。天空国家と名乗る国でしか生産されない乗り物がわざわざ地面を走るよう設計されるだろうか。
そのようなどこにでもありそうな乗り物が五年に一度開催される祭りのメインイベントに使用されるだろうか。
否である。
日本に住む飛鳥にとって個人用の乗り物が地面を走るのは当たり前のことだ。その当たり前が飛鳥から『空』という可能性を消し去ったのだ。
ヘレナは言った。遠巻きに見たことがあると。それは決して地平線の先ではなく、遥か頭上を行く空の上なのだとこの時初めて理解した。
ヘレナにスケートボードの練習に価値を問われたが、普通にないと断言できる。
スケートボードには確かに空中を飛ぶ回転技なども存在するが、ヴィエンタードとは次元が違うことははっきりと分かる。
だが、他に何をどうしたらいいか分からない飛鳥は、
「とりあえず、乗るか。スケボー」
考えるのを放棄してしまった。
そんな飛鳥にヘレナは苦笑いを浮かべるしかなく、シェリアの下に向かうシェリアを眺めることしかできないでいた。
―――――
シェリアの元に向かった飛鳥は正しい乗り方を伝え、実践していた。
「ほんとにできるの?」
スケートボートに片足を乗せる飛鳥にシェリアは心配そうに声をかけた。
「大丈夫だ。男子ってのは一度はこういうのに乗るもんなんだよ」
飛鳥の地元は特に娯楽施設などはなく、やる事といえば家でゲームか外で何かしらの遊びをするしかなかった。スケートボードもその一つだ。中学の頃、飛鳥も一度だけ興味本位で借りて乗ったことがあったのだ。
当然ながら、辺りの地面は土で凸凹だったがシェリアが法術で均すことでコンクリート、とまではいかないが特に気にする必要もないほどになった。
「よし、行くぞ」
飛鳥がそう言うと片足で地面を蹴った。
だが、その瞬間、
「あっ!」
シェリアが叫ぶのもつかの間、飛鳥はボードに追いていかれ後ろにすっころんでしまった。
「あぁぁぁぁぁ腰がああぁぁああ!」
打ち所が悪かったのか悲鳴を上げる飛鳥をシェリアはジト目で見降ろしながら溜息を付いた。それは、こうなる事が何となく分かっていたからだ。
以前、ナウラ近辺の森で飛鳥が何かに足を取られ正面に前のめりに倒れたときも同じように思った。飛鳥はかなりの運動音痴だと。
シェリアの強化法術で身体能力を底上げすれば問題ないのだが、素の飛鳥は目も当てられない。
「大丈夫?」
シェリアは飛鳥の腰にそっと触れ『無痛』をかけた。
「おおぉぉあぁぁぁ、おぉぉ……お?」
シェリアの処置により腰の痛みが急速に引いていき、それと同時に先ほどの失態を思い出し顔が熱くなる。
何事もなかったように立ち上がるが、シェリアは飛鳥が恥ずかしがっているのがよく分かった。普段は冷静な装いだが飛鳥の時々見せる子供らしさがシェリアは好きだった。
「まぁ、ほとんどやったことなかったし? ちょっとこういう日もあるっていうか?」
「ん。そうだね……」
飛鳥はシェリアに気を使われていることに気づき、自分の見栄を張る姿を客観的に見るとものすごく情けなく思えてしまった。
「あぁ、まぁあれだ……。慣れてないうちは危ないから気を付けろよ。辺りも暗いし」
「ん。分かった」
シェリアは先ほどの飛鳥の姿を思い出す。もちろんすっころんだ姿ではない。ボードに片足を乗せているところだ。
ゆっくりと地面を蹴り両足をボードに乗せる。よろめきながら進むが転ぶ気配すらないのは流石と言うしかない。
そして、二〇分ほど練習をしたところ、シェリアはもう完全にボードを乗りこなしていた。
「……まじかよ」
そう呟くことしか出来ない飛鳥は改めてシェリアの運動神経に驚かされた。
次第にシェリアの調子は上がり『脚力強化』までかけ、凄まじいスピードで走り出してしまった。
確かにスケートボードを練習しても意味はないのかもしれないが、シェリアの運動能力を確認でき、これならヴィエンタードにもすぐ適応できるだろうという強い安心感も生まれた。
そして、改めて突きつけられる自分の運動能力のなさに絶望してしまう。
今もなお楽しそうに滑るシェリアに声をかけた。
「シェリア! 俺、ちょっと川で水浴びしてくるから!」
「ん!」
「あんまり焚き火から離れるなよ!」
「分かったぁ!」
シェリアの声にドップラー効果が起こることで、その速度を如実に感じ取り、流石にやりすぎだと呆れてしまった。
焚き火のある拠点から雑木林を少し進んだところに割と大きめの川が流れている。
シェリアが調べたところ、この近辺に危険生物はおらず川の中も問題ないとのことだ。
焚き火から離れ辺りは暗くなるはずなのだが、川に近づくにつれ視界はどんどん明るくなる。
その光源の正体は川の周辺に生える花である。ヘレナが言うには昼間は花を閉じた蕾の姿だが、日が暮れ始めるころから花を開き光を発するとのことだ。
名も知らぬ花が川辺に沿って何百何千では収まらぬほど生えており、赤、青、黄、緑など思いつく限りの色をした光により川の水がキラキラと暗い夜の闇を照らしていた。
「うっわ、これはすげーな……」
まるで天の川の中にいるような景色にそう呟き、飛鳥はあっという間に服を脱ぐ。この自然あふれる土地で全裸になり、どこか開放的になった飛鳥は誰にも見られていないという安心感から隠すことなく川の中を進んだ。
すると、少し離れた位置から水の跳ねる音が飛鳥の耳に届いた。
足を止め、その音のした方へ目を向ける。
そこで、飛鳥が目にしたものとはヘレナの揺れる大きな膨らみであった。
水に濡れた肢体が光る花に照らされ、張り付く黒い髪がより一層妖艶さを増す。
胸から腰にかけ美しい曲線を描く肉体に飛鳥は我を忘れ、目を逸らすことができなかった。そして、
「水の球!」
唐突に聞こえたヘレナの声で飛鳥は我に帰る。
だが、時すでに遅し。
「あべらっ!」
気づいた頃には目の前にハンドボールほどの水の塊が迫っており、何の抵抗もすることなく飛鳥の顔面に直撃した。
飛鳥は真後ろに倒れ水に浮かんだ。
「あぁ、もう……。今日、は……、付いてな……いな」
そう言いながら、飛鳥はわずかに残った意識を手放した。
だが、気を失う直前、最後に心配して近づいてきたヘレナの裸体をもう一度拝めることができたのは誰にも言うことなく、飛鳥の胸の内に保存されるのであった。