奇妙な来訪者
皆さまは猫はお好きだろうか。ちなみに私は大嫌いだ。なぜかと言えば、子供の頃に顔を引っかかれ……いまだにその傷が残っているからだ。化粧でなんとか誤魔化す事は出来ても、家に帰って風呂の鏡を見ると子供の頃の記憶が蘇ってくる。
あの時はまだ、私は猫が大好きだった。道端でひなたぼっこしている猫が居れば撫でまわし、友達の家で飼っている猫が膝の上に乗ってくると、テンションが上がった。
しかし今は猫のヌイグルミを見るだけで怖気が走る。
今の私にとって、猫は地球外生物と何ら変わらない。恐怖の対象でしかないのだ。
※
三月三日 (土)
今日は雛祭。といっても、一人暮らしの私は得に何もしない。
実家に居た頃は、ひな人形を母親と一緒に飾っていた。
だがそれも小学生の頃の話。今私は大学生なのだ、ひな人形を見てテンションが上がるような年頃ではない。
しかし、本日は折角の休日だ。しかも土曜日。一人アパートの一室で閉じこもっているのも勿体ない。
「どっか行こうかな……映画でも見に……」
と、その時インターホンが鳴り響いた。
首を傾げ時計を見る。現在は朝の九時。こんな朝っぱらから誰だ。私の友人は皆朝弱い筈だし、大家さんに先月の家賃は払い済みだし……
そっと覗き穴から来訪者を確認。
だが誰も居ない。まさかピンポンダッシュされたのだろうか。朝っぱらからヒマな奴がハッスルしているな。
だがその時、再びインターホンが鳴り響いた。
直後に背筋に寒気が走る。そんなバカな、扉の外には誰も居ない。
「…………」
思わず玄関から離れ、リビングの携帯を取り大家さんに連絡を取る。
しかしどれだけ待っても大家さんは電話に出てくれない。
「…………っ」
再び鳴り響く、三度目のインターホン。
私は恐怖に駆られ、思わずベランダから脱出を試みようとするが……
「……にゃんだと……」
ベランダには、一匹の猫がひなたぼっこしている!
なんて迷惑な奴だ! こんな時に!
のんきに欠伸などしおって!
不味い、なんだこのホラ―展開は。朝に魑魅魍魎が襲ってくるなど想定外だ。
「…………」
ゴクっと生唾を飲み込みつつ、再び玄関の扉へと近づき覗き穴を確認。
だが相変わらず誰も居ない。
「……インターホンが壊れてるんだ……きっとそうだ」
バグってただ鳴っているだけだ、大家さんに直してもらおう、そうしよう、と思いつつ……私は勇気を振り絞って玄関を勢いよく開け放った。
「……はぁーっ」
やはり誰も居ない。念のため、ドアの裏も確認してみる。
ドアノブに一匹の白い服を着た猫がぶら下がっているだけで、得に異常は無い。
やはりインターホンがぶち壊れているか、ヒマな奴がピンポンダッシュをしていただけなのだろう。
私は安堵の溜息を吐きつつ、再び扉を閉めた。
しかし今何か、変な物を見たような気がする。
いや、気のせいだ。きっと疲れているんだ。最近勉強のし過ぎかもしれない。
「……猫」
いや、あれは見間違いだろう。
白い服を着た猫がドアノブにぶら下がっているなど、恐怖以外の何物でもない。
あれだ、人間の脳は時折誤作動を起こし、ありえないものを見るという。それが幽霊だったり妖怪だったりするわけだが、きっとあの猫もそのたぐいの物に……
「にゃー、気持ちよさそうにゃね。僕もご一緒してもよろしいにゃ?」
その時、超有名ゲームタイトル、あのハンティングゲームに出てくる猫のような声がベランダから聞こえてきた。恐る恐るベランダへと目を向けると、白い服を着た猫がウトウトと寝ころぶ姿が……
「…………」
直後に暗転する視界。
我ながら情けない。猫が服を着て喋っているだけで、気絶してしまったのだから……。
※
ゆっくり目を開けると、そこは異世界……ではなく、私の部屋だった。
既に真っ暗で、月明かりのみで照らされる部屋を見回す。
「……あれ」
私はベッドの上で、ちゃんとパジャマを着て寝ていた。
なんだ、アレは夢だったのか。当たり前だ、猫が喋るなど現実にはあり得ない。
「はぁー……あほらし……」
と、携帯の画面を付けて愕然とする。
画面に映るのは日時。三月三日 午後十九時十分。
「私の休日は……?」
貴重な土曜日を寝て過ごしてしまったという事か?
なんてことだ。その代わりと言っては何だが、激しく頭の中はスッキリしていて、なんなら今から町内一周マラソンしてこいと言われれば容赦なく走りきる自信がある。
「変な夢も見るし……もう最悪……」
ベッドから出て冷蔵庫へと向かう私。
その途中で違和感に気が付いた。なんだ、この……匂いは。
なんだろう、小学校の時に友達の家で……そうだ、猫を飼っている友達の家で同じような匂いを嗅いだ記憶が……。
「おめざめにゃー? 良く寝てたにゃ」
「ぁ?」
背筋に寒気。
全身に鳥肌が立ち、目を見開きながら声がした方を振り向く。
そこには、白い服を着た猫が……二足歩行して……
ぁ、ヤバ……
「って、また気絶しないで欲しいにゃ! カムヒア! 戻ってくるにゃ! 現実の世界へ!」
「お、ほわぁぁあ! なんなん! なんなん! あんた!」
ベッドに倒れこみ、布団をかぶって潜り込む。
白い服を着た猫は……いや、よく見るとエプロンだ。
エプロンを着た猫は大きい鍋を持ち……っていうか、その鍋、私の部屋の……
「急に倒れちゃうから心配したにゃ。クリームシチュー好きにゃ? 栄養たっぷりぷり、野菜もたっぷりぷりにゃ」
喋る猫は寝室の電気を付け、鍋の蓋を開ける。
なんともいい匂いが……なんかメッチャ美味しそう……。
「驚かせてしまってゴメンにゃ。ご飯でも食べながら、落ち着いて話を聞いてほしいにゃ」
「……む、無理……」
ガクブルと震える私。
ただでさえ猫は大嫌いなのだ。なのに、目の前にはエプロンを付けて喋る猫がシチューを皿に注いでいる。恐怖以外の何物でもない。日本のホラー映画に、シチューを作る喋る猫が出てくれば……間違いなく今季最大の恐怖! と絶賛されること間違いない。
「にゃーん。どうか食べてほしいにゃ。そしてお願いを聞いてほしいにゃ」
喋る猫は皿に注いだシチューを両手に持ち、私の鼻先まで運んでくる。
なんだこれは。夢か? また夢なのか?
目の前には美味しそうなクリームシチュー。
私は夢だと思う事にし、そっと布団から出て皿を受け取る。
これは夢だ、当たり前だ、そうに違いない……
「ぁ、スプーンにゃ。ふーふーして食べるにゃ」
「どうも……」
スプーンを受け取り、アツアツのシチューを掬い……息を吹きかけ冷ましつつ口の中に。
懐かしい味がした。そうだ、これは……実家の母親が良く作ってくれたクリームシチュー……
「美味しいにゃ?」
「うん……」
「にゃーん、それは良かったにゃ。おかわりは一杯あるにゃ。たくさんお食べにゃ」
やけにリアルな夢だ。
クリームシチューの味はちゃんとするし、匂いも凄くリアル。
目の前の猫以外、全てが現実っぽくて……
結局、私はそれから三杯程おかわりをした。
しかし鍋の中にはまだ大量のクリームシチュー。
「残りはチーズとご飯入れてドリアにするとかすればいいにゃ。さてさて、お腹もいっぱい、夢もいっぱいになったところで……僕のお願いを聞いてほしいにゃ」
「なんでしょうか……」
私は素直に頷きつつ、猫とテーブルを挟んで正座している。
お願いとはいったいなんだろうか。
「実は……僕を映画館に連れてってほしいにゃ」
「……映画館はペット禁止なんで……」
私がそういうと、猫は悲しそうな顔に……
いや、ペットとかそういう問題でもない気もするが。
「大丈夫にゃ! マフラーみたいに首に巻き付いていくにゃ!」
「むりむりむりむりむりむりむ! それは絶対むりむ!」
「なんでにゃ? 猫のもふもふは気持ちいにゃ」
いや、そういう問題ではない!
私は……猫が大嫌いなんだ!
「僕の事も嫌いにゃ? 初対面の人にそんな事をいうにゃんて……失礼な人にゃ」
「ぅ……ご、ごめんなさい」
何故か謝ってしまう。
猫は「うんむ」と頷くと、再び映画館に連れていけと言ってくる。
しかし……それ以前に、貴方は何ですか。
「ぁ、僕としたことが……自己紹介を忘れてたにゃ。僕は遥か彼方の星……ダブルエックスサテライトキャノンサイキョウスギルダロ星からやってきたにゃ。名前は『ちゃこ』にゃ」
「宇宙人……?」
なんという事か。
この猫は地球外生物という事か?
こんな形で未知との遭遇を果たしてしまうとは……。
っていうか名前、なんかペットっぽいな。
「そうにゃ。僕は地球人の方々からすれば宇宙人にゃね。そんな僕らは地球の映画が大好きにゃ。宇宙広しといえども、映画があるのは地球だけなんだにゃ」
「えっ、そうなの……」
にゃんてこった。
広大な宇宙の中で、映画がある星は地球だけ?
それって何気に凄いんじゃ……
「凄いってもんじゃないにゃ! 映画は地球独自の文化にゃ! 僕らはもともと、地球を侵略しにきたんだにゃ。でも映画に触れて……感動して……人類皆殺し計画は断念されたにゃ」
おおぅ、知らない間に私達人類は映画に救われてたってことか。
「そんなわけで、僕を映画館に連れてってほしいにゃ! 見たい映画はもう決まってるにゃ。ミュージカル映画にゃ」
ミュージカルか。
私は見たこと無いが……面白いのだろうか。
ぶっちゃけて言えば、いきなり芝居の中で歌いだすとか……抵抗しかないのだが。
「君は人生の半分損してるにゃ」
にゃ、にゃんだとう!
「知らないかにゃ? テレビでCMもバンバンやってるにゃ。全猫が鳴いた大傑作にゃ」
猫はどこからかパンフを手渡してくる。
映画を見る前にパンフとか……最大のネタバレでは?
「そんな事にゃいにゃ。特に君のようなミュージカル初心者は、見所とか押さえておくべきにゃ」
「ふむぅ……一理ある」
パンフを受け取りパラパラと流し読み。
どうやら実在した興行師の半生を描いた作品のようだ。
「というわけで、今から出かけるにゃ! ナイトショーなら千円にゃ」
「えー……明日がいいでござる」
「……なんでにゃ?」
だって……土曜のナイトショーなんて、カップルの巣窟じゃないか!
そんな所に一人で突入なんて……私にはそんな勇気は無い!
「まあ、じゃあ明日のファーストショーでもいいにゃ」
そんなこんなで、私と奇妙な宇宙人との映画ライフが幕を開ける。
なんだかパンフ見てたら楽しみになってきたぞっ