2-1
パーティー翌日の放課後、レイと一緒に屋上の小部屋に向かった。
「これからどんなことになるんだろうね」
レイとは最近一緒にいることが多かった。慣れてはきたものの、やはり廊下を美女と二人きりで歩くのは恥ずかしい。無言だと緊張感が高まって変に意識してしまうから、さりげなく会話を試みる。
「どうなる? そんなの分かっちゃったらつまらないじゃない」
それもそうだ。現実は予想がつかないから面白いのだ。
「でも、いきなりそうそう事件は起きないよね」
「『いきなり』と『そうそう』が重言気味なのが気になるけど、まあ確かにそんなに早く起きると思わないわ」
という僕らの予想はあっさり覆された。まるで僕らがこの三人と仲間になるのを待ったかのように事件は早速起きたのであった。
会話しているうちに山にたどり着く。何とか道迷わなかったものの、なかなか行きづらい。まぁだからこそ見つかりづらいという利点もあるのだけれど。
「事件よ」
チヅルさんは僕とレイが部屋に入った瞬間そう言った。
「事件?」
「そう」
僕の問いにチヅルさんは即答した。
「どんな事件?」
「事件といってもまだ何も来ていないのだけれど。風の噂だとどうやら音楽祭で何かあるらしいのよね」
「なんだまた何もわかってないのか」
いきなり横から口を挟んできたのはサイアだ。
「うるさいわね。そもそも情報入手するのはあなたの役割でしょう。何かいい情報持ってないの?」
「そんなこと言われてもなぁ。俺は俺で忙しいんだ」
タバコを吸いながらサイアは答えた。制服を着ているから違和感があると思ったけど、彼は成人してから法的には問題はない。いや、ないのか。
「忙しくてまたどうせくだらないことでしょう。こっちが本職なんだからちゃんとやってくれないと困るじゃない」
「ハイハイやればいいんですか。じゃやりますよ」
「何その言い方。もっと愛想のいい方は出来ないの?」
「うるせえな」
「誰がうるさいですって?」
「やれやれまた二人は口喧嘩してるのか。まぁいつものことだけれどね」
肩をすくめながらコメントしたのはハルト。はいどうぞと言いながら僕取りにコーヒーを入れてくれた。やはり彼は雑用係のだろうか。本人はそんな嫌そうな顔をしていないけれど、実はこのような仕事は嫌がるはずである。
「音楽祭で事件となるとちょっと厄介かもしれないわ」
レイの声は大きかったの。この場にいる全員が彼女の方を見た。
「どうしてかしら? 理由を説明して頂戴」
「理由? 考えてみると意外と簡単なことよ。音楽祭でもし勝とうとした場合、確かにクラスで努力するということも考えられるわ。でも、もう一度考えてみて。他のクラスが勝てないように何か問題を起こす。それも一つの作戦として成立しうるわ」
「つまり自分のクラスが勝つために、他のクラスに問題を起こすクラスがあってもおかしくないということか」
「さすがワトソン君。そう言うことよ。そこまでして勝ちたい理由がわからないけれど」
「ということで、とにかく情報が必要なの。サイア、明日までに有力な情報を集めといてね」
「明日⁉ いや、無理ゲーなんだが」
「反論は認めないから、報告を楽しみにしているわ」
チヅルさんは満面の笑みでサイアを従わせた。
「僕らは何をすればいいんですか?」
「まずはこれを書いて頂戴」
チヅルさんが渡してきたのは、
「生徒会直属校内安全委員会加入同意書?」
我ながらよく噛まないで言えたものだ。
「そう。何をするにも肩書がないと面倒だからね。名前だけ書いといて」
「はーい、って委員長⁉」
「今はこの組織、君たち二人しかいないもの。片方が委員長で片方が副委員長になるのは当然でしょ」
「だとしても、レイが委員長で僕が副委員長が適任じゃ……」
ここでそれまで口を閉ざしていたレイが発言した。
「委員長って会議に出たりしなきゃいけないし面倒だから、そういうのは信頼できる助手に任せるわ。それより二人だけってどういうことかしら。そこの金銀は入らないのかしら?」
金銀とひとくくりにされた両人は一瞬レイの方を見やった。でも、互いに同じ行動を取ったのが気まずかったのか、今度は同時にレイから視線を外した。こういう何気ない行動でシンクロするあたり、二人はなかなか長い付き合いなのかもしれない。
「ハルトとサイアには別の仕事があるから生徒会直属校内安z――痛っ、噛んだ――委員会には参加しないの。だからタケル君、委員長頑張ってね」
助手というより忠犬のような扱いをされているきがするけど、まあ気にしないでおこう。どうせ僕に拒否権はないだろうし。
「一年でもう委員長か……」
そう呟きながら署名した。レイも同様に名前を書いていた。名前を書く機会が多いからか、やけに達筆で個性的な字だった。
「書きましたよ」
書類を渡すと、僕らはすることがなくなってしまった。
「うーん、やることなくなっちゃったのか。でも、今は任せられる仕事はないし……。そうね、今年の音楽祭の各クラスの出し物について調べてきて頂戴。まだ決まってないところがほとんどだと思うけれど、なるべく早くリストを作って怪しいところはマークしておきましょう」
「了解です」
「ワトソン君、行くわよ」
すぐに部屋を出る準備をする。ハルトが入れてくれたおいしいお茶を慌てて飲み干す。あんまり味わえなかったのが申し訳ない。
僕らが部屋を出る間際
「俺は何をすれば――」
ハルトが言い終わる前に、チヅルさんは命令した。
「もちろん、ハルトは雑用ね」
音楽祭は来月だ。各クラス何かしら音楽的な発表をしなくてはならない。最も多いのは無難に合唱をするパターンだけど、中には管弦楽で本格的な演奏をするクラスもある。エリート養成機関であるこの高校には、裕福な家庭出身の生徒が多く、ピアノないし管弦楽経験者はゴロゴロいる。やろうと思えば――恐ろしいことに――小規模の室内楽団くらいは編成できてしまうのだ。もちろん多少は外部の人を雇ったりするわけだが、それでも高校の一クラスが出してしまうには恐ろしいほどの完成度だ。恐ろしい? 僕も母がピアノ教室を営んでいる関係で少し弾けたりするから、人のことが言えないじゃないか。
たかが一行事に真剣に取り組むクラスなんてないだろうと思うかもしれない。しかし、それは大間違い。織高とはこういう一行事に青春をささげる高校なのだ。
今はホームルーム。五月二週目とあってクラスメイトもそこそこ打ち解けあっているのか、おしゃべりの声が少しうるさい。今回の議題は、我がクラスの出し物を決めることだ。学級委員のハルトが音頭を取っている。
「何か他に意見がある人はいるかな」
あの部屋では雑用係だが、クラスでは委員長ポジションとして頼り甲斐がある。ただ、現在話し合いはうまくいっていない。原因はレイだ。
「せっかくの音楽祭だからねえ、俺個人としては神垣さんにはぜひピアノを弾いてもらいたいのだけれど」
「四条君の意見もわかるのだけれど、あまり気が進まないわね。別にいいけど」
と言うくらい、レイはあまり協力的ではない。確かにセミプロのピアニストなら無料で弾くのは嫌うのかも。とはいえ、かなり有名な神垣さんが音楽祭で弾かないとなると、相当このクラスは厳しくなる。周りの期待に応えて見せなきゃ、学年八クラスの中で最優秀賞をとるのは厳しいだろう。
「ピアノを使うとなるとピアノがある曲をクラスで演奏するか、クラスで合唱をしてその伴奏を神垣さんに弾いてもらうというのがよさそうじゃない?」
そう言ったのは短髪に眼鏡をかけたインテリ系男子、柴咲和樹君だ。論理的で的確なアドバイスだ。
「それがいいかな。合唱をやるかやらないかで多数決を取ろう」
そこからの進行はさすがハルトと言ったところか、かなりスムーズに決まった。
「で、私たちのクラスはスメタナの『モルダウ』をやることになったわ」
「なるほど」
放課後、あの部屋にて報告すると、チヅルさんは頬杖をついて考え込んでしまった。しばらく誰もしゃべらなくて沈黙が場を支配。
「これは予想に過ぎないが、怪しいのは俺らのクラスかもしれないな」
ハルトがボソッと言った。
「どういうこと?」
と僕が聞く前にレイが言った。
「私がいるから注目度が高い。だから私がピアノを弾けないようにすることで妨害できる。そう考える他クラスがあってもおかしくはないわね」
「よく自分が狙われているのに、そんなに冷静でいられるね。感心するよ」
「考えて見たまえ、ワトソン君。これはむしろ好都合じゃない? 向こうが手を出して来たら、やり返してあげればいいんだから」
「でもくれぐれも無理はしないことよ。何か嫌な予感がするから」
チヅルさんは何か思うことがあるのか、心配そうな顔であった。
「無理するのは私じゃなくてワトソン君だから、言うなら彼に言ってあげて」
「タケル君、何かあったらすぐに私に連絡すること。これが電話番号とメアド。セキュリティーの観点からSNSはダメだからね」
それからチヅルさんは、僕にだけ聞こえる声でもう一言加えた。
「杞憂に終わるといいんだけどねえ」