異世界、初の宿屋
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「本日は宿屋『アジサイ亭』にお越し頂きありがとうございます」
「すみません、一人部屋を二部屋お願いできますか?」
「申し訳ありません。ただ今一人部屋は一部屋しかご用意できません。……あの、二人部屋ならご用意できますが、いかがなさいましょうか」
教会を出て、飛鳥とシェリアは早一時間歩きさまよっていた。今日一日、いろいろな事があったせいか、飛鳥は昨日ほどではないにしろ体力的にも精神的にもかなり疲労がたまっていた。そして訪れた先の宿屋すべてが満室になっていた。
あまりにも部屋の空きがないことに疑問を覚えた飛鳥は四件目の宿屋の受付で何故、こんなにも空き室が無いのか尋ねた。
すると受付は「普段からこの時間は満室だよ」と返してきた。なんでも飛鳥が今滞在しているナウラという街はクライラット国の南の入り口と言われ、人の出入りが激しく日が沈む前にはほとんどの宿が満室となるらしい。ナウラで一泊するつもりなら先に宿を抑えるのがこの街の決まりのようになっているとのことだ。
飛鳥が七件目の宿である『アジサイ亭』でそんなやり取りをしていたことを思い出していると、
「それで」
と、シェリアが勝手に受付に応じてしまった。
「おい、勝手に応えるな……って無いんならしょうがないか。じゃあそれでお願いします」
一日でそれなりに人見知りを克服でき、ある程度の受け答えも可能になったシェリア。ここぞとばかりに割って入り、どんどん決め事がすすむ。
「でも、街中の噂になってましたよ? 黒髪の美男子と金髪の女の子がどんな時でも抱き合って歩いてたって。お客様のことですよね?」
飛鳥は思わず顔に手を当て溜息をついた。
「それは多分俺たちの事ですが内容が違います。こいつが人見知りで背中に隠れてただけです!」
「アスカ、照れなくていい」
「ちょっと静かにしような」
「まぁっ! やっぱり仲がよろしいですね! 私も早く結婚して孫を見せろってお父さんがうるさくて……」
「はは、お姉さんならすぐいい相手見つかりますよ」
まさかこんな所で愚痴を聞くとは思わなかった飛鳥は早く進めてくれた心の中で思った。
「では二人部屋で、何泊ですか?」
「とりあえず決まってはいないので七日で。延長は可能ですか?」
「はい、可能です。では七日で……。朝食、夕食は宿代に含まれておりますので必要であれば朝食は前日の『夕刻の鐘』が、夕食は『日の鐘』が鳴るまでに知らせてください」
ここでわからない単語が二つ出てきた。『夕刻の鐘』と『日の鐘』である。きっとこの世界独自の時間を伝える手段なのである事は分かる。飛鳥もこの街に来てから何度か鐘の音を聞いていた。
『夕刻の鐘』はその言葉からある程度の予測は出来た。だが、『日の鐘』は朝日が昇る時間、もしくは正午なども考えられる。
飛鳥はシェリアをちらりと見る。その視線に気づいたシェラアは一回こくんと頷いた。おそらく飛鳥の疑問を察知したのであろうシェリアに安心する。
「はい、わかりました。あの風呂、とかは、無いですよね?」
「お湯の桶を二名様なので二つと、タオルをお届けします。お湯の追加は銅貨一枚ですので悪しからず。あ、でも裏に女性専用ではありますが水場がありますのでそこをご利用いただくこともできますよ」
魔法が発展したこの世界には電気は通っていない。お湯に金銭を要求するということは、お湯を沸かすのもそれなりに労力がいるということだろう。
魔法でお湯を……と飛鳥は一瞬思ったが、それは魔法の水が飲めないことと何か関係があるのだろうか。
(今度キセレにあったら聞いてみるか……)
数時間前にキセレの下で魔法の水が飲めないこともついでに聞いておけばよかったと飛鳥は少し後悔する。
「代金が二人部屋を一部屋、七日で大銀貨一枚と銀貨四十枚です」
飛鳥は簡素な巾着袋から大銀貨と銀貨を取り出す。
「はいちょうど頂きますね。ではこれが部屋の鍵です。……えっと、あの……」
さっきまでハキハキと話していた看板娘が急にしおらしくなる。
飛鳥は鍵と言われた板を受け取ると……、
「どうされました?」
と、尋ねた。
女性は指を絡め人差し指の先端をトントンと合わせる。
「あ、あの……部屋、一応防音なのですが……、騒がしすぎると流石に聞こえますので、お気をつけて……」
飛鳥は何を言っているのか疑問に思ったが顔を赤くしながらそう応える目の前の女性の顔を見るとその真意に気付いた。飛鳥はつい歪んだ笑顔を向け、目元がピクピクと痙攣してしまう。
「お、お気になさらず。別にそういった関係ではありませんので……」
つい棒読みになってしまったのが心に残るが今はこの場からすぐにでも立ち去りたい。
「ほれ、行くぞー」
「ん」
「あ、お客様! 今日のお夕飯はどうなさいましょうか。一応今回は用意できると思いますが」
少し離れた飛鳥にカウンターに身を乗り出し訪ねて来た。
「じゃあ、せっかくなので頂きます。時間はどれほどかかりますか?」
「三十分後にまたここに来てもらってもよろしいですか?」
「わかりました。ではまた三十分後に」
飛鳥はそう言うとその場を離れる。
鍵の板には部屋番号が書かれているのだろうが案の定、飛鳥はそれを読むことができない。飛鳥は板に書かれている文字をシェリアに見せた。
「これ、なんて書いてあるんだ?」
「んー。301」
「301ってことは三階ってことでいいんだよな」
「そなの?」
「だいたいそうだろ、こういうのって」
飛鳥たちは階段を登り目的の301号室に着く。
そしてその扉の異変に真っ先に気付いたのはシェリアであった。
「法術がいくつかかけられてる。簡素だけど確実性があると思う」
「えっ? 法術って大丈夫なのか?」
「うん、防御法術だから」
飛鳥には眼前に映る扉に何があるか全くわからなかった。この世界に来て数日経ち、聖術気に多く触れることで何となくそれを感じるようになってはきた。しかし、慣れてきたものの扉に術式がかけられていると言われて初めて『何となく何かがあるような気がする』程度のもので経験の差には敵わないと実感する。
「防御って……。まぁ地球にもセキュリティとかあるし宿屋なら、なくはない、のかな?」
まだこの街に来て一日も立っていないが、飛鳥は夜になると治安が悪くなるなんてこと容易に想像できてしまう。そんな中で防御法術のかかった宿は旅人にとってこれほど安心できる場所はないだろう。
飛鳥は部屋に入ろうとするがそこで初めてあることに気付いた。
「鍵がない」
もちろん、受付で預かった鍵をなくしたわけではない。渡された板。そう、板しか渡されていないのだ。
「それにも法術がかけられてる」
シェリアがそういうと飛鳥は渡された鍵と言われた板を吟味する。
301と異世界語で書かれた裏、そこに答えはあった。
「触れて、ください……って書いてある。どういうこと?」
そこで飛鳥はピンとくる。飛鳥は扉のあちこちをその板で触れる。そしてドアノブの少し上に触れると扉の奥からガチャッと、解錠音が鳴った。
「まさかのカードキーか。中世の街並みの癖にこんな所はハイテクなんだな……」
そんなことを思いながら二人は部屋に足を踏み入れた。
「窓にも法術かかってる。こっちはたぶん二重螺旋の形、奥深い……」
賢者として覚醒するまではもっぱら法術の研究に勤しんでいたシェリアは賢者の知存在したとしても、その現物を見たことの方がずっと少ない。森の中ではどうしても触れることの出来ない法術に出会い、シェリアのテンションも自然と高まった。
「法術に興味持つのもいいけどすぐ夕食だからな」
「! ご飯!」
シェリアは思い出すように反応する。
「そういえば朝食の予約って『夕刻の鐘』が鳴るまでって言ってたな。シェリア、『夕刻の鐘』ってもう鳴ってたりする?」
「知らないよ」
「は?」
「ん?」
シェリアから予想外の答えが帰って来た飛鳥は思わず反射的に聞き返す。
「し、シェリアさん。あなた、『夕刻の鐘』の時間が分かるんじゃないのですか……?」
「何で? 私分かるって言ってないよ?」
「いや言ったぁ、……言ってない、な」
「ん」
言っていない。確かに言っていない。あの時、飛鳥はシェリアの顔を見ただけだ。しかし、そこで疑問が生まれる。
「じゃあ何であの時頷いたんだよ!」
「……頷いた?」
飛鳥はがっくりと項垂れる。頷いたかどうかさえ覚えていないあた、りほとんど反射で頷いたのだろう。
覚えていないのをとやかく言っても仕方がないのでそのことについては諦めよう。
「キセレに聞くか」
「ん。それがいい」
その後、滞りなく夕食を済まし、部屋に戻って来た飛鳥とシェリアにはまた新たな問題が立ちはだかる。
それは沐浴である。今、目の前には飛鳥とシェリアの二人分のお湯が入れられた桶がある。そして部屋には仕切りなど存在せず、さらに相方は裸になることに何の躊躇もない。
「アスカ、タオルは?」
「ん、あぁ。これ使え」
宿から提供されたタオルを一枚シェリアに投げる。シェリアは横目でそれをキャッチすると案の定、おもむろに服を脱ぎだした。
「ちょっ、待て! シェリア!」
シェリアの引き締まった体が露わになり、女性特有の丸みが飛鳥の目の前で揺れる。
普通に日常を過ごしていれば後ろから抱きつかれたとしても理性を保つことのできる飛鳥だが、さすがに女性の裸体を直視し大きくなる気持ちを抑えることは容易ではない。飛鳥な健全な十八の男なのである。
飛鳥は思わず後ろを向きしゃがみこむ。その飛鳥の突然の行動に疑問を覚えたシェリアは、飛鳥を心配し近寄る。もちろん裸で。
「どうしたの? 大丈夫?」
「大丈夫だから、シェリアはさっさと身体を拭け。そして早く服を着ろ!」
「アスカ、いつもと様子が違う。何か隠してる?」
「隠してねーから! いや、隠してるけど別に何でもねーから!」
「その手の下、何かあるの?」
「ねーよ! いやあるけど! ……やめっ、ちょ待て! 手を引っ張るな。お願い、やめて! あぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
そうしてナウラでの一日が終わる。異世界に来て初めての街、初めてのベッドで飛鳥の気はようやく休まる……はずだった。
そして翌朝、受付のお姉さんに真っ赤な顔で目を逸らされたのは言うまでもない。




