7.下げ緒(三)
大刀の下げ緒について、悩み初めて数ヶ月、練習の諸動作も元に復帰出来たが、「下げ緒」に関する頭の中の疑問が全て解決した訳では無かった。
それは、江戸時代初期や中期の侍の絵姿を見ると、その多くは、大刀の下げ緒を鞘で結ばず、鞘に掛けて、そのまま下に流している姿が多く描かれているからである。同様に、明治期の居合の練習風景を描いた教本の絵や戦前の演武の写真を見ても、下げ緒を付けない形態と同様に、下げ緒を鞘に掛け流している姿も多いことに気づく。
それでは、何故、「鞘掛け」とでも呼ぶ江戸時代初期から中期に行われていた武士の通常の作法を第一に採り上げなかったかというと、後半に詳述するが、勤王佐幕で混乱した江戸や京都での武士の主流の作法では無かったような気が個人的にしたからであった。
例えば、都大路を歩く武士や祇園の茶屋の会合に参加した侍の、ゆったりと垂れ流した下げ緒の端を敵意のある相手に掴まれ、強く惹かれたとしたら、どう成ったであろうか、想像してみよう。
多分、その武士は鞘ごと大刀を抜き取られるか、抜かれまいと刀の鯉口と鍔を握って足を踏ん張ったとしても、体勢を大きく崩した侍は、次に来る、敵の急襲に十分応じきれなかったのは、無いだろうか?
元禄や享保の太平を謳歌した時世とは異なり、尊皇と佐幕の思想的対立が激化し、長い間続いた、「武士の相身互い」の考えが忘れられ、敵対勢力が相互に牙を剥きはじめた幕末の時代、即ち、新々刀後期は、太平の時代の流れを引く、優雅で武士同士の相互信頼を感じさせる「鞘掛け」式の下げ緒処理は減少して、時代に即応した武張った実戦向きの下げ緒処理が主流では無かったかと、勝手に想像して、「鞘掛け」法の検討を後にした訳である。
さて、理屈はこのくらいにして、早速、「鞘掛け」方式での下げ緒捌きで形の練習してみたが、そこで、困惑したのが、現代の下げ緒の長さであった。
常寸でも六尺(約180cm)、長寸の下げ緒では七尺(約212cm)を越え、何とも意識上邪魔になってしょうが無かった。特に、近年の長寸の下げ緒では220cmを越える物があり、失礼ながら短身の人が鞘に掛け流し方式で使用すると、地面に引きずった下げ緒を自分で踏んでしまい形の途中で体勢を崩しかねないと思った。(笑い)
皆さんもご存じのように、江戸期の下げ緒の定寸は、大刀が五尺(約152cm)、脇差が二尺五寸(約76cm)と伝えられている。
そこで、時代のある五尺に近い我家の下げ緒を鞘に着けて練習してみたが、至極、具合が良かった。しかし、短くなって、捌きが良くなった分、掛けた鞘から下げ緒が外れ易く、形の途中で度々、下げ緒を掛け直す手間が増えた感じだった。
念の為、幕末の武士の下げ緒が写っている銀盤写真を何冊かの本で確認してみると前述のように、「鞘に下げ緒を巻付けた」状態や「下貝の口」で結んだ状態が多く、「鞘に掛け流す」写真は殆ど私見の範囲では確認出来なかった。
まずまず、予想通りの結果だったが、驚くべき事に、以上三つの下げ緒の処理方法の他に第四の下げ緒処理の方式が、幕末の写真から見つかったのである。
その方式は、江戸中期の絵姿で、一、二回見た記憶にはあったが、今回の下げ緒に関する種々の方式の練習まで、全く忘れていたやり方であった。
それは、常寸五尺の下げ緒を二つ折りにして、短く束ねて、栗型から直接ぶら下げる「束ね下げ」とでも呼ぶ方法であった。確か、以前調べた記憶では、宮本武蔵が好んで用いた方法と読んだ記憶がある。この方法が、意外に多く、見た写真の範囲内で、約三分の一近い数にのぼった。という事は、当時の日本の武士世界では、一般的な下げ緒処理方法で、敵襲への瞬時の対応も可能な好適な下げ緒の処理方法なのでは無いだろうかと強く思った。
姿的には、時代劇の岡引きが腰に下げている「捕り縄」のようで、パットしない印象だが、何時ものように、この栗型から下げ緒を真下に下げる「束ね下げ」方法で形の練習をしてみた。
やってみると、「下げ緒無し」や「鞘への掛け流し」方法と比較して、遜色なく、諸動作を行うことが出来て、古人の知恵に改めて感動した次第である。
この手法では、抜きつけ時の「鞘引け」や「納刀」時の所作にも全く影響が無いばかりか、「下貝の口」その他の鞘に下げ緒を巻付ける手法に比較して、下げ緒を鞘から外した最も自由な状態に近く、極めて実戦的な形態だと感じたのだった。念の為、前出の博多のO先生に、この話をしてみたら、早速、戊辰戦争に柳川藩士として出征したご先祖の写真を確認してくれ、「我家の先祖も栗型から下げ緒を束ねて下げておりました」とのことだった。
以上、新々刀期における幾つかの下げ緒に関する考察をしてみたが、最後に、それぞれの方法で下げ緒を処理して、仮標から遠い間合いで抜き打ちを試みてみた。最も抜き打ちに不適当だったのが、正式の結びとされる「下貝の口」で、下げ緒が影響して、斬り付ける切っ先、物打ちの角度が安定しなかった。
当然ながら、長袴等と同様に礼法を重視した方法は、実戦に向かないと改めて思った次第である。
逆に、抜き打ちに最も抵抗がなかったのが、「下げ緒無し」の状態か下げ緒を「鞘掛け」、「束ね下げ」にする方法で、いずれの方法も抵抗なく抜き打ち動作に入れたし、巻き藁の切断面の角度の誤差も少なく、斬れ味も満足の行く物だった。
鞘に下げ緒を巻付ける「巻結び」の手法は、練習を繰り返すと何ら問題なく抜き打ちが出来たが、上記の三つの下げ緒処理方法に比べると若干修練を要する処理方法だと感じる。しかし、この方法でも二ヶ月も練習すると上の三つの方法と余り変わらない斬れ味を味わうことが出来た。
さて、以上、下げ緒に関連して、この数ヶ月の個人的な悩みを書かせて頂いたが、下げ緒の処理方法その他の名称は我流で付けさせて貰った。もし、正式の呼び方や呼称をご存じの方がいらしたら、お教え頂きたい。
次回は、下げ緒に関して、個人的に最も悩みの大きかった問題に関して、ご報告したい。