初戦闘の後
本日の最終更新となります。
ぜひお楽しみください。
ガギンッッ
皮膚と爪の接触音がまるで金属と金属がぶつかり合うような甲高い音が響き渡る。シェリアの首元には傷など一つもなく、逆にクマのどデカイ図体が少しだけ反動で反り返っていた。
「ッッッ!」
しかし、シェリアの足元は衝撃に耐えきれず地面は陥没し左足に激痛が走る。
「筋力強化」
間髪入れずシェリアは左手で右肘に触れると追い討ちでクマの鳩尾付近を右肘で強打する。
「ガ、ガガァァ!」
うまくシェリアの肘打ちが決まったのか断末魔のような声を上げる巨大グマは、痛みに悶えながらもシェリアに攻撃の意思を示す。
また振り上げられた左腕をこれ幸いにとシェリアは瞬時に右手で右足首に触れ、「剣気!」と、唱える。それと同時に痛めた左足で力強く地面を踏み抜く。後方に位置する右足が残像を残しながらクマの左腕が振り下ろされるよりも速く脇腹に触れると、その蹴りは何の抵抗もなく肉に食い込みすぐにクマの右肩から飛び出した。
シェリアはクマの肋骨、そして背骨を断ち切り、背肉だけでその体を支えられなくなった巨大グマは下半身は膝をつき、上半身は切り裂かれた部分からベロンと剥がれるように、そして折り畳まれるように後ろに倒れた。
血が飛び散り、未だ臓器は脈打っている。クマはの呼吸音は今にも途絶えそうなほど弱々しくなり一つの命の終わりを告げようとしていた。その姿に飛鳥は不快感を覚え、吐き気が込み上げてきた。
飛鳥は右手で慌てて口を抑え、左手、両膝を地面に着く。
「……大丈夫?]
「……あぁ、ごめん。大丈夫」
シェリアにはそう答えたが飛鳥は未だに空嘔が続いていた。
いつかこういう場面に出くわすとは思ってはいたが、いざそれに出くわすと想像の何倍もグロテスクで、木に囲まれ薄暗い空間や血の匂いも相まって飛鳥の精神を如実に削っていった。
弱肉強食の世界でずっと生き延びてきたシェリアと日本で常に安全な位置から立ち振る舞ってきた飛鳥とではくぐってきた修羅場の数が違う。
「普段なら、あんな近くまで近づかれる事なんて、ないんだけどね」
シェリアはそう言った。
竜との戦いがあとわずかに迫り、そして過去に竜と遭遇した時のことを思い出すことで視野が狭くなり注意力が散漫になったとシェリアは答えた。
シェリアは両頬をパンッ、と叩いた。
「もう心配ない。もう、気は抜かない」
「……そうか」
気持ちを立て直したシェリアとは裏腹に飛鳥は内心焦っていた。クマに遭遇した瞬間、体が自分のものではないかのように硬直し、死を覚悟する。
魔女の神杖というチートアイテムを手にした飛鳥は心のどこかで浮かれていたのかもしれない。
自分なら物語の主人公のようになれるかもしれない。
普段、そんなことを考える性格ではないが非現実な日常が次々と起こり、楽観視していたのはもはや疑う余地はなかった。
(気を引き締めろ)
飛鳥もシェリアと同様に頬を思いっきり叩く。
(油断するな。いつ死んでもおかしくないと思え)
本当の意味で異世界を知った飛鳥はシェリアとともに再び進み出す。
—————
巨大グマと遭遇してから三十分ほど進むとひらけた場所に出た。シェリアから聞いていた平原だ。
一つの結界を張られた森の中とはとても思えない広大さで優しい風が肌を撫でる。
「今日はこの辺で休もう」
平原に出てから少し歩いたあたりでシェリアが言った。
「もうか? まだ俺の部屋を出て二時間ぐらいしか経ってないんじゃないか?」
飛鳥の部屋を出たのは大体十時頃。本来なら少し小腹が空いてきそうな時間帯であり、野営の準備に取り掛かるには早すぎる気もする。
「……ん、なんか久々に歩いたから疲れた。それにあっちではお昼頃かもしれないけど、こっちはあと三時間ほどで日が沈む」
飛鳥は木に囲まれ、薄暗い場所にいたので気にしていなかったが、今確認すると太陽は遠くの空ですでに落ち始めていた。
「わかった。まぁここでのことはシェリアの方が詳しいだろうしな」
「ん」
自分が疲れたとシェリアは言ってくれたが本当は違うことを飛鳥は見抜いていた。
シェリアは自分のことを心配してくれている。シェリアは短い間だったが日本を見た。見た結果、異世界で日頃毎日のように行われている命のやり取りを目の当たりにした飛鳥の心中を察した。
と、飛鳥は勝手に想像していたがシェリアは全く別のことを考えていた。
(足、痛い)
クマの初撃を体で受けはしたものの、硬化の法術をかけた部分ではなく踏ん張った足を捻ってしまった。異世界突入当初は表には出さないが、シェリアは飛鳥に良い姿を見せようと意気込んでいた。が、自分の不注意で危険を招き、さらに初めての戦闘でかっこ悪い姿を見せたくはなかったシェリアはその怪我を隠し、治療することなく歩を進めた。
先程の提案にはもちろん飛鳥のことを心配すると言う意味も含んではいたが、シェリア同様、踏ん切りをつけた様子だったのでそこはあまり心配しておらず、もっぱら飛鳥の前で格好をつけるのに疲れたのが大半の理由である。
「アスカ、二度手間になるんだけど森に戻って出来るだけ薪を集めてもらって良い?」
「オッケー」
飛鳥は親指を立て前に突き出すと森に引き返す。飛鳥は森の周りがうまく視認できない環境に少しトラウマを覚えていたがこの機会に少しでもなんとかしようと森に入った。
飛鳥が森に入る後ろ姿を確認したシェリアは、
「……イタタ」
と、靴を脱ぎ青く腫れた足首を撫でる。そして、
「治癒」
そう唱えるとシェリアの手が淡く光だし足の腫れが徐々に引いていく。
「ん。こんなもん、かな」
シェリアは立ち上がり左足に体重をかけたり足踏みをすることで確認する。痛みはなく怪我の心配などもはやどこにもない。それどころか、以前よりも調子が良いようにも感じられる。
怪我の治療を終えたシェリアは次にポケットから二立方センチほどのキューブを取り出した。
その一方、飛鳥は森の深くには入らずともそれなりの薪を集め、二枚の布で縛りそれを両肩にかけて持ち運んでいた。布を手に巻きつけ薪の重さで手から布が滑り落ちるのを防いでいる。
「あ〜、肩痛。三本の矢の話ここでも使えんじゃねーのか」
一本一本だと軽いが四十本集まると重い。そんな見当違いな三子教訓状を唱えるあたり飛鳥の疲労はそれなりに溜まっているようだ。
「日頃運動なんかしてなかったけど、まさかここまで体力がないとは思わなかったわ」
ほんの二、三時間歩いただけでこの体たらく。もちろんそこに大きな荷物を持っていたり、巨大なクマに襲われたという苦難が襲いかかったことを考慮しても、十八歳という元気が有り余って仕方がない年齢でありながら、その体力のなさに飛鳥は少しショックを受ける。
ひーこら言いながらも飛鳥はシェリアの待つ野営地に戻ってきた。
だが、風にゆらゆらと靡く草とその心地よい雰囲気を出していた草原が少し離れていただけで変わり果てていた。
大量の真っ赤な血が広がりその中心にある肉塊。そしてそのそばに立つシェリアの姿。
飛鳥は集めた枝を投げ捨てシェリアの元に駆け寄った。