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cafe storie  作者: yu*
短編
2/8

2.みゆな

 雨が続いている。

 小さな田舎の町の雨とは違い、都会で降る雨は何故か少し濁って見え、吸収するところもなければ恩恵を受ける田畑もない。

 だからといって雨が降らなければいいというわけではない。計画的に植えられた大きな木や花々はその水を吸い、次の季節に花を咲かせる用意をする。



 このところの長雨で客足は遠のくかと思いきや、意外にも悩み事は増えるのだ。もちろん前々からの予約の日に偶然雨が降っていました、という場合もある。しかし数日前から急に予約の問い合わせが増えていた。

 スケジュールを立てるのは友の仕事だ。パソコンでメーラーソフトを起動すると毎日のように新着のメールが届いている。名前と希望日を確認して、スマートフォンの予定管理アプリと見比べる。できるだけ似た名前の客が続かないように配置するようにしている。

「あー……千明ー!」

 厨房で商品を作っている千明を呼び、友はまだスマートフォンとパソコンの画面を見つめていた。自分だけで調整がつけ辛い時は直接千明に尋ねる。それでも千明は『任せるよ』とだけ言って関与しないことの方が多い。

「何?」

「今からってメールが来ててさ、30分前くらいの送信なんだけど」

 普段であれば当日の予約は受け付けていない。代わりの日程をいくつか提示してその中から選んでもらうようにしているのだが、生憎しばらくの間はそのような空き枠がなさそうなのだ。

 時計は午後5時を示している。

「いいよ、今からでも大丈夫なら来ていただいて」

 明日の用意は全て終わっている。この店を頼ってきてくれる客を見逃すことはできないと、千明はすぐに承諾した。そして友はやっぱりな、という様子でメールに記載されていたアドレスに返信した。




 そしてその15分後にこの日最後の客が到着した。メールを見てすぐにこちらに来たのだろう、安心したような顔で店の扉を開けたその女性は一瞬で表情を変えた。

「いらっしゃいませ」

「あの、ここ、storieってお店であってますか?」

「間違いありません。失礼ですがお名前を」

「あ、さっきメールしたみゆなです」

 外から見た小さな店はドアを開けるとテーブルと椅子が一セット、それといくつかの設備があるだけで不要なものは何もない。カフェというにはあまりにも装飾の少ないそこが、あの噂のcafe storieであるとは簡単には信じられなかった。

「お待ちしておりました」

 友は一度にこりと笑って客をテーブルへとエスコートする。こつこつと靴の鳴る音を聞いて、厨房から千明が紅茶を片手に出てきたところで友は一歩後ろへと下がる。みゆなの手にしている濡れた傘だけをやんわりと預かり、それを大切に傘立てに置いてからブランケットを用意した。

「どうぞ」

 短くタイトなスカートからは細く長い脚が伸びている。それを隠すようにと友が差し出した赤いチェックのブランケットを、みゆなは慣れた手つきで受け取った。

「お返事が遅くなってしまってすみません」

「大丈夫です、近くにいたから」

「お急ぎのようでしたから、さっそくお悩みをお聞かせいただけますか?」

 千明は片方のカップをみゆなに差し出し、もう一つは自分の前に置いた。リラックスしてもらおうと、あまり顔は見すぎないようにカップの中にミルクをいれ、丁寧にかきまわす。

「仕事のことなんだけど……あ、ですけど」

「大丈夫ですよ、話しやすいように話していただけたら」

 一口だけ紅茶を飲んでみる。あちち、とまだ淹れたてだったために飲むことができず、諦めてカップを置いた。そんな千明の様子を見てみゆなもカップから手を離す。

「私、キャバ嬢なんだけどさ……客に言われる言葉、何を信じていいかわからなくて」

 テーブルの上に置かれた手は指先がキラキラと光っている。長くそろえられた爪にはラインストーンやラメが載せられているらしく、男性でありパティシエである千明には重そうだとか不便そうだという感想しか持てなかった。

「自意識過剰みたいに聞こえると思うけど、可愛いとか、そういう言葉、はいはいって流しちゃうんだよね」

「それはお客さんが本心で言ってくれている言葉ではなくて?」

「そうかもね。けどわからない。

 例えばさ……私が、おにーさん、カッコいいねって言っても信じないっていうかさ、社交辞令って思うでしょ?それと一緒」

 みゆなは鞄の中からシガレットケースを取り出し、その中から煙草を一本取りだしたところでそれを片付けた。テーブルの上に灰皿がないことに気付いたのだ。

「それでも、みゆなさんがわかっていれば問題ないんじゃないですか?」

 その様子を見ていた友も灰皿を用意しようとはしなかった。店内は千明の強い希望で禁煙だ。それは昔から変わっていない。

「そうだけどさ。……けど、最近客の一人にさ、好きって言ってもらえるようになったんだよね。

 最初は……会社の付き合いって言ってたかな。何度か上司に連れてこられて、最初はつまんなそうにしてたんだけど……ちょっとしたら一人でも来るようになって、指名してくれるようになって」

 そろりとカップに手を伸ばす。ようやく冷めて飲みやすい温度になったことを確かめてからみゆなは口を湿らせるように一口含んだ。

「最初は他の客みたいにはいはい、って流してたよ。でも……同伴とかでご飯行くと、すごい真剣な顔で言われるようになったんだよね、好きだ、って」

「みゆなさんは、その方をどう思ってますか?」

「客、だよ。

 営業用の携番とアドレスしか教えてないし、仕事以外で会わないし」

 うんうんと千明は小さく頷き、笑顔を浮かべてから甘くしたミルクティーを傾けた。

「じゃあいいじゃないですか、信じられなくても。

 他のお客さんと同じようにすればいいんですよ」

 解決だ、と小さく手を叩いて立ち上がる。その言葉にみゆなは一瞬表情を歪めたがすぐにうつむくだけになった。

 丁寧に巻かれた毛先が揺れている。普通よりも明らかに多い睫毛はあとから着けられたものだろう。はっきりとした顔立ちに作られてはいるが、瞳には自信がなさそうな色が映っている。

「答えはもう出てますよね」

 そう言い残して千明は厨房へ消えた。それがどういう意味なのかと問いかける視線を背中に突き刺してみるも、千明はそれを知ってか知らずか気にしていない様子で一度も振り返ることはなかった。

 諦めてみゆなは友を見るが、友も同じように何も知りませんという顔で立ったままフォローはない。店であれば何かあれば必ず黒服が来てくれるのに。そう思い小さな溜息をついたところでようやく千明が戻ってきた。

「お待たせしました。何にするか悩んだんですが……

 ザッハトルテです。バニラアイスを添えてみました」

 音が鳴らないようにテーブルに置き、もう一度みゆなの目の前に座る。半分になってしまったカップの中身をまたティースプーンで混ぜながら話し始める。

「みゆなさんにとって、そのお客様は特別なんでしょう。他のお客様とは少し違うと感じられている。

 だからこそ信じられないんですよね。もしかして今まで、同じようになったことがおありかもしれません……

『どこまで本気か試してみただけだ』なんて、悪い男が言いそうな言葉です」

 一気にみゆなの表情が暗くなった。手にしたゴールドのスプーンでアイスの表面を撫でながら否定も肯定もしなかった。

「信じられないんじゃないんです。みゆなさん。

 あなたが信じないようにしているだけです。それを続けるかどうかは……すみません、僕にはどっちがいいかわかりません。

 けどね、今と過去は違うんです。今のあなたが好きになった男性は……あなたが信じられない人なのかどうか、もう一度考えてみるといいかもしれませんね」




「どうもありがとう、彼と会うときに……一回、本心を話してみる」

「上手くいくようにお祈りしていますよ」

 ケーキをすべて食べ終え、出されていた紅茶も飲み干したあと、みゆなと千明はしばらく話をしていた。みゆなにとってみれば男性なのに器用にケーキを作り上げる千明のことが不思議なものに見えていた。今までに出会ったことのないタイプの男性が珍しく、いろいろ聞かずにはいられなかった。

 ようやく話を切り上げたのはみゆなの携帯が鳴ったときだった。

 千明がテーブルの前でみゆなを見送ったあと、友が預かっていた傘と一緒に小袋いりの苺クッキーを差し出す。

「足元、お気をつけて」

「ありがとう」

「あと……変な男に引っかかんなよ、そんな服装で」

「え?」

 それまでの態度から一変した友を振り返るように見つめてからみゆなは慌ててスカートの裾を押さえた。捲り上がっているわけではない。ただ、友にはその短いスカートがとても刺激的なものに見えただけだった。

 視線をそちらには向けようとしない友にくすくすと笑いながら傘と小さな袋を受け取る。

「大丈夫、意外とオトコってそういうものだから。こういう服装してると、ね」

「ならいいけど」

「もしよかったら、さっきの人と一緒に遊びに来て、サービスするから」

 小さなブランド物のバッグからプラスチックの名刺を取り出して、それを友のエプロンに差し込んだ。

「また何かあったら来ていいかな」

「今度は前もって予約してからな」

 差し込まれた名刺を抜き取ってからドアを開ける。そのことにも戸惑うことなくみゆなはドアをくぐっていった。



「すげぇな、キャバ嬢って名刺持ってんだな」

 店内の片づけをしながら友はさっき差し込まれた名刺を照明に透かして見た。透明になっている部分に名前が入っていて、それだけでも光が反射するようにキラキラと輝いている。

「美優奈……って、源氏名だよな?」

「せっかくだからお店行ってみたら?」

 テーブルを拭きながら千明が言う。綺麗に空になった皿を厨房に運んで行きながら、ちらりと友の方を振り返ってみた。

「一緒に、って誘われてんだぞ」

「僕はいいよ、そういうところ好きじゃないもん」

「まぁ……多分、またこっちに来る気がするけどな」



 翌日には雨が上がっていた。

 朝までしっかりと降り続いたのが嘘のように晴れ、電線には水滴が浮かんでいる。

 虹が出ていたとはしゃぐのは意外と大人の方で、きっと午後にはそんなことは忘れているのだろう。


 美優奈が次に訪れたのは、それから1か月後のこと、その日は3日前から予約をしてのことだった。

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