46.日本刀の「平肉」の存在価値
前稿で、 『保存の良い「健全な刀ほど」斬れ無い?』
というテーマで文章を書いたところ、明敏な方々から鋭い指摘を幾つか頂戴したので、それにお答えする形で日本刀の「平肉」に関連する後半の考察を続けてみたいと思っている。
まず、最初に前稿を書いた際の若干の前置きをさせて頂くと試斬の対象物は飽くまでも柔らかい「巻藁」であり、成長して硬くなった竹や太い木の枝、金属ではなかったことである。
残念なことに、戦乱の時代の斬れ味の評価のように「実戦上での絶対的な評価」が行えなくなった江戸時代以降、他人の刀の斬れ味に正面から異論を挟む武士は少なかった。
加えて、「元和偃武」を過ぎる頃から、武士が通常差し料を抜くことも少なくなり、先祖から伝承の戦場での斬れ味以外、伝来の名刀といえども、その斬れ味を証明する機会は絶無とはいえないが少なくなっていったのだった。
その影響は将軍家といえども同様で、山田浅右衛門による「公儀御試御用」が生まれた背景となっている。山田家に代表される試刀家は刑死した死罪人の胴その他の部位を用いて「土壇斬り」その他の斬り方で、預かった刀の斬れ味を評価した結果、現在でも多くの試し銘が茎に切付けされたり、金象眼された刀は多い。
残っている試し銘の刀を拝見していると古刀よりも当時の現代刀である新刀や新々刀が多く、古名刀の場合伝承の斬れ味を確認したのみで茎に手を加えない場合が多かった感じがする。
それでは、「刃物」の原点に戻って食材を色々な刃物で切った経験からスタートしてみたい。
(刃物には「それぞれの用途」がある)
日本の場合、食卓に上がる食物は殆どが完全に調理されている上、箸で摘まめる大きさに切り分けられているが、西欧料理の場合大きな骨付き肉が豪華に皿に乗って、そのまま提供されるケースも多い。
食材についても、日本では肉も魚も適当な大きさまで切り分けられてスーパーその他に並ぶ傾向があるが、中国や東南アジアの市や露天を覗くと、生きた鳥や小動物、地域によっては長いニシキヘビや結構大きな四つ足のほ乳類まで並んでいる場合がある。
そう考えると日本の一般家庭で調理に用いられる薄刃で平肉の殆ど無いステンレス製の文化包丁で調理できるアジア各国の食材の範囲は少ない点は理解できると思う。
野鳥の鴨一つとってみても、文化包丁では切りにくく感じるし、首や足の部分を切ろうとすると日本では重みのある出刃包丁の登場を待つしかない。
中国の田舎町で「湖南料理」や「広東料理」の鳥鍋を何度かご馳走になったが、鳥を丸ごと一羽調理したことを証明するために、鳥の頭や水掻きの付いた足が一緒に鍋に入って浮いて出てきた。
確かに、そうなるとあの鍋料理には身幅があって重い中華包丁と切り株のようなまな板の出番であり、日本の住宅に常備されている薄いまな板と文化包丁の出番はなさそうである。
実際に我々の家庭でも野鳥一羽を頂くと最初の切り分けでは出刃包丁や普段使用する回数が少ないナイフの登場となるケースが多い。
これが猪や鹿の枝肉解体の場合になると、平肉の付いるナイフでの解体の方が何倍も楽なケースが多い。特に狩猟現場で獲物を解体されるケースが多い狩猟家の方々にお聞きすると平肉の少ないナイフは耐久性が無く、十分な平肉を保持し、かつ巧妙な「寝刃」が合わせてあるナイフでなければ短時間の解体は難しいと聞く。更に平肉の無いナイフの場合、刃物としての寿命は極めて短く、長期間に及ぶ使用には適さないと聞いている。
更に、大型動物の解体の場合、狩猟用ナイフの平肉も大事だが、使用する刃物の身幅と重量も大切で、骨だけでなく、周囲の筋や筋肉を考えると耐久性のある断面形状と刃物全体の重量の合体した性能が重要な判断条件となると聞く。
個人的には生きたままの動物を切った経験が鳥以外無いので、又聞きで申し訳ないが、生きた状態の場合と屍骸では相当に手応えが異なるという。
そうなると刃物の平肉と断面形状、重さの持つ重要性は更に増すのだと経験者諸氏はおっしゃっている。
次に、「狩猟用ナイフ」の一般的なグラインドについてご紹介してみたいと思うが、残念ながら、その方面は全くの素人なので誤りも多いと思うが、参考程度にお聞き頂きたい。
(「平肉の有効性」と狩猟用ナイフ)
実戦での刀の使用が根絶してから長い年月を経過しているため、狩猟経験者の所有する「狩猟用ナイフ」が今日では最も実用上の体験が多い刃物かと考えている。
一般にナイフを代表する研ぎの形状に断面からみて三つの形があるらしい。
一) フラット:平肉の少ない平面研ぎ
二) ホロー: 若干凹面になる形状に研いで鋭利感を増した研ぎ
三) コンベックス:平肉を保持した研ぎ
研いだ直後の瞬間的な斬れ味では、二)のホローグラインドと呼ばれる研ぎ方が最も優れており、ナイフ愛好家の方々の人気もあるようだ。それに次いで二)のフラットも良く切れると聞く。
しかし、同じナイフを長年使用されている方のご意見をお聞きすると、
「最初の切れ味は良いんだが、ホローグラインドの切れ味は長続きしないんでね」
と、おっしゃる方も多い。
それでは耐久性と切れ味が両立するグラインドの形状はとお聞きすると「コンベックス」
に勝る耐久性の高い刃付けはないと長年狩猟を続けていらっしゃる方のご意見が多かった。実用的には平肉の適度に付いた「コンベックス」が最も好ましいようだ。
(日本刀の「平肉」と「適度な重量」の持つ実用性)
さて、話を日本刀に戻すと柔らかい「巻藁」や一年物の柔らかい「真竹」を斬っている分には、平肉が無い方が切れるおっしゃる方が多い。しかし、実際に硬い物を頻繁に斬っていると平肉の無い刀の場合、耐久性と斬れ味の維持が想像以上に難しい気が個人的にはしている。
例えば、真竹でも2年以上経過した物を2本、3本と束ねて連続的に斬ろうとするとある程度「平肉」の付いている刀身でないと個人的には不安感が残る。
刀身重量に関しては、個人の膂力とのバランスと鍛錬度の問題なのでなんとも申し上げようがないが、「片手抜き打ち」を多用される方の場合、若干短めでも重量のある割に手持ちの良い刀身をお勧めしたい。
この十数年、平肉の付いた初期新刀を竹斬りと藁斬り兼用で愛用してきたが、使用開始時に合わせた「寝刃」を未だに修正すること無く長期に渡って愛用している。
平肉の少ない刀に比べて適度に平肉の付いた刀は極めて耐久性が高く、斬れ味の劣化も少ない。中でも古い時代の研ぎと思われる刀の場合、現代の居合刀と異なり、『斬れ味の保持と適度な平肉の維持』が出来ているように、少ない経験範囲ながら思っている。
その根拠の一つが新々刀の裁断銘のある刀を拝見してみても、鎌倉期の古刀ほどでは無いが、刀身に適度に平肉が残っている点で、当時の武士達や研師の方々の日本刀に対する意識が感得出来るからである。
(「多様なご意見」の重要性)
さて、話題を元に戻して、前稿で、
『保存の良い「健全な刀ほど」斬れ無い?』
のテーマで、少ない経験の一部をご紹介したところ何人かの方から適切なコメントを頂戴しました。
そんな中で多くの方々から「多様なご意見」を拝聴できることは、この上ない幸せだと感じてもいるし、多くの異なる体験から得た別角度の視点の集積こそ、「正確な日本刀像」の復元に重要な要素だと確信している。
そこで今回も、試斬に関するご意見を何時も頂戴している John Doe さんからメールの一部をご参考のために以下にご紹介してみることとした。
『肉厚の刀身で巻藁/巻茣蓙を斬るのはやはり難しいですよね.
で,私自身はまだ経験してないのですが,知人によると生きた骨を斬るには肉厚の刀身で重量が十分にあるものでないと難しいそうです.巻茣蓙なら楽に斬れる薄刃だと十分な切断力を得る事が出来ないとか.
確かに七面鳥や鴨,鶏などの鳥類の骨を斬る時,肉厚で重い包丁を使うととても綺麗な切断面を作れる程斬れますが,死んだ骨で,しかも然程太さは無いので比較は出来ないかもしれません.
というのも
骨は生きている状態だとタンパク質繊維にカルシウムの粒が張り付いている感じで専用の細胞が常にその位置を(体内の必要濃度に応じて)動かしている.その為柔軟性と隙間があり,刀剣で斬れる.
ただ死んでしまうと,まず繊維の維持が崩れる,そしてカルシウムが互いに結晶化し始めるので比較的短時間で石のような一体化した硬さになる為,刀剣では斬る事は略不可能になる』
同氏のコメント氏に関しては、狩猟経験者の方々のご意見と共にこれからも忘れないように留意しては今後の勉強の大切な参考にさせて頂くつもりです。
また、何時も率直なご意見をお寄せ頂いているご厚意に感謝申し上げたい。
ここまで前稿も含めて幾つかの視点から「日本刀の平肉」について少ないながらも勉強出来たと思っている。
もちろん、多角的視点からの観察と表現できるほど十分な考察とは思ってもいない。
これからも John Doe さんを始めとする、多くの経験者の方々のお知恵と体験談を教えて頂きながら基礎勉強を続けていければと思っている次第です。
そろそろ結論に結びつけたいと考えているが、残念なことに明確な結論を持っていないので、現在試斬に使用している手持ちの刀剣の平肉に関連するご紹介をして終わりにさせて頂きたい。
試し斬りに用いている殆どの刀は適度に平肉の残った新刀で研ぎも古い物を用いている。その為、巻藁の他にやや固めの真竹その他の試し斬りにも使用しているので個人的には「竹藁兼用の刀身状態」の刀だと思っている。
研磨された時代に関しては不明だが、銹が所々出ている刀身の状態から、もしかしたら戦前の研磨かなと勝手に想像している。
その他には、新々刀か明治以降の刀か不明な無銘刀を一口所有していて、これは以前の所有者が平肉の殆ど無いほど研師に依頼して研磨させたらしく、平肉の少ない刀の参考刀としてたまに用いている。
このようなペタンとした形状の刀身は、初心者の女性に使用して貰うには好ましく感じられる。なぜならば、巻藁切断時の刀身の抜けに抵抗が極めて少なく腕力の劣る女性でも容易に巻藁が両断出来るからである。
しかし、硬い物や太い巻藁の試斬には不適当であり、腕力に頼る男子に使用させるのも好ましい刀身状態ではないと思っている。なぜならば、まだ刃筋を十分に合わせることが出来ない男子に使用させると斬るよりは刀身を大きく曲げることが多いからである。
また、前回に触れた保存状態の好ましい平肉のタップリ付いた古い太刀の擦り上げ等は鑑賞刀としても価値が高いので、乱雑に扱う危険性は極力除外したいと思っているし、出来れば、何時も述べているように「試斬に用いる刀は再生産可能な現代の居合刀や大傷のある刀が作者には申し訳ないが好ましい感じがする」のである。
やはり個人的には、
『斬れ味が大きく落ちない程度の適当な平肉の残る日本刀こそ、
長く愛用できる刀だ』
と、常に思っている次第である。