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願いの神に、願った俺は。  作者: 由里名雪
栞里のしおり
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栞里のしおりー3ー

 体育館の広いコートにボールが跳ねる音が響き渡る。コート内に存在するたった一つのボールを求めて殺到する足音もまた同じだった。


「はぁ──はぁ」


 栞里の手元でバウンドを繰り返すボールに、相手チームの一人が手を伸ばす。難なく躱した栞里はそのまま相手側のコートへと切り込んだ。栞里の接近に気づいた相手のディフェンスが栞里の前に立ちふさがる。


「──ふっ」


 トップスピードを維持したまま栞里はそのディフェンスの目前でフェイントを仕掛けた。栞里の目線と体の向きから進行方向を予想したディフェンスはすかさず体をその進路へ滑らせ──寸前、栞里はターンで体を切り返し、ディフェンスの動いた方向と逆に駆ける。


「──なぁ!?」


 栞里とは別の相手をマークしていたもう一人のディフェンスが栞里がこちらへと迫ってくることに気づき、慌てて栞里の元へ向かうが、遅い。既に栞里は巧みなドリブルで相手の選手をあらかた抜き去った後だった。

 スリーポイントが狙える位置に立った栞里は右手をボールに添えシュートを放つ。


「──」


 その時、栞里の意識はコートとは別の場所にあった。脳裏をよぎっていたのは、朝の礼華の姿だった。口元が隠れていて表情はよく見えなかったが、栞里には礼華が何かを言いたがっていたように見えた。

 一体礼華は何を自分に告げようとしていたのだろうか。ただの挨拶か、それとも自分に対する悪態か。もし悪態なら──言われても仕方がない。自分は礼華に、それだけのことをしてしまったのだから。

 栞里は朝からずっと、そんなことばかり考えていた。その所為か、栞里は気が付いていなかった。普段ならば、コートの中、ましてや試合中に余計なことを考えることなど絶対になかったことに。

 栞里のシュートは部内でも正確無比なことで有名だった。相手のゴール間近ではシュートを外したことなど一度もなかった。それ故に、栞里の手から放たれたボールが放物線を描き──わずかに軌道が逸れリングから零れ落ちたことにその場にいた誰もが衝撃を受けた。


「……あれ、はず……した」


 それは栞里自身も例外ではなかった。一拍遅れて栞里は自分が試合中に集中できていなかったことにようやく気が付いた。


「……栞里、ちょっとこっち来い!他の者は引き続き試合続行!」


 コート際で一部始終を見ていた顧問の岩下が栞里を呼ぶ。栞里は汗を拭いながらコートを出て岩下の元へと急いだ。


「栞里、今日は全く練習に集中出来ていないな。もちろん自覚していると思うが大会までもう二週間もないんだ。お前がそんなんじゃチームのメンバーの士気も下がる。しっかりしてくれ」

「……はい、すみませんでした。気を付けます」

「よし、じゃあ戻れ。頼んだぞ」


 岩下の言葉に栞里は頷き、再びコートの中へと戻った。以降、練習が終わるまで栞里はシュートを外すことはなかった。



*****



「栞里、今日はどうしたの?栞里らしくなかったよ、今日の練習」


 練習後、着替えを済ませた栞里と同じバスケ部の美夏みなつは校門に佇んでいた。美夏の言葉に栞里は小さく溜め息をつく。


「……少し、ね。考え事しちゃった」

「ふーん。悩み事?相談なら乗るよ」

「ううん、大丈夫だよ。ありがと。自分で何とかしなくちゃいけないことだから」

「そう?それならいいんだけど……」


 ふと美夏は考え込むような素振りを見せ、ポンと手を打った。


「わかった!神前くんのことでしょ!」

「──えええ!?ち、違うって美夏!」


 ほんのりと顔を朱色に染めた栞里がぶんぶんと手を振って美夏の発言を否定する。そんな栞里の様子を見た美夏はにんまりと笑うと、栞里ににじり寄った。


「隠さなくていいの。あたしちゃんと知ってるから。栞里が神前くんのことす──」

「わあああああああああ!!わあああ!」

「ふがー!ふがっふが!」


 慌てて栞里が美夏の口を塞ぎ、美夏が抗議するようにもがく。時折横を通り過ぎる部活帰りの生徒が怪訝な顔でその様子を見ていた。


「ぷはっ。もー、急に何するのよ」

「だ、だって美夏が変なこと急に言い出すから。誰かに聞かれでもしたらあれだし……」

「別にいいじゃん。そのほうが変な虫もつかなくていいんじゃない?栞里二年生になってから何人に告白された?」


 栞里は少しの間が開いたのち、思い出したように呟いた。


「三人?」

「……大体二か月に一人ってペースね。あーなんて世の中って不平等なんだろう。あたしもそんなにモテてみたい!」

「あ、あはは……」


 栞里はひきつった笑顔で美夏を見た。本気で悔しがる美夏は短く息を吐いて栞里に視線を合わせた。


「まあ、あたしが何を言いたいかっていうとさっさと告白しちゃいなさいってこと。栞里が何人告白されても一向にOKしないから、もう好きな人がいるってのは噂になってるよ。つまり、バレるのは時間の問題だってこと」

「そ、そんなぁ……」


 今まで隠し通してきたことが無駄になりそうなことを知り、栞里は肩を落とした。


「そりゃあ毎日神前くんと登下校してたら噂にもなるよ。あ、でも八木澤くんもいるんだった。……となると『栞里の好きな人は八木澤くん説』の方が先に立つかもね。それはそれで面倒でしょ?」


 自分のことはさておき、あのモテることで有名な十梧とそんな噂がたてば大変なことになる。栞里は少し血の気が引いた顔で頷いた。


「だからさっさと言っちゃいなさいってこと。今日だってこの後神前くんと帰るんでしょ?」


 美夏のその言葉を聞いた瞬間、栞里は気まずそうに美夏から視線を逸らした。


「……ううん、今日は一人で帰るよ。明くん先に帰ったから」

「そうなの?珍しい。──まだ五時過ぎなのに」


 不思議そうに腕時計を確認する美夏に、栞里は本当のことを言い出せなかった。今朝の事があって、今日は一人で帰りたい気分だったから明に嘘を言って先に帰らせてしまったのだと。大会前の今日からは顧問の指導方針でいつもより相当早く練習が切り上げられる事も伝えていなかった。


「何にせよ行動は早いほうがいいよ。神前くん、なかなか隅に置けないし。ほら、なんだっけあの先輩……ああ、九条院先輩。あの人とも仲良いみたいだし」


 内心で危惧していたことをあっさりと口にする美夏に、栞里は驚いた。九条院先輩のことは今までずっと気になっていた。何しろ部活が一緒なのだ。あれほど容姿端麗だと自分に勝ち目など小指の先ほどもない気がしてくる。


「んじゃ、あたしはそろそろ帰るね。頑張れ栞里!」

「もう、何を頑張ればいいの!……またね、美夏」


 互いに手を振り、互いに反対の方向へと歩き出す。美夏と別れた栞里はバス停に向かう途中、ふと一人で帰るのがかなり久しぶりだということに気が付いた。そして、登下校の時にいつも明が隣にいたことにも。


「………………っ」


 途端に自己嫌悪に襲われた。美夏の言葉が耳から離れない。行動は早いほうがいい──わかっている。わかっているのに、出来ない。最初の一歩が踏み出せない。一人で帰りたいから先に帰っていてほしい、素直にそう言うことすら出来ずわざわざ嘘をついてしまう自分が大嫌い。それを美夏に打ち明けられない自分が嫌い。いつまでも思いを打ち明けられない自分が嫌い。──自分から謝りに行くことすらできない自分が、一番嫌い。

 怖いのだ。一歩踏み出した結果、失敗するのが。謝って、許してくれなかったらと思うとどうしようもなく怖い。あんなにひどいことを事を言ってしまったのに、今更許してほしいなどと言って果たして礼華は許してくれるだろうか。自分はきっと、礼華をひどく傷つけてしまった。そんな自分に許される権利があるのだろうか。

 沈む夕日に照らされバス停に佇む栞里は、バスが来るまで俯き顔を上げることはなかった。

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