41.「現代刀」を取り巻く世界と「寝刃」
今、世界で『日本刀』がブームだと聞く。中でも「日本刀モドキ」の安価な中国製の形状を似せて造った刀が売れに売れているという。
確かに、以前から中国人の間では、『日本刀』、それも日本陸軍の士官が腰に佩いた「98式軍刀」等の軍装の刀の人気が高いと聞いている。
中国の高速道路のサービスエリアに寄っても今出来の「昭和軍刀モドキ」が沢山飾ってあり、結構売れている様子だった。しかし、中国人にしてもお金持ちは、やはり本物を好むようで程度の良い戦前の軍刀は中国人ブローカーによって近年大量に買われて海を渡っているようだ。
逆にアメリカでは、歴史上の有名な刀剣を復元製作しようとする愛好家が増えているせいで、自称「刀剣作家」と称する人種が増えている。
それに加えて、如何にもアメリカ人らしく製作した各種刀剣の斬れ味や強度を競うチャレンジも広く行われている様子が各種の映像から良く解る。
日本では、試し斬りに巻藁や竹が古来良く使用されてきたが、アメリカでは天井から吊した大きな豚の枝肉や甲冑を着せた人体に近い内部構造を持つ人形等が使用されるケースも多いので、羨ましく感じる日本人の愛好家も多いのではないだろうか?
(国際的刀剣ブームと多様化)
このように近年の国際的な「刀剣ブーム」に乗ってアメリカの各種TV番組に登場する内容も多彩になってきている。
元々、銃器の収拾や所持が自由に出来るアメリカでは、刀剣を含む「武器庫コレクター」の数も多く、そのコレクションの多様さも驚くほど広い。大砲一つとっても15世紀頃の海軍艦艇に搭載していた青銅砲から始まり、ナポレオン戦争期や南北戦争期の古い大砲を広範囲に収拾している大収集家もいるという。
当然ながら、そのような環境下でのアメリカの現代刀剣作家が製作する刀剣の種類も驚くほど広い。如何にも自由な国アメリカらしい古今東西を問わない時代と民族を超えた広範囲で果敢な製作態度が窺える。
一例を挙げると古代ローマ帝国軍が使用した「グラディウス」に始まり、ヴァイキングの剣や騎士の「ロング・ソード」はもちろんのことエジプトの「ケペシュ」や中東の「シャムシール」まで多種多様に製作しているから驚きである。
もちろん、日本刀と称する彼等による刀剣も製作範疇に入っており、出来上った完成品は相当高価な価格で取引されているようだ。
使用する材料も近代的な炭素鋼から始まって、スプリングやチェーン、果ては自動車の車体から自由に材料を取り出させて刃物を作成、総合的に評価を下す様を観ていると強く興味を惹かれるし、現代の「ダマスカス鋼」製作に関しても手慣れた様子が窺えて我国の日本刀鍛冶も伝統に安住してうかうかしてはいられないとチョッピリ思ったりした。
確かに、これらの映像を観ていると現在の日本刀では十分に行われることの少ない「刀身の強度試験」や「切断力の合理的な評価」を感じさせる場面も多い。
西洋のヴァイキングや騎士の剣、特に「ロングソォード」等のテスト場面を観ていると、その圧倒的な打撃力と破壊力を間近に感じることが出来る。その反面、形状を日本刀に似せて作成した彼等のいう「日本刀」の圧倒的な切断能力と斬撃力を安心して観ている自分に一部反発も感じた次第ある。
反発を感じる出発点は出発材料である素材と鍛錬方法が不明なケースが多く、大多数の場合炭素量のハッキリした「高炭素鋼」を成形して「ガス炉」で加熱、油焼入しているように見えたからである。
また、グラインダー等による成形後の仕上げ研磨は、「ベルトサンダー」を主用して研磨時間の短縮を図っているケースが殆どだった。ベルトサンダーが帯状の布やすりをモーターで回転させて研削成形する工具の為、刀身の研磨は平面性を強調する傾向にあり、更に最終的に布バフにより鏡面仕上げをしているケースが殆どなので、日本に於ける天然砥石による繊細な「研ぎ師」による研磨とは異なり、包丁やナイフの量産品の刃先の仕上げ研磨と同様の加工方式と思われる。
話は変わるが、現在世界で流通している中国製の「エセ日本刀」で実際に試し斬りした人の話では、実用上問題の無い斬れ味だったという。気を付けないと日本刀ならぬ「中国製のエセ日本刀」に世界が席巻される危険性も若干だがあるかも知れない。
加えて日本刀を創製したのは自国だと主張する韓国製のエセ日本刀も進出してきそうで、心配である。
(「エセ日本刀」と「日本刀」の相違点)
これらの世界に氾濫しつつある「エセ日本刀」と我々日本人が誇る「日本刀」の相違点を考えてみた。
まず、第一に皆さんが挙げるのが、材料である「玉鋼」の存在であり、伝統文化としての日本刀の「鍛錬方法」である。次ぎに、日本刀独特の「土置き」と難しい「水による焼入」技術が想定される。確かに、海外に於ける刀身の焼入は日本刀と違い大型の缶に満たした油に刀身を垂直に投入している焼入が多いように感じた。
焼入後の刃紋に関しては、鮮明に見えたケースと研磨の関係か刃紋が確認出来なかった場合があったが、斬れ味の試験結果から見ると間違いなく刃物としては完成していると感じた。
しかし、ナイフや包丁の刃物としての完成度の高さは、もちろん刀剣の完成度と比較する訳には行かない。戦場での戦闘者の生死に直結する武器の中でも刀剣ほど古今東西密接な関係を持つ兵器はなかった。
そうなると「エセ日本刀」の地金の材料や鍛錬方法、土置き、焼入のための加熱方法等々の詳細を比較したいところだが、誠に残念ながら細かい資料も現物も入手出来ない状況では、後日に譲るしか無い寂しい実情である。
そこで、言い訳的な検討を本稿で採り上げてみたいと考えているので、笑いながらお読み頂きたい。
その様な訳で本稿の検討テーマとして、試斬の際に重要な日本刀の「寝刃」についてピックアップすることにした次第である。
欧米で製作されている日本刀と称する刃物の「刃付け」がどの様に為されているか、その詳細は不明だが、映像から想像すると「ベルトサンダー」や「人造砥石」による成形研磨や「バフ研磨」による最終仕上げが主流に感じるので、欧米の一般的なナイフの最終仕上げに近い刃付けのようなので、最初に欧米のナイフの「グラインド」手法に付いて軽く触れてみたい。
(西洋のナイフの「グラインド」方法)
欧米では日本以上に広範囲にナイフが用いられてきた。その理由の一つにヨーロッパでは古代・中世から女性や子供も含めてナイフは日常生活の必需品だった為である。
一例を挙げると1900年代初頭のフランスの田舎では、村の集まりがある度に村中の人間が一ヶ所に集まって食事する機会が多かったという。
そうなると皆さんは、スプーンとフォーク、ナイフで優雅なフランス風の食事をしたと想像されるだろうが、実際はそうでは無かったのである。
各自に配られたのは、一枚の深皿とスプーンだけで、ファークは無く、テーブルの中央に置かれた肉の塊や野菜の大皿から各自ナイフで自分の分を切り分けて食べていたのである。深皿はスープ皿でもあり、野菜と肉用の兼用の取り分け皿でもあったのである。
そうなるとスジ肉の多い部位を上手に切り分けて肉の良い部位を入手するためにも、各自のナイフのエッジは上手にグラインドされている必要があったのである。
西欧のナイフエッジの断面には数種類の形状があることは良く知られている。日本の蛤刃にあたる「コンベックス」、平肉の無い平坦な「フラット」、フラットよりも更に内側に向けて肉を削いだ「ホロー」等がある。
これらのナイフエッジの各形状には一長一短があり、使用者の使用目的と好みによって各自が選択して使用しているようだ。
グラインドにはそれぞれ一長一短があり、持続力の点ではやや蛤刃の「コンベックスが」優れており、製作当初の切れ味では「ホローポイント」が優秀ながら切れ味の持続には頻繁な研磨が必要と聞いている。
日本刀の現代刀の場合のエッジは、「コンベックス」と「フラット」の中間くらいが多いようで、美術刀に重点を置くとコンベックス気味に、斬る方を重視するとフラットに近い形状になる傾向があると個人的には感じているが、皆さんの印象は如何であろうか?
(試斬用現代刀の「寝刃」)
斬れると所有者の方が自信を持って所持されている現代刀を拝見して特に感じるのが、物打ちでの広い身幅と平肉の殆ど無いペタンとした造り込みが多い点である。もちろん、刀匠が完成した時点では鑑賞に十分な平肉を持っていたと想像されるのだが、斬れ味を極限まで追求したい所蔵者の希望による研磨によって、欧米のナイフの平肉の全く無い「フラットグラインド」に近いところまで平坦な形状とされてしまったのだと考えている。
やはり、「寝刃」に関しては美術刀愛好家の一人として、平肉の適度に付いた末古刀姿の試斬用の刀剣に魅力を感じているので、我家の試し斬り用の刀剣四振は、どの刀身も平肉を残した状態で寝刃が付いており、新刀一振については若干錆が進んでいるものの昔の研ぎのままで試斬に使用している。
もちろん、優秀な実用性の高いナイフと同様に「日本刀」の強度を支える重要なファクターの一つが「適度な刀身の平肉」であり、毎回、新しい刀で寝刃を合わせる際に最も配慮するのが、その刀に合った平肉を探す作業なのである。
平肉を失った日本刀は、瞬間的には最高の斬れ味を示すかも知れないが、長期間斬れ味を維持することは難しいと個人的に思っている。
平肉の適度に残った「寝刃合わせ」の終了した刀身を見る時、平肉の醸し出す美と強度に対する安心感を覚える。
その点、以前お話ししたように「昭和軍刀」の場合は、最初に平肉のたっぷり付いた状態で斬り始め、数度の寝刃合わせで、比較的平肉の少ない状態まで研いで、平肉の付き具合と斬れ味の相関関係の妥協点を探し出す楽しみがある。
特に太平洋戦争末期の制式研磨をしていない平肉の付いた刀身では、通常の巻藁一本でさえ、袈裟斬りに苦労するケースさえあった。もちろん、腕力に任せて「たたっ切る」ことは可能だが、本来日本刀は刃筋と手の内さえしっかりしていれば、それ程の力を入れなくても良く斬れるものである。
そんな斬れ無い軍刀でも、平肉の形状を丹念に整えて適度に寝刃を合わせると存外良く斬れるし、出発材料である地金の材質に問題が無ければ二本、三本の巻藁を斬ることも可能な軍刀も多い。
斬るという機能を古来追求してきた「日本刀の姿」は、その形状を似せた最近の海外製の「エセ日本刀」とでは、多くの点で大きく異なる基本的な要素が多い。
もちろん、本家日本が誇る秘伝の鍛錬と地金の働きは、これからも数々の名刀を世に生み出す原動力であり続けると確信するが、海外の日本刀に似せた「エセ日本刀」も斬れ味の向上を益々加速させていくと思われる。
そうなると従来の「美術日本刀」の追求と共に日本刀のもう一つの課題、「丈夫で斬れる日本刀」に挑戦する新進作家の精進も祈念したいと考えている人達も多い印象を受けている。
出切れば、新来の海外データであっても参考に出来るものは参考にさせて頂いて、広い度量で次世代の日本刀発展のための資料とする新しい感覚が必要なのかも知れない。
その辺の実体験が皆無な著者の為に、「エセ日本刀」での試斬体験を含む諸情報をお寄せ頂きたいと願っている。