闇の中で
アージェスが、アルビネットによって、アンナの下から連れ去られて数日後。
彼女は絶望の中、病気でこの世を後にした。
東の村でアージェスを産んだのち、病気の存在が発覚したが、息子アージェスの前では、弱音を吐かない強い母だったという。
アージェスと共に過ごし、育てていく事。
それこそが、病気を忘れる唯一の方法だったのかもしれない。
アージェスへの愛は、それほどまでに強かった。
村人達も、闇の子を宿したアンナを責める事はなく、温かく見守っていた。
アンナの最後を知る村人の話によると、アンナはショックで痩せこけ、アージェスの名前を呼びながら息絶えたという。
その事が、アージェスの耳に入るまで、五日程かかっている。
アージェスは、母の死を知った時、最初は呆然としていた。
死の意味が、まだ良く分かっていなかったのだろう。
ただ、アルビネットから、もう二度と母と会えないと言われて、それが嫌で大泣きした。
やがて本当に死を理解した時、彼はまた、人知れず泣いた。
あんなに優しく、あんなに強かった母さんが。
幼いアージェスにとって、それは辛い事実だった。
それから、13年の年月が経った今。
アージェスは、母アンナがくれた優しさと、同じ光を感じていた。
自分がずっと求めていた光を。
mirikoworldの女王、美理子が教えてくれた。
「俺は今、あの時の父上と同じ事を、繰り返そうとしているのか……」
部屋の中でアージェスは独り呟く。
父と母の事は、彼が魔城に連れてこられて、まもなく知らされた。
それまで、アージェスは全然、父親の事は知らなかった。
話を聞かされた記憶もない。
頑なに、アンナが隠し続けていたのだ。
村の人達も、アンナに協力するように、何も知らないふりをしていた。
真実を知った時の彼の戸惑いは、かなり大きかった。そして、彼はその時より、自分の心を閉ざしてしまったのだ。
だが、今は違う。
美理子と出会ってから、彼はひたすらに、誰かの優しさを求めようとしていた。
閉ざされていた心が、再び開こうとしている。
温かかった。
美理子が流した涙は、母親のそれと似ていた。
確かに、美理子には大きな母性本能があるらしい。
泣きじゃくる子供が母の胸で優しく抱かれているみたいに、その力は強かった。
だから、アージェスは、彼女の涙を見た時、自然と気を許してしまった。
「美理子……」
心はもう、美理子から離れない。
人を好きになる気持ちを、彼はもう知っていた。
もう、何を言われても、変わりはしないだろうと思っていた。
だがーー、
カチャッ。
突然ドアが開き、邪兵士が数人部屋の中に入って来る。
「なんだ?」
独りの時間を邪魔されて、ムッとしたようにアージェスは言う。
しかし、邪兵士は何も喋らず、アージェスの身体を持ち上げた。
「な、何!?」
アージェスを抱えたまま、邪兵士は部屋を出る。
たどり着いたのは、〈終わりなき闇の部屋〉と呼ばれている場所。
隅から隅まで、真っ黒な闇の光が漂っている。
アージェスが13年前、ダーク帝国に連れてこられた時、一番最初に入れられた部屋。
「あ、ち、父上……」
そこには、アルビネット・サタンが息子を待っていた。その目は、少し怒っているようだったが。
「アージェス。待っていたぞ。今からしばらく、お前はここに入ってもらう」
「えっ? ち、父上、ここは……」
「ここは我がダーク帝国の力の源、闇の力が沢山詰まっている。お前には、もう一度、魔の洗礼を受けてもらわねばならん。いいな?」
「えっ、父上?」
「入れさせろ」
アルビネットは、アージェスの気持ちも聞かず、無理矢理邪兵士に部屋の中に閉じ込めさせた。
ガチャン。
無情にも、外から鍵がかけられる。
「父上、ここを開けてくれ! 出してくれ!」
ドンドンとアージェスが扉を叩く。
が、父の言葉は冷徹だった。
「お前は、敵であるmirikoworldの女王に、恋をしてしまった。これからの戦いに、その感情は邪魔なのだ」
「父上ぇぇぇぇっ!」
「今一度、闇の洗礼を受けて、身も心もダーク帝国の者として相応しくなるまで、その部屋から出さん。今、言う事はそれだけだ」
アルビネットは、息子一人をそこに残し、振り向きもせず歩き出す。
カツカツカツ。
足音が遠くなる。
「父上ぇぇぇっ!」
必死に扉を叩き、脱出しようとするアージェスだが、それはできなかった。
部屋中にちりばめられた闇が、黒く大きな塊となり、彼を襲う。
「うわあああああっ!」
その闇の中に、アージェスの身体は包まれていった。
「母さん……」
薄れていく意識の中で、アージェスは母アンナを思い浮かべる。
気丈で、いつも優しかった母を。
黒い光に包まれて、アージェスは目を閉じた。
魔城の中の光が闇に染まろうとしている時、少年は、たった一つの夢を見つめていた。
ただ、それも長く持たない夢。
果てない闇の彼方に、消えていく定めかもしれないのにーー。




