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30.日本刀の三つの時代を比較する

先日、友人と「上杉家の名刀と三十五腰」展に行って上杉謙信や景勝の愛した戦国期から桃山期の大々名上杉家の所蔵刀の数々とその時代的な雰囲気を満喫して戻ってきた。

何と言っても上杉家のコレクションの有り難い点は、長寸で生茎うぶなかごの太刀や刀が、謙信や景勝が使用した当時の状態で保存されているだけで無く、その時代の外装がそのまま残されている点にある。

加えて、今回、展示されていない物もあったが、謙信や景勝が生きていた時代を彷彿とさせる「上杉本洛中洛外図屏風」や「上杉謙信願文」、「近衛前嗣血書起請文」等の時代を身近に感じさせる屏風や願文、更にこれらの太刀や刀を帯びた時に着用したと考えられる謙信や景勝の甲冑その他の武具がまとまって残っていることにある。

前回、「成瀬関次氏」の実戦日本刀3部作や小泉大佐の著作を読んだ感想を書かせて頂いたが、今回は、戦国時代後期から桃山時代の上杉謙信、景勝父子の時代の刀や刀装の優品を沢山見学出来たので、少々の無理は承知で、戦国時代末期と戦中派で軍刀研究の大家成瀬関次氏の日本刀に対する考え方、それに、現代における居合刀の三つの時代的感覚の相違を中心に比較してみたいと思っている。


(戦国時代の実用刀と外装)

「上杉家の名刀と三十五腰」展で有り難かったのは、桃山時代を中心とした「糸巻太刀拵」や「革包太刀拵」、「黒漆打刀拵」が多く展示されていた点である。上杉神社には5度参拝して、多くの名品を拝見しているが、今回のように統一したテーマでの刀剣と刀装具の拝見は初めてなので、実に楽しい時間を過させて貰った。

謙信所用の拵は戦場での実用性を兼ね備えながら、何処か優雅なところのある拵が多く、柄巻きの殆どは、「革巻の柄」で、常に実戦を念頭に生活していた彼の生活態度と好みを実感させるに充分だった。

変わったところでは、上杉家の所蔵刀の拵で顕著な一つに、長寸の太刀に「合口打刀拵」が付属する国宝の一文字(山鳥毛)の太刀や姫鶴一文字の太刀、高木長光の太刀があることである。この三口太刀拵は別々の機会に拝見した記憶がある。記憶では、どの拵も緊張感がある締まった感じのする拵で、特に、柄が長く立鼓りゅうごが目立つ拵だった。 

柄頭も江戸時代の物に比較して大振りで、斬撃時の衝撃や敵からの斬り込みを受けた際の打撃で手から柄が抜け落ちるのを防ぐ目的を感じさせた。

柄の立鼓といえば、「秩父大菩薩の短刀」などのように太刀以上に短い短刀の柄の立鼓も江戸時代の柄に比較して真中が極単な位細くなっていて、使い勝手が良さそうであった。江戸時代の大小の脇差の柄は、並反りか、軽く片立鼓を取った柄が多く、外見的には品が良く好ましい感じがするが、実用性から見ると緊急時の抜打ちでの使用を考えると戦国武士にとっては不適当であり、立鼓を深く取った柄が最適だったのかも知れないと思った。


太刀と太刀の外装以外では入場して直ぐのコーナーに、鎌倉時代の「無銘片山一文字」の長巻と「黒漆長巻柄」及び南北朝時代の野太刀の柄が展示されていた。

普段、磨上られた長巻は良く見かけるが、中々、生茎の長巻に出合う機会は滅多に無い。増して、戦国時代以前の長巻の柄にお目に掛かる可能性は少ないので、友人二人と共にじっくりと拝見させて貰った。

長巻の柄は法量と材質が表示されていなかっが、後で調べたところ長さは、約2尺5寸弱(75.1cm)だった。長巻の柄の材質は一般的に樫材が多いので、この柄も樫だったかも知れない。

刀身の長い長巻は、江戸時代の薙刀のように柄が長いケースは少なかったと以前から思っていた通りの長さだった。長巻を構える場合、肩幅より少し広い間隔で柄を握るのが、最も安定感がある握り方で斬撃の際も安心して敵を両断出来たのではないかと思っている。 

昔の絵巻や合戦図屏風等を見ると展示の柄よりも若干長い柄の長巻もあるが、江戸時代の薙刀の柄のような長さの柄を見た記憶殆ど無い。

一方、野太刀の柄の方は、大太刀の茎一杯に取った感じの長さだった。大太刀の茎が長く、柄の長さとそれ程変わらないケースでは問題ないと思うが、茎の長さが柄よりも極端に短いケースでは、通常の柄に使用する朴材では、柄折れがし易い問題点が残る。


次のコーナーに、上杉家が地元の越後国住藤原行光に造らせたと思われる天文23年紀の大太刀があった。この太刀の柄も1尺を優に越えて、2尺弱の長大な柄を付けられていたのでは無いかと想像させる雰囲気だった。

南北朝、室町期の大太刀の生姿で現存する数は極めて少ない上、外装付の残存数はもっと少なく、南北朝期の野太刀の柄を見る機会に恵まれた今回の展示会に遭遇した幸せを友人共々喜んだ次第である。

さて、実戦の経験を生かした戦国時代の刀の茎を観察すると、どうやら二種類の茎があるようで、その中で一番短いのが、打刀が登場した頃の長享や永正期の備前刀の茎で、各時代の中でも最も短い茎の拳一握りの長さの茎である。

同じ戦国時代の刀でも備前と共に大量生産の拠点だった美濃伝の関の刀の多くは、新刀の茎に近い適度な長さの茎になっている場合が多いし、脇物と呼ばれている大生産地以外の地方作の刀の茎も同様である。

しかし、短い打刀の生産が多かった戦国時代でも長い刀を好む剛勇の士は多かったようで、上杉家の越後住行光の大太刀のような長寸の刀の茎は、やはり各作刀地でも長い茎が普通だった。当然ながら「柄」の長さも長大な物が多かったと推定される。


今回の「上杉家の名刀と三十五腰」展と同時期に開催されている同じ埼玉県内嵐山町での「上杉景勝の生きた時代の刀」展にも越後の行光太刀と同様の太刀が特別出品されている。「上杉家刀剣目録」に景勝公御指料と記載されている太刀で、長さ、2尺7寸7分(83.4cm)の豪壮な姿の群馬県指定重要文化財の太刀である。

作者は銘に「上州住景重作」とあるように永禄頃の上杉家の抱え鍛冶である群馬県の地元刀工である。「常山紀談」に「景勝は父の時より長剣を好めり」とあるように、謙信と養子の景勝二代はこのような長い刀を愛用して戦場に望んだようだ。

この二口の太刀が示すように、大名家秘蔵の名刀群とは別に、上杉家ほどの名家当主の差料でも消耗性の高い実戦用の刀身には、領国の越後や上野の地元刀工の作を用いていた様子が窺われて、微笑ましい印象を受けた。

確かに、刀同士の斬合いでは、両者の技量が同等ならば、少しでも長い刀を持った方が有利に戦える可能性が高い。古来、体力に自信がある剛勇の士は長寸の刀を好む傾向が強い。

しかしながら、戦国時代に製作された大太刀を含む、古からの3尺や2尺8寸刀の長い太刀や刀は、平和な江戸時代になると差料として使い勝手が良い、常寸と呼ばれる2尺3寸前後に擦り上げられた刀が思いの外多い点は、古刀の多くが擦り上げられていることからも理解できる。

特に、江戸時代後期に近付くにしたがって、常寸よりも更に短い2尺1寸や2尺2寸の軽い刀が愛好される傾向が強くなる印象を個人的には持っている。

更に、幕末には、小銃を操作する関係でズボン差しと呼ばれる2尺前後の短い刀や突兵拵と呼ばれる軽快な拵えも登場、次の「サーベル式軍刀」を経て半太刀式の「昭和軍刀」の時代へと移っていく訳である。


(成瀬氏の考えた実戦日本刀)

 次に、成瀬氏が実戦刀として求めた「日本刀」の姿について、再度考えてみたい。成瀬氏は、「桑名藩伝兵法山本流居合術」を長年修行されていて可なりの長剣も易々と抜かれていた雰囲気が残っている写真からも窺える。また、「根岸流手裏剣術」も相当に鍛錬されていたようで、武道全般に対しては相当の練達者だった人物と理解できる。

 その成瀬氏が考えた「実戦日本刀」に関して、個人的に気になった部分を勝手にピックアップさせて頂いたのが次の3項目である。


1)古刀の刀身は粘っこい。刃の働きなど関係ない。軍隊に必要な刀は

「粘りの強い刀」であり、新刀の中にも多く有る。

2)適度な粘っこさと刃先の硬度があれば、一枚鍛えで良い。洋鉄を赤

めて延し、焼きを入れただけの刀でも、物によっては良く切れる。

3)戦中戦後を通じて悪評の高かった「昭和刀」に関しては、焼きの深い

例外物を除くと実際の使用時に何ら問題が無かったと戦場の実態を

率直に記述されている。


この3項目の内容をもう少し個人感情を入れて意訳してみると、

『粘りの強い、曲がらない刀で適度な斬れ味であれば、材質は素延べでも洋鋼でも構わないし、焼きが余り深く無ければ実用刀として充分である』

と、理解しても、そう大きく成瀬氏の気持ちを逸脱していることにならないような気がするが、如何であろうか?


同氏が、「実用日本刀」で最も主張したかった点が、「丈夫で曲がりにくい日本刀」こそ、『究極の実用日本刀』だったのでは無いかと個人的には密かに推測している。

命の遣り取りの場である実戦上に於ける生の体験談を同氏が聞いた結果は、最初に危惧していた「戦場での日本刀の折れ」は殆ど無く、刀身事態の損傷も予想より少なかったようだ。

問題点としては、同氏が指摘されているように、「柄の不具合」や実戦での「刀身の曲がり事故」だったように感じる。

柄の問題と茎の関係については後述するつもりだが、実戦や現地での試斬の際に日本刀を曲げた話は当時を体験した複数の人から聞いたし、今日でも初心者が刀を曲げるシーンを良く眼にする。現在、見事な試斬をされる方々でも過去に刀を曲げた経験が無い人は少ないと思う。もちろん、小生もその中に入る。(笑い)

実際、平肉の少ない日本刀は曲がり易く、特に、中国軍の青竜刀と斬り合った際には、実に、簡単に曲がると古老からお聞きしたことがある。日本刀の斬り込みを掛けると国民党軍の兵士は大概、蜘蛛の子を散らすように逃げ出すが、たまに青竜刀を所持する集団から逆に反撃されることもあったらしい。青竜刀は2本一組で木の箱に入っており、物打ちの身幅は日本刀の倍ほどもあって、真面に刀同士で切り結ぶと日本刀は、「くの字」に簡単に曲がってしまい、どうしようも成らない窮地を部下の銃剣の刺突に救われた逸話も高齢者に伺ったことがある。


成瀬氏のスプリング刀等の無垢鍛え素延べの日本刀是認論の背景には、この日本刀の「曲がり易さ」に関する問題点意識が潜在的に存在していた可能性が高い?

逆に考えれば、鍛錬回数の少ない軟鉄に近い包丁金を芯金に入れた多くの末古刀や新刀は曲がり易く、実用に不向きだと暗に述べているようにも感じられる。

どうしてかというと、戦地急造の鉄道車両のスプリングを適当に刀の形状に整えて刃を付けた程度の促成刀についても実用刀として同氏は非難していないし、無垢鍛えで焼刃を渡しただけの刀も日本刀として認めている点があるからである。

この話は、陸軍受命刀工ご自身にお聞きした話では無いが、受命刀工の直弟子の現代刀工の方から又聞きした話からも裏付けられるような気がしている。

それは、

「陸軍の衝撃試験は極めて厳しく、江戸時代からの伝統を持つ刀匠でも、厭がって陸軍受命刀工に成らなかった鍛冶職の方も多かった」

「陸軍の衝撃試験に合格できる日本刀の場合、芯金の入れ方に一工夫必要だったとの事で、本当にこの試験に胸を張って受けていた刀匠の数は少数だった」

等々を聞いているからである。


(戦後の日本刀)

成瀬氏が求めたような日本刀を戦後、作刀した刀匠の数は極めて少なかった。その、数少ない日本刀家の一人、「小林康宏刀匠」の存在は大きい。

小林刀匠は「斬鉄刀」の世界では有名な方で、今でも多くの信奉者の方がいらっしゃるし、今日、小林康宏刀匠の刀を愛蔵して試斬をされている武道家の方も少なくない。

同刀匠は、不純物の極めて少ない硬・軟鋼を練り合わせて丸鍛えして作刀されていたと風聞でお聞きしているが、実際の作刀方法の詳細に関しては素人には全く未知の世界で、想像する他無いことを残念に思っている。

但し、「康宏刀」の斬れ味については、実際に小林康宏刀匠の刀で試し斬りをされた方にお聞きしたし、その斬れ味の優秀さと強靱さに関しては、熱心に推奨されている先生方も多い。

実際に所有されている方の「康宏刀」をお借りして巻き藁を数本斬ってみたが、お聞きした通りの優れた斬れ味だった。

唯、強いて斬った後の個人的な印象と感触を申し上げると、

「末古刀や初期新刀の斬れ味に比較して、刃味がやや硬い印象だった」

しかし、戦後の刀匠の中では、成瀬氏の求めた「実用日本刀」に肉薄した優秀な刀鍛冶の最高峰の一人だったと感じている。

さて、次に「柄」と「刀のなかご」について、三つの時代に関連して考えてみたい。


(末古刀、昭和軍刀、現代刀の三つの時代を考える)

最初に復習の意味で刀身の長さから戦国時代末期と昭和軍刀の時代、そして現代刀に関して考えてみたいと思う。但し、現代刀の場合、観賞用の刀を除いた通称、「居合刀」あるいは、試斬用として用いられている刀に限定して話を進めてみたい。

戦国時代から桃山期に相当する「上杉家の伝来刀」を拝見すると当主の佩刀といえども戦場用の実用刀は、地元の天文23年紀の越後国住行光作の太刀や上州住景重作の太刀だったことが理解できる。太刀の長さも使用者の力量に合わせて様々で、2尺2、3寸の打刀を好む武士も居れば、「上杉家刀剣目録」に景勝公御指料と記載されている景重作の太刀のように、長さ2尺7寸7分(83.4cm)の豪壮で長寸の太刀を好む豪傑も多かったのである。

このように戦国桃山期の武士の差料の長さは、色々だったが、刀の拵も日本刀の歴史の中でも最も多彩で変化に富む拵が出現した時代だった。

当然ながら、大太刀の茎は長く、それに伴って柄も長大な物が添えられている。一方、2尺2、3寸の打刀の茎は6寸(約18cm)前後が多い関係で、柄もそれに伴い7寸(約21cm)~8寸5分(約26cm)前後の物が多く残っている。

要するに刀身、拵共に個性的で自由度の大きい変化に富んだ日本刀が出現した時代が戦国時代最末期から桃山時代だったと考えたい。


一方、明治の「廃刀令」施行と共に、西洋式のサーベル佩用の軍人や官吏以外の帯刀が禁止された。西洋式のサーベルは皆さん良くご存知のように、片手使いのため柄が短い。その為、明治、大正期にサーベルの中味として使用された日本刀のなかごは異様に短くなっている。加えて、茎尻の棟側を西洋式柄の形状に合わせて丸く加工している物が目立つ。

刀身の長さもサーベルの流れで、2尺2寸前後の姿の良い日本刀が多かった。特に、各大名家当主が従軍した際のサーベルには、今日では信じられないくらいの福岡一文字等の古名刀が収まっているケースが多かったし、高級士官のサーベルも同様に応永備前や一流の大坂新刀等の名刀が収まっているのを度々拝見している。

流石に、半太刀式の昭和軍刀制定後の刀身では、一流名刀を内蔵する外装は少なくなった気がするが、長さ的にはサーベル時代と大差ない2尺1、2寸前後の長さが多く、長寸の刀が入っている軍刀は騎兵隊将校くらいの物だったと古老から聞いている。

昭和軍刀の外装では新作の刀身が多くなった関係で、最も大きな変化が茎の長さが長くなった点だった。軍刀の柄の長さが両手使い可能な長い柄になった関係で、新作の昭和軍刀の茎の長さも新々刀並に長く変化している。

所蔵している新刀の茎の長さが平均6寸(約18cm)前後なのに対して、昭和になってから製作された軍刀の刀身の茎の長さは手元の記録によると、7寸~7寸6分(約21~23cm)なので、相当長くなった勘定になる。

さて、昭和軍刀の「柄」の長さだが、手元に丁度良い集計資料が無いので、僭越ながら所蔵の98式軍刀外装の柄の長さを参考として挙げると8寸3分(約25cm強)であった。

この昭和軍刀の茎の長さと柄の長さは、幕末の両手を使った竹刀剣術の影響を強く受けている印象が強い。確かに、長い茎の軍刀の柄は、柄折れし難く、安心して使用出来る印象である。

前回も述べたように、柄の長さに関して長瀬氏は佩用者が無理の無い範囲での、「長柄」を推奨されている。


さて、最後に現代の「居合刀」と「試斬用の刀」の長さであるが、一般に好まれる寸法が、2尺3寸5分(約71cm強)から2尺6寸(約79cm)の間の刀が多いようだ。もちろんこれは男子の場合で、女子では身長に合った2尺2寸前後の愛刀をお使いの方も多数いらっしゃる。その関係で現代刀の茎は長い物が多く、中には8寸(約24cm)を超える長い茎もある。

通常使用されている平均的な居合刀の長さを仮に、2尺4寸3分(約74cm弱)とすると、柄の長さが8寸3分程度ではないだろうか。但し、肥後拵の柄の方はこれよりも若干短い場合が多い。

確かに、現代刀の場合、使用目的が戦国期の刀や軍刀と異なり、実戦用では無いし、試斬をするにしても、仮標は巻藁か青竹であり、一部の実験例を除いて刀身同士を撃ち合う場合も皆無だと思う。その点を考慮して現代刀を見ると身幅が広い割に重ねの薄い刀が多いような気がしている。平肉も極端なくらい少ない試斬用の刀を拝見する場合もある。


そう言えば、現代でも、もう亡くなられた方だが夢想神伝流の檀崎友彰先生とそのご一門は、長い柄の居合刀を好まれて使用されていた。

一時、手元にあった元檀崎先生注文の居合刀の柄は、1尺4寸弱(約42cm)の長い柄で、成瀬氏が見たら喜びそうな長い柄だった。その長い柄の付いていた刀身の長さは、2尺4寸9分弱(約75.4cm)で、茎の長さも常寸の刀よりも長い8寸3分強(約25.3cm)の現代刀だった。

さて、その長い柄の居合刀を古流の型で何度か抜いてみたが、鞘からの抜き差しに特に不便は感じなかった。唯、未熟な身には連続技の際に少々もたついてしまう傾向があったので、成瀬氏の言う、長柄の刀の戦場での使用には、相当の修練を積んでからの使用が好ましいと思った次第である。

その後、常用の8寸3分と上記した長寸の柄の中間に相当する1尺1寸強(34cm)の柄を造って抜いてみたが、この位の長さだと問題なく使用することが出来た。因みに、この34cmの柄を付けた刀の長さは、通常より短い、昭和軍刀に多い長さの2尺2寸(66.7cm)だった。

柄が長いと遠い間合いの仮標や鍔迫り合いの際に当然ながら有利に働く可能性がある。柄の長さを考慮して臨機応変に戦場で対応できる下士官や士官には、長瀬氏のアドバイスも効果があったのかも知れない。

しかし、このような長い柄で注意しなければならないのが、長瀬氏が指摘されたように、柄木の選択である。刀身が長く、なかごの短い刀に通常の朴の木で柄を造ると試斬の際、柄折れを生じることがある。この問題点は江戸時代の書物にも書かれており、成瀬氏の指摘の通り、樫その他の強度のある材質の柄材を選択すべきである。


今回、三つの時代の刀の刀身と拵を比較する得がたい機会を得られたことは、誠に幸せだった。余裕があれば、三つの時代の刀とその拵を所蔵したい所だが、現実には、桃山期の生拵を持つ可能性は限りなく少ない。

そこで、陸軍造兵廠の検査刻印がある昭和軍刀に、個人的に最適な長さの8寸5分(約26cm弱)の柄を造って何人かで試斬してみたが、思いの外、皆の評価は好ましかった点をご報告して結びとしたい。因みに、柄巻は絹の柄糸では無く戦国時代に好みの多かった滑りにくい裏革を用いた


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