8.下げ緒(四)
前回まで、新々刀期、特に幕末維新期の武士の下げ緒について、個人的に考察してみた。すると意外なことに、現在、我々が居合や抜刀で行っている下げ緒に対する所作の多くが、江戸時代に全く行われていなかった可能性がある事が解ってきた。特に、形の練習時に下げ緒を袴の前紐の左右どちらかに結ぶ所作は、極めて近年に発生した近代的な手法である可能性があり、幕末の武士達は、平常時の生活習慣と緊急時に即応出来る動作の双方に矛盾しない下げ緒処理をしていた状況が、良く理解できた。
もう一度整理すると幕末の写真からは、(一)~(三)が確認出来、
(一)式正の「下貝の口に」結ぶ
(二)刀箪笥等にしまう状態に多い鞘に「巻結び」のまま腰に差す
(三)栗型からそのまま下げ緒を二つ折りにして「結び下げる」
もう少し、調査範囲を拡大すれば多分、江戸初期以前から続く、
(四)下げ緒をそのまま「鞘に掛け流す」
手法も見つかると思う。何故ならば、文章上では、(四)の鞘に掛け流すやり方も行われていた事実は確認出来ているからである。
さて、ここまで整理したところで、今回のメインテーマである『下げ緒に関して、個人的に最も悩みの大きかった問題』に関して、ご報告したい。
それは、「脇差、短刀での抜き打ち時の下げ緒の問題」だった。
皆さんご存じのように、刀と違い脇差や短刀の栗型は、鯉口に近く、昔の人は抜き打ちを想定していなかったかのようである。それも、刀身の寸法が短いほど、栗型と鯉口の間隔が狭い傾向にある。(栗型に関しては、後日、詳細を述べたい)
その為、小脇差などで、抜き打ちを行おうとすると鞘を握る左手は、『鞘+栗型+小柄+鞘に巻いた下げ緒』全体を握る事になるケースが多い。場合によっては、更に鞘の差し表に笄が加わるので、相当、握りは太くなる上、形状も複雑になって、抜き打ちが極めてしにくい。
即ち、小生の体験上の感覚では、左手の鞘手は、脇差の刃先の方向を刀と違って正確に認識出来ずに居合の動作に入ることになる。
左右袈裟の抜き打ちは、まだ、良いとして、逆袈裟では最大15度位、頭の中の角度と実際の脇差の刃先の角度がずれ、キレイな切り口に成らないケースが往々にして生じた。もちろん、小生の練度の低さのせいとも考えられるが(笑い)、取りあえず、鞘の小柄を外し、栗型の前後に巻いた下げ緒を栗型から下に下げた状態で練習してみると逆袈裟抜き付けの角度の誤差は、修正できた。
確かに、幕末の脇差の帯刀状態を見ると大刀と異なって、栗型から下げ緒をそのまま下げるか、下げ緒の先の茗荷結びを右側の袴の紐に挟んでいる状態が一般的である。
そこで、幕末のこの二つの方式で抜き打ちを練習してみると、下げ緒は何もせずに、栗型から下に下げている状態が、最も抜き打ちに適している事が解った。もちろんこの判断は、あくまで小生の個人的な感覚だとご理解頂きたい。
そこで、手持ちの中脇差用に裏面の小柄樋無しの大刀と同様の形状の短い鞘を作り直して、使用してみた。
この鞘の場合、抜き打ちには最も適しているようで、抜き打ちだけを考えると鞘に装着した小柄は抜き打ちの障害にはなっても利益は何も無いように感じる。
下げ緒と抜き打ちの関係も徐々に解ってきたので、所蔵する試し斬り用の脇差の内、約半分の五振の脇差の鞘を上述の小柄樋の無い、大刀同様の鞘で作成してみた。長さは、1尺2寸(約36cm余)から1尺9寸(約57cm余)で、大体2寸置きで選んでみたが、どの長さの脇差でも、小生には、小柄の無い鞘の方が、抜き打ちがし易かったし、下げ緒は、鞘に一回も巻かずに、そのまま下げた方が好ましかった。
特に、中脇差以下の長さの抜き打ち水平斬りのケースでは、この効果は大きく、従来、若干不安定だった脇差の水平斬りが安定して両断できた気がする。