5.下げ緒(一)
中秋の名月の頃、ここまで新々刀について少し書いて来たのに、突然、新々刀期の古流の居合について幾つか疑問が沸き起こってきた。
言うなれば、今まで、数十年信じてきた事への疑問点で、文章が進まなくなってしまったのである。
その発端は、刀掛けの刀を執って素振りをしようと腰に差して、庭に出た時であった。当然ながら、我家の刀掛の大刀の下げ緒は、江戸期の通常の武士の刀のように、下げ緒を正式「下貝の口」に結んである。
下貝の口の結び方のまま、刀を腰に差して、何時ものように下げ緒の貝の口の結び目を緩めて、袴の右前紐に結ぼうとした瞬間、手の動きが、そこで止まった。
この数十年間、素振りや居合の練習で、当然のように下げ緒を袴の前紐の右か左に結び抜刀して、正眼に構えていた。
しかし、江戸期の武士の外出時の通常の形として、鞘の「下貝の口」の下げ緒を解いて、袴の前紐の左右どちらかに結ぶことは有り得ない事に気付き愕然とした。当然ながら、その様な動作を見た当時の周囲の人達は、果たし合いか急な斬り合いの事態に備える武士の緊迫した事態への対応動作と判断したであろう。
百姓、町人ならば、その武士の周囲から、災いを避ける為に遠ざかって行った。であろうし、武士同士であれば、その侍に味方するか敵になるか、それとも中立の立場かの瞬間的な判断を下さなければならなかったであろう。
近代居合の多くの流派では、『向かい合う相手の殺意を感じるや、瞬速に抜き付けて、勝を制する理合』に立脚している場合が多数を占めている。剣道で言う「後の先ながら、機先を制して勝つ」訳である。
こちらに、相手に対する殺意が無く、無防備な状態の場合、下げ緒は当然、武士の外出時の正式結びの状態が、普通であろう。
そこで、戦前の居合や日本剣道形の映像を見ると殆どのケースで、下げ緒を使用していない事に気が付いた。若しかしたら、大正・明治の剣道人達は真剣での練習では、下げ緒を余り用いずに練習に励んでいた可能性がある。
確かに、もう故人になった先輩達の話では、現在のように下げ緒を袴の前紐の左右に結んで練習や演武をするケースが増えて来たのは、戦後、それも、昭和三十年代以降の超近代の事だったと聞いている。
そこで、江戸時代初期から続く、古い伝統を持つ流派の友人、何人かに下げ緒のことを率直に聞いてみた。すると、驚くべきに事に、得られた回答は、次の二点だった。
回答一、
「練習で、下げ緒は刀掛けに掛けた状態の鞘に結んだまま使用するように、昔から指導を受
けている」
回答二、
「下げ緒は基本的に練習刀には付けないで練習する。練習時の下げ緒は邪魔で、無い方が
練習し易い」
多くの現代の居合の流派では、神前の礼から始まり、刀礼、下げ緒捌きを伴う帯刀と動作が続くが、どうも、幕末、新々刀期の居合各派では、下げ緒は付けないか、鞘に結んだままで練習していたのであった。
この点に気が付いて、「下げ緒」に関する大きな壁にぶつかった為、壁を越える半年以上の間、種々の練習と模索に時間を費やし、文章が止まってしまったのである。(苦笑)