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願いの神に、願った俺は。  作者: 由里名雪
栞里のしおり
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栞里のしおりー5ー

 早歩きをしていたお陰で、部室へはすぐにたどり着くことができた。軽くノックをしてから俺はドアを開けた。


「……やっぱりここか」


 俺の睨んでいた通り、礼華はいつもの定位置に座って弁当を食べていた。左手には文庫本、右手には箸。器用に左手のみで本のページをめくりながら、右手の箸で口におかずを運んでいる。……なんか行儀悪いな。いつもこんな風に昼を過ごしているのだろうか。


「……なに?」


 視線を文庫本に落としたまま、礼華が呟く。平坦な声色は相変わらずだった。


「いつもここで、こうしてるのか?」

「そうだけど。それが?」


 思わず俺は口をつぐんでしまう。──寂しくはないか、なんて大きなお世話な事を言ってしまいそうだった。

 礼華は今の状況をどう感じているのだろう。感情を表に出さない礼華の事だ。聞いても素直に答えるとは思えなかったし、聞いて欲しくないという雰囲気さえ感じる。


「……いや、なんでもない」

「……そう」


 結局俺には礼華の心の内に踏み込むような事は出来なかった。踏み込む勇気なんてありはしない。聞かなければ、少なくとも今の関係のままではいられる。それが良いのか悪いのかは俺には分からなかった。


「……それで?何しに来たの」

「ああ、そうだった。礼華に渡すものがあったんだよ」

「渡すもの……?」


 礼華は箸を止め、文庫本を閉じて此方に振り返った。

 礼華の怪訝な視線を感じながら、俺は制服の内ポケットから例の栞を取り出す。


「これ、礼華のだろ?」

「──っ、これ……っ!」


 差し出した栞を礼華が受け取る。驚いたように栞を見つめていた礼華は、ふと短く息を吐いて目を閉じた。

 安堵した様子で栞をそっと胸に抱く礼華の姿が、何だか新鮮だった。

 礼華がこれほどに感情を露わにするのを俺は初めて目にした。余程大切なものだったようだ。


「昨日部室に落ちてたのを拾ったんだよ。ちゃんと渡した方がいいと思ったから俺が持ってたんだ」

「あなたが……ありがとう。もう、戻ってこないと思ってた」


 礼華は栞をそっと撫でて、此方に向き直る。俺はふと気になった事を聞いてみる事にした。


「その栞、手作りっぽかったけど……自分で作ったのか?」


 礼華はゆるゆると首を横に振る。手元の栞を見つめながら礼華は言った。


「いいえ。これは貰ったの。私が作った訳ではないわ」

「そうか……誰から貰ったんだ?」


 何となく会話の流れで聞いて見たものの、途端に礼華は黙り込んでしまった。どうやら触れて欲しくない事だったようだ。しまったな。


「ああ、答えたくないならいいんだ。変な事聞いて悪かったな」

「…………いえ。そういうのでは……ないの」


 礼華は少し俯いたまま、何かを言いたげにしている。何も言わずに待っていると、やがて礼華は口を開いた。


「……しおり」

「──え?」


 小さな声だった。俺の聞き間違いだったのだろうか。


「これを私にくれたのは……栞里よ」

「──っ」


 聞き間違いなんかじゃなかった。今度ははっきりと聞こえた。──栞里、と。


「……せめてこれだけは、失くしたくなかった。もっと大切なものを失くしてしまっていても、せめてこれだけは。だから……ありがとう、神前君」

「……いや、どういたしまして」


 真っ直ぐに俺を見る礼華の眼差しが、何故だか哀しい色を帯びているように見えた。俺はただ、無難な返事しかする事が出来なかった。気の利いた言葉の一つでも掛けられれば良かったのに。


「じゃあまた、放課後な」

「ええ。また」


 たったそれだけのやり取りをして、俺は部室を出た。

 礼華は昼休みが終わるまで、ここで過ごすのだろう。それが良いのか悪いのか、もう俺は分かっていた。痛いほどに。



*****



 ひとまず用事を済ませた俺は教室へと戻った。結局昼休みの半分ほど使ってしまったので、多少十梧たちに文句を言われてしまうかもしれないが仕方がない。早く弁当を食べないと昼休みが終わってしまう、そう思いながら俺は教室に入った。

 途端に教室中の視線が俺に向けられた。……一体何なんだ?あれか、授業中にいきなり誰かが入ってきたときに皆が一斉に振り向くやつか?だが今は昼休みだし、いちいち誰が入ってきたのかなんて確認しないと思うんだが。心なしか教室がいつもと違うざわめきに満ちているような気もする。

 普段と様子の違う教室の様子を怪訝に思いながらも俺は自分の席へと戻った。


「悪い、ちょっと遅くなった」

「お、お帰り明くん」

「ああ、それはいいんだが……」


 俺の席で昼食を摂っていた十梧と栞が俺に視線を向ける。


「どこいってたんだ?」

「ちょっと部室まで。……なあ、なんか皆が俺を見てるような気がするんだけど、俺なんかしたか?」

「それは俺が聞きたいことだよ。お前、なんかしたのか?」


 俺と十梧は互いに顔を見合わせて、首を傾げた。どうも会話がかみ合ってない気がする。そんな俺たちを見ていた栞里が見かねたように口を開いた。


「あ、あのね、さっき九条院先輩がきたの。……明くんのこと探してたよ」


 ……なるほど。全てに合点がいった。さっき廊下で先輩たちが言っていたではないか、教室まで俺を探しに行くと。

 しかしこの状況を理解したところで、どうしようもない。俺は思わず深いため息をついてしまった。


「なるほど、よく分かった。気にしなくていいよ。多分ただちょっかい出しに来ただけだから」

「明……まあ、頑張れよ」


 何故か十梧が俺を労るような目で見る。一体何を頑張ればいいというのだろうか、全く。


「明くんって、九条院先輩と仲いいよね。その……つ、付き合ってるんじゃないかって噂もあるけど……」


 浮かない顔でそんな事を栞里が言った。……やっぱあるのか、そういう噂。自分のあずかり知らぬところで敵が増えていそうだと戦慄する。


「んなわけないだろ。ただ部活が一緒なだけだよ。仲がいいってのは自分じゃ何とも言えないけどな」

「……っ!そ、そうなんだ」


 栞里の声色は心なしか明るかった。

 今日の部活の時に先輩によく言っておかないとな。突然教室に来ないで欲しいと。


「九条院先輩、本当綺麗でかわいいよなー。明、夜道には気をつけろよ。お前を妬んでるやつなんざごまんといるぞ」

「やめてくれよほんとに……」


 十梧が俺を茶化すが、割と笑えない。先輩も俺を人前で茶化すのを控えてくれないだろうかと切に願う。


「ていうか十梧。そんなに可愛いとか思ってるなら先輩にアタックすればいいだろ。お前ならいける。お前は憧れの先輩をゲット、俺は煩わしい噂とおさらば。素晴らしいアイデアだと思わないか」

「何言ってんだ明。相手はあの高嶺の花って言葉の化身みたいな人だぞ?普通に話ができるお前がどれほど恵まれているかわからないようだな」

「そういうもんか……?」


 ううむ、割と本気でいい考えだと思ったんだがな。十梧にも先輩に話しかけるのはハードルが高いらしい。俺は一年の入部当初から先輩と接しているので、そのハードルはもうずっと昔に飛び越えている。


「そういえばふと気になったんだけど……十梧、お前って好きな奴いるのか?」

「は?なんだよ急に」


 十梧が戸惑った様子で答えた。これは前から気になっていたことでもある。あれだけ女子から告白を受けているにも関わらず断り続けているのはなぜなのか。もう既に彼女がいる、或いは女子に全く興味がない、そんな噂まである。


「あ、それ私も気になるかも。どうなの十梧くん」

「栞里まで……言わなきゃダメか?」

『もちろん』


 俺と栞里の声が重なった。互いに顔を見合わせて笑う俺たちを見た十梧は、肩をすくめた。


「俺は──」


 十梧が口を開いたその瞬間、見計らったかのように昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。全く空気の読めないチャイムだ。


「この話はまた今度な」

「はあ、しょうがないな。今度絶対聞かせてもらうからな」

「気になるなあ。私にも聞かせてね」


 十梧はほっとした様子で、栞里は少し残念そうにしながら弁当を片付け始める。俺も少し残念だ。まあ十梧も隠しているわけではないようだし、聞く機会はいくらでもある。今日のところは勘弁しといてやろう。


「じゃあな」


 そう言って十梧は自分の席へと戻っていく。栞里も丁度弁当を鞄にしまい立ち上がった。


「私も席に戻るね」

「あ、栞里。今日は一緒に帰れるか?」


 席へと戻ろうとする栞里を俺は引き留めた。


「う、うん。大丈夫だよ」

「そうか、良かった。ちょっと話したいことがあってな」


 栞里は驚いたように俺を見た。短めの髪先を指で弄びながら、呟く。


「話したいことって?」

「ああ……その時にちゃんと話すよ。話すと長くなりそうだから」

「わかった。じゃあ、帰りにね」


 栞里はそう言って微笑むと、自分の席へと戻っていった。

 何だかやけに嬉しそうだったけど、何故だろう。まあいいか。それよりも何か大切な事を忘れているような気がする。


「……あ」


 昼食を取り忘れていることに気付いた俺が、午後の授業中空腹に苛まれた事は言うまでもない。


*****



 静寂に包まれた部屋の中、紙をめくる音のみが響いている。放課後の部室、小さな小さな図書館のようなこの部屋で俺は本を読んでいた。礼華と綾羽先輩も同じように、静かに本を読んでいる。

 俺が読んでいたのは、正確に言うと本ではなく辞典だ。人名漢字辞典。何故そんなものを読んでいるのかは言うまでもない。あの神様の名前が思いつかないからだ。

 そんな考えで目を通していたものの、さっぱりいい名前は思い浮かばない。いい加減飽きてきた頃、疲れた目を休ませようと俺は本を置いた。


「…………」


 今日は何だか先輩が静かだ。俺にちょっかいをかけてくることもなく、真面目に本を読んでいる。ちらりと背表紙に目を遣るが、カバーが掛けられていて何の本なのかは分からなかった。

 礼華はいつも通り、黙々と本を読んでいる。こちらは何の本か分かった。どうやら推理小説の類らしい。

 それにしても、これは果たして部活と呼ぶに相応しい光景なのだろうか。文芸部という名のただの読書会ではないか。まあ、俺が入部した時からこうなので今更な話なのだが。


「……あら?どうかしたのかしら、あっくん」


 俺が本を置いていた事に気がついた先輩が尋ねてきた。


「いや……なんかすごく今更なんですが、俺たちっていつもこうして本読んでるだけだなって」

「あら、不満?」

「い、いえ……そういうわけじゃないんですけど」


 先輩は本を閉じると、頬杖をついて思案顔になった。


「そうね……あ、何か新しい事をしましょうか。一応ここ、文芸部だし」


 いい事を思いついたと言わんばかりに微笑む先輩。俺は頷いて、何がいいだろうかと考えを巡らせる。文芸部って何するんだろうな。自分でこの流れを作っておきつつ、アイデアが浮かばなかった。


「礼華、なんかないか?」

「……私は別に本を読んでいるだけで十分だけど」


 本から視線を逸らさずに素気無く答える礼華。つれない奴だ。先輩は先ほどから「んー」とか「むー」とか唸っている。

 暫くなんの意見も出ないまま数分が経過する。すると礼華が呆れたように溜め息をついてぽつりと呟いた。


「……部誌を作るとか」

「それだ」

「いいわね」


 即座に同意する他二名。文芸部っぽくていいな。ただ、作文とかは余り得意な方ではないので不安な部分もあるが。


「……本気で言ったわけではないのだけれど……」


 困惑しながら礼華が言うものの、先輩は完全に乗り気だ。こうなればもうやる事になったようなものだ。諦めるんだ礼華。


「月に一度小冊子のような形で出しましょう。図書館にでもおいてもらえばいろんな人に読んでもらえるわね。内容はそうね……特には指定しないわ。皆好きなものを書くことにしましょう」


 などと矢継ぎ早に先輩が方向性を定めていく。やると決めたことはすぐに行動に移してしまえるのは先輩のすごいところだと思う。行動力に優れているのだ。


「何を書こうか思い浮かばないな……先輩はもう書くこと思いついたんですか?」

「うふふ、あっくん観察日記なんてどうかしら」

「やめてください」


 即却下した。先輩なら本気でやりかねない気がする。上目遣いでねだるように先輩が俺を見るが、努めて無視することにした。……その上目遣いに一瞬だが不本意ながらも鼓動が跳ねてしまったのは俺だけの秘密にしておこう。


「むー……発表する機会がなくなっちゃったわね……」

「え?」

「ん?どうかしたの?」

「いや今なんかものすごく嫌なこと聞いたような気が……」

「あら、気の所為じゃない?私何も言ってないもの」

「あれ、じゃあ気の所為か……」


 おかしいな、今俺の本能が謎の警鐘を鳴らしたんだが。不思議なこともあるものだ。


「礼華はどうだ?」

「私は……はぁ、本当にやらなくちゃいけないのね」


 全く往生際が悪い。観念するんだな。なんて言ったら睨まれそうなので心の中で呟くに留めた。


「何も決まってない。けど……小説でも書いてみようかしら」

「おお、いいな。読んでみたいかもしれない」

「……やっぱりやめようかしら」


 なんとなく恥ずかしそうに礼華が目を伏せた。素直な感想を述べただけなんだけどな。礼華がどんな小説を書くのかとても興味があるのは本当だ。


「まだ月末まで時間はあるから、今週中に決めてくれれば大丈夫。さて、そろそろ帰りましょうか。皆よろしくね」


 ふと時計を見ると五時前だった。先輩の言葉に頷き、俺は置きっぱなしだった人名漢字辞典を元あった本棚へと戻す。この本棚にはいろいろな辞典が揃っているので俺は割と重宝していた。

 床に置いていた鞄を手に取り立ち上がった俺は部屋の中を見渡した。全方位本棚に囲まれたこの部屋の中の本は、全て先輩の私物らしい。これだけの数の本が全て自分の物だというのだから驚きだ。ここにある本はもう読まなくなってしまったものらしいので、部員には貸し出し自由となっている。ジャンルも幅広いので、まさに小さな図書館だ。


「ほらあっくん、帰るわよ」


 いつの間にか先輩と礼華が入口の前に立っていた。俺がぼんやりしている内に二人は帰り支度を済ませていたようだ。

 俺は少し慌てながら、二人と共に部室を後にした。

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