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願いの神に、願った俺は。  作者: 由里名雪
プロローグ
3/39

叶った願いの、その結末は。

 家に着いたのは午後五時過ぎくらいだった。今は十月の秋真っ只中ということもあり、辺りは既に暗く冷たい風が容赦無く体温を奪っていく。身震いしながら玄関の鍵を開けて早々に家の中に入った。


「ただいまー」


 家の中は外よりも格段に暖かい。やっと家に戻って来たことで俺はほっと一息ついた。

 あれから大変だったのだ。自分の所持金を賽銭箱に全て投げ入れていたことに駅へと向かう途中で気付き、このままでは帰る事が出来ないと慌てて神社に戻って、賽銭箱に入れた金の内電車代だけでも返してくれないかとあの少女、もとい神様に懇願した。

 結論から言えば返してくれた。……ゴミを見るような目つきをしながら。

 それに、他にも大変だったのはあの階段だ。今日だけで二往復もしている。このまま足繁くあの神社に通っていれば、アスリートの如き筋肉が自分の足に付きそうで怖い。足だけ筋肉ムキムキになっても困るよな……。

 そんな下らない事を考えながら、靴を脱いでリビングの扉を開けた。だが中には誰も居ない。

 元々家に入った時点で物音一つしていなかったので、家が留守なのは予想していた。ただ、つい先程まで暖房を入れていたのかリビング内の空気はまだ暖かかった。つまり、親が出掛けたのは今さっきという事だろう。どうやら入れ違いになったらしい。

 壁際のスイッチを押し部屋の照明をつけて、着ていたコートをソファの上に無造作に放り投げる。

 親が帰って来るまでテレビでも観て時間を潰そうかと思いリモコンに手を伸ばそうとしたその時、静寂に包まれていたリビングに、持っていた携帯の着信音が鳴り響いた。

 ポケットから携帯を取り出し画面を見ると、どうやら親からの電話らしい。一体なんだろうか。


「もしもし?」

「もしもし、明?あなた、今どこにいるの?」


 焦っているような、切羽詰まっているような母親の声が電話を通して聞こえた。


「丁度今家に帰って来たところだよ」

「そう、よかった……ずっと繋がらなかったから」


 そう言えば、神社のあるあの田舎じゃ電波届いてなかったな……。それで心配していたのか。


「ごめんごめん、ちょっと電波の繋がらない場所に用事があったからさ」

「それならいいわ。それで明、今から病院に来れるかしら」


 だが尚も母親の声は焦燥に駆られていた。俺を心配していたのは事実だろうが、それとは別でどうやら何かあったらしい。今から病院に来いという母の言葉に、嫌な予感が胸をよぎる。

 ──妹に何かあったのか。


「ああ、大丈夫だけど。どうした?」



明奈あきなの、明奈の容態が急変したのよ」



 果たして嫌な予感は的中した。

 くそ、話が違うじゃないか。あの神様、俺を騙したのか?明奈は、俺の妹は助かったはずではないのか。

 母の言葉を聞いて、俺の胸の内にも焦燥感が際限無く広がっていく。妹の容態が急変した、その事実が俺の心を掻き乱す。


「──すぐに行く」


 一言だけ母親に告げ電話を切る。気付けば俺はコートを着るのも忘れて、無我夢中で外に飛び出していた。身を切るような寒さに震えたが構うものか。俺は玄関脇に置いてあった自転車に跨るやいなや、全速力で妹の入院している病院へと自転車を飛ばした。



*****



 足を酷使して必死に自転車を漕いだお陰か、病院へは二十分もしない内に着いた。今日だけで神社の階段を二往復もした俺の足は既に限界を迎えていたが、そんな事も言っていられない。俺は一刻も早く妹の病室へと向かわなければならないのだ。

 息を切らしながら病院の中へと入る。ホールの受付を横切って、少し進んでエレベーターに乗り込み四階のボタンを押す。妹の病室は四階の隅の部屋だ。番号など確認しなくても、場所は把握していた。

 やがてエレベーターが目的の階に到着し、ドアが開く。俺は引き絞られた弓矢が放たれるかのようにエレベーターから飛び出した。

 病院の中を走るのはいけない事だと分かってはいたが、どうしても俺の足は走りたがって仕方がなかった。

 すれ違う看護師の人や入院している患者さんに謝りつつ妹のいる病室へと一目散に向かう。そしてすぐに病室へと辿り着くと、スライド式のドアを開け中へ身を滑らせた。


「明奈!」


 中に入ると、そこにはベッドに横たわった明奈とその周囲を取り囲む俺の父親と母親、看護師や医者の姿。大して広くもない部屋の人口密度は高かった。


「明、やっと来たか。待ってたぞ」


 肩で息をしている俺の姿を父親が認めると、声を掛けてきた。父に向かって頷き返し、ベッドに横たわる明奈の元へと歩みを進める。


「明奈は……明奈がどうしたんだよ」


 明奈は安らかな表情で眠っていた。病衣に包まれた慎ましい胸が静かに上下している。息はしているようだった。


「明奈は……、明奈は……っ」


 溢れ出ようとする涙を堪えるように、母は涙声で明奈の名前を呼ぶ。

 ……嘘だろ?そんな風になるほど、妹はもうどうしようもない所まで来ているのか?嘘だって、冗談だって言ってくれよ。俺が見たかったのは病気が治った妹の朗らかな笑顔だったのに──。


「……明奈っ、嘘だろ…………!」


 堪えようとしても、涙は自然に俺の目から零れ落ちていく。胸が締め付けられる。みっともない泣き顔を見られたくなくて、俺はベッドのそばに跪いて明奈の寝ているベッドに顔を埋めた。

 力無くそっと置かれていた明奈の手を握る。明奈の手はまだ温かかった。でも、この温もりももうすぐ失われるのか。そう思うと俺の目からはより一層涙が溢れ、堪え切れない胸の苦しさに嗚咽が漏れる。


「……明奈、目を開けて、もう一度笑ってくれよ…………っ」


 最後の最後まで、俺は明奈に何もしてやれなかった。明奈がこんな風になってからでは遅いのに。

 もっと明奈に優しくしてやりたかった。もっと明奈と話したかった。もっと明奈の望みを叶えてやりたかった。でもきっとそれはもう、叶わないのだ。

 役立たずの願いの神め。俺はお前を絶対に許さないからな。手伝いなんかしてやるものか。

 涙はもう出ない。涙を流しきった俺に残ったのは途方も無い喪失感と絶望。思考が停止したまま俺は明奈の手を握りしめた。


「──つかまえたっ」


 そんな俺のすぐ側から、聞き慣れた声がする。明奈の声だ。ああ、幻聴が聞こえてしまうほど俺はショックを受けているのか。自分でもびっくりだ。

 それに、明奈が手を握り返してくる感覚まで感じる。はは、重症だな俺。

 と、目の前の現実を受け入れ難くて自分の五感さえ疑ってしまっていた所、突然明奈の手を握っていた右手をくいっと引かれた。そのまま俺は体重を崩して、ベッドに横になっていた明奈の上にのしかかる体勢になってしまった。何だ、何が起こったんだ?


「ふふふ、兄さんだ。おはよう兄さん」


 優しく、優しく俺の頭は抱きしめられた。涙を流していた俺を慰めるかのように、小さくて温かい手が俺の髪を撫でる。俺にこんな事をしているのは──。


「あ……明奈……?明奈なのか?」

「正解。見事正解した兄さんには、ご褒美として私の頭を撫でる権利をあげる」


 思わず顔を上げる。そこには先程まで安らかな眠りについているように見えた明奈の顔があった。明奈は俺の顔を見て、静かに微笑んだ。


「明奈……、大丈夫か?どっか悪い所はないか?本当に起きて大丈夫なのか?」

「もう、心配しすぎだよ兄さん。私はこの通り。ほらピンピンしてる」


 自分が元気である事を示しているのか、両手で小さくガッツポーズをとる明奈。これは……明奈は、治ったのか?俺の願いは叶っていたのか?まるで、夢を見ているみたいだ。


「よかった……本当によかった……!」


 安堵の余り、枯れたと思っていた涙が再び溢れ出す。男なのになんて情けないんだ。妹の前でこんなに泣くなんて。

 俺の泣き顔を見た明奈は、困ったように笑っていた。


「何泣いてるの兄さん。不細工が三割増ししてる」

「失礼な!不細工じゃない!」


 冗談も言える程に明奈はピンピンしていた。まるで最初から病気なんてしていなかったかのようだ。願いの神は、ちゃんと俺の願いを叶えていたらしい。少しでも疑ってしまった事に心の中で罪悪感を感じた。

 ……だが待てよ、確か母は妹の容態が急変したと言っていたはずだ。という事は……。


「なあ母さん。明奈の容態が急変したっていうのはこの事か?」

「そうよ。明奈が何事もなかったかのように起き出して、どこも悪くなさそうだったから……本当に、治っただなんて未だに信じられないわ」


 そう涙ぐみながら母はしみじみと言った。


「──紛らわしいんじゃ!!」


 本当に紛らわしい。あんな声であんな言い方をされれば誰だって悪い方に解釈するだろう。ったく母さんの奴……。

 でも、本当に良かった。あのクソきつい階段を登って必死に願った甲斐があった。あの神様には感謝せねばなるまい。


「全く、我々も信じられませんよ。明奈さんはつい昨日まで息をするのがやっとなまでに衰弱していたんです。もう何年も医者をやってますが……こんな事は初めてです。人間というのは分からないものですね」


 側にいた中年の医者が苦笑と共に呟いた。彼が言うのも尤もだ。この場にいる全員が同じ思いだろう。だが、今俺が一番驚いていると言っても過言ではないはずだ。俺以外には明奈の回復は摩訶不思議な出来事に映っているはずだが、俺はそれが俺の願いによって起こされた超常現象である事を知っている。……きっと、この世には俺が知らない事はまだまだ沢山あるのだろう。


「ええ、本当に……良かったな、明奈」


 心から安堵しているのが父の言葉から伝わってくる。父も明奈の事は気が気でなかったのだろう。

 明奈は父の言葉に、嬉しそうに頷いた。


「それで、明奈さんの事なんですが、一応もう一度精密検査をして異常が認められなければ、明日退院という事で宜しいですか?」

「はい。明奈をお願いします」


 医者に向かって母が深々と頭を下げた。明奈は明日退院出来るのか。また明日から一緒に過ごす事が出来るんだな。


「では、我々はこれで。本当は面会時間は過ぎているのですが、我々の方で話を通しておきますので心置き無く明奈さんと話して頂いて結構です」


 医者はそれだけ告げると、俺たちに礼をして病室を出て行った。後には俺たち家族だけが残される。


「父さんたちは明が来る前にもう明奈と沢山話したから、後は明、お前が好きなだけ明奈と話してくといい」

「そうか、わかったよ父さん」


 父さんはそういって、母さんを連れて病室を出て行く。つい先ほどまで高かった人口密度は見る影もない。病室には俺と明奈がいるのみだった。


「明奈……何かあったらすぐ言うんだぞ。また体調崩したりすれば心配だから」

「もう、兄さんは心配しすぎ。私はもう大丈夫なの」


 少し怒ったように言う明奈。だが心配なものは心配なのだ。もうあんな不安を味わうのは御免だしな。


「それで明奈、なんで俺が入ってきた時寝たふりしてたんだ?」


 これは今さっき気付いた事だ。父さんは俺が来る前に明奈と沢山話したと言っていた。母さんも元気な明奈の様子を目にしたような事を言っていた。だが俺が入ってきた時、明奈はベッドで寝ていた。そのまま起きていても良さそうなものなのに、わざわざだ。

 つまりだ、明奈は俺が来ると分かってわざと寝たふりをしていたのではないか。そう俺は思ったのだ。


「それはもちろん、兄さんを驚かせたかったから。兄さんがどんな反応するのか見てみたくて」

「…………てことは、見てた?」

「見てた」


 なんてことだ……明奈が起きる前に俺がみっともなくボロ泣きしていたのを、明奈本人に見られていたとは……。恥ずかしくて何も言えん。


「兄さんってば、号泣しながらベッドに顔埋めちゃって。私吹き出しそうになっちゃったんだから」

「バカ、言うな!恥ずかしいんだから!」


 たくましい事で何よりだ。後々の笑いの種になりそうで怖い。

 明奈はふと優しく微笑んで、俺を見た。


「でもね、兄さんが私の為に泣いてくれて嬉しかったよ。……手を握ってくれたのも」

「……そ、そっか」


 違う意味で猛烈に恥ずかしくなってきたぞ。なんてこと言うんだ明奈。俺は本当に心配していたからあんな事をしたんだ。意識してやっていた事ではないが、思い返すとやはり恥ずかしくなってくる。


「あのね、兄さん。私、ね……」

「ん?どうした明奈?」


 明奈は急に口籠ると、それきり黙ってしまった。顔がほのかに赤く染まっている。やっぱり、どこか具合が悪いのか?


「……ううん、やっぱり何でもない」


 しかし明奈は何ともなさそうに、ふるふると首を横に振った。明奈はいつものように微笑んでいる。


「そうか……どっか具合悪かったりしたら、すぐ言うんだぞ?」

「もー、しつこいってば兄さん。それ以上私の身体の心配したら口きいてあげないから」

「う……すまん」


 むくれている明奈に向かって平謝りする。まあ見た感じ元気そうだし、明奈の言う通りもう心配要らないのかもしれないな。下手すると、今までで一番元気な様にも見えるし。


「兄さん、私ね、願い事が一つあるんだ。どうしても叶えたいけど、叶いそうにない願い事」


 思いがけずぽつりと呟かれた明奈の言葉が俺の耳に残った。どうしても叶えたい願い事、それはあの神様が求めているものではなかったか。それなら都合が良いかもしれない。


「どんな願い事なんだ?」


 何気なく明奈に聞いてみたが、明奈は微笑みを浮かべたまま首を振る。


「秘密。絶対に教えない。……それに、叶わない方が良い願い事なのかもしれないし」

「……?どっちだ?」

「どっちも!だからとりあえず放置!……きっと、叶って欲しいけど、叶っちゃいけない願い事なのかもしれないし。だから気にしないで」


 よく分からないが、明奈がそう言うのなら追求はしないでおこう。でも、それならなんでわざわざそんな事言ったんだろうな。謎だ。


「まあ、そういうならわかった。追求はしないよ」


 明奈に隠し事をされた腹いせに、少し乱暴に明奈の頭を撫でてやる。わしゃわしゃと髪の毛を乱された明奈は文句を言いながらもされるがままだった。


「んもー、兄さんも早く家に帰らないとお父さんとお母さんが心配するよ?私の頭を撫でる権利は没収です」


 そう言って明奈は頭の上に置かれた俺の手を掴むと、そっと下に下ろした。少し残念だ。


「明奈も、大事にな。今日は早く寝るんだぞ!」

「わかったわかった。ほら、早く帰らないと」


 気が付けば両親がこの部屋から出て行ってから結構な時間が経っていた。これ以上いるのもまずいか。ここは明奈の言う通り早く帰る事にしよう。


「じゃあまた明日な」

「うん、またね兄さん」


 短くやり取りをして、俺は病室を後にした。明日何もなければ明奈は退院できる。平和な日常が戻って来るのだ。俺がどれほどそれを望んでいた事か。

 そんな小さな、けれど俺にとっては大きな幸せを噛み締めながら帰途に就くのだった。

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