西隆寺 勾の独り言
─01─
青龍寺 萌子は女子高生だ。
僕が語れるのはそれだけだ。
明日で高校三年目の約1/3が終わり、夏休みの終わりが迫る8月1日。
締め切った教室、進路決定に力を入れている教師らのおかげで視界が、景色が歪んでいる。
数年前、某名門大学(私立)に合格させたという事で外見上のブランド意識の向上。
教員の格上げを狙ったのだろうが、単にその合格者が偶然才に富んでいただけだろう。
そしてさらに加えると1人だけだ。たったの1人。
酷く言いすぎたけれど、僕の通う学校の偏差値は中堅レベルだから、そこまで悪くはないのだろう。
裏を返せば良くも無いのだが。
今日本日、8月1日の午後2時半。
自分含め6人の補習者が眉を歪め、熱気に溶けながらコンコンと地面をつま先で蹴る。
残り30分暇だ。とりあえずみんなを自己紹介してみよう。
さあ僕の脳内を覗いている未来人よ、寛いでいってくれ。
はぁ。
窓際の1番後ろに席に腰を下ろしているのが矢萩 古実。特徴は敬語を使うこと。
ただ単に敬語が使えるという当たり前な事ではなく、つまり、親しい相手にも敬語を使うということです。
まあこんな感じです。
中央右の最後列、背黒板の真ん前に座る僕から見てまっすぐ前に座る彼女は、椋波 柳里。案外可愛い顔立ちしてるなぁって事以外に特に記憶はない。
よく周りの男らに絡まれている。一見ハイエナに狙われている子馬のように見えるが、実際のところは子馬ではなく、彼女自身が百獣の王なのかもしれない。モテモテ萌え萌え。
そして半ば強制に教卓の目の前座らされている彼は高尾、…で、名前は覚えていない。
座高から予測して身長は175cmは越えているだろう。
中学まで水泳部のエースを飾っていたらしく、実績もそこそこらしい。
単位は落とすためにあるような彼が補習とレポートの提出で乗り切れているのは
僕の知らないそれなりの裏があるのだろう。適当だけど。
残った2人の名前は全く覚えていないし、
廊下側最後列に座る彼女に至っては姿を見たことすら無いんじゃないだろうか。
そこにいるのにそこいない。盲点のような存在としてそこにいる。
以上ロクでもない6人でドンチャンしていきます。終わり。
なんて考えても時間はあんまりすぎないな。
冷房器具が無い上に、扇ぐ動作を禁じているため、寝る事も妄想に更けることも出来ない。
身体をだらけさせ、卓上の教科書に腕を置いておくと、もう書き込みできない程の汗のシミが広がってしまった。
時計の針に目を向け、一秒一秒数える。
1分が長い。いや30秒ですら長い、体感的な話をすると5秒ですら普段の生活の5分くらいの長さを感じる。
ようやく睡魔により意識が薄くなり、幸運ながら注意されることなく一通りの補修が終わった。
背黒板に掲示された座席表に改めて目を通す。
「青龍寺 萌子」
強いのか か弱いのか中途半端な名前だな。
そんな印象を受けた。
今日初めてみた彼女。今年、今まで見たことのない彼女。
さてさて2年間はクラスが違ったのだ、という仮定を考慮しても、新学期から4ヶ月共に過ごしていれば名前か顔どちらかは覚えているはずなのに、なんて存在感の薄さだろう。
そして──、
8月9日。最後の夏休みが開けてしまった。
もうクーラーをガンガンと効かせた部屋で毛布に包まって寝ることは出来ないのだ。
普通に半裸で寝てしまった。
なんとも惜しいことをしたのだろうか。
いや、なんというかもっと青春とか色々あるだろう。海とかスイカとか女性とか恋とか。
「──やっぱり喫茶店とかお化け屋敷って人気だけど、ありきたりだよね」
蝉が蛍光灯の隙間に侵入してまで大合唱ならぬ大絶叫を始める教室で、僕と生徒会長の榊原 夢智は月末の学校祭に向けての案を練っていた。
「ねえ、そうは思わないかな」
彼女は目を泳がせない。
「あ、まぁ、そうだね。
じゃあ、ただの喫茶店じゃなくて異装コスプレしたり。何も居ませんでしたードッキリー、みたいなお化け屋敷とか斬新で面白いんじゃないかな」
夏休み呆けは抜けないらしく受動的に口を開いていたらしい。
「馬鹿にしてるよね」
謦咳。
「否定も肯定もしない」
僕の精神を削りとるほどの鋭い視線と彼女の後ろのメラメラとした背景効果が僕を圧倒する。
数秒放置。スリープモード。
自然放熱させる。
「なあ榊原、青龍寺 萌子って知ってるか」
「しょうりゅうじ?」
ボールペンで机をトントンとしながら口を開く。
「あぁ、あの目立たないモブ子ね」
「随分とエグいあだ名を付けたな…」
良かった。認識はあったらしい。
「モブ子はモブ子よ」
「まあその青龍寺についてなんだけども、流石にもうちょっとクラスに馴染んでも良いと思うんだよな。」
良心か偽善か分からないけれど、そんな言葉が口から出る。
僕って何気にいい奴なんだろうか否か。
「そんなこと言ったってあの子自身がみんなを受け付けていないんだから仕方がないよね。
まず四六時中顔を覆っているマスクが駄目だわ」
「3年目の夏だし、あれがあいつの性格だとしても…。なぁ?」
「もしや恋心溢れ出んばかりでしたかー」
コツンと自身のおデコに二本指を当て、…。
テヘ。
ポーズを決めている。
「い、いや、そんな訳じゃないけど」
やめてくれ、痛い。もう見たくない。
こいつこんなキャラだったか。
でも実際少しばかりドキマギしてしまった。
「まあ、あの子の事を気にしたって無駄かもよ。
2年前からその動きがあったけれど、ご存知の通り変わりはしなかったのだし」
それは知らなかった。
即ち彼女の事を知らなかったのは僕くらいなのか、関知しないにもほどがある。
残照が机やシャープペンシルの軸に反射して全体を橙色に染めていく。
ゴンゴーンと金が鳴る。鼓膜が揺れる。
「あっ、悪い、この後用事あるんだったわ。クラス企画の話だけど次のホームルームまでに仕上げててくれ」
「は?冗談やめてよ」
ガラガラとドアをスライドさせ、後ろからの声をシャットアウトして駆ける。
若干暗くなり始めた階段を数段飛ばしで駆け下り、一階のツヤのある床を進む。
「あっ」
昇降口の角を曲がったところで萌子の姿が目に入る。
前屈みで、髪の隙間からこちらを睨みつけた彼女は、億劫そうなため息を吐いて、こちらに背を向けた。
そして僕が靴を履こうと屈んで焦点を移動した瞬間、彼女の姿が景色から消えた。
彼女の姿を視界から一瞬だけ外しただけなのに、消えた。気配すらもが消えた。
靴も服も、背負っていたはずの紅い鞄も彼女自身の肉体も。
「お、おい、萌子??」
ガランとした土臭い昇降口に自分の声だけが反響して残る。
翌日、青龍寺 萌子はいつも通り学校に登校して廊下側の座席に付いていた。
今日1日、徹頭徹尾、授業中の視線を彼女の方に向けて昨日の記憶を辿らせた。
そして6時限の授業が終わる頃には、彼女の姿が消えた謎について考えるのをやめていた。
頭がパンクした。
オーバーヒートした。
彼女を注視して気が付いたのは、彼女の姿は頻繁に見えなくなっているということ。
いつの間に消え、いつの間に戻っている。そして姿を視認できる間は普通通り授業を受けている。
休み時間も昼休みも席に着き、黙々とつまらなそうに読書を続けている。
全くと言って良いほど机から動かない。身体をも伸ばさないし、欠伸もしない。
放課後、誰よりも早く教室を出た彼女の後を追う。
階段に差し掛かったところでよそよそしく声をかける。
「おい、青龍寺」
「何の用」
こちらを振り向かず、背を向けたまま動く足を止めた。
「いや、何の用と言われても、うーん」
「あっそ、じゃあね」
間髪入れずに呟いた。
関心を持たれなかった。
あまりに放り投げな返事に咄嗟の言葉が浮かばず、彼女の姿は下の階へと消えていく。
「クラス行事出ろよ」
とその場で呟くことしか出来なかった。
きっと僕の後ろには閑散な木枯らしが吹いていただろう。
─02─
「災難な話だの」
少しノイズの混じった嗄れ声が相槌を打つ。黄灰色の髪が肩を覆い隠し、腰にまで伸びようとしている。
彼女は人間ではない。
お化けや妖怪の類なのか定かではないけれど、自称堕天使、悪魔、サタンで、
つまり世間一般で言う悪霊の類らしい。
しかしこれまで、それといった悪戯や悪事を行っているところを見かけてない。
彼女と出会ったおよそ半年前から習慣化した仕草のひとつに自室を丸々24時間施錠する、というものがある。出入りする誤差を引くと正確には23時間59分くらいだけど。
彼女は人間の類では無いとしても姿見は女性であり、高校生の自分と同世代ほどの女性が部屋で息相合と話していればなんらかしら噂の火が立つだろう。
完璧に外界と遮断するかのようにカーテンも閉めている。
自分しか使わないのだから、合鍵なんてものは勿論なく、彼女自身もずっと家にいるわけでは無い。
一つ笑った出来事があった。
悪魔と言えど、壁をすり抜けたりといった空間技を使ったりは出来ない様で、家に住むようになってから鍵を持っていない彼女は庭に生えている木の先、部屋の窓のすぐ目の前に長時間待機していたらしい。
なんとも神仏らしくない。
というのも半年前の僕にも関係のある出来事で彼女の力は僕が受け継いだ。
空を飛んだり炎を出したり、人を殺めたり病弱にさせたりなんて事ではなく、不死身だという事。あともう一つは災いを引き寄せるという事。
紆余曲折。そんなこんなで同居していると言うよりは、寝るぶんには部屋を貸して差し上げようといった大家と賃貸借の関係のようなものだろう。
僕は床だけれど。
当初はお前や君といった呼称、遭遇した時には泥棒といった呼び方をしてしまったが、名前があったらしい。
28th ルキフェルナントカカントカクオリティ?
駄目だ。覚えられない。思い出せない。
話をしていくうちに現れる悪魔らしからぬ言動や仕草、彼女自身の望みから祈と名ずけてあげた。
それを好いてるかどうかは不明だけれど、反応はしてくれる。
話は戻る。
「あそこまで人を嫌うとは何か理由があるはずだと思うのだけど」
「何かとは?」
「例えば、小学生の時に学校の課題をすり替えられたとかさ」
「それはお前の話だろうが」
僕はそんな陰湿ないじめは受けて……、無かったと思うし、いや、すり替えは無かったよ。紛失だったよ。
いや、そもそも何で僕の小学生の頃なんて知ってるんだ?
「しかし、他人を嫌い続けるなんて大抵の奴は出来ないと思うんだけどなぁ。孤高に終わるというか、若気の至りというか」
「うーむ。人の心内は私でも分からんからなぁ」
学習椅子からよいしょと飛び降り、腕を伸ばし体を捻る。
「そうだ、私に会わせてみろ」
「会うって誰とだよ」
「その例のモブ子ちゃんだよ」
「会うも何も、学校でしか会えないんだし、どうやって会わせれば良いんだ?それ以前に、彼女に会って何をするんだよ」
やれやれと此方を蔑む。
「力が無くなったからと言って侮られたら困るな…、お前が私に会えたように、人は何かしら影響を受ける。何から影響を受けているかなど私にとっては他愛無いさ」
影響を受ける。
それが人以外の心霊現象でも。
世間一般人間では無くなった僕のように。
「まず携帯を貸してみろ」
「遊びたいだけじゃないのか!?」
お前この前スマホで好き勝手してくれたしな。
「違う違う、青龍寺に電話をするだけだ」
「今までの話の流れから電話番号なんて持ってるわけないだろ」
両手をポンとして。
うむ、それもそうだな、と呟いた。
「明々後日は学校祭だし、一般客に紛れれば良いんじゃないか?」
「うーむ、人混みは怖いな」
「お前本当に悪魔だったのか?」
「なにを言う。馬鹿にしてるな?」
なんというか、悪魔(元)は頭は良くないのかもしれない。
僕の通う公立中央高等学校は名前の通り平均的で何の特徴がない。寧ろ特徴がないのが特徴とも言える。
いや、なんとか特徴はあった。
3日間に渡る学校祭というビッグイベントがこの学校の唯一の特徴だろう。
1日目は全校競技。いわゆる運動会だ。
1学年から3学年までの約450人を3チームに分けて競技をする。
色分けは赤白緑で、イタリアの国旗を彷彿させる組み分けになっており、それを狙ってか、2日目以降に開始する校内販売は、ピザやパスタなどの伊料理が軒並みを連ねる。
そして3日目にはダンスフェスティバルや合唱祭、音楽祭が詰め込まれている。
特殊技能という授業科目でダンス、合唱、楽器演奏などの授業を選択する事になり、それにより発表内容も変わる。
同日夕方6時過ぎにはキャンプファイアを中心に、人が輪になり歩き始める。
学校、クラス全体が一致団結するイベントのおかげで3年目になった頃にはほぼ全員の顔を把握する事が出来るはずだろう。
僕にはそれが出来たはずだ。
それなのに、この学校に通って2年と数ヶ月過ぎたこの時期にやっと初めて彼女の顔を見た。
3年目の夏休みの、あの暑苦しい教室の最後列に。
──何かしらの影響を受ける。
祈の話をふと思い出す。
次に祈が彼女に会う学校祭まで、彼女の仕草について細かく、唾をも呑まずに注視しろとの事だった。
異能な何かに影響を受けていてもおかしくない上に、ストレスが重く押し付けられたら、取り憑いた魑魅魍魎な力が悪い方に働いてしまう。
「随分辛気臭い顔してるな、幸せが逃げちゃうぞ」
真横から榊原の声がきこえる。
「ああ、なんだお前か…」
「長々と思慮してる君のとなりにずっと居たんだけどね」
「悪い悪い、それでクラス企画はおばけ喫茶になったわけだけども、こう発想負けというか何というか、ただのコスプレ喫茶だなんて思ったり」
「学祭なんてそういう物じゃない?」
「いや、こうドーン!と盛り上がって、ガーン!と殴りあうようなのがお祭りだと思うん──」
「りーちゃん見なかったー?」
言い切る前に甲高い声が会話が途切る。北里くるみの声だった。
「りーちゃん?ああ椋波ならさっきまで教室にいたけど…、どこいったんだろう」
「あれ、おっかしいなー、見つけたら呼んでたよって声かけといてー」
その勢いのまま翻して扉を閉める。
「それで貴方の語彙力についての話なんだけど」
「いつそんな話してたんだよ」
「まがりー、そっちのセロファンとってー」
仕事がないから雑用扱いしやがって。
ようやく学校祭っぽい雰囲気が漂い、なんでも、悪く言えば掃除でさえも楽しめるような気持ちになる。
「落とすなよー」
目の前の椋波に向けて、片手では持ちにくいセロファンテープを投げる。
「うわ、あぶなっ!さては、宣戦布告だな!?
やってやろうじゃないか!」
投げ渡したばかりのセロハンテープやCDROM、ハサミまでもが飛んでくる。
「まてまてまて!死ぬから!刺さったら死ぬから!!」
破壊音をあげて教室にヒビが加わる。
黒板が左右に分断する。
「なにやってんだよ!!黒板壊す奴なんて漫画以外で初めてみたよ!」
「戦争じゃないのか?!」
夢智が僕の腕を突く。
「あれ?椋波さんいるじゃん」
居た。
教室を見回しても居なかった、探せなかった、いや確かに居なかった彼女はそこにいた。
「まあまてよ椋波、それよりお前今までどこに行ってたんだ?」
「今まで?ずっとここにいたけれど」
ずっとこの場で喫茶店の看板を作っていたと言うことらしい。
──思慮。
「まあいいや、さっきくるみが呼んでたぞ」
扉を指差し曖昧な彼女の位置を伝える。
「マジ?そんなら行ってきまーす」
「まえもこんな出来事あった気がするよね」
「そうだっけかな」
「ほら、君がサボったクラス企画を練ってる最中だよ」
「何も全く覚えてないナァ」
その仕事を抜け駆けした事は覚えている。
「陸上部は部活があったはずなのに、その日のグラウンドは凄く静かだったじゃない」
少しずつ橙色の教室とともに記憶が繋がってくる。
「あぁ、そういえばそんな事あったような」
──時間軸。
その教室で2人は世間話をしていた。
「全く笑える話だよ」
「ほんと無様で笑えるよね」
「俺の善行の話だぞ?!」
「いやだって、兄弟喧嘩の仲裁に入った正義感の強い長男が双方から罵倒された挙句、ノックアウトさせられるなんて
まるでSMのようね」
と言いニヒルな笑みを浮かべ、窓作に左ひじを置き、窓に目を向けた。
「お前の知ってるSMがどんなのかは知らないけど結果2人の喧嘩は止められたんだから結果こそオーライ…」
「ねえ、今日って陸上部が部活やってたよね」
容赦無く会話を切り替えてくるなぁ…。
「休みだったんじゃねーの」
少し当たり口調で言う。
「あら怒っちゃった?めんごめんご」
「昭和かよ」
「まあ、さっきまで陸上部の声が聞こえないっけ」
「じゃあ、もう部活終わったんじゃねーのか」
「まだ5時よ、いつもなら7時くらいまでやってるじゃない」
「偶然早く終わっただけだろ この時期暑いし」
「この時期だから練習に励むはずなのに、学校祭近いし」
ガランとしたグラウンドを眺める。
一部に競技道具が乱雑に残ったまま、人は居なかった。
まるで数秒手前まで大勢がいて、神隠しにあったかのように。
少し肌寒くなる背筋を騙すように身体を伸ばした。
「休憩でどっかにでも行ったんだろ」
「そうだといいんだけど。それにして突然人が居なくなるなんて話もおかしいしね」
続けて口を開く。
「それて、クラス企画の件なんだけど」
──時間軸。
「思い出した?」
「ぼちぼち。でも共通性なんて姿が消える以外に…」
姿が消える?
「どうしたの、突然黙って」
「いや、なんでもない」
「ふーん、そう。まあ、考えるだけ無駄かもね。準備もあるしそろそろ私はドロンするよ」
「おう、頑張れよ」
背を向けてあげた右手をこちらに向けてひらひらと仰ぎ教室を出て行った。
それから小一時間ほど青龍寺の事について話を聞きまわり、唯一手に入れた情報は、彼女の小学生来の同級生からの情報。彼女の行動パターンについてだった。
学校が終わるとすぐに街中へ向かい、男達に声をかけられては、闇に消えていくらしい。
「相当な遊び人だよ。ついでに言うと、片親なんだけど実はちっちゃい頃父親を滅多刺しにして殺したらしいよー。あ、この話は広めないでよ!」
─03─
深夜11時。
「相当な遊び人とはどうしようもないのう」
「静かしろ、やっと仕入れた情報なんだ」
「それにしてもなんとも、色臭いというか人間臭いというか、獣脳ばかりいるもんだな」
「しっ、来たぞ」
「分かっとるわ」
身体を左側の草むらの茂みに隠して息を潜める。側から見れば不審者だが、青龍寺からは見つからないだろう。
彼女が茂みの前に差し掛かった時、
「ケケ、なにやら嗅ぎ回られてんじゃないか」
聞き覚えのない声が反響する。
声の聞こえる方向は彼女を挟んでの向かい側。正しくは対向歩道の電柱の上、
にその正体は居た。
「誰だ!」
瞬間、祈が茂みから飛び出し、地面を蹴り上げ、電柱を右足、左足、右足と駆け上がり、その姿を追う。
「ヒィィ、怖い怖い、デモ…
マッタク怖くナイ」
人の面を被ったその目を見開き、キシッと口を歪ませ、屋根伝いに姿を晦ませる。
視界を目の前に戻した頃には、青龍寺も見えなくなっていた。
また消えてしまった。
「あれは天狗だろうな」
学習椅子に腰を下ろし長い髪を掻き分ける。
「天狗ってあの鼻の長い赤顔の?」
「そういう天狗と同じだろう」
「でも赤いお面ではあったけど、鼻は長くなかったぞ」
「あれはフェイクだよ、人間の犯罪者が顔を隠すように、化け物だって顔を隠す。それが黒いパンダマスクじゃなくて、今日偶然平たいお面だったってだけだ」
「お前の犯罪者のイメージは少しずれてると思うぞ」
「とりあえず、モブ子に取り憑いた正体は把握できた。」
身体ごと椅子を回転させ、こちらに背を向ける。
「把握したって、じゃあ退治方法もあるってことなんだな?」
「私は今、チカラがないわけであってだな」
「じゃあ僕に何かできるんだな?」
「まあ、なんだ。次に遭遇した時に対処しよう。」
「退治方法はないのか?」
「そうではない。次にあった時に臨機応変に対処するんだ。」
「じゃあ、ないんだな!?」
…。
彼女の目を凝視する。
…。
視線は合わない。
「はぁ、なんだ、大事件がおこるわけでもないし、殺人事件が起きるわけでもないし、時間が解決してくれるだろう」
「そうだと良いのだけどな」
いつも通り床に布団を敷いて、天井を眺める。
ふと先刻の青龍寺萌子の表情が浮かび上がる。
喜怒哀楽は無く、影の陰影も無い。目の色は曇り、一点を見つめたあの表情。
疑問点は無いし、特に驚きも無い。
いやむしろその事に対し、不快感を感じていなかった自分に違和感を生じた。
人間らしくない。いやもしかしたら人間では無くなっているのかもしれない。
天狗なんて見たこともなければ日本の文献を熟読して知識を得た記憶も無い。
とりあえず明日図書館にでも行って天狗の苦手な物でも調べて、コンビニで祈にプリンでも買ってってやろうか。
右肘が痛いな。
ー寝返りを打つ。
「寝付けないのか」
「いや特にそういうわけではないけれど」
「明日はいつもより早いんじゃなかったのか」
「今何時だ!?」
「もう3時になるぞ」
もう3時間も寝られない。
「また眠れないじゃん…」
「朝までしりとりでもするか?」
「寝る、おやすみ!」
──4日後。
学校祭2日目。
「誰か救いの手を差し伸べなかったのか」
「いらっしゃいませー、ドロン!」
普段から一際目立つ椋波が、一際目立つ格好集団の中で更に一際目立っていた。
「なんでゾンビの化粧してゴスロリを着てるんだよ!!
なんで店内は禍々しさ皆無で煌びやかなんだよ!
まず、その額に着いた炎はなんだ!
『よ◯◯◯◯ォ◯チ!』じゃねーか!」
「だってまがりくん準備は任せたって言ってたし、流行り物に乗った方が集客が良いってのが常套手段だし、喫茶店はゴスロリじゃん?」
「もう何をどう突っ込めば良いんだ!」
「なにを?」
「いや、もうなんでもないよ!」
「まあ、歓迎するぞ!」
もしも僕が客でこの喫茶店に訪れたら第一に発案者にこう言うと思う。
馬鹿か。
「呼んだか?」
真横に祈が居た。
「呼んでないし、一文字もあってないし、どう対処したら良いかわからないよ!!」
「まがりくん何一人で呟いてんの?キモいよ?気持ち悪いよ?」
「同じ意味を二回にわけで言わなくてもいいよ!もう知ってるよ!」
「早速面白そうだのう。まさに僕らのの青春。学校祭って感じだ」
お前は悪魔だろうが。
「さぁまがり、学校案内がてら一回りしてくれ」
1日目の競技種目で一位になったチームは、何故か次の日以降踏ん反り返るというか、まさに天狗になる傾向にある。
トイレでリンチとは言わんまでも、数人で気弱な少年を影に連れ込むなんて絶命危惧種であろう不良少年も稀に現れるのである。
「しかし、折角の学校祭だってのにみっともないの…」
そう言い、ため息を吐いた。
「まあ絡むとやっかいだし、彼には申し訳ないけど…」
「お前は洒脱してない野郎だな…、私を救ったのだから、それなりの肝が座っていると思ったのだが…。」
まあ、そこでみとけ。
──と呟き、祈はそのまま少年に近付き、少年に乗り移るかのように被さる。そして少しずつの身体をめりこませていく。
少年が一瞬光源ズレのように発色したかと思うと、次の瞬間ドゴォンと轟音が響いた。
群れていた全員が壁にヒビを残して身体を強打させていた。一人を除いて。
「これ以上僕を虐めるようだったらこれだけじゃすませないぞ」
重く重低音の効いたその声は、彼。正しくは祈に乗っ取られた少年の口から発された。少年の意志ではなく、祈の意志によって。
土下座なんてしてまで、す、すみません!!なんてセリフを言う景色はアニメだけだと思っていたけれど目の前で実際に行われた。
そのために一人残していたのかと納得。
「ふぅ、これが俗に言う正義という奴かな?」
「お前楽しんでいないか?」
乗り移られた少年は祈が離れた瞬間に意識を取り戻し、それこそ作り物の様にキョトンとした顔を浮かべた。
「ところで、お前力は失ったんじゃないのか?」
「うーん、そう言われるとそうなのだけど、そうでもないみたいなんだよ」
「矛盾してるよな」
「力が封印されていることを記憶していると力が使えなくて、忘れていると使えるって感じと言えば良いのかな」
「それって最早思い込みって奴なんじゃないのか?」
「でも自覚した現時点は何も出来ないな」
「まあ、力を使えないって事を意識し過ぎたらそれこそ完璧に手も足も出なくなるからこの話はやめよう。
そうだ、何か食べたいのはあるか?」
「この前、新聞に載ってたユッケとやらが食べてみたいの!」
「それって死人が出てたやつじゃないか!?それに良く興味が持てたな!しかも学祭にそんなのあるわけないだろ!」
「ほら、そのちっこい目を細めてあの店を見てみろ」
ケ、ツ…コ……、ユッケ!?
「なんであるんだよ!」
「あれが食べたいの」
「もっとポピュラーな物を選べよ…」
疑問が浮かんだ。
祈が元悪魔なわけだけれど、ニンニクとかって大丈夫なのか?
あれ、それは悪魔じゃなかったな、吸血鬼だったっけ?
まあ、好き嫌いについては気になるな、
「なあ、祈」
「なんだ?」
「お前って、嫌いな食べ物ってあるのか?」
「うーん…」
頭を一つ捻らせる。
「 ピーマンが嫌いだな」
「子供かよ!」
「好き嫌いなんて、人それぞれだろうが。なんとも今日はお前の小さい器を見ているようで悲しきや悲しきや」
帰ろう。
しかし、服委員長こと僕がクラス企画を丸投げなんてのも良くないし、みんなに声掛けでもするか。
榊原にも貸しがあるし、教室の空気を一つ向上させてやろうじゃないか。むしろ、副委員長の仕事はそういうものじゃないか?と言うことは、声掛けをすれば仕事を熟した事になるな。十分だ十分だ。
いやしかし、ドア一つ境だとしても、全然賑わってる様子は無いし、それこそ僕の出番だろう。
よし。この教室に入ろう。
「お前は教室前に何十秒待機しとるんだ」
祈が横槍を入れる。
「今からはいるよ!」
ガラガラ。
「みんな、静まってないで活気だせよ!」
いや、部屋がガラガラだった。
「ガラガラじゃの」
「ガラガラだな」
木枯らしも様子もない。無音無風。
壁の奥、廊下の方からクスクスと声が聞こえた。
「青龍寺!」
根拠は無くともその名を強く呼び、廊下に飛びだした。
いや、辺りに誰もいない、ガラガラな空間になっている事が十分根拠だろう。
「良くわかったね」
目の前に青龍寺がいた。
「お前、何しに来た」
「君が来いよって行ったから遊びにきたんだけど」
こちらを指差し、頬をあげる。
「じゃあ、みんなを消したのはお前だな?」
「早速疑われるなんて酷いなぁ。それに消したんじゃないよ。みんなの視点、意識から消えるようにしてるだけだよ。消えてはいない」
認めてんじゃねーか。
「でも、ここにはいないんだろう?」
「違う。いないんじゃない。意識されないだけだよ。そこにはいる。けれど意識しても意識されない。つまり透明人間ということさ」
「お前が何言っているのか理解できないけれど、みんながどれ程の想いを持ってこの企画に向かったか分かるのか?」
「知らないね、そんな想い。知りたくもない」
──間髪入れずに吐棄した。
身体を翻し、廊下を歩く。
「まあ、私は憂さ晴らし出来たわけだしもう帰るよ。気にしなくてもいつの間にか見えるようにはなるだろうさ」
そう言い終える頃には角を曲がり姿を消していた。
無意識の内に強く拳を握ってたらしく、ジンジンと手が痛む。
「なあ祈、あれは天狗の方?それとも青龍寺本人か?」
「本人でもあるし、天狗でもある」
「また矛盾だな」
首をひねる。
「いやしかし、これは厄介かも知れないぞ。」
「厄介?まあこんな能力使われる事自体厄介だとは思うけど…」
「いいや、天狗というのは普通人に力を貸さないんだ」
どういうことだ、と聞く。
「彼女は天狗に取り憑かれているのではなく。天狗を取り込んでいる。
言葉遊びのようだけれど、普通そんなことはありえはしない。」
「じゃあ、想像より深刻なんじゃ…?」
「いや、そうでもない。プラスに考えれば幸運だったかも知れないぞ。」
「幸運?まあ確かに、天狗を倒すよりは、人間の方が弱そうだしな…」
「そうじゃない。彼女自身を更生させれば、力を使わなくなる。そうだろう?」
「更生って…」
そんな安直な思考は許されないだろう。
許されたとしてもそれは解決に一手を買ってくれるのか、予想もできない。むしろ期待は裏切られてしまうだろう。
「今日も後を追うのか?」
「いや、いいよ。今日は大人しく放っとく」
──前言撤回。放っとくんじゃなくて、僕が逃げているだけだろうな。
「そうか。まあ、皆の姿が戻るまで、他を廻って待っている事にしよう」
─04─
最終日。
何事もなく3代イベントが終焉し、一般客は足早に場外に姿を消していく。
昨日の出来事のせいもあり、発表を楽しんでる最中もまた何かが起こってしまうのではないか、新しい他の現象が現れたりしないだろうかという不安を消せなかったのだけれど、タイムスケジュール通り、寸分の狂いのみで3日間の全体公開は終わった。
「無事三日間終わったね」
更に榊原は言う。
「キャンプファイア、歩く相手がいないから歩きなさいよ」
「普通それはドキドキイベントであって、強制されるものじゃないと思うんだけど」
僕はこう、相手の距離感が掴めないドギマギな炎を知らずに期待いたわけだけれど。
結局、昨日の教室の件は何事も無かったかのように、何かで空白を埋めたかのような結末だった。
姿を現した人達に聞いても、みんな作業をしていたと言うし、実際のところ姿を消したのは10分強なわけであったから、誤差を察知した人はいなかったらしい。炎を使っていれば焦げただの燃えただの変化に気付いたはずだか、幸運(?)ながらそうした物は皆無だった。
「童貞のまがり君に配慮したつもりだったんだけど」
「そんな言葉高校女子が堂々と言ってはダメな言葉ランキング上位だぞ」
「童貞は童貞でしょ」
「いいや、断じて童貞ではない」
「軽蔑するわ。金輪際話しかけないでね」
「嘘です、僕は童貞です!是非ともキャンプファイアで一緒に歩かせて下さい!!」
「より一層軽蔑したわ」
「なんなんだよ!」
教室に誰も残っていなかったから救われたものの、こんな宣言聞かれていたら地球の裏側まで穴を掘っていたところだろう。
「それにしても、3年目もあっという間に終わっちゃったね」
「ああ、そうだな」
残照が部屋に入り込み、ビル群の隙間から夕日が直接覗き込ませて目がくらむ。
構内放送でキャンプファイア開始前のアナウンスが流され、いつの間にか辺りいた人は外へ駆けていた。
凡そ直径1メートルほどに木が積まれ、
その周辺に人が集まっていた。
「過去2年間キャンプファイアは傍で見てるだけだったのよ」
橙色に顔が染まる。
「なんとなくわかる気がする」
「何よ。馬鹿にしてるの」
いや、
「俺もそうだったからね」
「同情するわ」
「そりゃどうも」
窓を覗き込む体制から身体を翻し、背中を手すりに寄りかける。
「早く行かないと着火に間に合わないよ」
アナウンスが始まったから、着火まで残り5分もないけれど、何もそこまで急ぐようなイベントではない。少なくとも僕にとっては。決して貪欲ではない。
まあ下まで全力で走ったけれど。
「今さらだけど、キャンプファイアの歩き方知らないわ」
「えっ、普通に歩くだけじゃないのか」
そういえば、両手を繋いでグルグル回ったり抱きかかえたりしてた様な気もする。
いやいやいやいや抱き抱えるとかは無いな、ただでさえ女子と関わる機会なんて無いんだ。
しかもこいつとか絶対気まずいだろう。
「なんで黙るの」
「いや別に黙るつもりは無かったんだ」
こう実際目の前にすると普段意識しないと言えば嘘になるけれど、胸が女子だなあって思ってしまう。
別にキャンプファイア如き何てことないイベンドだろう俺。
問題は榊原のスタイルが、胸が良いことか。制服だとメリハリが…、
って俺はそんなに性に興味があるのか!
不純野郎め!地獄に落ちるべきだ!
「ってか普通に歩いてるだけね」
周りを指さす。
「そ、そうだな」
周りに目を配ると、片腕を繋いで歩いているだけの男女ばかりだった。
いや、強調するのはそこじゃなくて男女ばかりってことだ。肩寄り添ってるそこの男女め、見つめ合ってニヤニヤしているカップルめ。
一緒に撮ったプリクラが重荷になるような別れ方しやがれ。
ってかこれって俺もカップルに見えるよな?いや、榊原はそんなつもりないだろうけど。いや、そうでもない相手を普通誘うか?
「しかし男女の組み合わせばかりね」
脳内を読まれたのかも思った。
「そうだな。どんな青春イベントだよ」
「まあ、私は貴方と歩いてるだけで、格別青春だなんてこれっぽっちも思ってないけどね」
ああ、そうかってば。
炎の揺らぎが妙に激しくなり、円外に移る影が激しくうねる。
ふと一瞬星空を見上げた時だった。
昨日と同じ感触。
この世に僕一人しかいないのではないかという孤独感。
視界を前に戻す。
─いない。
誰も、いない。
取り残されたというよりは、自分だけが別世界に飛ばされたかのように周りには誰もいない。
橙色が僅かに残る空に紫色が飲み込んでいく。藍色に染まった雲がとても早く流れる。
カカカカと笑い声が響いたかと思うと、キャンプファイアの炎が消えてしまった。
「おい、榊原!」
そうか、彼女も昨日の被害者(?)の内の一人だった。
祈は…、どこにいったっけ?
「いやはや、私の事を嗅ぎ回して随分と荒らしてくれたじゃないか」
声の大元になる姿を薄闇から探すが、見つからない。
位置的にはそこまで遠くにはいないはずだ。
「姿を見せろよ!!」
勢いで空を殴る。重心がそのまま前になり、崩れかける。
「どこを殴っている」
背後から声が聞こえた。
「ここだよっ」
と聞こえたかと思うと僕の身体は強い衝撃を受けた。
景色が回る。
視界が一瞬暗くなる。バチバチと炭が燃える音が聞こえ、薪の山に強打したのを理解した。
声が出ない。呻き声をあげることも出来ないほどの痛みが走る。口を開くのを躊躇するほどに。
こんな激痛、2回目だけど全然慣れない。
「どうしたよ、人間。抵抗もしないのか?」
少しずつ迫ってくる。
「あー、そうか。鈍いのかぁ」
ドンッ。
彼女は僕を殴りつける。
ちょうど正中線の真ん中。肋骨に痛みが走ったかと思うと、身体が宙に浮いていた。
正確には彼女のその腕が僕の胸部を貫き、そのまま持ち上げていた。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
カフッゴフッ、と咽声を上げるだけで声はまるで出ない。
「お前に格別恨みは無いけれど、邪魔者は消さなきゃならねえんだわ。いやそんな理不尽な理由で死ぬのは嫌かぁ。
じゃあ、俺の姿を見た奴は皆殺しって事でいいかぁ?」
視界は全く眩まないし、痛みで目が醒めるようだ。
「おま…えは…、青龍、寺じゃ…ないだ、ろ…」
「あ?うぜーな。こいつが俺を望んだんだよっ」
彼女の振り下ろした腕に身体が引っ張られた。強い重力がかかったかと思うと、窓際に植えられた木に頭から激突した。
鼻から目の奥に駆けて、痛みと悪臭の感覚が駆け抜け、一瞬意識を失った。
僕にとっては一瞬だったけれど、目を覚ました時、すぐ脇には祈がいた。
「いやいや、私が付いていなければ死んでしまうぞ。無敵と言っても私の力なのだからな」
細い左手を僕の胸部にあてて、目を瞑る。
「すまないな…」
「お前に死なれたら私が困るしな。それに、こいつを倒せるのは彼女の知り合いであるお前にしか無理だろう」
青龍寺に目を向ける。
相変わらず、仮面のような笑い顔にはゾッとする。
「回復がてら、ちょっと力を加えたやったぞ。この間話した『力が使えるか使えないかの話』を回復中に思い出さなくて良かったよ」
「つまらない話はするもんじゃないな…」
「ほら、立ち上がって反撃と行くぞ」
僕の頭を持ち上げ、怪我人を扱うとは到底思えないスローイングで、僕の身体は青龍寺に向けて投げられた。
それは想定外の行動だったらしく、青龍寺の反応は一歩遅く、僕の拳が彼女の額に当たる方が早かった。
視界が真っ白に変わり、景色は畳の和室に変わった。
突然の変化過ぎて、理解出来なかったが、視界映ったとある女子と中年男性で状況を判断出来た。
前後関係については頭が回らない。
強姦。いやこれは近親相姦だろう。
すんでのところで彼女の足が男の顎を蹴り上げ、そのまま男な地面に崩れた。
そして、一心不乱にキッチンから包丁を運び出し、1本、2本。…3本。…4本と刺していく。
数え切れないほどの包丁は楓の葉のように身体を貫き、吹き出た血で全体が赤く染まる。
ビニールの音と、ガタガタと崩れた生活音が隣の部屋から音が聞こえたかと思うと、女性。おそらく、青龍寺の母が腰を抜かして地面に伏していた。
「おか…あさん…」
そう嗚咽する真っ赤な娘をみた母の目は、ヒトを見る目ではなかった。
真っ赤な景色に目を逸らしたくなり、目を瞑ると、次は教室に立っていた。
おそらく青龍寺が子供の頃だろうか、教室の集団に入り込もうとしたその少女は、みんなに避けられ、痛い蔑んだ目を向けられていた。
「人殺し」
という言葉が一度聞こえたかと思うと、一斉に拍手を交えて、教室中で合唱が始まった。
一度二度ではなく、数分の間続いたその呪文のような合唱は彼女の傷を抉るには十分な力を持っていただろう。
そしてこの現場、この時の出来事だけでは無いはずだ。こうして彼女は今まで過ごしてきたのかと思うと同情なんて言葉では済まないだろう。憐れむ、いや違う。絶望、それも違う。
少女は1人で数年間を過ごしただろう。些細な事で目がつけられないように密かに、厳かに、自分を守る殻のように白いマスクをつけて。
父に強姦されそうになり、母に捨てられ、クラスの全員から否定される。
拠り所なんてなかっだろう。
これが少女の記憶を見ているのだとしたら、随分と悪趣味だろう。自分もその空間にいるように錯覚をして、心臓が強く抉るように小さく押し込まれていくような感覚が収まらない。
気がつくと、僕の身体はキャンプファイアから少し距離を置いた校庭の端に倒れ込んでいた。
変わらず視界には、青龍寺と僕の脇ににいる祈の2人しか映っていない、
随分と後味の悪い夢を見た。
「みんな消えてしまえばいいんだ!
いや、みんな消えてしまうべきなんだ!」
絶叫しながら青龍寺は言う。視点はもう分からない。
「私が生きている限り、もしくはお前らが近くにいる限り、息を吸うことも許されないようだ!」
もう彼女自身なのか、天狗に取り憑かれた彼女なのか分かりはしないけれど、その言葉は確かに彼女自身の言葉で間違いない。
しかし、助けようがない。ケアをしようがない。どんな言葉を投げかけようと、前門の虎、後門の狼だ。宥めたって、慰めたって、同情したってそれは僕の勝手なのだから。
だから、僕はこの場で殺されても良い?
「いやじゃいやじゃ、まだ死にとうないの」
祈は言う。
「おい天狗」
その言葉に若干の反応があるものの、理性を失った獣のように全身を逆立て、唸っている。
「やれやれ、もう説教を説いても、豚に念仏じゃないか」
「もう直截物理攻撃に出ないと手遅れになるのか?」
その返事を聞く前に、青龍寺、否、天狗が地面を走る。いや駆け上がるかのように一歩一歩重いながらも、軽やかに100メートルもあろう距離を数秒で詰める。
避けるにもあと一秒遅かった。対処ができない。僕の真ん前で拳を振りあげ、殴ら…
ーーれない。
3秒前後、体感時間的には10数秒後目を開くと、殴りかかろうとしながらも、すんでのところで掠らずにとどまっている。
「力が使えるうちに仕組んで置いてよかったの」
仕組む…?何を仕組んだんだ?
「さっきの夢と一緒だ。触れれば相手の心境、正確には苦痛を覗き見ることが出来る。それは彼女にとって救いの様で、いや避けたい事なのだろう。同情は苦痛でしかないのだろうからな」
天狗、青龍寺は戦っているんだ。
そう信じたい。己自身と、天狗と。
その毛並みがかり始めた右腕を反対の腕で押さえ込む。
理性を失った怪物が、自分を抑えることができるのか。
「おい青龍寺。お前はどうしたいんだ」
腕を押さえ込んだ姿勢のまま微動だにはするものの、大きくは動かない。
「お前、本当は友達が欲しいんだろう?もしや自分を捨てた母、クラスメイトだけが人間だと思い込んでんじゃ無いだろうな」
「今の内に引け!もう言葉は聞こえていない!」
「うるせえ!このまま放っておけるかよ!
それにこいつは僕が心を盗み見ようが、殺してしまえば意味をなさないことを知っているはずだ!ならば何故殺さない!」
その右腕を抑える力は間違いなく青龍寺だ。
「なあ、そうだろう?青龍寺。もう避けなくて良いんだよ。もうその真っ平らな面を外せよ。一度拳を交わした仲だ。お前の言葉は聞かなくても分かる」
それは嘘ではない。彼女の拳、脚一発一発の攻撃は言葉よりも重く、身も心も削りとっていく。
「それに、お前は人殺しなんかじゃねーよ。お前は自分自身を糞野郎から守ったんだ。」
「お前の言動の理由は全然分からないが理解しようとはしてる。
だがな、人の姿を眩まし、生気を吸い取る、その行動はお前の意図だったなら、青龍寺、お前は周りの人間、両親と同等だ」
僕の言葉に応答しない。しかし攻撃もしない。
「今回だけ解決する為のチートをしてやろう」
祈は口を大きく開け、指を奥に入れ何かを引っ張り出す。嗚咽を繰り返しながら、数秒後、彼女が引き出そうとしていたのは武器でもなく、書物でもなく、目を眩ませるほどの光だった。
直後、目の前は真っ白になり、キィィンと擦金音のような悲鳴が発せられた。
「あぁ…あ、あぁあぁあああ…」
身体中から逆立てた毛を散らしながら寝かせながら、天狗の形相は少しずつ薄れていく。
その地についていた二本足をゆらりゆらりと千鳥足のように弱らせる。
身体をふるふると震わせ、鋭かった目が徐々に弱々しくなり、瞬きを繰り返す。
「なあ青龍寺」
そこに傾れる彼女は人間と呼ぶには正しくない姿ではあったけれど、確かにこちらを睨みつける。
「お前に…」
「……。」
沈黙。
立つ力のない子牛の様に、地面を這いながら口を開く。
「お前に何がわかるってんだ…」
ポロポロと瞳が光る。
何を分かる必要がある?
「僕は何も分からない。お前の内心なんて分かりたいとも思わない。だけどな。
だけどな、僕はお前がした事を許す気はない」
数メートルもない距離を走って一気に縮める。
僅かに後退りしようとした彼女を僕は殴る。
助走に任せて思い切り地面に這う彼女を殴る。
2発、3発、4発と何度も何度も頬を殴りつけた。
こちらの方が理性を失っていたろう。
しかし言う。
「僕はお前に同情したりなんてしないし、僕が自分の此の目で見たことしか信じない。
だから青龍寺の過去だって知ったこっちゃない」
「だが、助けてはやりたいとは思う。
これは僕のエゴだ。美徳だ。お前なんて微塵も興味ない」
一瀉千里に言う。
「……。」
目を見ても視線は混じらない。
殴る手はとっくに止めたけれど、ヒリヒリと痛みが残る。
「もう遅いんだよ…。もう…。私には何もない。帰る場所も頼る者も、頼られるものも」
ギシギシと葉を噛む音がこちらまで聞こえる。
「僕はお前を頼ることは無いだろう。
でも、間違った選択をしたならまた何十発も殴ってやる。どうしても周りを傷つけたくなったら、僕が殴られてやる」
自分が何を言ったのかは覚えていない。考えずに口を開く。
「昔なんて変わりはしないんだ、過去を掘り起こしてそれに悩むなんて、老後の趣味にでもしろよ」
数秒の沈黙の後、青龍寺が笑う。
「…また私が、お前を殴ったら、やり返されるんだろう?」
「当たり前だ」
間髪入れずに言った。
やられた以上に何発だって殴り返してやる。
「ははは…、何も成功しないんだな。私の人生は…」
「悟にはまだはえーよ。
悩んだらいつでも相談に乗ってやる。
お前の場所はお前が作れば良い。周りなんて気にすんな。逃げてもいいんだよ」
「……ねーよ」
聞き直す。
「もう、逃げねーよ」
「そりゃ良かった」
「起きれるか?」
身体を上げる。
「ああ」
青龍寺は言う。
「女子の顔を殴るとか…、永遠に忘れない。」
俯いて数秒の沈黙後。
「ありがとう」
目の前の少女から聞こえた。
確かにその青龍寺の口から発せられた。
「今日のことはこれでおしまいだ。
折角の最後の学校祭は支離滅裂に終わってしまったけれど、なんだか思い出が出来てよかったよ」
とても痛い思い出だ。
「それにしても、天狗を倒したはずなのだけれど、みんなの姿は現れないのう」
祈が言った。
「もしかして定時式の術なのか?」
夕日が落ちる前には戻したい。折角のラストをこのままで終われるか。
「今戻すよ」
青龍寺は言う。
「天狗を取り込んだのは私の意思だった。だから幾ら分離しても、離そうとしても、私の内側には天狗は残ってる」
じゃあ、…もう。
「これとは、私が戦う」
燻っていた炎が空気を含み、着いた瞬間。
偶然か、消えていた人々が一斉に現れた。
「私自身の責任だ」
自分を飲み込もうとする僅かばかりの天狗と永遠に戦い続ける。その苦痛は僕には計り知れない。いや、今の僕に宿っている悪魔の力も一種の呪いなのだろう。
「一瞬で偉くなったもんじゃねーか」
そして僕に再び頭を垂らし、そそくさと姿を眩ました。
「ねえ…」
現れた榊原が横から僕の名前を呼ぶ。
「なんだ、榊原」
「その格好…」
「そのかっこう?」
下を向く。絶句する。唖然、
服の8割が無かった。局部は隠れていたけれど、上は全損。下は穴開きだらけ、血だらけだった。
みんなの視線が僕に集まっていた。
「そ、その、キャンプファイアの火が僕に燃え移って…」
隣にいた祈が薪をまたいで向かいにいた。
あれ?僕がぶつかって崩れた木、消えたはずの炎がついていた。
「すみません」
「最低」
榊原は侮蔑する。口だけではなく目で、距離感で。
「言い訳をする機会は」
「永遠にないわ」
穴があったら入りたい。自ら穴を掘ってまで地に身を献上したくなった。
帰ったら、もう2度と部屋を出ないようにしよう。