人を見限らないで
飛鳥の本気の怒鳴り声にシェリアは一瞬身じろいだ。シェリアがいろいろやらかした時はよく怒られたものだが、それとは比にならない怒りが飛鳥から伝わってくる。
シェリアもシートンに目を向けるがその光景は変わることなくただただ口元を血で濡らすシートンと気を失い、されるがままの少年の姿が見えるだけであった。
「何って、そりゃあ……見ちゃった?」
何の悪びれもなく言うシートン。声から優しさを感じたはずなのに今は不快感しかない。彼の作る雰囲気に安らぎを感じたはずなのに今は業腹で仕方がない。
そこで飛鳥はある違和感に気付いた。
「お前、……俺に何をした?」
飛鳥の違和感。それはシートンに対する無条件の信頼である。基本的に人を疑うところから始める飛鳥は今思い返すと、シートンに対しては初めは多少の警戒心は持つもののそれ以降ほとんど無条件で心を許していた部分がある。
最初に会ったときも、その翌日カフェで会ったときも飛鳥はシートンを多少警戒はするものの、それは彼から感じる謎の安心感により消え去ってしまっていた。
そして、今はこの男に対し全くそういった感情を抱かない。祖父のような安心感を与えたはずの声や雰囲気は全くの皆無。その自分の心変わりの激しさに疑問を抱かないわけが無いのだ。
「何をしたぁ? もしかして解けちゃったかな……。ま、あんな爆発起こしたら剥がれるのも仕方ないか……」
シートンは自分の体を見ながらそう言った。その発言からこの男が飛鳥に何かをしたかは明白だった。
「まぁ一言で言うのなら君に直接何かをたわけじゃないよ……ただ君はその残り香を嗅いだだけ」
「残り香……?」
初めて会ったとき、シートンから何か香がした記憶はない。もしそれが法術の類ならおそらくシェリアが反応しただろう。
「法術じゃないとか考えてる?」
的確に意を突かれ飛鳥は戸惑った。
自分の予想が当たったのが分かったのか、シートンは「ふふ」と笑う。
「法術だよ、あれは。……でもあの時掛けたわけじゃない」
シートンが使用した法術は『魅了』。相手の意識を引き付ける。冒険者で複数人のパーティを組む際、敵を引き付けるタンク役の人物が多用する事が多い。
「だけど僕は、これに一工夫加えたんだよ。対象は魔物や獣ではなく人。それもかなり効果を弱めてね」
しかし、かなり効果をを弱めたといっても一時的に人の視線を必要以上に集めてしまった。そしてシートンが行ったのは例えば外出の際、予め『魅了』をかけ、その残滓だけをあたりにまき散らすのだ。その結果シートンにとっていい誤算が生まれたのだ。
それは、
「自分の発するものすべてを、相手に心地良いものだと錯覚させる。声を、動きを、僕の体臭や雰囲気でさえね。必要以上に近づかれることもなく僕に対し警戒心を抱かない。これほど都合のいいことはないっ!」
飛鳥たちと話していた時、法術を使っていなかったのならシェリアが気付かなかったのも頷ける。
シートンは高らかに笑っている。人を見下すように。人を人とすら思わぬように。
「なぁ、飛鳥君……」
シートンの口角が醜く吊り上り歪んでいく。
「……君は僕を誰と錯覚した?」
そんなシートンの問いかけに飛鳥はかつてないほどの怒りを覚えた。有ろう事か目の前で不快な笑みを浮かべる男と育ててくれた祖父を重ねてしまった。この男を企みにまんまとはまってしまった。人には裏切られると、あんなにも、あんなにも理解していたはずなのに……。
「何で、……そんな法術、掛ける必要があるの……?」
今までずっと黙っていたシェリアが震える声でシートンに尋ねた。
「そりゃあ、リスクを下げるためだよ。こんな所見られたらおしまいだけど、出来るだけリスクを下げるのは当然のことだろ?」
シートンは悪びれる事もなく横たわる少年『カウ』を指さす。
「お前、何で……何であんな事したんだ !?」
「アスカ……」
飛鳥はそのシートンの態度に再び血が沸騰するような思いになる。シートンの行いは今まで子供たちに対しても騙していたことになる。
信じていたはずの親に……。
「何で、食われなきゃ……ならないんだよ!」
そのとき、飛鳥の頭に一つの可能性が浮かんだ。シートンの聖術気の保有量は魔族に匹敵する。ギルドの応接室でジザルがそう言った際、飛鳥の脳内で一瞬考えたこと。それは……、
「お前、……魔族か?」
人を食う魔物の姿を見た。その魔物が魔族になるところを見た。シェリアも同じことを考えていた。『キセレ』のように人に限りなく近い容姿をした魔族がいる事を知っている。
「いいや、僕は人間だよ。……魔核すら持たない非力な人間だ。誰よりも弱い、人間なんだ」
「……え?」
それに最も反応したのはシェリアだった。
シェリアはかつて家族からないがしろにされ、唯一親しかった兄にさえ裏切られナウデラード大樹林に放り込まれた。
一度は死を覚悟し、家族を、人を、この世を恨み、そして恐怖した。
しかし、飛鳥と会い、もう一度人と触れ、その暖かさを知った。
ナウラに訪れたてからもそうだ。検問の兵士ダント、ギルドの道を教えてくれた老人。ギルドの受付嬢のネイラやシーラにジザル。ハーマイネに教会の子供達。
彼らと触れ合うことで人の優しさを改めて再確認した。
そして、人の肉を食べるなんてことが同じ人間に出来るはずがない。本気でそう思った。そんなことが出来るのは魔族だけだと、そう思った。そう思いたかった。
「何で、そんなこと、出来るの……?」
シェリアは膝から崩れ落ちた。
「人って、そんなものなの?」
カウにとってシートンは最も信頼を寄せる親であり、師でもある。
シェリアから見たこの親子はシェリアにとって最も欲しがったものであり、もう二度と手に入らない物だ。飛鳥と出会い一度晴れたシェリアの心が再び淀んでいく。
人間はやはり、醜く信じるに値しない、愚かな生き物であると……、
「シェリア!」
そのとき、再び暗雲に包まれそうになったシェリアに飛鳥が叫びかける。それと共に飛鳥の手ががっしりとシェリアの肩に掴まれた。我に帰るシェリアは飛鳥のその手が震えていることに気付いた。
「……アスカ?」
飛鳥の手の震えはシートンの食人によるものではなかった。
「…………い……ら」
シェリアは飛鳥が何を言っているか聞き取ることができない。
「……がい、……から、…………おねがいだから!」
飛鳥の声が震える。そして、絞り出された声は消えそうになりながらも今度ははっきりと聞こえた。
「お願いだから人間を、……人を――」
——見限らないでくれ。
「俺はもう、落ちるところまで落ちた」
飛鳥が語る。
「人と仲良くなることも出来ず……」
飛鳥の目に小さな水滴が浮かぶ。
「仲良くなってからも裏切られた。そして、誰も信用できなくなった」
そうなってしまったら、
「終わりなんだ……」
シェリアは息を飲んだ。
「疑い出したらもう止まらない。関わる人、全てが不審に思えてくる。そんな人ばかりじゃないことは頭では分かっていても心に刻まれた傷がそれを良しとはしない……」
だから、どうか……。飛鳥は願う。
「シェリアはそうならないでくれ。もっと多くの人と関わってくれ」
そして、
「沢山の人を愛してやってくれ……」
「……アスカ」
「答えを出すには、早すぎる」
シェリアはまっすぐ見つめてくる飛鳥と視線を重ねる。手は震え、自分のことを本当に案じてくれている。シェリアにとってそれだけで充分だった。
「もういいかい?」
シートンは二人の会話が終わるのを最後まで待っていてくれた。
「最後の会話なんだ。もっと堪能したほうがいいよ?」
「最後、だと?」
飛鳥が聞き返す。
「あぁ、こんな場面見られたんだ。消すしかないだろ。……心配しなくていいよ。君たちが初めてじゃないから」
今までに何人も殺してきたと平然と豪語するシートン。
「アスカは、死なないよ」
シェリアが答える。
「もちろん、私も……」
あの男だけで人間全てを決めつけるには早すぎる。もっと見て回りたい、多くの人を。そして、隣には飛鳥がいてくれないと困る。
「嬉々として子供の腕に歯を立てるお前は正式に罰を受けなければならない」
飛鳥は立ち上がる。だが、それを聞いたシートンはこれまでにないほどの大声で笑い出した。
「もしかして、僕がただ人間を食べることを喜びとしていると思っているのかい?」
二人は戸惑った。シートンの様子からそうだと思っていた。そうでなければ他にどんな理由があると言うのか。
「さっき、君は聞いたね」
なんで食われなきゃいけないのか、と。
「僕がこの子の肉を喰らうことは、この子達命を救うことと同義なんだよ!」
シートンは笑う。大きな勘違いをする二人に対し。何も知らない、愚かだと侮辱するように。
『子供のため』
その言葉が飛鳥の脳裏から離れない。
じわじわとPVが伸びております。感謝!
この調子で評価、ブクマ、感謝、レビューしちゃいましょう!笑




